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今日という一日

書くことが大好き!日々の気づきを楽しく書いていきます。

京都禅寺と千家十職を訪ねて(前半)

2010-02-21 11:21:44 | 茶道ときもの

 

2月14日、バレンタインデーには縁遠い(?)私達は、バレンタインデーより心惹かれる、茶道の世界を訪ねるツアーに参加しました。

行き先は京都。東京駅を朝6時50分発ののぞみに乗ると、9時11分には京都についているのです。いつもの日曜日だったら、まだ布団の中にいる時間。早起きして行動すると、こんなに違うのですね。

バスが向かった先は、まず茶道資料館。ここでは立礼のお手前でお茶を頂くことができます。元総理大臣、今陶芸家の細川護煕氏のお茶碗で、お茶を頂きました。そのほかにも、外国人茶道家である、リチャード氏のお茶碗も登場しました。裏千家は数ある流派の中でも、一番国際的な活動に熱心らしいです。

次に、大徳寺の中にある、塔頭の一つである玉林院へバス移動。表千家7代如心斎と深い関わりのある茶室があるのですが、残念ながら中を見ることはできず、外から眺めるだけ。ここは最近7億円をかけて改修工事をしたらしいです。7億円!?一体どこにそんなお金が?

          

玉林院の隣にある、高桐院です。

ここは紅葉の絨毯の美しさで有名です。11月後半になると赤い紅葉の絨毯の景色が見れます。11月にまた行かなきゃ!

               

          

          

さてお待ちかねのランチは、同じく大徳寺の中にある、大慈院内にある、「泉仙」で鉄鉢料理をいただきました。

          

鉄鉢とは、僧が食べ物を受ける為に用いた鉄製の丸い鉢のことで、全部頂いた後に空いた鉢を重ねて一つにまとめることが出来ます。お料理は精進料理だったのですが、十分な量があってお腹いっぱい、心もヘルシーになりました。

後半は、千家十職として名高い、お茶道具の工房を訪ねます。


新年おめでとうございます

2010-01-06 23:42:08 | 茶道ときもの

少し遅くなりましたが、

新年あけましておめでとうございます!

まずは報告!無事にハワイ島から帰ってきました。

やれやれと一息つく間もなく、翌日は初出勤日。

スーツケースを片付けながら、同時に頭のスイッチを
「着物」に切り替え、初出勤日の着物の準備をしました。

これは私が勝手にやっている習慣で、今年で3年目。
何事も続けることが大事で、1年目が一番大変だったけど、
3年目の今年は、時差ぼけも克服し、ちょっと余裕も出てきた感じ。

今年も着物を着ることができて、いいスタートが切れました。

母の古い着物も、日の目を浴びて嬉しそう。
評判も上々でしたよ。

それでは、今年もがんばっていきましょう!


呉服屋からの生還

2009-07-19 00:13:08 | 茶道ときもの

きものは大好き、素敵な着物や帯に出会えば少々高くても欲しいと思うのですが、どうも呉服屋さんの商売のやり方だけは好きになれません。

本来お買い物って楽しいことのはずなのに、何でこんなにストレスを感じながら、プレッシャーを受けながら、まるで押し売りにあったような恐怖心を感じながら買わなきゃいけないんでしょうか?

買うつもりがなくても、偶然素敵な着物にめぐり合えるような、嬉しい誤算であれば納得もいくのですが、そうでない場合は苦痛以外の何者でもありません。

早くこの場を去りたいんだけど、買わない事には許してもらえなくて、その内メンドクサイから買っちゃおうかという心理状態になってくる。断ればいいんだけど、靴を脱いで畳の上に座っちゃったりしたらもう最悪。

「あんまり好きじゃない」を連発しても、次々商品を出してきて、こうなってくると根気勝負。百戦錬磨の京都の呉服商人のトークにはかなうはずもなく、どうすれば許してくれるんだろうと考える始末。客は私なのに!果ては、京都の職人さんの惨状まで聞かされ、「職人を助けると思って」 と懇願された。

絶対こんな商売おかしい!!! そう思いませんか?

