おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

からみ合い

2022-05-16 07:23:24 | 映画
「からみ合い」 1962 日本


監督 小林正樹
出演 山村聡 渡辺美佐子 千秋実 岸恵子
   宮口精二 仲代達矢 滝沢修 信欣三
   鶴丸睦彦 浜村純 川口敦子 芳村真理
   三井弘次 安部徹 千石規子 菅井きん
   川津祐介 蜷川幸雄 瀬川克弘 佐藤慶

ストーリー
東都精密工業社長河原専造(山村聡)は癌で後三カ月しか生きられないことを知り、三億に及ぶ私有財産を、以前に関係あった女達の子供に分割することにした。
妻里枝(渡辺美佐子)、秘書課長藤井(千秋実)、秘書やす子(岸恵子)、顧問弁護士吉田(宮口精二)と、その部下の古川(仲代達矢)が呼び集められた。
妻里枝に三分の一、残りの三分の二が行方不明の子供三人に渡されることになった。
捜索期限は一カ月、呆然とする人びとにすぐ役割がふり当てられた。
藤井には川越にいる七つの子が、弁護士吉田にはある温泉街に流れて行った二十になる女の子、やす子は成宗圭吾という役人に再婚していった女が産んだ男の子を探すことになった。
ある温泉街のヌード・スタジオで古川は、専造の落し子の一人神尾マリ(芳村真理)を見出した。
古川はみるからに荒んだ生活のしみこんだマリを、札びらを切って関係を結び、ある契約をマリと結んだ。
川越へ行った藤井は、産婆からその子がすでに死んでいることを突き止め、ある子供を連れて来た。
やす子が探し出した定夫(川津祐介)は、養父母(北龍二、北原文枝)にとっては手におえない青年だった。
皆がそれぞれ子供を連れて河原邸に帰って来た。
やす子は暴風雨の晩、河原に挑まれて体の関係を持ち、それ以来、幾たびか体の関係がもたれた。
やす子には、安ホテルで逢う体だけの関係の男(平幹二朗)がいた。
その男はやす子に自分の子供ができたと知って身を退いた。
やす子はその子供を専造の子供にしたてようと考え、専造とずっと関係を続けてゆくことにした。
やす子が専造に子供ができたことを打明けると、死期の迫っている専造は狂喜した。
三分の一は無条件に生れる子供のためとしてくれた。
愈々財産相続の日がやって来たが、はたして3億という大金の相続は誰の手に・・・。


寸評
時代なのだろうが、いまから見ると出ている俳優はすごい。
海岸の私服刑事として佐藤慶、定夫の友人の一人として演劇の演出家として名を成す蜷川幸雄がチョイ役として出演し、定夫にからむチンピラとして田中邦衛、テレビ時代劇「三匹の侍」でブレイクする前の平幹二朗も1シーンだけの登場である。

映画は弁護士の吉田と社長秘書だったやす子が出会う場面から始まるが、はたしてこのオープニングは良かったのかどうか。
主演女優として岸恵子のやす子が主人公だと思うが、彼女の登場シーンからしたたか女の雰囲気がありありで、おまけに吉田との出会いの仕方、また「嫌な男と会ってしまった」と言う独白などが入るので尚更だ。
彼女がどのような権謀術策を使って社長の河原に取り入り遺産を手に入れるのかに自然と興味が行ってしまう。
結末を先に見せられたようで、彼女が最後にしたたかな変質を見せる姿に驚きがわかず、当然そう出るだろうなという感じが生じてしまうのが惜しい。

遺産相続問題は厄介なものである。
僕の幼なじみの姉妹で、遺産相続が原因となって犬猿の仲になった人がいる。
「からみ合い」における遺産相続問題は、認知していない子供への遺言状による相続で巻き起こる騒動である。
僕は顔も知らない父親の遺産相続に2度も関わることになったことがある。
僕に起こったのは母親が離婚していたために生じた出来事だったが、この映画で描かれているのは河原が認知していない子供へ遺言で相続させたいと言い出したことで、それをさせまいとする人々の思惑である。
相続対象者が認知するに値しない人だったり、でっちあげや成りすましという悪事の企みがあってサスペンスとしては凝った内容だ。
古川がマリと企んだことはこれだったのかと思わせるが、推理ファンならば早い時期でそれは予測される。
二人の企みが暴かれるのは少々あっけなく感じる。
マリが犯した犯罪は単独犯だったのだろうか。
それとも古川の手助けがあったのだろうか
河原の隠し子である7歳の子供の一件も面白い設定だが、吉田弁護士によって暴かれる経緯も工夫すればもっとドラマチックに描けたのではないかと思う。
岸恵子はもっと腹黒い女として描けたと思うが、大スターをそこまで貶めることが出来なかったのかもしれない。
色々とあるのだが、この映画自体は面白いのだ。
滝沢修の倉山弁護士が登場して「相続欠格者」が出てくる場面などは盛り上がりを見せている。
しかし、もっと面白くできたのではないかと思う点がある作品でもあると思う。

相続問題は遺産が多い資産家にとっては頭の痛い問題で、幸いにして僕の父親であった人の子供は僕一人だったし、僕の子供も一人なのでもめるようなことはない。
また資産も多くないのでそれを当てにした醜いことも起こらないだろう。
それを良しとするのは貧乏人の自己満足か。

カラーパープル

2022-05-15 08:28:25 | 映画
「カラーパープル」 1985年 アメリカ


監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 ウーピー・ゴールドバーグ
   マーガレット・エイヴリー
   ダニー・グローヴァー
   オプラ・ウィンフリー
   アドルフ・シーザー
   ウィラード・ピュー

ストーリー
1909年、南部ジョージアの小さな町。そのはずれに住む黒人の一家。
自分もまだ子供にすぎないセリーが子供を生んだ。
父親は彼女がとうさんと呼んでいた男だ。
とうさんは生まれた子供をセリーの乳房からもぎとってどこかに連れていってしまった。
セリーの心の支えは綺麗だし頭もいい妹のネッティだけだ。
やがてセリーは4人の子持ちのミスターに嫁いだ。
最初、彼はネッティを望んだがとうさんが断わり、代わりにセリーがやられたのだった。
やがてとうさんとミスターのみだらな手が、賢くやさしいネッティへと向けられたことを知ったセリーは、ネッティを家から逃げるように説得、ネッティは牧師夫妻に助けられてアフリカヘ渡っていった。
ある日、ミスターは歌手のシャグを家に連れて来た。
セリーがシャグの面倒をみているうちに、2人の間に奇妙な友情が芽生えた。
セリーの忍従の人生に驚くシャグと、夫の愛人ではあるが美しい心と自立の精神を持つシャグに、セリーの魂は目覚め、自分も人間であること、真っ暗だった未来に道が開けているかもしれないことに気づくのだった。


寸評
白人社会から差別される黒人たちというよく描かれる図式ではない。
黒人社会とその社会に属する黒人たちの生き様を写し撮る映画だが、はたして黒人の心を描き切れていたのかと疑問に思えてくる。
登場人物は市長夫妻などを除いてすべて黒人である。
差別する白人の代表として市長夫妻が登場し、ソフィアに保安官ともどもひどい仕打ちを行い、ミリー夫人のわがままぶりと馬鹿さ加減が挿入されているが、それは差別を受ける黒人を著す一つのエピソードにすぎない。
描かれているのは黒人社会における主人公セリーの悲惨で過酷な人生である。
アメリカ合衆国で黒人たちが歩んできた歴史を僕は知らない。
それらはほとんどすべてと言っていいくらい映画から得た知識である。
ここで描かれた黒人社会は、得ていた印象とは全く違う世界で、正直僕はとまどいを隠せなかった。
冒頭から主人公の悲惨な世界が描かれるが、それは道徳もなにもあったものではない。
セリーはまだ少女だが、とうさんと呼ぶ男に妊娠させられるが、かあさんはそのこと知らない。
そして生まれた子供をすぐさま誰かに譲ってしまう。
一人目の女の子も、二人目の男の子もである。
セリーはいわば性奴隷のような存在で、自分の意志とは関係なくミスターの嫁に出されてしまう。
彼等の社会は家長が絶対で、超がつくほどの男尊女卑なのだとわかるが、描かれた関係は江戸時代における封建社会の貧農の間でも行われなかっただろうと思わせるもので、僕はまったく理解できなかった。
セリーの悲惨な状況を見せられても、「かわいそうに」という気持ちすら湧いてこない異次元の話に感じてしまう。

兎に角、男の大人たちがひどくて、黒人社会ってこんなだったのかと反感を抱いてしまう。
ミスターの家は豪邸ではないがあばら家でもない。
それなりの収入もありそうなのだが、妻であるセリーにたいする扱いは奴隷のようなものである。
セリーは殺意を抱く瞬間もあるが、なかなか実行に移せない。
そんなセリーに影響を与えるのが、ソフィア、とシャグという女性である。
両人ともセリーにはない自分の確固たる意志を持ち合わせていて、それは彼女たちの自己主張でもあるのだが、だからといって強い女で居続けられるわけではない。
ソフィアは彼女のバイタリティ以上の力によって過酷な人生を背負わされてしまう。
話がここまで進んでも、救われるような所が全くないので、僕はますます憂鬱になってしまう。
シャグはミスターがセリーに行っている仕打ちを知っているはずだが、それでいて何もせず共に涙を流すような支離滅裂女性に映った。
シャグはいい人なんだろうけど、この人格を僕は素直に肯定できなかった。
すごく暗い映画で、落ち込んでしまいそうな映画だが、クインシー・ジョーンズが担当するブラックミュージックがその気持ちを癒してくれ、まるでミュージカル映画のような歌声が雰囲気をガラリと換える。
その異様さと、セリーがいないと何もできないミスターの戸惑う姿がちょっとした魅力と感じた。
最後は一応ハッピーエンドなのだろうけれど、僕は全体的にどこか溶け込めなかった。
スピルバーグの気負いのようなものを感じた作品だったなあ。

