転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・結構な御身分で申し訳ない話なのだが、昨日今日と、私はひたすら寝た。
主人が一泊二日で名古屋に行っていて留守だったので、
家事全般をサボることができた(殴)のが大きな理由だが、
ちょうど、確定申告の作業も終わって一段落したところでもあり、
安心して疲れが出た、という気分だった。
例の如くお腹もゴロゴロ言っていたし、夏以来久々に扁桃炎気味でもあって、
寝始めたら、もういつまでも、いくらでも寝られた。

・晩に名古屋から帰ってきて主人が言うには、
名古屋ではロリータ系の女の子を随分たくさん見たとのことだった。
勿論、名古屋は広島より人口自体が多いのだから、
仮に割合が同じだとすれば、ロリータ系の人数も名古屋のほうが多い、
ということが推定できるわけだが、それにしても目に付いたそうだ。
それと、こちらでは見かけない、カードバトルの会場があったらしい。
「カード・ゲームやる人らの碁会所みたいなものか?」
と私が訊いたら、
「う。まぁ、結局そんなもんか」
と、主人は、やや困りながら肯定していた。
カードバトラーの生態なんて、私に想像できるわけがないのだった。

三浦友和 反省「お母さん」ではダメだった…(スポニチ)
映画『死にゆく妻との旅路』初日挨拶の席上、
三浦友和は百恵さんを「お母さん」と呼んでいると話し、
共演者の石田ゆり子から「名前で呼ばれたいものですよ」と諭された、
ということだが、私自身はこのテのコダワリが全くない。
夫から「お母さん」「おい」などと呼ばれたくない、とか、
周囲から「○○ちゃんのママ」としか言われない日常が不満、とか、
塾の先生から「お母さん」と言われると「アンタの母じゃない!」と思う、
等々の話が、世間にはよくあるが、私はそのように感じたことがない。
なぜ私がなんとも思っていないか、なんともないものはなんともない、
としか言い様のない話だが、敢えてそこに何か理由づけをするとしたら、
「名前には安易に触れない」
という東洋的な習慣のほうを、馴染みのあるものとして感じているからだろう
(この話は以前書いた→2008年6月3日「わが名は」)。
ちなみに主人も私を「おかあちゃん」と呼ぶことが一番多い。
私を名前で呼ぶ人は世の中に普通にいるが、
主人と同じニュアンスで「おかあちゃん」と言う人は、多分ほかにいない。

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