でも私は今回立ち上がったんですね。手段はクーリングオフ!

実は根負けして、「これだったら買ってもいいか」という帯を渋々買ったのですが、3日経っても、まだ拘っている自分がいるのに気付いたので、やっぱりこれは買うべきじゃなかったと思い直して、強い決意で呉服屋さんに勝負を挑みに行きました。

「3日間こんなことで悩んで、非常に不愉快な気持ちになったし、こんな商売やっていたら客との信頼関係も築けないし、結局客を失うことになるんじゃないか」、ぐらいのことは言って説教してこようと思って意気込んで行ったのですが、予想以上にそのお店の担当の女性はプロだったのです。

クーリングオフしたい旨を告げたら、「そうですか……(少し間)。レシートはお持ちですか」 と言っただけで、理由を聞くわけでもなく、淡々と事務処理をして、「今度銀座でセールをしますから、良かったら遊びに来てくださいね」と、いつもと同じような口調で言って、早々に開放してくれたのでした。

多分一瞬で何かを読み取ったのでしょうね。逆にこの人はすごいなと思って、この対応で、変な話ですが、前よりも信頼が増しました。

着物は高額商品だし、呉服屋さんは固定客を対象に商売をしているので、客との信頼関係を築くことが何より大事。京都から3日間だけ来ていた商人のおっちゃんは、何とかして私に売ることしか考えていなかったと思うのですが、この女性は私との信頼関係を大事にしようと思っているような気がしました。

買うつもりもないのにフラッと呉服屋さんに行っちゃったことが、そもそもの間違いの始まりで、その上自分の優柔不断さを思い知らされた呉服屋事件でしたが、もっと賢い消費者になろうと、強く決意しました。

でも呉服屋さんの商売のやり方って変わらないんでしょうか?日本の伝統文化を継承する商売で、商品そのものはいいのに、売り方に工夫がなくて残念。

少なくとも、無料のプレゼントで客寄せをして、「お二階で目の保養をしていってください」って言って、畳に座らせて商品を売る手法は止めましょうよ、ね。


虎澤先生

2009-06-28 14:23:59 | 茶道ときもの
飯能釜で制作活動をしている虎澤先生です。

先生のお話が聞けるのも、飯能釜に来る楽しみの一つでした。
先生のお話を聞いていると元気が沢山もらえて、人生を楽しんでいる余裕が感じられるのです。陶芸の楽しさをみんなに知ってもらって、喜んでもらいたいという想いが全身から伝わってきて、「皆さんの作品から刺激をもらいました」なんていう言葉もさらっと言えてしまう先生に、しみじみと人間の深さを感じました。

ところでお茶碗というのは、お茶碗の底の高台の形にとても深い意味があるのを知りました。高台っていうのはひっくり返さないと見えないところだし、お茶碗を置いた時の安定性など、実用面で必要だからついているものだと思っていたのですが、虎澤先生は高台に芸術性を感じているようでした。深いなぁ……。

お茶会でお茶碗を拝見する時も、儀式的にひっくり返して見てはいましたが、高台の形に取り立てて注意したことはなかった。「今度注意して見よう」、とは思ったものの、高台から何かを感じ取れるようになるには、50年ぐらいかかりそう。

ところでもう一つ、私は虎澤先生のジーンズの履きこなし方に注目したのでした。御年、74歳ぐらいだと思うのですが、このジーンズの履き方は完璧です。自分の体の一部になっていて、見事に自然でした。

70代になってもジーンズをこんな風に履きこなせる人生を送りたいなと思ったのですが、どうすればそうなるんでしょうか、というのが、高台に芸術を感じるのと同じぐらい難しそうな課題です。

お茶会

2009-06-25 23:43:51 | 茶道ときもの

まずはつくばいで手と口を清め、

お茶室に向かって歩みを進め、

渓流のせせらぎに耳を傾けながら、

   

