昨日の新聞によると、昨年の自殺者は3万2325人、男性が7割。
そのうち60歳以上が1万994人で三分の一を占める。
身近な人が自死したらまわりの人はショックを受けるが、特に遺族の悲嘆の深さは言葉では言い表せないものがある。
ただでさえ、家族が死ぬと「自分のせいで」とか「ああしていればよかった」といった罪悪感を持つものだが、自死となると罪悪感は一層深い。
「誰もせいでもない」という遺書を残して亡くなる人もいる。
だからといって悲痛が少なくなるわけではない。
家族がそんなに苦しむと知っていたら、死より生きる方を選ぶのではないかとも思うが、しかし自死しようとする人は自分のことで精一杯で、他者のそうした気持ちを考えるだけの余裕はないかもしれない。
桜部建『仏教とはなにか』に、
とある。
「自殺してもかまわない」ということになったら困るが、しかしこれは大切なことだと思う。
家族が自死した遺族はすごく罪悪感を感じいているし、死んだ人がどうなっているかを心配し、苦しむ。
「自殺をしてはいけない」ということは訴えていかないといけないが、それと同時に「自殺をしても地獄には堕ちない」と説くべきである。
室町時代、ある高僧が「本当に苦しかったら死んでもかまわない」と言ったら、大勢の人が自殺したので、あわてた高僧は「自殺してはいけない」と訂正したという話をどこかで読んだことがある。
その時代に浄土の教えが広まったのは、蓮如のカリスマ性ということもあるが、死んだらいいところへ行けるから、ということが大きいと思う。
死後の救いを信じて、現実の苦しさに耐えることができた。
それでは、現代において生き抜く力を与えるものは何か?
いつぞや、ネットで青酸カリを手に入れた人が自殺し、そのサイトの管理人もすぐ自殺したという事件があった。
その時、自殺を常に考えている人は、青酸カリを手元に置いているからいつでも死ねる、だから今日を生きることができる、ということを新聞に書かれていた。
青酸カリが生きる支えとなっているわけだが、これはちょっとまずい。
ネットで知り合った者が集団で自殺する事件が多い。
あれは一人では死ねないから、みんなで一緒に自殺するんだと思う。
お互いが自殺に追いやるわけで、自殺教唆というか、消極的殺人といえるのではなかろうか。
だったら、逆にしてみたらどうだろうか。
他者との関わりの中で死ぬことができるのなら、逆に他者の関わりの中で生きることはできないものか。
「お互い死なないようにしよう。とにかく生きてみよう」というふうに。
関わりの中で死を選ぶように、生を選ぶことができたら、と思う。
四衢亮先生がこういう話をされた。
自殺する人は年に約三万三千人、自殺率が一番高い県は秋田県。
そして三世代、四世代同居率が一番高いのも秋田県。
このことのキーワードは「自立―迷惑をかけない」ということだ。
同居している家族に迷惑をかけたくない、だから自分のことは自分でできなければと思う。
それで、寝たきりになるとか、なるのでは、という怖れを持ったら、自殺を考えてしまう。
この、迷惑をかけたくないから自殺をするという気持ちは、散骨、直葬、家族葬と通じるように思う。
子供をわずらわせたくない、だから死んだことを誰にも知らせない、葬式をしない、墓を作らない、ということだからだ。
子供に遠慮する気持ちもわかないではない。
しかし、迷惑をかけたくないからというので自ら命を絶つのも迷惑な話だし、同じように、わざわざ海や山に骨をまくのも面倒な気がする。
迷惑をかけたくないので散骨してほしいのなら、「自分が死んだ後、火葬場から骨を持って帰らないでくれ」と言えばいいのに。
私たちはわずらわしいと思っても、しなければいけないと思っていることはぶつぶつ言いながらでもする。
お互い迷惑をかけ合いながら、お互いぶつくさ文句を言い合いながら、それでも一緒に暮らしていくことができればと思う。
きれいごとかもしれないが。
(追記)
送られてきた青酸カリを飲んだ女性が死亡、その青酸カリを売った男性も自死した事件についてのドキュメント矢幡洋『Dr.キリコの贈り物』について書きました。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/5f7e58da200492746c2d5beba2813cac
結婚し、子どもができた人生を失敗というのである。輪廻転生が、当たり前のことになっているようだ。だからこそ、涅槃という意味もリアルに感じられるのであろう。
私はちょっと仏教徒として気後れする気がした。ひろさちやの本によると、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみは一般にわかりやすいが、生まれる苦しみとは何かというと「つまり生まれてくることが、監獄行きであるというのが生苦です」とあった。