神様のくれた赤ん坊

2022-05-14 08:48:46 | 映画
「神様のくれた赤ん坊」 1979年 日本


監督 前田陽一
出演 桃井かおり 渡瀬恒彦 鈴木伊織 河原崎長一郎
   吉幾三 嵐寛寿郎 吉行和子 樹木希林
   泉谷しげる 曽我廼家明蝶 楠トシエ 小島三児
   正司歌江 森本レオ 小林トシ江 小松政夫

ストーリー
同棲中の森崎小夜子(桃井かおり)と三浦晋作(渡瀬恒彦)のところに、見知らぬ女(樹木希林)が六歳ぐらいの子供を連れて現われ、晋作の子供だと言って押しつけていった。
女の話では隣りに住んでいた明美という女が坊やを残して駆け落ちし、置手紙に晋作をはじめ五人の男の往所氏名が書いてあった。
窮した晋作は新一(鈴木伊織)を連れて父親捜しの旅に出、小夜子もふるさとを探すと言って付いてきた。
最初に名前のあった尾道の田島啓一郎(曽我廼家明蝶)は市長選挙に立候補中だったが、事情を話すと田島は十年前にパイプカットしていて、晋作は恐喝で逮捕されてしまう。
結局、秘書(河原崎長一郎)が田島の名をかたっていたことがわかり、養育費として三十万円を貰うが、血液型から父親ではなかった。
別府では第二の男である福田(吉幾三)がおりしも結婚式のまっ最中で養育費として100万円だけを渡された。
母親の生家に立寄った小夜子は母の千代(楠トシエ)が長崎丸山の大野楼にいて唐津に移ったことを聞く。
第三の男は元ライオンズの選手で、今はバーテンをしている桑野(小島三児)だが逃げ回るばかりだ。
その夜、意地とやせ我慢で関係のなかった二人は、久びさに燃えた。
仲直りした二人は唐津に向かい、そこで、小夜子は子供の頃の風景に、しばし、思い出に耽る。
最後の一人は、若松の川筋者、高田五郎。
五郎の家に行くと、親爺の幾松(嵐寛寿郎)が出てきて「五郎は死んだ」と伝えた。
そして未亡人のまさ(吉行和子)が、新一を引き取ると申し出た。
亡くなった五郎は発展家で、よそで作った子供は新一で四人目だそうだ。
ところが、晋作と小夜子は長い旅をともにした新一に情が移り、別れるのが辛く、まさに新一を託して高田家を出たものの、再び引き取りに戻るのだった。


寸評
押し付けられた子供の父親を捜すロードムービーだが、同時に小夜子の母親のルーツを辿っていくことが重なっているので物語に変化が生じている。
小夜子の話がなければ単なるお涙頂戴の話に過ぎなかったであろう。
晋作は芸能事務所でエキストラのバイトをしながらプロの漫画家を目指しているのだが、自分勝手でだらしなく無責任で頼りない男である。
一方の小夜子はまだセリフを貰えていない駆け出しの女優だが、私生活では度胸があり口も上手くて臨機応変な対応を見せるのは女優業のせいだろう。
晋作と小夜子のデコボココンビのやり取りが小気味よい。

新一の父親捜しはコメディ調である。
最初のパートである曽我廼家明蝶の所では恐喝容疑で警察に連れていかれるのだが、どうしてあれが恐喝になるのか疑問である。
前田陽一には政治家の権力乱用を茶化す気持ちがあったのかもしれない。
秘書の河原崎長一郎が曽我廼家明蝶の地盤を引き継いで国政に出た時にはと語っていることなどもそうだ。
二番目の吉幾三は5万円で話をつけようとするが、それを不満に思った二人は結婚式場に乗り込んでくる。
そこで桃井かおりが嫌がらせの挨拶を始めると父親が100万円と書いたメモを渡す。
とたんに桃井かおりがユーモアを交えた話に切り替え態度を一変させるのは、まるで喜劇である。
三番目の小島三児に至っては球団譲渡された西鉄ライオンズのファンによるドタバタが描かれる。
最後のパートで吉行和子が新一を引き取ると言い出すが、その前に亡き夫にグチる場面がこれまた喜劇的だ。

父親捜しと違って、小夜子が母親の痕跡を追っていくシーンはノスタルジーをそそりながら切なく描かれている。
この対比が極上のアンサンブルとなっている。
尾道では正司歌江の美容院で働いていたようで、母親がすでに亡くなっていること、ここでの暮らしは小夜子もはっきりと覚えていて初恋の人がいたことなどが明かされる。
小夜子は母親の生家の天草に立ち寄るが、そこで夫と死別した母親が長崎の色街へ行き女郎をしながら生きていたことを知る。
母親は唐津で好きな男ができて小夜子を産んだようだ。
そこからの母親は小夜子を大事に育てていて、付き合いを始めた渡瀬恒彦の所へも押しかけている。
小夜子には唐津の思い出はおぼろげなものだ。
僕は母親の姿がダブった。
僕が三歳の時に離婚した母は必死で僕を育てたようだ。
そのことは分かっていても、僕は母親には反抗的だった。
僕は小夜子ほどの記憶はなく、生まれた家のこと父親のことはまったく記憶にない。
小夜子は抱いていた母親の姿と違う実像を知って打ちひしがれる。
寄り添う相手は晋作しかなく、「お兄さん遊ばない」と誘うところが切なくいいシーンとなっている。
最後には晋作と小夜子が新一を迎えに行くのだが、新一にとってどちらが幸せだったのか。

神阪四郎の犯罪

2022-05-13 08:34:52 | 映画
「神阪四郎の犯罪」 1956年 日本


監督 久松静児
出演 森繁久弥 新珠三千代 左幸子 金子信雄
   高田敏江 宍戸錠 清水将夫 深見泰三
   宮坂将嘉 伊達信 下絛正巳 宮崎準
   広岡三栄子 轟夕起子 滝沢修

ストーリー
検事の冒頭陳述によると、三景書房の編集長神阪四郎(森繁久弥)は勤務先における業務上横領が発覚するや、これを糊塗するためかねて関係のあった被害者梅原千代(左幸子)のダイヤの指環に眼をつけ、詐取する手段として被害者の厭世感を利用し、偽装心中を図ったという。
証人として出廷を求められた今村徹雄(滝沢修)、永井さち子(高田敏江)、神阪雅子(新珠三千代)、戸川智子(轟夕起子)の四人は各人各様の証言をするが、果して真実を衝いたものであったろうか。
評論家今村徹雄の証言=神阪はいかなる場合も俳優で、彼の語る言葉は台詞にすぎない。
千代との情死も関係者の同情をひく手段であろう。
編集部員永井さち子の証言=利己主義者で嘘つきで、妻子のあることをかくし、甘言を並べて自分を欺いた神阪は、ひとたび秘密がバレるや、極力自分を陥れようとした。
したがって千代の場合も、巧みに欺かれたのにちがいない。
妻雅子の証言=自分は誰よりも良人を愛している。
深夜、寝床を蹴って仕事に没頭する良人は、いつも家庭の喜びを与え得ないおのれを私に詫びた。
これほど仕事を愛する良人が、罪を犯すとは絶対に考えられない。
歌手の戸川智子の証言=神阪は駄々ッ子で世間知らずだから、皆から利用されたのだろうと述べる。
また死んだ千代の日記には、何かと自分の不幸を慰めてくれた神阪に感謝しているが、病気で入院することになったとき、初めて神阪に妻子があると知り、同時に売却を依頼してあった母の形身の指環を彼から偽物だといわれ、死を決意して彼に心中を迫ったと記してあった。
最後に神阪四郎は次のように叫んだのである。
嘘だ。すべての証言は自分に都合のいいことばかりいっている。
思いもよらぬ汚名をきせられ、初めて人間社会の醜さを知りました。
果して彼は犯罪者なのであろうか?。


寸評
証言者が自分の都合のいいように証言するのは、黒澤明の名作「羅生門」でも描かれたモチーフである。
該当する場面が証言者の意見に沿って何度も再現される。
亡くなっている梅原千代の言葉による再現だけは彼女の残した日記によってなされている。
「神阪四郎の犯罪」は同じ場面の状況はどちらが本当だったのかと言うミステリー映画である。
証言する人々によって対象となる人物の人格や性格についての解釈が違い、また事件の解釈もまったく食い違っていくことで、客観的な真実はまったくつかみどころがなく錯乱してゆくというのがこの作品の面白さである。
証言によって同じ状況でありながら態度を変えていく森繁久彌の演技は見応えがある。

人間は保身のためならエゴを丸出しにするものだということは理解できるし、事実を述べながらも自分の都合の良いように脚色して話すことは少なからず僕にも経験のあることである。
自分の意見を聞いてもらいたいばかりに話をオーバー気味に話す、あるいは聞かされることはよくある。
皆が言っていると言う事もよく聞くフレーズだが、大抵の場合は自分と同意見の一部の人間の事であったりする。
言いたいことを強調するために事実無根の話をでっちあげることもあるだろう。
人の言うことは真っ正直に捕らえることには危険がはらんでおり、単純に信じることもまた危険をはらんでいる。
人間不信に陥ってしまうようなことなのだが、経験談で言えば一人の意見では判断を間違えることもあったのだ。

