おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

仇討

2019-01-08 20:44:52 | 映画
「仇討」 1964年 日本


監督 今井正
出演 中村錦之助 田村高廣 丹波哲郎
   三田佳子 佐々木愛 小沢昭一
   進藤英太郎

ストーリー
徳川幕府の治世下、播州脇坂藩竜野城で恒例の武器倉庫点検が行われていた。
丁度通りかかった奏者番奥野孫太夫(神山繁)は槍の穂先の曇りをみつけ皮肉な言葉でなじった。
これを聞きとがめた江崎新八(中村錦之助)は孫太夫と口論した。
無役軽輩から侮辱された孫太夫は、新八に果し状をつきつけたが、結果は孫太夫が斬殺された。
私闘の厳禁という掟を破った二人を、新八の兄で馬廻り役の江崎重兵衛(田村高廣)と孫太夫の伯父丹羽伝兵衛(加藤嘉)は協議の末、乱心しての私闘と届け出し、新八は城下遠隔の地にある感応寺に預けられた。
憤懣やるかたない新八であったが、住職光悦(進藤英太郎)との静かな生活は新八の気持を変えていった。
一方奥野家では兄を殺されて、家督は継いだものの、弟主馬(丹波哲郎)の心境は怒りにふるえていた。
神蔭一刀流免許皆伝の腕をもつ主馬は、兄の仇をとろうと時を待ち感応寺へ向うが新八に斬られる。
この噂は藩内に広まり、公儀の沙汰として仇討を認めた藩は、奥野家の末弟辰之助(石立鉄男)に新八を斬らせねばならなかった。
武家の理不尽な掟に心では反抗しながらも、兄の苦衷を察した新八は、太刀の刃引きをして、幼友達の辰之助に斬られる覚悟を決めていた。
城下の桔梗ケ原に竹矢来が組まれ、新八と辰之助は当日を迎えた。
国家老片貝頼母(三津田健)の合図で仇討は開始された。
一瞬、辰之助の間に六人の助太刀が飛び出し、死を覚悟していた新八の心は変わった。
死にもの狂いで六人にたちむかった新八は、血みどろで斬りかかっていった。
しかし、素手で立ちはだかった重兵衛の姿にとまどうところを、藩士の槍が新八の胸を刺した。
夕闇の立ちこめる竹矢来の中に、新八の死骸に重って重兵衛の切腹したむくろが重っていた。

寸評
桔梗ケ原に竹矢来が組まれていくところから映画が始まるが、そこは一見して果し合いの場であることがわかる。
物語はその現場の進行具合に挟み込むように過去の出来事が描かれていく構成である。
主人公の新八はごく普通の武士で、スゴイ剣客というわけではない。
それでも武士の意地は持っていて、そのために無用な果し合いを繰り返すことになってしまうのが大筋だ。
新八と奥野孫太夫の直接の果し合いは描いておらず、決着がついた後だけが示される。
この時点では新八の腕が相当なものであるような雰囲気もあるが、孫太夫の弟の主馬が暗殺にやってくると分かったころから、新八の腕は大したことはないと分かる。
しかし、新八は偶然の出来事で神蔭一刀流免許皆伝の腕をもつ主馬に勝ってしまう。
その為に、新八の江崎家より格上の奥野家は仇討ちを願い出なければならないような状況に追い込まれる。
事なかれ主義の藩の重臣たちが何とか体裁を保ちながらの決着を試みようとするのは、現在の官僚たちの性質を皮肉っているともいえる。
大目付の小川光兵衛(三島雅夫)はその最たる人物だが、彼の腰ぎんちゃくのような男が田中春男の白木甚左衛門で、常に小川光兵衛のそばにいて光兵衛に言われたことを、オウム返しで部下に命じるだけだ。
光兵衛は自分で判断すると後日に咎められるかもしれないと思い何でも家老の片貝頼母の決済を仰ぎにいく。
家老も大目付同様の事なかれ主義者で、皆が皆、奥野の末弟に新八を討たせて一件落着を目論んでいる。

犠牲になるのは討たれる新八であり江崎家の一族だ。
家名と家の存続を第一に考える家父長制度の下では、家長である新八の兄重兵衛もつらい。
家のために優柔不断のような態度を見せる。
自分のいう事なら優しい父は分かってくれると言っていたりつ(三田佳子)の西田家でも、家の存続のためにりつの申し出を拒否して、別の藩士との婚約を決めている。
戦後の改革ですっかり家制度は消えてしまったが、封建制度の中での家は絶対であったのだろう。
そんな制度の中にあっては、長男だけが存在価値があって、次男、三男などは貧乏くじで、新八とその弟分であった頃の辰之助も二人して嘆いている。
その二人が戦わねばならない悲劇を最後に描くことになるが、兄の説得、あるいは苦悩の吐露を聞いて新八は当初討たれてやるつもりでいた。
刀の刃を落としているシーンがあるが、これが最後の殺陣に迫力を生み出すことになる。

どうしても新八を殺さねばならない奥野側は6名の助太刀を用意している。
見物人たちは興味本位で見学していて、人だかりを見越した店が出る始末で、ダフ屋のような男も登場してきて野次馬根性の下品さも感じる。
新八は封建社会の犠牲者なのだが、正義のヒーローというイメージはない。
自分は辰之助に討たれてやるつもりなのに、余計な助太刀者が出てきたりしたので荒れ狂う。
相手の刀を奪い取り、上役に斬りかかっていくところなどは迫力十分である。
新八の気持ちも伝わって来て、思わず手に力が入るシーンが暗い物語を最後に盛り上げている。
もっとも、本当のラストシーンは重苦しいものではあるのだが。

明日に向って撃て!

