1998年、送られてきた青酸カリを飲んだ女性が死亡、その青酸カリを売った男性(草壁竜次27歳)は女性の自殺を知り、自らも青酸カリを服毒して自殺した。
草壁竜次は「ドクター・キリコの診察室」という掲示板で知り合った自殺志望者に3万円で青酸カリを売っていた。
草壁竜次自身も鬱病に苦しみ、自殺未遂を経験している。
矢幡洋『Dr.キリコの贈り物』は、掲示板の管理人であり、草壁竜次から青酸カリを受け取った一人である木島彩子(29歳)たちを取材し、小説風に書かれた本である。
木島彩子「青酸カリはお守り」と言っている。
「(草壁竜次が青酸カリを売ったのは)飲むためにではなく、あくまでも「これがあるから、いつでも死ねる。いまである必要はない。だから、もう少し頑張ってみよう」と、自分に自殺を思いとどまらせるためであったようです」
実際、木島彩子は青酸カリのカプセルを持って富士の樹海に行くが、カプセルを眺めているうちに死ねなくなってしまう。
青酸カリを持っていると、いつでも死ねる、だから今日一日は生きていよう、という気持ちになるそうだ。
著者はこう言う。
「私たちは、たとえ耐えがたい苦痛を味わっていても、それがある段階で終了する、という確実な見通しさえあれば、なんとか耐えられるものであるが、もし、そのような確実な終結が見込めなければ、苦痛は地獄的な様相を帯びるのである。
自殺願望の前提となっているのは、苦痛がいつ終わるのかわからない、という意識状態である。そのとき、人は「一刻もはやくこの苦しみを終わらせたい」というひじょうな焦燥感のなかにおちいっている。焦燥感は視野狭さくを招き、人は「死ぬしかない」と思いつめる。だか、青酸カリを所持することによって、自分が望むときにいつでも死ぬことが可能になり、苦痛はいつでも終わらせるものとなり、状況はまったく一変する。「はやく終わらせなければ」という焦燥感が解消し、状況を客観的に眺めるゆとりが生じる」
草壁竜次は「飲んでもらうためではなく、生きてもらうために送った」「死にたくなったときに、それを引きとどめるお守りとして働きつづけるはずだ」と言っているように、自殺を肯定しているわけではない。
死よりも生を選ぼうとしたからこそ、青酸カリを持っていたのだろう。
木島彩子も自殺念慮に苦しみながら、生きるために青酸カリを手元に置いている。
著者が取材した一人は、
「青酸カリを入手して「いつでも死ねるんだから、もう一日だけ頑張ってみよう」と自分にいい聞かせることによってしか生きていけない病人がいるのだ、ということを社会にわかってほしい」
というメールを著者に送っている。
自殺念慮に苦しむ人にとって、青酸カリを手にすることはいやなことではないし、青酸カリを与えることは人からしてもらいたいことだし、青酸カリをあげることはできるかぎり他人の不幸をすくなくすることのように思う。
青酸カリを売った行為は善なのか、それとも悪なのか、簡単に判断できない。
「「肝心なのは、「ぼくがなにをなすべきか」であって、「他人がなにをなすべきか」ではない」
とコント=スポンヴィルは言うが、結局のところ善悪とは自分自身の選びなのかもしれない。
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著者は、
>「生きたけりゃ勝手に生きればいいし、死にたければ勝手に死ねばいい」
ということでしたが。
>「死に向き合う事で“生きよう”と思った」
と感想を述べた人がいたように。私自身はこれが出た93年には希死念慮というのはだいぶ和らいでいましたから、そんなに切迫感はなかったですが。
その10年前にこういう翻訳書があったのです。
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E2%80%95%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%82%E5%AE%89%E6%A5%BD%E3%81%AB%E6%AD%BB%E3%81%AD%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95-%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A8%E3%83%B3/dp/4193426963
これは、薬物にさかれた部分が多い本で、医者とか薬剤師のルートを使わないと手に入らないなあと諦めた本でした。
うーん、ほんとに死んだらどうするのでしょう。
自殺念慮に苦しむ人たちは、生きようとして苦しむわけですから。
>薬物にさかれた部分が多い本で、医者とか薬剤師のルートを使わないと手に入らないなあと諦めた本でした。
医者が処方する薬をたくさん飲んでも死なないそうですね。
http://www.youtube.com/watch?v=b0hub1MZcvI&feature=related
人生は甘くなく、苦いだけ?