証言によって新事実と思われるようなことが次々と判明してくる驚きがあるのだが、その驚きと緊迫感はもう少し上手く描けたのではないかと感じた。
傍聴席から当事者が反論するだけでは弱かったように思うのだ。
新聞記者がもう少し活躍しても良かったのかもしれない。
彼らの出番が、評論家として名のある今村の裏の顔をしり「写真を撮っておけ」と小声で指示するシーンと、最後で一人が「上坂四郎は誰を一番愛していたのでしょうかね」と問いかけ、一人が「結局みんな嘘をついているんだ」と答えるだけだったのはどうなんだろう。
結局は上坂四郎の最後の陳述が全てだったのだろう。
彼は「今回はからずも告訴され、人間社会をはじめて知り、人間の醜さを痛感した。名誉とは何なのか。それは彼らの業績の評価であり、社会的意義の称讃であり、個人的な人格を称讃しているわけではない。彼らの個人生活の醜悪さ、人格の劣等さに驚かされる」と述べる。
続けて「真相とは何なのか。犯罪容疑者にあらざる第三者の語る真相とは真相なのだろうか。真相はどこにあるのか、私には分からない。嫌疑を受けたものの努力と憤りと、無念さを持って関知した限りの真相を申し述べたに過ぎない。結局のところは、真相を発見し得ず、それらしきものを想定して、判決を与えられるのであろうことを知っている。私はそれに抗弁しようとは考えていない。裁判とは客観的な活動であっても、犯罪においては客観的な真相はない」と言い切る。
「申し述べた真相はあるいは大部分が嘘かも知れないし、嘘であることも証明できない」とも言い、「私すらも知らないこの真実を誰が判定するのか」と迫り、「私は判決に抗議する意志はない。人間社会においては、真相らしきものが真相なのだから」と開き直り護送車で連れていかれる。
この長い演説は見応えがあった。

KAMIKAZE TAXI

2022-05-12 08:45:04 | 映画
「KAMIKAZE TAXI」 1995年 日本


監督 原田眞人
出演 役所広司 高橋和也 片岡礼子 内藤武敏
   中上ちか 矢島健一 田口トモロヲ
   根岸季衣 塩屋俊 ミッキー・カーティス

ストーリー
悪徳政治家・土門(内藤武敏)の女の世話係になったチンピラ・達男(高橋和也)は、自分の恋人・レンコ(中上ちか)と彼女の知り合いのタマ(片岡礼子)を派遣する。
しかし、SM趣味の土門のためにタマは重症を負ってしまい、そのことを組長・亜仁丸(ミッキー・カーティス)に抗議したレンコは、無残にも殺されてしまう。
最愛のレンコを失った達男は激怒。
土門に復讐を誓い、土門の寝室に隠されているという金を盗む計画を、テキヤ仲間と実行するのだった。
一旦は成功したかに見えたその計画も、しかしすぐに亜仁丸の知るところとなり、達男は一夜にして自分の所属していた組から追われる身となってしまった。
テキヤ仲間を殺され、一人逃亡を続ける達男は、夜明けの埼玉山中で一人の男と出会う。
不思議な雰囲気を持ったその男は寒竹一将(役所広司)というペルー育ちの日系人で、“そよかぜタクシー”の運転手だった。
達男はそのタクシーを拾って、一路伊豆へと走らせる。
当初、お互いを怪しんでいた二人だったが、長い道のりの中、次第に心を開いていった。
伊豆には、達男の母親の墓があり、いつか立派な墓を建ててやるという夢を持っていた達男は、盗んだ金でそれを実現させようとしていた。
しかし、もう少しのところで亜仁丸の部下・石田(矢島健一)に見つかってしまった達男は、所持していたピストルで石田を射殺して、再び寒竹のタクシーで逃げるのだった。
達男は、レンコやテキヤ仲間を殺した亜仁丸にその標的を変え、彼を倒すために東京へ戻る。
決死の覚悟で事務所を襲った達男だったが、亜仁丸は不在で計画は失敗。
たまたま事務所にいたタマとともに寒竹のタクシーに戻った達男は、三たび逃亡の旅に出発する。


寸評
大雑把に言えば、組から追われるチンピラと日系出戻り移民のタクシー運転手の奇妙な友情を描いたヤクザ映画なのだが、全編音楽に彩られた雰囲気のある映像によって、哀愁に満ちた緊張感が生み出されている奇妙な雰囲気を持った作品である。
ペルーの民族楽器であろうか縦笛のカーナの調べが時に軽快、時に哀愁を帯びて心に響く。
達男は恋人を殺された恨みから組を裏切り、組と繋がっている政治家の土門から隠し金の2億円を奪う。
しかし、しょせんはチンピラ連中のやらかした強奪で、彼らはすぐに見つかってしまい殺されていく。
何とか達男たち二人が生き残り行きついたところがナイター設備のある野球場である。
どうやら二人は高校球児だったらしくそこでの会話がカッコよくて泣かせる。
一緒に逃げてきた仲間が背中が熱いと言うので見てみると撃たれていて出血がひどい。
野球をやっていた頃の思い出を語り、最後の言葉として「カミカゼやってくれよ」と言い残し死んでいく。
このシーンはなかなかいい。
ヤクザたちも今迄に描かれてきたヤクザと違って不思議なキャラクターの男たちである。
もちろんその代表はミッキー・カーチスが演じるヤクザの会長で、キレまくるんだけれどちょっと抜けてて憎めないところがあり、サックスを奏でる音楽通で、手下の一人はサックス奏者の珍しいレコードを自慢している。
矢島健一は達男によって殺されるのだが、殺される前のやり取りが軽妙でこの映画の雰囲気そのもである。
ミッキー・カーチスの変な会長もいいけれど、矢島健一が独特の雰囲気を出していて面白い存在であった。

ストーリー上の主人公は高橋和也が演じるチンピラの達男なのだが、圧倒的な存在感を見せるのは寒竹一将の役所広司である。
寒竹はペルーからの出戻り移民なのだが、たどたどしい日本語を駆使する役所はやはり上手い。
カミカゼと言えば真っ先に思い浮かべるのが「神風特攻隊」であり、達男は特攻隊として会長の亜仁丸と暴論をぶつ政治家の土門に復讐を誓う。
そして最後では寒竹と神風特攻隊の関係が明らかとなり、神風と名付けられた作戦の欺瞞が暴かれる。
寒竹は「日本軍は突撃錠と言う覚醒剤を特攻隊員たちに配給していて、隊員たちはこれを飲みブッとんだ状態で敵艦に突撃したが、父はこの突撃錠を飲まなかったので出撃する度に帰ってきた。恐怖を感じて帰ってきたのかもしれません」と言い、それを配った人が生き残り国会議員になったので絶望してペルーへ行ったのだと土門に打ち明ける。
コンドルがペルーに吹く神風に乗って舞うのを見たのでペルーに行ったのだとも言う。
内藤武敏演じる土門がサド的で憎らしい言葉をはき続けるので、神風によって吹き飛ばされるのが爽快である。
土門がテレビ出演して主張する内容も、ごく一部の人たちが主張する極論で苦々しい。

達男は拳銃を両手に持ち標的の亜仁丸を殺しに向かう。
その時「カミカゼ特別攻撃隊、トマト隊隊長ミナミタツオ血液型はRH-のAB型、もしも僕が流血したら誰か輸血をよろしくね、ただいまより離陸をいたします」と叫び、「ブーン、飛んでいるけど飛んでないよー」と言いながら飛行機の恰好をして駆けだしていく姿は、
まったくの青春映画である。
青春映画らしい一面を持っているのもこの映画の魅力となっている。

彼女がその名を知らない鳥たち

2022-05-11 08:11:56 | 映画
「彼女がその名を知らない鳥たち」 2017年 日本


監督 白石和彌
出演 蒼井優 阿部サダヲ 松坂桃李 村川絵梨
   赤堀雅秋 赤澤ムック 中嶋しゅう 竹野内豊

ストーリー
8年前に別れた黒崎(竹野内豊)のことが忘れられない十和子(蒼井優)。
その淋しさから15歳も年上の陣治(阿部サダヲ)と仕方なく一緒に暮らしていたが、不潔で下品な陣治に嫌悪感しか抱けず、十和子は言い知れぬ欲求不満を抱えながら毎日を過ごしていた。
そんなある日、故障してしまった思い出の腕時計について十和子がクレームをつけたデパート社員の水島(松坂桃李)が、詫びの品をもって家を訪れる。
頑なな態度を崩さない十和子に、水島は濃厚な接吻を与えその心をとろけさせた。
情事を重ねてなのか、家を頻繁に空けるようになった彼女を叱りに、姉である美鈴(赤澤ムック)がやってくるが、陣治は十和子をかばい続けて美鈴に呆れられた。
そして、同じころ十和子は刑事(赤堀雅秋)の訪問を受け、黒崎が5年も前から失踪していることを聞き驚く。
真相を知りたくて黒崎の妻に会いに行く彼女は、そこで意外な人物と顔を合わせる。
国枝(中嶋しゅう)というその老人は十和子を以前慰み者にした男だった。
実力者である国枝の後ろ盾を得るべく黒崎は十和子を貢物として捧げ、その結果国枝の姪を花嫁に迎えた…そんな過去の記憶が十和子の胸によみがえった。
思い出したことはそれだけではない。
黒崎と別れた彼女が帰宅すると、陣治が「会社で殴られた」といって血に汚れた衣服を洗っていたのだ。
何か謎があると戸惑う十和子は一方で水島の態度のよそよそしさに気づく。
そんな裏事情を尾行によって得ていた陣治は、十和子に「またえらいことになってしまう」と水島と手を切るように訴えたが、十和子は陣治の言動に反発し、何かに憑かれたかのように水島に会いに出かけるのだった。


寸評
映画においてはヒーロやヒロインが登場することが多いし、大抵の場合は主人公に感情移入できる描き方がなされているのだが、本作の登場人物全てに嫌悪感しか湧かないという稀有な作品である。
十和子はクレイマーとしての一面も持っていて、貴金属売り場へのクレームは分かる気もするが、レンタルビデオ店に至ってはもはや恐喝まがいではないかと思えるようなクレームの付け方である。
それ以上に嫌悪感が湧くのは、同居している陣治に生活の面倒を見てもらっているくせに、彼のことを足蹴にしている姿である。
女に寄生しているヒモと呼ばれるひどい男の逆パターンで、男が暴力で支配するのに反し、彼女は言葉と態度で男に罵声を浴びせ続けていて、冒頭から十和子とはなんという女なんだと思わせるのだが、この十和子を演じた蒼井優は女優として艶めかしい姿も披露してワンランクアップしたような気がする。