そのままお席に入れるかと思いきや、実は順番待ち。あれれ。でもこういう気楽さがとっても心地良かったのです。緊張しっぱなしの真剣勝負お茶会も、それはそれで背筋の伸びる思いがしていいのですが、自然の中で深呼吸しながらのお茶会は、何でもご愛嬌。いいなぁ、こういうの。

最後はお茶室内のワンショット。とうとう自分のお茶碗でお茶を頂く、運命の瞬間です。

半東が私のお茶碗を持って現れた時は、「キター!」と思いましたよ。「ど・ど・どんな味なんだろう」とワクワクドキドキ、が、しかし、お茶は普通の味でした。(夢のない答えでごめんなさい。)

お茶の味よりも、自分で作ったお茶碗が水屋から出てきて、半東と丁寧にご挨拶をして、自分のお茶碗にご挨拶をして、そのお茶碗でお茶を飲むという不思議さにとまどいました。「粘土の塊だったあなたが、こんなに立派になってくれて」と、まるで子を思う親のような気持ちで、あなたの成長過程を思い起こしました。(ちょっと感傷的すぎ!?)


お茶碗公開

2009-06-24 23:12:16 | 茶道ときもの

それでは、我が東京チーム嶋村組のお茶碗大公開です。

          

ゆうこ作:イメージ通りの桜色に焼きあがりました。先生にも、「いい色ですね、愛情を感じます」と言われました。私のイメージに近いと言われてちょっと嬉しい。

          

みちこ作: 手に持った時の収まりの良さと形は完璧です。織部焼き風でとても初作品とは思えない出来栄え。上手だなぁ。

          

なおこ作、ゆみ作: 偶然にも同じ塗り薬を使ったため、ペア茶碗のような作品になりました。写真では発色がよく分からないかもしれませんが、何ともいえない茶色のような紫のような色合いが、格調高くしていると思いました。

さて最後は参加者全員の作品大公開です。一見して素人が初めて作った作品とは思えないですよね。実際、私も完成度の高さに驚きました。上出来ですね。

          

さて次回はお茶会編に続きます。


お茶碗に会いに

2009-06-23 22:21:13 | 茶道ときもの
先回、陶芸をやったのは4月6日、それから2ヵ月後の6月8日(日)は自分の作品とのご対面に加えて、自分で作ったお茶碗を使ってのお茶会でした。

こんな盛り沢山なお茶会にはぜひお着物で参加せねばと、朝から着物と奮闘して、西武池袋線で飯能まで1時間半の道のりをやってきました。背筋を伸ばしたまま電車に乗っているのって結構きついんですよね。

2ヶ月ぶりの飯能、前に来た時は桜が満開で電車から、車からお花見をしながらの旅だったのですが、今回は眩しい新緑の山々が迎えてくれました。お天気最高!

きっと私のお茶碗も私の到来を首を長くして待っていてくれるはず。

さて、私の作品は……。(次号につづく)


陶芸体験

2009-04-10 16:03:27 | 茶道ときもの

陶芸体験!というと轆轤を回して、おっかなそーな先生にダメ出しされながらやるものっていう感じがしていたのですが、週末の体験は「陶芸」というよりも「粘土工作」に近いものでした。

          

飯能釜の窯元の虎澤英雄先生は、30年前に飯能に移り住んで、忘れ去られる運命にあった飯能焼きを復興させた先生です。数々の名誉ある賞も受賞していて、陶芸家としてのステータスもかなり高い人だと思うのですが、そんな素振りを微塵も感じさせない人でした。

先生曰く

「焼き物なんていうのは、その辺の土を集めてきて粘土にして焼けば、立派なお茶碗になるんです。それでいいんですよ。光悦(だったかな?)は、最初はお茶碗がうまく焼けなくて割れちゃったんです。その割れたところをくっつけるために1本の線を引いたら、その線が素晴らしいっていうことで、評価を受けたんですよ。だから何かに捉われる必要はなくて、皆さんの独創性から新しいものが生まれることだってあるのです。」

