おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

夢千代日記

2024-08-06 06:57:46 | 映画
「夢千代日記」 1985年 日本


監督 浦山桐郎
出演 吉永小百合 北大路欣也 樹木希林 名取裕子 田中好子           

ストーリー
山陰の雪深い温泉町、湯村にある“はる家”の夢千代(吉永小百合)こと永井左千子は広島で被爆していた。
“はる家”は夢千代が母から受け継いだ芸者の置家で、夢千代の面倒を子供の頃から見てくれている渡辺タマエ(風見章子)、気のいい菊奴(樹木希林)、スキー指導員・名村(渡辺裕之)に恋し自殺未遂を起こす紅(田中好子)、好きな木浦(前田吟)のため、彼の妻の替わりに子を宿す兎(名取裕子)、癌で三ヵ月の命だという老画伯・東窓(浜村純)に、束の間の命の灯をともす小夢(斉藤絵里)たちがいる。
神戸の大学病院で「あと半年の命」と知らされた夢千代は、帰りの汽車の窓から祈るように両手を合わせて谷底へ落ちて行く女性を見た。
同乗していた女剣劇の旅役者の一人、宗方勝(北大路欣也)もそれを見ていたが、彼の姿は消えてしまう。
捜査の結果、その女性の駆け落ちの相手、石田が逮捕された。
彼の子を身篭った女が邪魔になったのだろうという事だったが、夢千代には自殺としか思えなかった。
翌日、旅芝居好きの菊奴の案内で春川一座を尋ねた夢千代は、宗方に本当のことを教えてほしいと嘆願するが、宗方は「見ていません」と冷く答えるのだった。
夢千代はタマエから、死んで行くしかない特攻隊員との愛のかたみに母が女手一つで自分を産み落としたことを聞かされ、一度だけ出来た子供を堕したことを悔いた。
ある夜、夢千代は春川桃之介(小川真由美)一座へ出かけ、熱を出して倒れてしまい、宗方に背おわれて“はる家”に戻ってきた。
春川一座のチビ玉三郎(白龍光洋)は、母である座長や菊奴の前で宗方の夢千代に対する気持を言いあてる。
その時、宗方は菊奴から夢千代の命が長くないことを知らされた。
証人として宗方の身元を調べていた藤森刑事(加藤武)は、彼の名がでたらめであることを知る。


寸評
「夢千代日記」は1981年から1984年にかけ3部作としてNHKで放映されたテレビドラマとして人気を博し、舞台となった湯村温泉が人気スポットとなり温泉街の中心部に吉永小百合をモデルにした「夢千代の像」が建てられるまでになった。
早坂暁の脚本で深町幸男が演出を担当したが、上質のテレビドラマとなっていた。
映画版の脚本はテレビ版と同じ早坂暁が担当しているが、監督は浦山桐郎に代わっている。
テレビを引き継ぐようなストーリー担っているが完全な失敗作だ。
湯里の置屋「はる家」の芸者たちのエピソードが次々と描かれているが、どれもこれも煮え切らないものとなっていて、中途半端で終わっている。
紅ちゃんは妻子がいるスキー場の指導員を好きになり、母親の位牌を持って失踪する。
指導員の名村を連れまわし、高級ホテルの宿泊代も自分が出すという破滅的な行動をとっているのだが、スキー場での計画事故だけでは紅ちゃんの気持ちが推し計れない。
兎ちゃんは木浦の子供を宿しているが、妻のいる木浦とは結婚でできずお腹を貸しているだけで、生まれた子供は木浦の後継ぎとして取られてしまうことになっている。
子供が産めない木浦の妻(左時枝)と対面するが、左時枝が兎の名取裕子に「私は子供を産むことができないので、よろしくお願いします」と伝える場面は、ドキリとする切ないシーンとなっているのだがエピソードに対する余韻はまったくない。
小夢ちゃんは足が悪く、弟を学校にやるためのお金を得るために有名な画伯のヌードモデルとなり、老画伯の東窓に腹上死される。
夫である東窓画伯の行為を隣の部屋で感じている妻の荒木道子の気持ちなどもまったく描かれていない。
お詫びとしてのお金と残された絵の一枚を小夢ちゃんに渡す事で一件落着となっている。

メインストーリーは夢千代と宗像の間に生まれる恋愛感情の進展である。
夢千代も宗像も生きたいと願っている二人なのだが、二人の生きたいと言う思いが上手く伝わってこない。
夢千代は被爆者で余命いくばくもない。
宗像は父親殺しの罪で捕まれば死刑か無期懲役の為に逃亡を続けている男である。
死を常に意識している二人が魅かれ合っていくのだが、その共通する恐れも上手く描けているとは言い難い。
夢千代は誰からも愛され慕われている模範的な女性である。
元気な時はお座敷も見事に務める気丈な面も持ち合わせているのだが、遺書を書きながらも「死ぬのが怖い」とうろたえる一面もある。
浦山桐郎監督としては原爆への憎しみを描き込みたかったのだろうが、それも斬り込み不足となっている。
テレビから映画へと続いた物語は夢千代さんの死で終焉を迎えたが、浦山桐郎監督にとってもこれが遺作となってしまった。
端折ったような脚本が悪いのか、監督にとって遺作となる頃になるとサエがなくなってしまっているのか、「夢千代日記」というネームバリューの割には凡作となってしまっている。
テレビのイメージを壊したくない吉永小百合さんの思いが浦山監督には通じなかったのだろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