柳美里は昔、私ぜったい自殺しますといってた。そして、自分を生んだ母にあてつけの意味で絶対に子どもを生まないと宣言していた。ところが、知っている人は知っているけど、現在自殺してないどころか、子どもを出産してそれを本にしている。柳美里は強しというか、何というか。。。
だけど、輪廻思想というのは、人生をやり直して、よりよい人生にするという考えではないと思います。
柳美里は嫌いです。
「石に泳ぐ魚」のモデルになった女性が、名誉毀損と、「石に泳ぐ魚」の出版差し止めを求めました。
それにたいして、柳美里は表現の自由とか何とかほざいています。
人の痛みがわからないような女なんだなと思いました。
もっとも、小説家というのはそういうじんしゅなのかもしれませんが。
「うじうじする人や自殺を考える人、うつ病の人 は、自分の事しか考えてないエゴイストな人」
「他人の事や自分に守るべきものがある人は、自殺し ない。お母さんは子供が出来た途端、強くなるでし ょ」
と言っていたそうです。
強くなるから自殺しない訳じゃないですし、うつ病の人に、もっと強くなれって言ったら逆効果です。
それで、再びブログを見ると、江原様・美輪様大絶賛でしてねぇ~
うつ病の誤解や自殺問題を必死にブログやネットや他の広報手段で、多くの人に伝えようと寝食や時間を削って活動されている方が、たくさんいらっしゃると思うんです。
それが、前世は天草四郎だと言っている人間に台無しにされるんです。
だけど、江原にしろ、美輪にしろ、人の痛みに対してすごく無神経ですから、単なる言いがかりでしょうか。
死にたい人なんていないのに、それでも死を選ばざるを得ない、その苦しみを考えたら、あるいは家族が自死した人たちの悲痛を思えば、「エゴイスト」なんて言えません。
自死者を「エゴイスト」と断定して切り捨てる態度、なんだか犯罪者に対する東野圭吾の考えと似てますね。
これ2013年の紅白で歌われて、大喝采を浴びたそうで(私は見てない)、サザンの桑田氏がカヴァーしてから徐々に人気に火がついたようですが。
美輪氏に関しては体験談からくる講演やアドヴァイスはいいけれど、スピリチュアル的なものは胡散臭いと言われてますが、わたしはこの唄に胡散臭さをかぎとっていました。このBSの番組でその秘密がわかりました。
この唄は、ひとりの人物を歌ったのではなく、ふたりのエピソードを混ぜたものだそうです。ひとりは、美輪氏の同級生。洟をたらし、頭が悪くてみんなにからかわれていた少年。学校帰りに、そのお母さんが働いている現場に出くわした。
お母さんは息子をみつけると「ケンカが強い、金持ち、勉強できる、のが偉いんじゃあない。人間で一番偉いのは お天道様の前に胸張って神様にじっと目を見ていられるだけちゃんとまじめで、そして何でも一生懸命やってそして清らかでまじめな子が一番偉い、だからあんたは偉いんだ」と言い放ったといいます。うん、これはこれで本当の話だろうと思いました。
この唄の主人公は、母の献身的な労働のお陰でぐれもせず、めでたく高校、大学を出てエンジニアになり、振り返って母の恩を高らかに歌い上げるというわけです。
実は、この歌詞の後半の出世話は美輪氏が東京で出会った別の青年のエピソードだそうです。美輪氏じしん高校中退ですが、当時大卒は一割もいなかったでしょう。進学できる学力がもしあっても断念せざるを得なかった人が多かった。
実際のヨイトマケのお母さんは、「勉強できたり、お金持ちがえらいわけじゃない」と言い切っています。この教えを受けた子どもは、進学してエンジニアになるでしょうか。もし、そうなっていたとしたら、立身出世を目標とした自分とは違う考え方だった親を全面的には肯定しないでしょう。また、自分が進学するために身を粉にし、死んでしまった母に対する罪意識に苛まれているかも知れません。
同じように、さだまさしという美輪氏と同じ長崎市出身の唄にも同じような、あざとさを感じたりします。
一人息子を自慢の種にビル掃除に励む母。やがてサラリーマンになり結婚した息子とは、疎遠になってしまった。。。美輪氏はお母さんが複数いたそうですが、「母の無償の愛」への賛歌が「ヨイトマケ」。しかし、仁鶴師匠が描く「グレートマザー」は、決して報われないのです。いや、涙・涙、、、
https://www.youtube.com/watch?v=edOL1a35z98
この唄に、あるひとがエッセイを書いています。うん、これもまたいい。 http://www.sankei.com/west/news/171209/wst1712090007-n1.html
「工事現場のひるやすみ」とありますが、職人さんじゃなくて監督なんでしょうね。
「勉強するよと云いながら」という言葉はどのように受け取ったらいいのか。
母ちゃんを楽させるためか、それとも母ちゃんみたいになりたくないからか。
どっちにしろ、「苦労苦労で死んでった」わけですから、母ちゃんを楽にさせることはできなかったんでしょうね。
そのことに対する苦さは感じられますよ。