おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

アラビアのロレンス

2019-01-13 18:12:53 | 映画
「アラビアのロレンス」 1962年 イギリス


監督 デヴィッド・リーン
出演 ピーター・オトゥール アレック・ギネス
   オマー・シャリフ アンソニー・クイン
   ジャック・ホーキンス アーサー・ケネディ
   クロード・レインズ ホセ・ファーラー
   アンソニー・クエイル ドナルド・ウォルフィット
   マイケル・レイ ジョン・ディメック

ストーリー
1916年、カイロに赴いている英国陸軍のロレンス少尉は、トルコへの反乱に意気込むアラブ民族の現状を確かめに向かった。
そこで彼は反乱軍の非力を痛感し、アラブ種族をまとめ上げてゲリラ戦へ打って出ることに。
やがて、トルコの一大拠点を巡って激闘を展開し、勝利する。そして、再びゲリラ戦の指揮官として新しい任務を与えられ、トルコ軍を打倒するロレンス。
だが、一方でアラブ同士の争いが起こり、彼も尽力むなしく徐々に孤立していく…。

寸評
何度見ても当時の興奮が湧きおこってくる。"これが映画だ!" と叫びたくなる出来栄えである。
場内が暗転し序曲が始まる。荘厳な音楽が観客を映画の世界へ引き込んでいく。場内のざわめきが治まり、やがて本篇が始まる。
半ば過ぎには途中休憩があり、場内が少し明るくなると再び音楽が流れ出す。観客の中の幾人かは、それもかなりの数ではあるが座席確保のための持ち物を置いてトイレへと向かう。それぞれの人が再び席に着いた頃に後半が始まる。
エンドマークと共にクレジットが流れ出しテーマ音楽も流れ出す。席を立つ人、余韻に浸る人、まだまだ画面に食い入る人、ざわめきを持ちながらスクリーンの前のカーテンが閉まり、場内が明るくなっていく。ゴージャスなのだ。スクリーンの前にカーテンが有る映画館もなくなってしまったなあ…。

さてこの映画は、D・リーンの数ある名作の中でも紛れもない最高傑作だと思う。
序曲が終わると真上からの俯瞰撮影で左端にオートバイが映し出され、モノトーンぽい画面にクレジットが重なる。この始まりのショットが素晴らしく、これから続く美しい画面の連続を予感させた。映画はロレンスの事故死から始まり、葬儀の場では彼への良くない評価も聞かせる。見終わってみると、冒頭のこのわずかの時間で、この映画の全体像のあらましを描いていたような気がする。
金髪、ブルーアイのピーター・オトゥールのアップが映し出された時点で、もう意識はスクリーンに釘ずけとなってしまう。ピーター・オトゥールはこの一作だけで映画史に残る俳優になった。僕は、そんな作品に出会えた彼は実に幸せな役者さんだったと思うのだ。

砂漠に日が昇り、ラクダに乗って主人公が小さく登場する美しいシーンが印象的だ。広角画面の遠くから小さく人物が登場する美しいシーンは、上記のみならずオマー・シャリフ演じるアリが初めて登場するシーンや、仲間を助けに行ったロレンスが帰ってくるシーンなど度々映し出される。兎に角、画面いっぱいに広がる砂漠の美しい光景が目に焼き付いて離れないのだ。正に映像と音楽の一体化が全篇を通じて行われている。
撮影のフレデリック・A・ヤングと音楽のモーリス・ジャールの功績を忘れてはならないと思う。
あえて注文をつけるとすれば列車転覆場面で、あのシーンはもう少し迫力あるものに出来たのではないかと感じたのだが…。
それでも画面いっぱいに繰り広げられる美し過ぎる光景は、人間と自然を対比させるに十分なものだ。
そして西欧文明とアラブ文明の相克が徐々にあらわになっていく様に知らず知らず引き込まれていく。
ロレンスは普通の人間であることを希望するが、周りがそうさせないし、彼自身もそれを望みながら変化していってしまう。
大国のエゴ、政治の腹黒さの中で、同化してしまったアラブと同胞の間を行ったり来たりするロレンスの姿も切ないものがある。
果たして、宿命はあったのだろうか?

