転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



夫婦別姓求め男女5人が初の提訴(共同通信)
『夫婦別姓を望む東京、富山、京都在住の男女5人が14日、結婚でいずれかの姓にしなければならない民法の規定は「両性の平等」を定めた憲法に違反するとして計600万円の国家賠償を求め東京地裁に提訴した。うち4人は東京・霞が関で会見し「政治には期待できない」と訴えた。5人のうち、事実婚の夫婦2人は婚姻届の不受理処分の取り消しも東京都荒川区に求めた。夫婦別姓を求める訴訟は初めて。』

前に見たことのある話であるような気がして、本当に『初めて』?と
疑問に思ったのだが、調べてみたら、同じ人たちのことだった(汗)。
先月初めに出ていたこの話↓が、このほど実現したというわけだ。

夫婦別姓求め初提訴へ=「憲法違反」と国賠請求-東京地裁(時事通信)
『夫婦別姓を認めない民法の規定は、夫婦が同等の権利を有するなどと定めた憲法に違反するとして、男女5人が国や自治体を相手取り、別姓で出した婚姻届の受理や計約500万円の国家賠償を求める訴訟を東京地裁に起こすことが6日、分かった。2月にも提訴する。』『原告側の弁護士によると、夫婦別姓を求める訴訟は初めて。選択的夫婦別姓制度の導入に向けた議論に影響を与えそうだ。』『訴えるのは、富山市の元高校教師塚本協子さん(75)や東京都、京都府の計5人。1985年に女子差別撤廃条約を批准し、96年には法制審議会(法相の諮問機関)が選択的夫婦別姓制度の導入を答申したにもかかわらず、民法を改正しない立法の不作為で、精神的苦痛を受けたなどと主張する見通しだ。』『塚本さんは「民主主義の世の中なのに、女性が姓を変えるべきだという因習になぜ縛られないといけないのか」と話している。』(2011/01/06-20:51)

現在の民法そのものは、女性差別ではない。
婚姻に際し、夫か妻の、どちらかの姓を選ぶこと、と定められているだけで、
「夫の姓が優先される」「原則的に妻側が改姓する」とは法律は全く言っていない。
改姓による手続き処理等一切を行うことを「不利益」と定義するのであれば、
それは夫婦のどちらかに、二分の一の確率で「当たる」という意味で、やはり平等だ。

現民法は、単純に夫婦共通のfamily nameを持つことを定めているだけであり、
また、夫婦は婚姻の際に新戸籍をつくり、どちらの実家からも除籍されるので、
「名乗った姓のほうの家に入り、養子(養女?)になる」のとも全く違う。
だから、『民法の規定が憲法違反』という、この人たちの訴え自体は、
飛躍し過ぎというか、いささか矛盾を抱えていると私は感じている。

むしろ、この人たちにとって障害となっているのは、
「夫側の姓を選ぶのが普通だ」という、旧民法以来の社会通念のほうだろう。
法律ではなくて、この強固で保守的な感覚に自分たち自身も勝てなかったために、
family nameを選ぶときに、夫が妻側の姓を選ぶことが最初から「想定外」になり、
妻も「夫に改姓させるより自分が旧姓を使用し続ける」ことだけを
是としてしまうのではないか。

娘の学校の某先生(男性)は、こういう感覚からは自由な人だったらしくて、
結婚のとき、お嫁さんの姓が綺麗で珍しい響きだから、という理由で、
夫である自分が改姓して、妻側の姓を新しい名字として選択なさっていた。
法律上、夫側の改姓を妨げるものは何もないのに、
こういうことを抵抗なくできる夫婦が、未だに少ないことが問題だというだけだ、
と私は思っている。

私が理念だけで思っている、婚姻に伴う姓選択の「両性の平等」は、
夫側も妻側も、過去の慣習に捕らわれることなく、
いずれの姓でもfamily nameとして選べるような感覚を身につけること、
はっきり言えば、社会通念と、男性側の感覚とが変わり、
もっと多くの男性が抵抗なく女性側の姓を名乗る世の中になることだ。
どこの夫婦も男性側の姓ばかり選ぶから不平等感が募るのであって、
女性側の姓を選ぶ夫婦がもっと増えて、普通の存在になれば良いのにと思う。
別姓より同姓のほうが良いと私は感じる。
結婚して「新たなひとつの戸籍」を二人で一緒に作るのだから、
夫婦が別々の姓でいるより、何か共通の姓を持ったほうが良い。

私は個人的にfamily nameは大事なものだと思っているが、
一般論としても、夫婦や家族の姓が共通であることのメリット自体は、
大半の人が、否定しないのではないだろうか。
皆が同じ姓を共有していることで、夫婦や家族の単位が明確になるし、
子供達の姓をどうするかという問題もなくなる。
家族の中で一人だけ姓が違うとか、きょうだいで姓がばらばら、という事態も回避できる。
婚姻の際に夫の姓を選ぶ夫婦も妻の姓を選ぶ夫婦も、同じくらいの割合で存在するなら、
もう、夫婦同姓=女性差別、という図式は無くなるし、
家族でひとつのfamily nameを共有することも、男女差別の結果と言われなくて良くなる。
(姓も名もどちらも一生絶対に変えたくない・変えたら自分個人の尊厳が崩壊する、
という考え方に拠り所を見出す人の場合は、私とは前提が違うので話は別だが。)

しかし、日本では結局、そんな世の中は来ないのだろう。
人の感覚を変えることは、現実問題として非常に困難だ。
男性側はほぼ全員、改姓しようとしない。これは初期設定として動かない。
結婚に際して夫の姓を名乗る女性は「普通」だが、
妻の姓を選ぶ男性は「養子に行った?どういう事情?」と今でも言われる。
結婚に際して自分のこれまでの姓を変えない男性は「普通の人」だが、
結婚に際して自分のこれまでの姓を変えたくないという女性は「うるさい人」だ。
現在の民法が両性の平等を謳っていても、私達はそのように行動して来なかった。
こういう世の中だから、今後もし「選択的」夫婦別姓が制度化されたって、
現実には男性は「選択」などしないのだ。
「選択」を迫られることになるのは、女性だけだ。
「改姓するか・しないか」はどこまでも女性側だけの問題であり続けるわけで、
ということは、男性に意識の改革を迫れなかった以上、
選択的夫婦別姓とは、結局のところ、女性側の譲歩・敗北ではないのだろうか(爆)。

……などという、ナンセンスな空想の話はさておき。
それなら仕方ないから、選択的夫婦別姓が、
現状ではとりあえず理想だということにして、
そうなると、婚姻届けを出すときに女性が旧姓使用を選択しようとした場合、
男性側は皆、「法的に可能になったから」というだけで心から賛成できるだろうか。
別姓が認められるようになったとき、依然として多くの男性、特にその両親は、
夫側の姓に改姓する女性のほうを好ましく感じる、ということはないだろうか。
改姓してくれるか・くれないか、そのことに対する女性の考えを聞くことにより、
男性(とその両親)は、相手の女性の愛情を量ったり、結婚への姿勢を判断しようとする、
という、これまでなかった問題が表面化するのではないだろうかと私は心配している。
絶対に改姓したくない女性は、そんな男とは結婚しなければ良いだけか(汗)。

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