バイオリンの先生の隣のビルに、光市母子殺人事件で弁護をしている足立修一弁護士の事務所があります。
先生は「足立さんはすごくいい人で、金にもならない事件ばかり引き受けている」とほめていたので、「ネットじゃボロクソに言われていますよ」と言うと、先生は驚いてました。
最高裁の口頭弁論に安田好弘、足立修一弁護士が欠席したことについて、ある人が「欠席は仕方ない。最高裁が悪い」というので説明してくれました。
前任弁護士と交代したばかりで準備ができず、十分な弁護ができないため裁判の延期を申し入れた。
通例では期日の延期が認められる。
しかし、定年を間近に控えた裁判長が任期中に結審しようとして申請を却下した。
そういうことなんだそうです。
憲法には「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」とあります。
どんな犯罪者であろうとも誰かが弁護をしなくてはいけないし、弁護をするんだったら依頼人のために全力を尽くすのは当然です。
ひょっとしたら冤罪(部分冤罪を含む)かもしれないし、情状酌量の余地があるかもしれない。
ところが、安田好弘、足立修一弁護士へのパッシングを見ると、そういったごく当たり前のことを理解されていず、感情に流されているように感じます。
事件の第三者である我々はもう少し冷静であるべきです。
安田好弘弁護士が麻原彰晃の主任弁護人をしていた時も、強制執行妨害容疑で逮捕され、保釈が許されず十ヵ月もの拘置されたことがありました。
これはまったく不当なことなんですが、その不当性をマスコミはきちんと伝えていません。
ですから、光市の事件でもメディアが流した情報のどの程度までが真実なのかと思います。
東京新聞に安田好弘弁護士に好意的な記事が出ていると、某氏に教えてもらいました。
報道もバランスですよね。
(追記)
いわゆる光市母子「殺害」事件のマスコミ報道やネットの過熱ぶりは異常でした。
テレビ局の記者が「私も足立さんを叩いた一人だ。足立さんが人権問題を手弁当で手伝う立派な弁護士だと知っているのに」と言ってました。
ネットでは、被告や加害者を少しでも擁護するようなブログはたちまち炎上しました。
私もこの事件や死刑問題について何度か記事を書いていますが、冷やかし、からかいのコメントが少なくありません。
知ることによって見方が変わると思っていましたが、そうではない場合もあると知らされました。
安田好弘弁護士、足立修一弁護士が最高裁の弁論を欠席したことについて、安田好弘弁護士自身が説明しています。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/4a2aa49cf47b2858fb7009c6bd1f6de9
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世間では頭の可笑しい死刑反対者のように
言われているので、どんな方かと思ってました。
所詮報道は面白可笑しいものにしかフォーカスを当てませんが、それでどういう情報操作が
行われるのか、見る側は良く考えないと。
この騒ぎのあたりから、被害者家族が
「もし死刑にならないなら、私が殺す」と公言
することが増えた気がします。話は違いますが、拉致被害者の方も「のうのうと暮らして」
などなど。。。
怒って当然のことなのですが、ふた昔前の
日本人はこんなあらわな怒りの表現は
「みっともない」と思っていたのでは・・・
ホントのことは結局当人にしか分かりませんが、あまり容易に興奮するのもいかがかと。
頭に血が上って、それこそ「神秘体験」?
復讐が救いとは思えません。
このことは犯罪の被害者にかぎらず、何か苦しい思いをした人の救いとは、という問題ですね。
平凡な答ですが、私は人との関わりの中に救いがあるような気がします。