アメリカン・スナイパー

2019-01-13 10:09:00 | 映画
「アメリカン・スナイパー」 2014年 アメリカ


監督 クリント・イーストウッド
出演 ブラッドリー・クーパー シエナ・ミラー
   ルーク・グライムス ジェイク・マクドーマン
   ケヴィン・レイス コリー・ハードリクト
   ナヴィド・ネガーバン キーア・オドネル
   サミー・シーク ティム・グリフィン

ストーリー
クリス・カイルはテキサス州に生まれ、厳格な父親から狩猟を教えられながら育った。
やがて時は経ち、ロデオに明け暮れていたカイルは、アメリカ大使館爆破事件をきっかけに海軍へ志願する。
30歳という年齢ながら厳しい訓練を突破して特殊部隊シールズに配属され、私生活でも恋人タヤと共に幸せな生活を送るクリスであったが、間もなく2001年のアメリカ同時多発テロ事件を契機に戦争が始まり、カイルもタヤとの結婚式の場で戦地への派遣命令が下るのだった。
イラク戦争で狙撃兵として類まれな才能を開花させたカイルは、多くの戦果から軍内で「レジェンド」と称賛されると共に、敵からは「悪魔」と呼ばれ懸賞金をかけられていた。
テロ組織を率いるザルカーウィーを捜索する作戦へと参加したカイルは1000m級の狙撃を得意とする元オリンピック射撃選手の敵スナイパー「ムスタファ」と遭遇し、以後何度も死闘を繰り広げる。
繰り返される凄惨な戦いのなかで親友のビグルスは戦傷により視力を失い、戦争に疑問を感じ始めたマーク・リーは戦死し、強い兄にあこがれて海兵隊に入隊した弟はイラク派兵で心に深い傷を負って除隊した。
同僚や弟が戦場で傷付き、倒れゆく様を目の当たりにし、徐々にカイルの心はPTSDに蝕ばまれていった。
戦地から帰国するたびに変わっていく夫の姿に苦しみ、人間らしさを取り戻してほしいと嘆願するタヤの願いもむなしく、戦地から帰国するたびにカイルと家族との溝は広がっていく。
4度目の派遣でサドルシティに赴いたカイルたちは敵の制圧地帯に展開し、ついに防護壁の工兵を射殺したムスタファの姿を捉える。

寸評
クリスは1998年にケニアのアメリカ大使館爆破事件をテレビで見て愛国心から海軍に志願する。
米海軍特殊部隊ネイビー・シールズに入隊したクリスは2001年の同時多発テロを再びテレビで目にし、祖国の人々を守るために貢献したいとの思いを強くする。
クリスは父親から「お前は羊たちを略奪者たる狼から守るシープドッグたれ」と教えられて生きてきた男だ。
その教えに従って、命をかけて進撃する海兵隊員を必死で守る。
クリスのよりどころは「弱き国民を敵のオオカミから守らねばならない」というものだ。
しかし弱い国民は米国にだけいるわけではない。
自国にいる家族を守っているのは米兵だけではない。
敵国にもそのような人々が居るのだ。
スコープに写る少年は武器を担ぎ上げることが出来ない。
敵のスナイパーの後ろで一瞬写ったのはか弱い女性で母親らしく、敵スナイパーも彼らを守っている。
自分は少年ですら迷いもなく殺してきたが、ある時スコープの中の少年にためらいを見せる。
自分は弱い羊を守るために狼を殺してきた番犬だったが、自分が戦っていたのは狼ではなく、もしかしたら…と思い出したのかもしれない。
最後には戦闘中に妻のタヤへ「帰りたい」と電話してしまう。
僕は見ていて「ハート・ロッカー」を思い出していたが、クリスは全く違う存在だった。
彼の苦悩は退役後に番犬を殴り倒そうとした所に凝縮されていた。

地上戦は凄惨だ。
敵が何処に潜んでいるのか、誰が敵兵なのか、弾がいつどこから飛んでくるのか分からない緊張感を産み出す。
敵のスナイパーとの一騎打ちのような娯楽性もちゃんと加味しているところがスゴイ。
彼らは砂嵐を利用して逃げるが、イラク戦争に端を発したアメリカの中東戦争は視界のない戦いだったのだ。
その視界を遮られた世界から抜け出したい願望のようにも見えた。

スーパーヒーロー、レジェンドと讃えられるクリスは、まさに幻想のアメリカそのものである。
アメリカという国が建国以来繰り広げてきたプロパガンダでもある。
しかしこの作品はそのような様相を見せながら無残にも崩壊してゆく。
退役後に対話するPTSDに苦しむ帰還兵であり、究極にはクリスを射殺する元海兵隊員の出現だ。
しかもそれは製作中に起きた現実の事件なのだ。
関係者には悲しい出来事だったが、付け加えられたラストシーンはこの映画をより完璧なものにしていた。
準備期間中に事件が起きたという偶然、その犯人に「仮釈放なしの終身刑」判決が日本での上映期間中に降りたという偶然。
映画の公開時にイスラム国というテロ集団掃討のために地上戦に入るらしいという報道が流れた。
時代背景を考えると何とタイムリーな作品なことか。
音楽担当さえしてきたイーストウッドが、あえて音を封印し無言のエンドクレジットを流した。
この沈黙の中に、今も戦争の呪縛から逃れられないアメリカの苦悩が見て取れる。