一途な心を持って十和子に接しているのが陣治なのだが、ただこの男、本当に不潔で、風呂に入っているのかと言いたくなるくらいいつも汚くて、おまけに食事中に水虫の脚をさわったり、すぐご飯をこぼしたり、食べ方も下品で、十和子、十和子としつっこくて、女性観客なら誰も好感を持たないだろうという人物である。
十和子は黒崎という男を忘れられないのだが、この黒崎は国枝と言う老人に逃げることができない借りがあるらしく、その為に十和子を人身御供として老人に提供してしまうような男である。
更に十和子に対してひどい暴力をふるっているし、惚れた弱みにつけこんでくるゲスな男だ。
十和子は男がいないと生きていけない女なのか、カッコいい男に目がないのか、水島ともすぐに関係を持ってしまうが、この水島も結婚詐欺師の要素を持った男で、甘い言葉で十和子をもてあそぶゲスな男である。

観客は十和子が思いを寄せる黒崎や水島がゲスな男たちであることを感じ取っているので、嫌悪感を持ちながらも陣治がどのようにして十和子の心をつかむのかに関心が移るだろう。
この時点ではちょっと風変わりな純愛映画のように思えてくるのだが、しかしある時点からミステリーとしての要素が前面に出てくるようになる。
その転機となるのは、十和子が訪ねてきた刑事から黒崎の失踪を聞かされた時だ。
驚いた十和子は持っていた柿ピーを床に落とす。
落ちて撒き散らかる柿ピーをスローモーションでとらえるが、そう言えば天井から砂時計のように落ちてくる砂を映し込んだシュールな場面があったことを思い出す。
これらの落下するシーンは、十和子が堕ちていくことをイメージさせていたのかもしれない。
そして、優しそうだった陣治が電車で若い男を突き飛ばし、違った一面を見せ始める。
ミステリーはラストで完結するが、そのラストシーンにおいて「彼女がその名を知らない鳥たち」という長いタイトルを象徴するように3羽の小鳥が飛び立ち、そして無数の小鳥が大空を飛び立っていく。
タイトルに言う鳥とは、メーテールリンクの「青い鳥」だろう。
十和子は幸せの象徴「青い鳥」を見つけられなかったのか。
愛は慈しみであり憎しみでもあり、快さであり不快でもあり、幸福を感じるとともに同時に不幸ももたらす。
愛はそういった無数の感情の集まりでもあるから、無数の鳥はまさしく愛そのものだ。
十和子はその無数の鳥を仰ぎ見ることになるが、やっと陣治の愛を感じ取ったということだろう。

勝手にふるえてろ

2022-05-10 08:39:23 | 映画
「勝手にふるえてろ」 2017年 日本


監督 大九明子
出演 松岡茉優 渡辺大知 石橋杏奈 北村匠海
   趣里 前野朋哉 池田鉄洋 柳俊太郎
   梶原ひかり 古舘寛治 片桐はいり

ストーリー
生まれてこのかた24年間彼氏も男性経験もないOLの江頭良香。
良香には中学生の頃から思いを寄せ続けている“イチ”という男性がいた。
良香は“視野見”という焦点を合わすのではなく、視野の隅っこで見るという方法でしかイチを見れずにいたのだが、体育祭でイチに服の裾を捕まれ「俺を見て」と言われ、それ以来、卒業して会わなくなってからも良香の頭の中はイチでいっぱいだった。
ある日、良香は会社の飲み会に参加し、会社の同僚から付き合って欲しいむねを伝えられる。
名前を覚えることが苦手な良香はその同僚が書類の1+1を間違えていた記憶から“ニ”と呼ぶ。
ニへの返事は保留のまま、イチへの思いが忘れられない良香は同級生になりすましたfacebookアカウントを利用してイチに会うべく同窓会を企画し、上京した組で飲み直すという約束をすることに成功し、同級生が住むタワーマンションで行われることになった飲み会に参加した良香だが、軽いノリについていけず終始浮いてしまっていて、なかなかイチと話す機会を見出せずにいた。
ふたりきりというチャンスが巡ってきて、良香は中学生の体育祭の思い出を告げると、イチも覚えていた。
和気あいあいと会話は続いたが、イチは笑いながら「ごめん。名前なんだっけ?」と返答する。
憧れの人に名前すら覚えてもらっていなかったことに深く傷ついた良香は、泣き笑いの表情を浮かべ飲み会をあとにしたのだが、そんな時、良香の頭の中にはニのことが浮かんだ。
自分のことを思ってくれるニに心が安定し、良香は幸せを感じ始めた。
しかし二は良香が男性経験がないことを友人から聞き出していたこと、友人が漏らしたことに憤慨した良香は表情を無くし、ずっとイチという思いを寄せ続けている男性がいること、イチのことが好きなこと、だからニとは付き合えないことを告げ、冷たくニを振った。


寸評
何よりも素晴らしいのが松岡茉優の演技で、二の渡辺大知や月島来留美の石橋杏奈も登場するのだが、作品の構成からもヨシカの松岡茉優の一人芝居と言ってよく、それを圧倒的な存在感で演じ切っている。
思ったことを口に出したり行動に移す勇気がないゆえ、なにごとも脳内で完結させてきたヨシカは、脳をフルに活用してきた成果か頭の回転が異常に速い。
次から次へと浮かぶ妄想、情緒不安定な心と目まぐるしく動く脳内を反映させたかのように、本作は猛スピードで話が進んでいく。
そのためストーリー展開のテンポが良く、117分飽きることなくヨシカに釘付けになってしまう。
青春時代に憧れた人を想い続けているのはヨシカだけではない。
寄せる思いは妄想を呼び相手をますます美化していく。
憧れた人と結ばれない方が多いのが世の常なのだが、無いものねだりは人生における空洞として残る。
10年の恋愛を続けているヨシカの気持ちは万人が理解することができる感情だと思う。

中学時代はちょっと変かなと思わせるが、社会人となった今は結構可愛い。
それなのに浮いた存在で男と上手く付き合えないのは、友人のマンションで皆が楽しんでいるのに洗い物をしだすという付き合い下手のためなのだろう。
その性格の屈折は愛好するのが地球から絶滅した動物たちということに現れている。
絶滅した動物をネット検索することが唯一の趣味だという姿、ネット通販でアンモナイトの化石を購入するといった行為を通じて面白く描き、ヨシカという人物を的確に表現している。
彼女は会社では同僚の月島来留美以外には本音を明かさないように見えるが、いつも町で出会う人たちに語り掛けている。
恋い焦がれていたイチと感激シーンを見せたかと思うと、それが見事にひっくり返り、そういえばあの町の人たちとも・・・となる劇的展開が面白い。
彼女の孤独感が妄想を生んでいたのだとわかり、彼女の歌声と歌い上げる内容が切なさを感じさせる。
ピュアな青春恋愛映画とも言えるが、その描き方は新鮮味があって上手いと感じさせる。

アパートの隣人(片桐はいり)、釣りのおじさん(古館寛治)、最寄駅の駅員(前野朋哉)、金髪の店員(趣里)などのキャラクターたちが非常に良い仕事をしていて、物語的にも重要な意味を持ち、映画に色彩とリズムと奥深さを与えている。
彼らの存在によって、ヨシカの心情は観客の心に突き刺さることになる。
絶滅した動物に興味があるというヨシカの変わった趣味が、ここにきて僕たちの胸に突き刺さてくる。
我々は顔は知っているが名前の知らない人、時々出会ってはいるが話をしたこともない人を大勢かかえている。
都会の雑踏の中で孤独を感じる時もあり、世の中の理不尽を体験することこともある。
生きづらい思いをしながら“絶滅”しないために試行錯誤してきた者への応援歌として、「勝手にふるえてろ」は自分の屈折した心に悩む者の苦労を分かち合いながら、それを肯定してくれている。
用意されているラストとはいえ「勝手にふるえてろ」というタイトルにつながるホッとして心温まるエンディングも決まっていた。

価値ある男

2022-05-09 07:34:05 | 映画
「価値ある男」 1961年 メキシコ


監督 イスマエル・ロドリゲス
出演 三船敏郎
   アニマス・トルハーノ
   コルンバ・ドミンゲス
   フロール・シルベストレ
   アントニオ・アギラル
   ペペ・ロマイ

ストーリー
舞台はメキシコ・オアハカ州の小さな村。
村中から鼻つまみの貧しい農夫のアニマス・トルハーノにも夢がある。
それは年一回のお祭りヨルドーミヤの主催者に選ばれ、金と権力で村中の尊敬を一身に集めるマヨルドーモになることなのだが、当人は働き者の女房に子供の世話と畑を任せっきり、自分は酒と博打の日々を送る。
女房の哀願に耳を貸し、珍しく製酒工場で働くアニマスだったが、工場主の息子が自分の娘に手を付けたのを見て、息子相手に大立ち回りの傷害事件を起こし町の留置場に送られる。
1500ペソの保釈金が払えず服役を続けているうちにドロテアが工場主の息子の子を生んだ。
彼女の恋人カルリンは怒り悲しむが、アニマスが出獄すると聞いて、ドロテアの身を案じ、彼女だけを連れて村を去った。
アニマス一家はけなげに働いて金を貯めていたが、しかしその金も出所したアニマスが持っていってしまう。
たまに金を掴むことがあっても、その金は博打か、娼婦カテリーナに巻き上げられるかであった。
遂に悪魔に魂を売ったと宣言して、怪しげな黒魔術の儀式を始めるアニマスだったが、結果は飼っていた鶏を騙し取られただけで、女房の苦労は絶えない。
息子とドロテアの間にできた子を引き取りたいと酒造工場主がやってきて、多額の慰謝料を置いていった。
一生かかっても拝めない大金で、アニマスはその金でマヨルドーモになろうとする。
司祭は肩書によってアニマスが成長するかどうか変化を見たいと、彼をマヨルドーモに選ぶ。
祭りの日、着飾ったアニマス一家が誇らしく町を歩くのだが・・・。