評価される作品というのは、作ろうと思って作れるものではなくて、何かそこから抜けた時に生まれるのかもしれないですよね。深い話だなと思いました。

先生は「伝承は受け継がれなければならないけれど、伝統は時代と共に変わるべきである」とも言っていました。伝承と伝統って区別して考えたことってなかったのですが、基本の型は変わらなくても、伝統に捉われることなく自由な発想で時代の流れに沿って変わることが求められる、ということを言っているのだろうなと思いました。

          

ところで一番右手前にあるのが私の初体験作品です。ちゃんとお茶碗の形になっているでしょ!この粘土細工に塗薬が塗られて、6月にお茶碗としてブログに登場しますので、こうご期待下さい。(えっ、誰も期待していないって?)


片栗の花とつくし

2009-04-08 20:49:11 | 茶道ときもの

飯能駅から車で10分ぐらい走ると、道路沿いの土手に片栗の花の群生地帯が現れます。

     

この可憐な花の根っこの部分から片栗粉が作られます。そうです、あんかけのとろみを作る時の片栗粉です。いまだに片栗粉がこの植物から作られているのかどうかは、片栗粉メーカーに聞いてみなければ分りませんが、願わくば食用なんかにせずに、可憐な花としての人生を全うしてもらいたいものです。球根から花が咲くまでに8年もかかるらしいです。だからこんなに可憐なのですね。

片栗の花にばかり気を取られていて、写真を見て初めて気づいたのですが、隣につくしが生えているのを発見。

     

つくしと言えば、毎年の恒例行事を思い出します。テーブルの上に広げた新聞紙の上に、母があっちこっちの堤防沿いで取ってきたつくしが山のように積まれ、問答無用で爪が真っ黒になるまで袴を取り続けたっけ。

 「つくしを食べると春が来たー、って感じがして幸せよね」、って言ってはしゃいでいるのは母一人であって、子供たちは「迷惑なんですけど。。。。。」、って毎年思っていたあの頃を思い出しました。

今年もきっと作っているのよね、お母さん。


ダイバーシティお茶会

2009-03-18 20:47:02 | 茶道ときもの

世の中ボーダレスの時代、日本でもいつの間にやら『ダイバーシティ』という言葉を日常的に耳にするようになりましたよね。多様性を尊重し、自分とは異なる文化や経歴への理解を深め、あらゆる集団が仲間として扱われていると感じられる環境を醸成する等々、これは実はわが社のコンピテンシーなんですけど、実はお茶の世界にもダイバーシティがあることに気付きました。

週末に友人が好意でお茶の練習会を開いてくれたのですが、参加した4人は全員が違う流派でお稽古をしているのです。その内の一人は最初は私と同じ江戸千家だったのですが、成長に伴って、違う流派に流れたのです。私はまだお茶の世界の何たるかを知る以前のレベルなので、ひたすら基礎力をつけている段階なのですが、昔もきっと同じように、成長した人が飛び出して、いろんな流派が作られていったんでしょうね。

お茶をやっている人は当然知っていることですが、お茶は流派によってお手前のちょっとした動きが違うのです。袱紗の捌き方であったり、居ずまいを正す順序だったり、お湯の汲み方だったり、お茶を頂く時の挨拶の仕方だったり。

そうなのです、正しくダイバーシティの世界だと思ったのです。客を茶でもてなすという目的は一緒なのですが、使う言語が違うのです。これは「アジア英語」にも通じますよね。要するに共通の目的があって、基礎力があれば違う文化の人たちとも会話ができて、ちゃんと通じ合うことができるのですよね。

多様性を受け入れると世界が広がるなと感じた一日。あっ、でも私のお茶の基礎力ではまだまだ多様性の入り口にも行けないので、他の文化の人ともお話ができるように修行に励みます。