>たとえ耐えがたい苦痛を味わっていても、それがある段階で終了する、という確実な見通しさえあれば、なんとか耐えられるものであるが
今週アタマ、尿路結石がまたぶり返しました。いたたたたああ。1年半前にやったんですが、クセになっとりますね。体質ってやつ。この内臓からの締め付け感はハンパじゃないですね。生きてる間にあと何回、来るのかなあ。地震みたい(笑)
さて。いつ終わるかわからぬ精神的な苦痛。いったい何のために苦しむか。この苦しみのやってきたるところが何ものかわからないから、手のうちようがない。
実は積極的に死にたいわけではないけど、死ななければ苦痛がおさまることはない、そういった感じ。
「根詰めすぎ」とある人たちから言われたことがありましたね。その傾向は今も少し残ってるけど、そういう自分の状態がわかっているから今は耐えれますが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311945758
スイカに塩をふれば甘くなる。うーん。あの時期、しんどいことがあったからこそ、よけい楽しかったことが思い出されます。
そんな時代もあったねと、いつか笑って暮らせるわ、、、
いやはや、おなつかしい。
>尿路結石がまたぶり返しました。
ニラをしぼって、それを毎日飲むと治るそうです。
おためしあれ。
>いつ終わるかわからぬ精神的な苦痛。
昔、大腸ガンになった親戚が、陣痛もしんどいけどひと息つける時がある、だけどこの痛みはおさまることがない、と言ってました。
まさに無間地獄。
キリスト教では、耐えられない苦しみを神が与えることはないと言うじゃないですか。
だけど、こういう話を聞くと、安楽死も否定できないなと思います。
こんな自分なんて死んだほうがいいと苦しんでいる人でも、ほっとひと息つける時間が持てたら違うんでしょうけど。
夜更けの音楽ファンこんばんわ。明け方近くの音楽ファン、、、寝さらせぇ~~~~
>ニラをしぼって、それを毎日飲むと治るそうです。
うん?「葷酒山門に入るを許さず」が仏門に身を投じたものの戒めでは、なーんちゃって。親鸞聖人はこれに返り点を打って「許さざるに葷酒山門に入る」と読んだとか読まなかったとか、、、
毎日、○将のギョーザ食べて治すのではあきませんか?
>金麦と待ってるからあ~~
ビールがいいという話しを聞きましたが、ダメなようですね。
http://www.umeyama.jp/rokumei034.htm
>昔、大腸ガンになった親戚が、陣痛もしんどいけどひと息つける時がある、だけどこの痛みはおさまることがない、と言ってました。
肉体的な痛みには、自分は耐えられそうにありません。ガンになったらどうするかな。
精神的な痛みなら、いろいろ試してみて宗教はたしかに効いたんです。
>明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である
マタイによる福音書6章34節
しかし、一週間が五日であるなら耐えられるものを、五月みどりさんは、、、
http://www.youtube.com/watch?v=ZRdBjOxovjM
ムチャ言いなはんな、みどりさぁ~~ん。
あのビートルズでも、一週間に8日ちゅうているのに~。
http://besttube.blog111.fc2.com/blog-entry-13.html
だけど、ニラの汁を作るのはけっこう面倒ですよ。
>ビールがいいという話しを聞きましたが、ダメなようですね。
小便の勢いで一気に出してしまおうという飲んべえの考えそうな理論ですね。
>精神的な痛みなら、いろいろ試してみて宗教はたしかに効いたんです。
宗教が効いたのか、時間の経過とともに自然治癒したのか、別の症状に変わっただけなのか、どうでしょう。
『五月みどりのかまきり夫人の告白』は1975年製作、ということは36歳だったわけですか。
『軽井沢夫人』の高田美和は35歳。
ずいぶんオバサンだとその時には思いましたが。
あー、ここらで一息つきましょう、しんどい。
http://www.youtube.com/watch?v=e0rw3-u7uR0&feature=related
>宗教が効いたのか、時間の経過とともに自然治癒したのか、別の症状に変わっただけなのか、どうでしょう。
もともと「病」に対する免疫力があるのかも知れません。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2701692.html
これも免疫力の問題でしょうか。
これも思うのですが。他人様がどう考えようとそれはその方のお考え方ですから。私が思うようには、その方は考えないでしょうし。ましてや、実生活でお会いしない方に関しては私は「ああ、こういう意見なんだ」と思いますが。
http://www.ieji.org/archive/das-gestalt.html
ゲシュタルトの祈りは、私、ニーバーの祈りと同じぐらい座右の銘にしてます。私は私、あなたはあなた。偶然、出会えば悦ばしいことですが、出会えなくともそれはそれでまた良し、と。
散る桜 残る桜も散る桜 というか。実のならない花も つぼみのままで散る花も 大輪の花を咲かせるものも。すべて受け止める大地があるから、いいじゃない。
自分と違うところを探して安心するのは防御反応だと思います。
脳のせいにしたり、親のせいにしたり、テレビやマンガのせいにしたり。