寸評
三船敏郎の海外作品初主演映画となっているが、世界のミフネとして知られていたとはいえ、なぜこの映画の主演に選ばれたのか興味のあるところである。
日本人の三船がメキシコ人を演じているのだが全く違和感がないのはキャスティングの妙だろう。
1962年の第34回アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされた作品だが、受賞したのはベルイマンの「鏡の中にある如く」で、日本からは木下恵介の「永遠の人」もノミネートされていた。
三船敏郎はスペイン語の台詞を全部覚えて撮影に臨んだが、ネイティブによる吹き替えが使われている。

余り目にすることのない国の映画では、その国の持つ風習や文化が作品そのものを形作っていることが多い。
この作品でもメキシコ・オアハカ州の小さな村の牧歌的な様子が背景としてある。
牧歌的と言えば聞こえがいいが、要は貧しい村で産業と言えるものはなさそうな感じである。
後半で出てくる酒造工場などはこの土地での有力企業と思えるし、雇用を創出している企業としてアニマス一家に関係してくる。
冒頭で幼い子供が死んでしまい、その葬儀の様子が描かれている。
日本の葬儀とは全く違う風習で、先に天国に行った幼子を祝ってやるような雰囲気があり、人々の集まりはまるで宴会の様であり、参加者は踊ったりしている。
僕は冒頭でのその風習に面食らった。

ヨルドーミヤという祭りでは主催者のマヨルドーモは食事や酒の提供はもとより、求める人にはお金も恵んであげねばならないようで、日本人からすれば奇祭の範疇に入る祭りの様に思える。
アニマスはマヨルドーモに憧れているが、その生活ぶりは亭主関白、男尊女卑も甚だしい男だ。
彼に比べれば彼の女房は聖母のような人物である。
彼女は亭主からひどい仕打ちを受けているし、お金を酒と博打につぎ込まれているが、それでもそっと遊ぶためのお金を置いていってやるような女性だ。
アニマスの服役中にはせっせと貯蓄にいそしんでいる賢婦人である。
分からないのは、子供を簡単に置いていってしまうドロテアの行動だ。
父親からどんな仕打ちを受けるか分からないという理由は分かるが、自分の子供を置いていかねばならない心情をもう少し描きこめなかったものか。
またラストで起きる悲劇的な出来事も、それが起きる前段階をもう少し描き込めば劇的事件に出来たように思う。

見終ると非情に宗教的な映画だったような気がした。
アニマスはいい加減な男ではあるが信仰心だけは持っているようで、常に十字を切っているし、おまじないを単純に信じてしまう男でもある。
その為、刑務所で磁石にお祈りするハメになるし、悪魔を呼び出す行為を行い、預言者のお告げを信じて鶏をだまし取られてしまうという単純さ、換言すればアニマスは純真さも持ち合わせていると男とも言える。
その心が最後の行動を取らせたのだろう。
僕が見た数少ないメキシコ映画の一本であり、それに三船敏郎が出ていると言うことで記憶に残る作品である。

家族はつらいよ2

2022-05-08 07:56:29 | 映画
一作目は2020/12/15をご覧ください。

「家族はつらいよ2」 2017年 日本


監督 山田洋次
出演 橋爪功 吉行和子 西村雅彦 夏川結衣
   中嶋朋子 林家正蔵 妻夫木聡 蒼井優
   小林稔侍 風吹ジュン 中村鷹之資
   丸山歩夢 劇団ひとり 笑福亭鶴瓶

ストーリー
東京の郊外に暮らす三世代同居の平田一家。
平田家は当主の平田周造(橋爪功)と妻の富子(吉行和子)、長男の幸之助(西村雅彦)とその妻史枝(夏川結衣)に二人の子供たち、謙一(中村鷹之資)と信介(丸山歩夢)という6人家族である。
当主の周造が妻・富子との熟年離婚の危機を乗り越えてから数年が経った。
マイカーでの外出がささやかな楽しみの周造の車にへこみ傷が目立つようになり、高齢者の事故を心配する家族が運転免許を返納させようとする。
頑固な父を誰が説得するか兄妹夫婦でなすりつけ合っているのを見透かした周造が激怒し、またもや平田家に一騒動が勃発してしまう。
そんな中、周造は馴染みの小料理屋の女将・かよ(風吹ジュン)をマイカーに乗せ、昼食の天婦羅を食べに行こうとして居た時、道路警備をしていた故郷・広島の高校時代の同級生・丸田(小林稔侍)と40年ぶりに偶然の再会を果たした。
かつてはモテモテのぼんぼんだった丸田のわびしげな姿を不憫に思い、友人の向井(有薗芳記)も誘い、即席の同窓会を開いて大いに盛り上がるのだった。
周造の免許返納について家族会議を開くため、長女の金井成子(中嶋朋子)と亭主の泰蔵(林家正蔵)や、結婚した次男の平田庄太(妻夫木聡)と憲子(蒼井優)の兄妹夫婦たちが集められたところ、前日に周造が家に泊めていた丸田が息を引き取っており、てんやわんやの大騒ぎになる。
一人暮らしをしていた丸田を引き取る人もなく、市の福祉課によって淋しい葬儀が行われることとなり、不憫に思った周造は葬儀の立ち合いを家族に頼むが、皆はそれぞれ用事があり立ち会うことが出来ず、参加できるのは庄太と憲子の夫婦だけだった。


寸評
登場人物は前作と同じだが、数年を経ているので庄太(妻夫木聡)と憲子(蒼井優)は結婚している。
微妙に違うのが周造(橋爪功)は前作ではテニス部だったのに今回はサッカー部となっていることや、ペットが犬から小鳥に変わっていることなどであるが、別段気にはならない。
肝吸い付きのうな重が登場し、新米の警官が出てくるのは前作からのパターンを継承している。
シリーズ物は第1作を見ておくと楽しみが増加するのは間違いない。
今回、先ず描かれるのが老人の運転免許返納問題。
危険運転が度々指摘されているが返納に対する法的根拠はないし、あくまでも自己申告を待たねばならない。
車に対する執着心がない私は免許を返上しても良いと思っているが、しかしあって当然のものがなくなると不便を感じるだろうことが想像できてなかなか踏ん切りがつかない。
公共交通としては比較的便利な場所に住んでいると思うが、それでも大きな荷物の買い出しや、重いものの購入には車が欲しいし、離れた場所にある墓参も大変だ。
滅多に車を利用しなくなった今となっては、必要時にレンタカーを利用すれば維持費も安上がりなのだろうが、それも面倒に思うし、第一免許証を返上すればそれも無理となってしまう。
なかなか踏ん切りがつかない。
そうは言いながらも、視野の狭さや、反射神経の鈍化は感じるところがあり、事故への恐れはぬぐい切れない。

周造も運転技術が低下して、車には接触傷が絶えない。
家族はなんとか運転免許を返納させようとするが周造は納得せず、その間のドタバタがテンポよく描かれていく。
頑固な親父を説得するのに子供たちは四苦八苦するが、そんな頑固おやじを説き伏せることが出来るのは妻の富子だけだと思うが、当の富子が「私が不便になる」と言って賛成していない。
しかもオーロラを見るために北欧に出かけてしまい戦線離脱である。
本作では吉行和子の登場シーンが少ないが、脚本上では賢明な選択だったと思う。
居合わせていれば、彼女は夫側なのか子供たち側なのかの立場を明確にせねばならなかっただろう。

前回は変な私立探偵で登場した小林稔侍が、今回は昔は羽振りが良かったが今は落ちぶれている高校時代の同級生・丸田として登場している。
後半は彼を巡る物語となっている。
ありきたりと言えばそれまでだが、孤独な老人の淋しい死だ。
しかし深刻で厳かである葬式は喜劇映画の中ではよく笑いのネタになる。
思わず笑ってしまう小ネタがいくらでも存在するのがお通夜とかお葬式の場面だ。
ここでも死者の額につける三角の巻物を、西村雅彦が額に巻いて笑わせ、映画の中の家族たちが笑いをこらえるシーンが挿入され、しっかり者の憲子までが笑いをこらえている。
登場する大人たちが全員ダメ人間なのに対し、若者代表的な蒼井優の憲子は唯一まともな人物と言っていい。
笑い飛ばしながらも老人賛歌をしているが、しっかり者の若者を描くことでバランスをとっている。
山田演出の手堅いところだ。
でも、一作目の痛快な笑いに比べると今回はちょっとパンチ不足で、2作目の宿命を感じた。

