見渡す限り圃場が広がっています。ここは大潟村です。かつて戦後の米増産の悲願をかけて干拓された八郎潟、20年の歳月をかけて1万7203ヘクタールという大干拓地が誕生しました。日本の農業を担う若者たちが厳しい国の選抜を勝ち抜いて入植しました。高野さんはその一世世代でした。しかし時はすでにコメ余りの時代に差し掛かっていました。増産の願いとは逆に減反政策が始まり彼らははその政策に分断されます。
高野さんたちは独自に販売網を作り自主流通米の道へ。土を肥やし、安全な無農薬米の取り組み、ヘリの農薬散布をやめさせ、有機栽培、自然栽培へと安全安心の高みへのぼりつめました。
その過程の中で全国の農業者や、消費者と手を結び、有機農業運動に邁進しました。昨年その高野さんが84歳で亡くなり20町歩もの大農場は次女にバトンが渡されました。
高野さん夫妻が築いてきた有機の圃場、「もったいない、ただそれだけでした」「有機栽培は大農業では難しく、年々手掛ける生産者が減っています。それを助けてくれた人たちも高齢化して」と。
課題は多いけれど昨年から夫と母の3人で経営にあたっています。無農薬大豆も転作田に作りました。
3月19日、仙台に来たからと挨拶かたがた全有連を訪ねてくれた屋敷さん夫妻。ちょうど肥料会社の人たちとの打ち合わせが終わったところで、同席してもらいました。
何もかも規模の違う大規模農場ですが昨年の全有連の施肥効果なども佐藤から聞き、熱心な質問をしてくる二人。一つ々丁寧に答える佐藤。親の世代から、子の世代へと確かにバトンがけ継がれていくのを感じました。
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