リーダーアーベント

2015年03月03日 | 日記
ドイツ芸術歌曲というジャンルの生みの親とも言うべきシューベルトは、たくさんの良き友人に恵まれていたことで知られます。詩人や歌手やピアニストや音楽愛好家など、彼の仲間たちが相集っては音楽的な社交がしばしば行われ、その集まりは「シューベルティアーデ」と呼ばれたそうです。私も若い頃からシューベルト歌曲に親しんできましたが、歳を取るにつれてその素朴で温かい味わいにますます強く心惹かれるようになってきて、同じくドイツリートを愛する盟友Iさんと「来年は一緒にシューベルティアーデをやろうか」なんて話していたのですが、昨日、そのものズバリ「シューベルティアーデ・コンサート」と銘打った演奏会が行われ、Iさんやうちの生徒さんたちと一緒に聴きに行ってきました。男女3名ずつ6名の声楽家が、伴奏ピアニストとして世界的に有名なK先生、お若い頃から声楽の伴奏を得意とされているN先生のお2人の伴奏で次々と数曲ずつ歌われます。サロン風にしつらえたホールで肩を寄せ合うようにして聴くシューベルト歌曲は、滋味に溢れて深く心に沁み込んできます。演奏者は50代から60代のベテランばかりで、K先生は80代です。歌からお一人お一人の人生の歩みかくっきりと感じられるのは、やはりシューベルトに負うところが大きいでしょう。そして特筆に値する伴奏の素晴らしさ!ゆっくりと流れていく時間に身を任せていると、幽明境を異にせず、という気分になってきました。特に「死と乙女」。死を拒絶する「乙女」と、永遠の安息へといざなう「死神」との対話の形を取るこの曲、前奏がコラールになっていて、「死神」の部分の伴奏にもこの前奏がそのまま使われています。この部分を聴きながら、そこに満ちる深い安らぎと慰藉に思わず目頭が熱くなりました。このコラールは後に書かれた弦楽四重奏曲第14番の2楽章のテーマにもなっていて、聴くたびに心を揺さぶられます。しかし歌曲の方は、若い頃歌いましたが完全にお手上げでした。ごく短い歌曲ですが、あまりにシンプル且つ内容が深いので、若い私には全く歯が立たなかったのです。今ならもう少しましに歌えるかもしれませんが、しかし、こうして聴けば聴くほど、シューベルトがいかに難しいか痛感します。シンプルなものほど難しい。その平明さゆえにごまかしがききません。それでもなお歌いたい気持ちが募るのが不思議です。
ソプラノの歌う「魔王」や、クラリネットのオブリガート付きの長大な「岩上の牧人」など印象的な演奏が多く、2時間余りを心からの充足感をもって過ごすことができました。こんな素敵な演奏会、また聴きたいです。