風の中の子供

2022-05-07 09:15:51 | 映画
「風の中の子供」 1937年 日本


監督 清水宏
出演 河村黎吉 吉川満子 葉山正雄 爆弾小僧
   坂本武 岡村文子 末松孝行 長船タヅコ
   突貫小僧 若林広雄 谷麗光 隼珍吉

ストーリー
三平は勉強が出来るお兄ちゃんの善太と二人兄弟で、勉強が嫌いな小学1年生。
ある日三平は、いじめられっ子に「お前の父ちゃんは、会社を辞めさせられて警察に連れてかれるんだ」と聞かされ、頭にきてその子を殴ってしまう。
ところがお父さんは、私文書偽造の疑いで本当に警察に連れて行かれてしまう。
お母さんは働きに出なければならなくなり、三平は叔父の家に預けられる事になった。
三平は気が強い子で決して泣かないが、本当は家が恋しくてしょうがない。
高い木に登ったり、たらいに乗って川を下ろうとしたりする度に連れ戻されて叔父さんに叱られるが、今度は「カッパに会いに行く」と池に向かい、そのまま行方不明になってしまう。
村中が大騒ぎして池の周りを探したが、三平は曲馬団で曲芸を練習していたのだった。
一方の善太は三平が叔父の家に行ってしまった後、一人でかくれんぼのマネをしながらシクシク泣いていた。
いつも弟とは喧嘩ばかりしていたのに、本当はとても仲良しだったのだ。
三平の無鉄砲さに困り果てた叔父夫婦は「私らの手には負えない」と、母親の元へ彼を返しにきた。
母親が「どうしてそんなマネをするのか?」と尋ねると、三平は曲馬団が家の方へ行くと聞いたから、仲間に加わったのだと言う。
お母さんは小さな三平が可哀想になるが、兄の善太も叔父の家に行くのは嫌だと言うので困ってしまう。
お母さんは病院の住み込みの仕事をしようと三平と二人で病院を訪ねたが、病院からは「この子は小さすぎる」と断られてしまった。
途方に暮れたお母さんの絶望と涙には勝てず、三平は「僕、叔父さんの所へいく。もうイタズラもしないよ」と宣言したが、すぐその後に善太が読んでいた日記からお父さんの罪の疑いが晴れて全ては元通りになった。


寸評
子供は風の子と言うが、登場した三平は腕白で行動力のある子供だ。
僕が子供の頃には普通にあった子どもたちが徒党を組んで遊んでいる光景が懐かしい。
今となってはフンドシ姿で川遊びをしたり、木に登ったりするのは遠い昔のおとぎ話のような光景である。
もっともフンドシは僕の幼少時にもなくなっていた。
家の前を流れる寝屋川に大きくせり出した楠の木があって、その大木にも上って遊んだが、今の親なら危ないと叫んで卒倒でもするのではないかと思う。
あの頃の子供は木登りが好きだった。
留守番を頼まれた二人は布団の上で水泳のまねごとをするが、これもよくやった光景である。
三平が「今度のオリンピックにターザンが出るんだぞ」と言っているが、ターザン役のジョニー・ワイズミュラーは水泳選手でもあり、オリンピックの金メダリストでもあった。
いや、オリンピックの金メダリストがターザン役になったのだ。
三平が飛び込み、善太が模擬実況中継を行うが、そこでも前畑の名前を叫んでいる。

大人たちの演技に比べて登場する子供たちは生き生きと描かれ、その描写が微笑ましい。
三平はカッパに会いに行くと言って行方不明になり大騒ぎとなるが、僕もそのようなことをして大騒ぎになったことがある。
親戚が集まった時に従兄と比較されて「しっかりしろ」と言われたことに腹を立て、随分と離れた別の従兄の家迄年上の従姉と歩いて行ったのだが、途中で道端につながれた牛を怖がって従姉が引き返してしまった。
僕はそのまま目的地に向かったのだが、途中で先方の子供たちと合流して遊んでしまった。
その頃、従兄の家にも現れない僕を探して家族中が探し回っていたのだ。
母には随分叱られたと思うが、叔父はその時「男の子だから仕方がないが、途中で寄り道をしてはいけない。まず兄ちゃんの所で来たことを言ってから遊ばないとだめだぞ」と優しく諭してくれた。
その叔父も早逝した。

描かれているのは父親が警察で拘留されていてもたくましく生きている子供の姿なのだが、底流に流れているのは父親への信頼と、父親を慕う子供たちの気持である。
父親が会社を辞めることになっても、三平はお父さんはもっと大きな会社を作るんだと叫ぶ。
父親の疑いが晴れて帰ってきた時に相撲を取り泣いてしまう。
三平は嬉しくて仕方がないのだ。
曲馬団が三平の村にやってくる。
子供たちは誘い合って走りながら曲馬団の後を追いかけていく。
子供たちは大人たちよりも生命力は強いのだと思わされる。
松竹はこの頃多くの子役を抱えていて、三平の爆弾小僧、曲馬団の少年の 突貫小僧、三平と喧嘩する金太郎のアメリカ小僧など、変な芸名の子がいた。
僕が生まれる前に活躍していたのだが、何故か僕にはその名前を聞いた記憶があるし、彼らの出ていた作品を巡回映画で見た記憶もあるのだがタイトルは覚えていない。

風の電話

2022-05-06 08:03:48 | 映画
「風の電話」 2020年 日本


監督 諏訪敦彦
出演 モトーラ世理奈 西島秀俊 西田敏行
   三浦友和 渡辺真起子 山本未來
   占部房子 池津祥子 石橋けい

ストーリー
東日本大震災を機に、広島県に住む叔母・広子(渡辺真起子)の家に身を寄せている高校生のハル(モトーラ世理奈)。
彼女は家族と一緒に岩手県大槌町に住んでいたが、津波が家族を奪っていった。
ある日、ハルが学校から帰ると、部屋で広子が倒れていた。
病院に運ばれ、静かに眠る広子の胸に抱きついたハルは、病院を出て行き、誰もいない土地で、亡き家族への思いを泣き叫ぶ。
泣き疲れてその場に倒れていると、軽トラックを運転する公平(三浦友和)が通りかかる。
公平は母と暮らす家にハルを連れて行き、広島で起きた様々な出来事について聞かせる。
ハルは駅まで公平に送ってもらうと、意を決して自宅とは反対方向の電車に飛び乗る。
着いた先でヒッチハイクをし、優しい姉弟に乗せてもらったハルは、妊娠中の姉・友香(山本未来)に、元気に動くお腹を触らせてもらう。
夜の街で不良に絡まれ、危ないに目に遭いそうになると、福島県から来ていた森尾(西島秀俊)に助けられる。
森尾は、被災地にボランティアで来たクルド人の男性を探して旅をしていた。
森尾はかつて原子力発電所で働いていて、ハル同様、家族を津波で失った。
森尾の実家に行くと、今田(西田敏行)と姉(池津祥子)が二人を出迎える。
ハルは、森尾の車で大槌町に着く。
地図を見なくてもわかる自宅は、まだそこにあった。
大槌町には、電話線はつながっていないけれど、亡くなった人に想いを届けることができる“風の電話”という電話ボックスがあるらしい。
ハルは導かれるように、旅の執着地に向かう……。


寸評
ハルは9歳で東日本大震災にあい家族をすべて亡くし、今は17歳の高校生だ。
8年の年月を経ても、両親を亡くしたショックから立ち直れないでいる。
広島にいる叔母の世話になっているが表情は暗い。
広島の海辺に行くと津波が襲ってきて家族をさらっていった記憶が蘇り昏倒してしまう。
助けてくれたのは公平という男で、自宅に連れ帰り食事などを与えてくれる。
ハルにかかわる人たちが何人も出てくるが、それぞれが災難にあった過去を背負っている。
人々が出会った災難は災害であったり人災であったりする。
公平の母親は少々ボケが来ているが原爆の記憶が消えていない。
公平の妹は自殺していて、公平の家は広島水害の土砂崩れに襲われたが、何とか家は無事だったようだ。
辛い過去を背負いながら必死で生きている公平に励まされて、ハルは生まれ故郷の岩手県の大槌町を目指す。

原発事故を起こした福島の発電所で働いていた森尾の車に乗せてもらい、森尾は茨城県にいるらしい震災時に世話になったボランティアを訪ねる。
彼は外国からの避難民で今は入国管理事務所で捕らわれている。
家族は悪いことをしていないのに何年も監禁されていることに納得できない。
それでも帰る国がない彼らは我慢しながら必死で生きている。
帰る国がないことは我慢できても、自分たちの文化で生活が出来ないことを嘆く。
日本は難民の受け入れに積極的ではない国だが、震災時にボランティア活動をしてくれるような難民には手厚い保護があってしかるべきだと思う。
原発事故は森尾せいではないが責任を感じているのか自宅を離れて車で生活をしている。
森尾も津波で妻子を亡くしており、自宅はあの日のままで荒れ放題である。
今田の家に立ち寄るが、原発事故で避難した若い人たちは故郷に帰ってこず、戻ってくるのは老人ばかりと言う状況であり、他県に避難した人の子供は福島から来たことでイジメや差別を受ける状況があったと今田は言い,生まれ育った場所で死にたいと語る。

ハルは大槌町にたどり着き跡形もなくなった自宅跡で悲しみにくれる。
幼なじみだった子供の母親と再会し、津波が襲ってきた時につないでいた手を離したら、その幼なじみはいなくなっていたことを母親に詫びるのだが、ハルにとっては深い傷跡となっているのだろう。
激しい慟哭もなく静かに抱き合う姿は痛ましくリアルだ。
ハルが人々との交わる場面ではドキュメンタリーのようなリアルなシーンが多い。
ハルは駅のホームで「風の電話」の話を少年から聞いて、少年に同行する。
ハルは公衆電話ボックスで線がつながっていない受話器を取り上げ両親に語り掛ける。
ボックスの外から、語り掛けるハルの姿をとらえるカメラは固定で、長い長いハルの語りかけが続く。
ハルは最後に今度会うときは自分はおばあちゃんだねと語り掛ける。
ハルが生きていく覚悟を決めたということだが、それでも何だか辛くなってしまうラストだ。
物的にも精神的にも復興が出来ていない現実を知っているからだろう。