2019-01-08 10:36:01 | 映画
「明日に向って撃て!」 1969年 アメリカ


監督 ジョージ・ロイ・ヒル
出演 ポール・ニューマン ロバート・レッドフォード
   キャサリン・ロス ストローザー・マーティン
   クロリス・リーチマン ジョージ・ファース
   ジェフ・コーリイ テッド・キャシディ
   ケネス・マース ドネリー・ローズ
   チャールズ・ディアコップ ティモシー・スコット

ストーリー
1890年代の西部。
西部で名を馳せた荒くれ者ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドは同じ盗人仲間のハーベイ・ローガンらの誘いにのって列車強盗を繰り返し、ついに最強の刺客を鉄道会社から派遣されてしまう。
はじめはなんとか逃げ切ることに成功する二人だったが、刺客たちは追撃をやめることはなく、ひたすら彼らへと猛追してくる。
二人は巨大な滝まで追いつめられ、逃げ場を失ってしまう。
ブッチは滝つぼに飛び込もうとサンダンスに提案するが、サンダンスはかたくなに拒否し続ける。
サンダンスは泳ぐことができないということで大笑いをする二人だったが、ついに意を決して飛び込んだ。
命からがら逃げのびた二人は、スペイン語のできるサンダンスのガール・フレンドである女教師のエッタも交えてボリビアへ向かう。
が、ボリビアはブッチの想像とは異なり大変な貧乏国で、2人はたちまち銀行強盗に戻る…。

寸評
映画はノスタルジックに始まる。
冒頭はセピア調のシーンが続き、この作品がノスタルジーをそそる作品であることを印象付ける。
セピア調の画面は中盤とラストにも登場し、その印象を決定づけていた。
西部劇に名を借りた青春映画だ。

キャサリン・ロスの登場場面はスリリングで、彼女が演じたエッタの存在がこの映画を青春映画にしていた。
ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロスの男二人に女一人という組み合わせが微笑ましい。
エッタはキッドの恋人ではあるのだが、ブッチとも心を通わせている。
男二人と女一人の関係がこじれた関係でなく、あっさりとした微笑ましいものなのも雰囲気作りに役立っている。
ポール・ニューマンとキャサリン・ロスの二人が自転車で遊ぶシーンはまさしく青春映画だ。
バカラックの軽快な音楽が我々をもウキウキさせる。
音楽の3Bと言えば、バッハ、ブラームス、ベートーヴェンだが、5Bと言えばそれにビートルズとバカラックが加わると公開時に言われたぐらい新鮮なサウンドだ。

ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの強盗場面は愉快でユーモアにあふれている。
ウッドコック(ジョージ・ファース)が人のいい会計係で、彼とのやり取りは笑ってしまう。
特に復路の列車を襲う場面でのやり取りは面白い。
映画はここから追われる二人を追い続けることになる。
凄腕の保安官が追手として執拗に追跡してくるのだが、その保安官の顔は最後まで見せない。
白い帽子をかぶっていると言うだけで、最後にも彼の帽子だけを一瞬見せて緊迫感を出す。
追手の凄さを、どこまでも追いかけてくることだけで描いていて、単なる西部劇と一線を画している。

逃亡劇にエッタが加わってからは楽しさが倍増する。
ボリビアにつくまでの様子がセピア調の写真で紹介され、かれらはやがて目的地のボリビアに着く。
しかしそこは想像していた場所とは違っていて、その様子も可笑ししい。
ボリビアではエッタも加わった三人組での銀行強盗になるが、その様子も楽し気に描き続ける。
エッタに作ってもらったスペイン語のカンニングペーパーを見ながら銀行強盗をしたりといったことが、ギャングごっこをして遊んでいるようで愉快だ。
当初から一貫して行われているこの描き方が哀愁を感じさせるのだ。

彼らは警察と軍隊に取り囲まれて窮地に陥るのだが、そこに凄腕の保安官がいないことを知って、それなら大したことないと飛び出していく。
銃口が待ち受ける中へ飛び出していく二人にとどろく銃声が聞こえてストップモーションになるラストシーンだ。
その銃声と掛け声から二人の運命は想像されるが、それでもあの二人はきっとその場面を切り抜けているんじゃないかと思わせる余韻がある。
ジョージ・ロイ・ヒル、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードのトリオはこの後「スティング」でも開花する。