風の谷のナウシカ

2022-05-05 07:32:22 | 映画
「風の谷のナウシカ」 1984年 日本


監督    宮崎駿
超えの出演 島本須美 辻村真人 京田尚子
      納谷悟朗 永井一郎 宮内幸平
      八奈見乗児 矢田稔 吉田理保子

ストーリー
かつて人類は自然を征服し繁栄をきわめたが、「火の7日間」と呼ばれる大戦争で産業文明は壊滅した。
それからおよそ千年、わずかに生き残った人類は巨大な蟲類が棲み、有毒な瘴気を発する菌類の広大な森・腐海に征服されようとしていた。
腐海のほとりに、海からの風によって瘴気から守られている小国・風の谷があった。
その族長ジルの娘ナウシカはメーヴェにのって鳥のように飛び、人々の嫌う巨大な蟲・王蟲と心をかよわせる自然との不思議な親和力を持っていた。
ある夜、風の谷に巨大な輸送機が墜落し、翌日巨大な血管のかたまりのようなものが発見された。
それは、「火の7日間」で世界を焼き尽くしたという兵器・巨神兵だった。
ペジテ市の地下から掘り出され、それを奪い取ったトルメキア王国が輸送中に墜落したのである。
墜落を知ったトルメキアの皇女クシャナは、大編隊を風の谷に送り込んで来、ジルを殺しナウシカを人質として連れ去った。
ナウシカは腐海の樹々は汚染された世界を浄化するために大地の毒を自らに取り込み、きれいな結晶にかえて砂となっていて、蟲たちは自然を破壊するものから森を守っていたことを知る。
やがて巨神兵をめぐり闘争が勃発し、風の谷の王妃ナウシカも陰謀渦巻く戦乱に巻き込まれてゆく・・・。


寸評
1997年の「もののけ姫」や、2001年の「千と千尋の神隠し」などによってアニメの巨匠としてすっかり偉くなってしまった感のある宮崎駿だが、それらの作品の原点と言えるのがこの「風の谷のナウシカ」だと思う。
「風の谷のナウシカ」が象徴しているものは容易に想像がつく。
“火の七日間”は核戦争であり、“巨神兵”は核兵器そのものであり、トルメキア軍はその巨神兵という核兵器を持っている核保有国だろう。
田子の浦のヘドロ、水俣湾の水銀汚染などの公害も想像できる。
しかもそれらの汚染された海に牡蠣や魚が戻ってきたことも背景にあるのかもしれない。
生き物のたくましさでもあるのだが、同時に人間の愚かさでもある。

僕は子供の頃に夏休みになれば毎年のように昆虫採集をしていた。
文房具を取り扱っている店では昆虫採集セットを売っていて、プラスチックの注射器、殺虫用のアルコール、防腐液などが入っていた。
トンボ、セミ、バッタ、クワガタの類が空き箱を利用した標本箱を賑わしていた。
あの頃はバッタの種類も多くいたし、タガメやタイコウチ、水スマシなどの水生昆虫もたくさんいた。
昆虫たちをイジメている感覚はなく、むしろ昆虫たちとは友達感覚であった。
そう思っているのは僕だけで、昆虫たちにすれば随分と迷惑な友達であったろう。
僕が腐海の森近くにいたなら、きっとオウムに襲われる運命だったように思う。

作画は後年の作品の方が凝っていると思うが、訴えかけるテーマはシンプルで、それ故に力強いものがあり宮崎駿作品としてはこれが一番だと思っている。
ナウシカは自然を愛する風の谷の姫様で人々の忌み嫌う腐海の蟲達とも心を通わせることができる。
腐海の浄化作用に気付くが、現実の森もCO2を吸収し酸素を生み出し、そして腐葉土となった森の栄養は海へと流れだし海の生き物を豊かにしている。
森と海は一体なのだ。
同じ女性でもトルメキア帝国の司令官であるクシャナは過去に蟲に襲われて左手を失ったことから腐海や蟲に恨みを持ち、自軍の危機に際して再生途中の巨神兵を使う決断をする。
巨神兵が核兵器だとすれば、クシャナのような人物にそんな兵器を持たせれば危険極まりない。
我が国の近くにもそのような指導者がいるが、巨神兵を保有することで他国を制圧しようとするトルメキア帝国の野望は核保有国でもある安保理の常任理事国の思惑と大同小異であろう。

クシャナが率いるトルメキア軍にはクロトワという参謀がいる。
彼は平民出身で出世欲の強い野望家なので、クシャナを退け自分が司令官になる謀反を起こしても良さそうなものだが、そのような行動はとらずストーリーを滑稽にする役目を負っている。
ナウシカに従う面白いおじいさんや、無邪気さを振りまく子ども達も登場して物語を楽しいものにしている。
それらのキャラクターによって、配慮が行き届いた良質なアニメ作品に仕上がっていると言える。
僕はアニメはあまり好きではないのだが、これはいい!


風とライオン

2022-05-04 07:42:30 | 映画
「風とライオン」 1975年 アメリカ


監督 ジョン・ミリアス
出演 ショーン・コネリー
   キャンディス・バーゲン
   ブライアン・キース
   ジョン・ヒューストン
   ジェフリー・ルイス
   スティーヴ・カナリー

ストーリー
1904年10月15日、モロッコのタンジール。
その日イーデン・ペデカリス夫人は、新任の副領事と昼食をとっていたところを、一団の馬賊に襲われ、12歳の長男ウィリアムと9歳の娘ジェニファーと共に誘拐された。
一味の首領はライズリといい、王者の風格が感じられる男だった。
一方、ここはアメリカ合衆国の首都ワシントン。
「アメリカ婦人、リフ族の首長ライズリに誘拐さる」のニュースは、国防長官ジョン・ヘイを通じ、第26代大統領セオドア・ルーズベルトに報告された。
当時、モロッコにはフランス、イギリス、オーストリア、ドイツ、そしてロシアなど列強国が腰を据えていた。
ルーズベルトはこの事件を次期選挙に利用しようとして、大西洋艦隊をモロッコに派遣し、合衆国はペデカリス夫人を生きたまま返してもらうか、ライズリを殺すしかない』とルーズベルトは宣言した。
その頃、ペデカリス夫人と2人の子供たちはライズリの一行とともに、砂漠と海が見える台地を進んでいた。
一方、合衆国のタンジールの領事ガマーリはモロッコ大守の甥にあたるサルタンに会うことにした。
ランズリがイーデンとその子供たちを誘拐したのは、ヨーロッパ諸国のいいなりになりモロッコの民衆を苦しめているサルタンを窮地に陥れるためだった。
ライズリの思惑どおり、サルタンの説得に失敗したアメリカは、海軍の艦隊をモロッコに出動させた。
ジェローム大尉の指揮下、海兵隊のライフル2個中隊が上陸、タンジールの町を行進し、サルタンの宮殿に向かった・・・・。


寸評
モロッコがヨーロッパの列強に蹂躙されようとしている所へアメリカが割って入ろうとしている。
アメリカの介入はルーズベルトが次期大統領選に利用しようとしているからでもある。
1904年の話であるが、戦争を仕掛けることで大統領が支持率のアップを狙うのは今も続いているように思う。
ライズリは民族解放の為に戦っているイスラム教徒だが武士道精神を持った男である。
ジョン・ミリアスは黒澤明を尊敬していたようで、この作品でも黒澤作品へのオマージュが見受けられる。
ライズリが馬に乗って剣を肩口で縦に構えて疾走し相手に斬りかかるシーンがあるが、これなどは「隠し砦の三悪人」で三船敏郎の真壁六郎太が行ったのと同じだ。
ライズリは最後の激戦でも相手の指揮官と剣による一騎打ちをして、組伏せた指揮官のとどめを刺す寸前でニコリと笑って去っていく。
日本の時代劇に出てきそうな立ち廻りである。
「血とコーラン」で戦い、自分は神のしもべだと信じているライズリが困った女だと言うキャンディス・バーゲンのペデカリス夫人とのかみ合わないやり取りがほのぼのとして微笑ましい。
女子供は殺さないというライズリの言葉通り、彼はペデカリス夫人や子供たちには親切である。
しかしプライドの高さはあるので、自分のことを笑ったペデカリス夫人をひっぱたくことはある。
威厳を持ったライズリに傾倒していく長男のウィリアムが言いアクセントになっている。

ライズリと交互に描かれるのがセオドア・ルーズベルトである。
セオドア・ルーズベルト大統領は独占禁止法、パナマ運河建設、そして日露戦争の仲介などを行いポーツマス講和条約に直接介入してノーベル平和賞を受賞している。
アメリカの歴代大統領の中でも評価が高い大統領である。
この作品でもパナマ運河のことが度々語られている。
日露戦争はこの映画と同じ1904年に始まっているから、この頃のアメリカは内政から外交に舵を切っていた時代だったのかもしれない。
ルーズベルトは「アメリカ国民の命を守る」と声高々と叫び、ペデカリス夫人も「大統領は約束を守る男だ」とこれまた叫んでいる。
なんだか民主党のプロパガンダ映画のようにも感じてしまうところはある。

ルーズベルトはライズリを認めていたようだし、ライズリもルーズベルトを尊敬していたようなのだが、彼らがお互いのどこを評価し合っていたのかよく分からなかった。
ライズリがルーズベルトに送った書簡は感動を呼ぶ文章となっている。
「あなたは風のごとく、私はライオンのごとし。あなたは嵐をまきおこし、砂塵は私の眼を刺し、大地はかわききっている。私はライオンのごとくおのれの場所にとどまるしかないが、あなたは風のごとくおのれの場所にとどまることを知らない」
二人の間に通じ合っているものを上手く描けていたなら、この文章はもっと感動的なものになっただろう。
ライズリが相手を一刀両断で首をはねるシーンや馬が一列に並んだ馬賊部隊の突撃シーンは迫力がある。
最後のまっ赤な夕陽が印象的だ。

ガス燈

2022-05-03 07:34:02 | 映画
「ガス燈」 1944年 アメリカ


監督 ジョージ・キューカー
出演 シャルル・ボワイエ
   イングリッド・バーグマン
   ジョセフ・コットン
   メイ・ウィッティ
   アンジェラ・ランズベリー
   テリー・ムーア

ストーリー
1870年のロンドン。
オールクィスト家に起こった歌手アリス・オ ールクィスト嬢の殺人事件は未だ犯人があがっていなかった。
アリスの姪ポーラはグレゴリー・アントンと結婚したが、夫の言に従い問題の家で結婚生活を営むことになった。
ある日ハンドバックに入れたはずの首飾りが紛失して以来、グレゴリーはポーラが自分のしたことを少しも記憶していないと言ってことごとに彼女を責めた。
そのあげく、彼女も精神病で死んだ彼女の母と同じく次第に精神が衰えて死ぬだろうというのだった。
ポーラは夫の言を気にしながら一人不安な日を送っていたが、次第に自分の精神状態に自信を失い、夜ごとにポッと薄暗くなるガス燈の光も、天井に聞こえる奇怪な物音も、自分の精神の衰えているための錯覚かと焦燥にかられた。
ある夜久し振りで夫と出かけた知人宅で時計を隠したといって夫から辱しめられたとき、彼女は堪え難い悲しみに襲われたがその様子を注視している若い男があった。
彼はブライアン・カメロンという探偵で、少年時代に憧れていた名歌手アリス・オ ールクィストの殺人事件には非常な関心をもっていた。
彼はある夜グレゴリーの外出中、家人の制止もきかずポーラに会い、彼女の叔母の事件についていろいろとポーラに語ってきかせ、また、彼女が決して精神に異常を来しているのではなく、夫の策略にすぎないこと、夜ごとに暗くなるガス燈の光も夫が閉鎖された屋根裏の部屋にいるためであることなどを説明した。
ブライアンがグレゴリーの机をあけてみると、彼女が隠したと夫から責められた数々の品物が現われ、20年前のこの家の殺人事件にグレゴリーが重大な関係を持っていた事実を説明する手紙も発見される。


寸評
サスペンスの部類に入るが謎解きの面白みはない。
イングリッド・バーグマンとシャルル・ボワイエが恋に落ちて結婚するまでは普通の展開で進み、やがてポーラに異変が起きてきて物語の展開を見せるが、偶然発見した手紙を シャルル・ボワイエのグレゴリーが慌てたようにポーラからその手紙を取り上げたところで、このグレゴリーが悪であることが明確になるし、この手紙が何か重要な物件であることも推測される。
グレゴリーがポーラとロンドン塔でひと悶着した後、王冠の展示場に行ってそこに散りばめられた宝石に感嘆したところで、勘のいい観客は宝石に何かあるなと気づく。
さらにすごい宝石が行方不明になっていることがわかると、この宝石がアリス殺人事件の原因だったのだと推測することも難しいことではない。
この映画は犯人が誰であるかといった謎解きなどは眼中になく、いかにしてポーラは夫の呪縛あるいは策略から逃れるのかに重点を置いている。

したがってこの映画はポーラを演じた イングリッド・バーグマンの独り舞台となっている。
シャルル・ボワイエもジョセフ・コットンも影が薄い。
イングリッド・バーグマンは映画史に残る大女優の一人だと思うが、ここでのバーグマンも精神的に異常をきたしているような人妻ながらも気品ある姿を披露して美しい。
グレゴリーがポーラを追い詰めていく過程もひねりの効いたものではない。
僕は後世になって見ることになったイングリッド・バーグマンの美貌に見とれるばかりなのだが、彼女を追い詰める
シャルル・ボワイエ のグレゴリーより、ポーラが軽蔑してそうで精神的にグレゴリーより圧迫されているのではないかと感じるアンジェラ・ランズベリーのナンシーの存在を面白く思った。
彼女の奥様を見下したような態度はグレゴリーよりインパクトが強い。
彼女の仕草、目線がポーラの不安を一層高めていたと思う。

話が話だけに雰囲気を出すための暗い画面が多く、ロンドン名物の霧も手伝って薄暗い中での出来事が多い。
時代的に電灯などはなく、夜の明かりは題名のガス燈に頼っている。
したがって自然と夜のシーンはガス燈によって照らされる影が陰影を描き出す。
誰かが別の場所でガス燈を使用すると、その排出能力から灯っていた明かりの明度が落ちたりするガス燈の特徴を取り入れ、ポーラの不安の一要素とし、さらに街路に灯されるガス燈が夜の訪れを表して時代の雰囲気を出している。

ポーラがかつての住まいに戻って来た時に、飾り棚に片方しかない手袋を発見する。
叔母が生前に片方を最も大事なファンにプレゼントしたらしいのだが、物語に大した影響を与えるものではないが、その顛末は微笑ましく、僕は好きなエピソードだ。
ラストシーンで近所の老婆がブライアンとポーラが話しているのを目撃して「あらまあ」とつぶやくのは、冒頭でグレゴリーとポーラが抱き合うのを目撃して発したのと同じで、これからの二人を暗示するものとなっている。
推理劇と言うよりこの時代の映画を楽しむ作品としては十分に鑑賞に堪える出来になっていると思う。

カサンドラ・クロス

2022-05-02 07:27:03 | 映画
「カサンドラ・クロス」 1976年 イタリア / イギリス


監督 ジョルジ・パン・コスマトス
出演 リチャード・ハリス
   バート・ランカスター
   ソフィア・ローレン
   エヴァ・ガードナー
   マーティン・シーン
   イングリッド・チューリン

ストーリー
ジュネーブにある国際保健機構に、3人のスウェーデンの過激派ゲリラが乗り込みアメリカの秘密生物研究セクションを爆破しようとした。
しかし、ガードマンと射撃戦になり、一人は射殺され、残る二人は様々な細菌類が研究開発されている“危険な"部屋に逃げこんだ。
そして一人か射たれて倒れた拍子に、薬のビンを割ってしまい、中の液体が飛び散り、無傷の男の方が一人逃走した……。
残されたゲリラを診察したスイス人女医エレナは、割れたビンにアメリカが秘密裡に研究していた伝染性の細菌が入っていたことをつきとめた。
緊急事態の発生で、アメリカ陸軍情報部のマッケンジー大佐が乗り出し、感染して逃げたゲリラがストックホルム=ジュネーブ間の大陸縦断列車に乗り込んでいることを突き止めた。
その乗客リストの中に、著名な医師チェンバレンの名があるのを見つけたマッケンジーは、無線電話で彼を呼び出し、事件の概略を説明するとともに車内に潜んでいるゲリラを捜させた。
そして、千人の乗客を検疫収容させるために、ポイントを切り換え、列車をポーランドのヤノフへ向かわせた。
そこには、30年近くも使用されていない“カサンドラ・クロス"と呼ばれる鉄橋がかかっているのだが……。
マッケンジーは、ニュールンベルグで一旦列車を止め警備隊と医療班を乗りこませ、出入口、窓、通気孔を密閉して、車内に酸素を送り込むように命じた。
列車は再び発車し、事態を知らされた乗客たちは騒然となったが、すでに感染者か現われ始めた・・・。


寸評
2020年に中国の武漢を発生源として新型コロナウィルスが世界的に蔓延し多くの人が死亡した。
我が国も例外ではなく、オリンピックは延期になるし、活動自粛とかがあって半ば都市封鎖状態にもなり、多くの企業が倒産し、飲食店を初めとする店舗が廃業に追いやられて経済的にも大ダメージを受けた。
武漢にある中国の研究機関が、研究に使用した動物を市場に横流ししたのではないかとか、実は生物兵器を研究していたのではないかなどという噂も流れた。
ウィルスが中国武漢から持ち込まれ、さらに変質したウィルスがヨーロッパから持ち込まれたのではないかとの調査結果が報道されたが実態はよく分からない。
しかしこれがテロ行為であったなら防ぎようがない。
人工的に作られた新型のウィルスを持ち込まれれば、ワクチンや治療薬のないウィルスはあっという間に全国に拡散されてしまうことになるからだ。

この映画ではテロリストがアメリカの秘密生物研究所を襲い、培養していたウィルスを浴びて列車に逃げ込み、車内にウィルスを拡散させていく。
接触した人々に症状が現れ感染が確認される。
列車を止めて隔離態勢を取ればいいのだが、パニックになった人々が出歩いて拡散させてしまう恐れがあり、何よりも軍が絡んでいて秘密裏に処理したいために列車を目的地と違う場所へ向かわせる。
保菌者であるテロリストが人々と接触していく場面や、食材に息を吹きかけるシーンなどもあって、感染拡大していく様子が上手く描けている。
列車には謎の人物を初め色んな人々が乗り込んでいるが、それぞれの性格描写に時間が割かれることは少なく、それらの人々が巻き込まれるような形でストーリーが急ピッチで進められていく。
メッセージ性はそれほど高くなく、サスペンス劇としてテンポよく進んでいくので見ていて退屈しない。

制作された頃には想像の世界の物語だったのだろうが、2020年のパンデミックを経験したものが見れば、時代を超えて現実味を帯びた物語に思える。
更に恐ろしいのが国家による隠ぺい体質で、このことは中国政府にも見られたことである。
マッケンジー大佐は人命よりも国家の秘密を優先させている。
そして国家は秘密を守るために事実を知るマッケンジー大佐にも監視の目をつけるのである。
マッケンジー大佐は列車がカサンドラクロス鉄橋を通過できないことを知っていたのではないか。
彼は乗客全員の死亡を信じて事件の一件落着を報告している。
しかし助かった人々の口はふさぐことはできないであろう。
国家は国民を支配しようとするのだろうが、その国家を国民が監視しなければいけない。
そんなことを思わせるラストシーンなのだが、作品はあくまでもそのような社会派サスペンスとしてではなく単純サスペンスとして描いている。
しかし実際に2020年のパンデミックを経験してしまうと、制作側が意図しなかったメッセージを感じてしまう。
未知のウィルス、国民に知らされない国家の思惑、どちらも恐ろしい。