「アマデウス」 1984年 アメリカ
監督 ミロス・フォアマン
出演 F・マーレイ・エイブラハム トム・ハルス
エリザベス・ベリッジ ロイ・ドートリス
サイモン・キャロウ ジェフリー・ジョーンズ
クリスティーン・エバーソール リチャード・フランク
ストーリー
1823年11月、凍てつくウィーンの街で1人の老人が自殺をはかった。
数週間後、元気になった老人は神父フォーグラーに、意外な告白をはじめた。
老人の名はアントニオ・サリエリといい、かつてはオーストリア皇帝ヨゼフ二世に仕えた作曲家だった。
音楽を通じて神の下僕を任じていた彼だが、神童としてその名がヨーロッパ中に轟いていたウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが彼の前に出現したときその運命が狂い出した。
作曲の才能は比類ないのに女たらしのモーツァルトが、サリエリが思いを寄せるオペラ歌手カテリナ・カヴァリエリに手を出した、彼の凄まじい憎悪は神に向けられたのだ。
そんなサリエリの許へ、モーツァルトの新妻コンスタンツェが、夫を音楽教師に推薦してもらうべく音譜を携えて訪れた。
譜面の中身は訂正・加筆の跡がない素晴らしい作品ばかりで、サリエリは再びショックに打ちのめされる。
天才への嫉妬と復讐心に燃えるサリエリは、若きメイドをスパイとしてモーツァルトの家にさし向けた。
やがて父レオポルドが死んで、失意のモーツァルトは酒と下品なパーティにのめり込んでいく。
そして金のために大衆劇場での「ドン・ジョバンニ」作曲に没頭していくモーツァルトに、サリエリが追い打ちをかける。変装したサリエリがモーツァルトにレクイエムの作曲を依頼したのだ。
金の力に負けて作曲を引き受けるモーツァルトだが、精神と肉体の疲労は想像以上にすさまじく、「魔笛」上演中に倒れてしまう。
コンスタンツェが夫のあまりの乱行に愛想をつかし旅に出てしまったために無人になった家に、モーツァルトを運び込むさりえり。仮装した彼は衰弱したモーツァルトにレクイエムの引き渡しを迫る・・・。
寸評
中学生の時に習った大作曲家の通称をなぜか覚えている。
音楽の父=バッハ、音楽の母=ヘンデル、交響曲の父=ハイドン、楽聖=ベートーヴェン、ピアノの詩人=ショパン、ワルツの父=ヨハン・シュトラウス、そして神童=モーツァルト。
モーツァルトがなぜ神童と称されたのかは教えてもらっていたはずなのに記憶からは消えていて、兎に角モーツァルト=神童だけが残っている。
そしてこの映画を見るに至って、モーツァルトのフルネイムがヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトであることを知った。映画とはあまり関係ない話である。
この映画を語る時に、真っ先に思い浮かぶのはモーツァルトをやったトム・ハルスの甲高い笑い声だ。
天才と狂人は紙一重と言うが、まさにあの叫び声は天才モーツァルトの狂気の部分を表すものだったと思う。
ワーナーのマークに続いて画面が暗転し、いきなりオーケストラの大音響で映画の幕が開き「モーツァルト!」の叫び声が聞こえ、そしてサリエリの告白が始まる。
音楽の高まりと共にタイトルが表示され、やがて宮廷のダンスシーンが重なってサリエリの自殺未遂となる。
荘厳な音楽が流れ続けるたったこれだけのシーンで一級の音楽映画だと思わされてしまうオープニングだ。
映画はサリエリの回想で進行し、その時々の出来事が描かれていく。
サリエリの告白があるので、その出来事を補足するようなシーンはない。
それらに要する時間は音楽場面にあてがわれていく。劇中劇であるオペラシーンも迫力があり、オペラに造詣のない僕でもオペラファンになってしまいそうな演出だ。
女の嫉妬も怖いが、男の嫉妬も恐ろしい。
モーツァルトを前にして、己の才能のなさを知らされたサリエリの落胆、挫折、嫉妬を表現して見せたF・マーレイ・エイブラハムが素晴らしい演技を見せる。
サリエリは自分の才能が、モーツァルトの才能を発見していくことだけのものにすぎないと悟る。
彼に対する謀略が湧き上がるが、モーツァルトの音楽を聞くと至福の調べだと感じてしまう。
サリエリが思いを寄せていたオペラ歌手は、女は外見よりも才能だと言い放ち、その言葉の終わりでもってオペラが始まる。息をつかせない演出で、音楽映画における芝居と音楽の切り替えによる間延び感がない。
映画はサリエリの回想から入り、モーツァルトの人物像を追っていくのだが、モーツァルトってこんな狂人的な人物だったのだろうか?
もしも史実だとしたら、僕がモーツァルトに抱いているイメージとは随分違う。
だらしない下品な男の様に描かれているが、それでも彼の音楽は不世出のものであることを強調するためだったのだろうか。
サリエリは宗教者である神父に対し凡人だと言い放ち、自分は凡人の世界に君臨する凡人なのだという。
その言葉でもって神童モーツァルトを讃えて映画は終わる。
様々な音楽的見せ場やミステリーの要素を散りばめ、一瞬たりとも飽きさせない。
音楽映画映画としてもモーツァルトの名曲が散りばめられていて楽しめる。
ミュージカル映画とは違うジャンルでの第一級に値する音楽映画だ。
監督 ミロス・フォアマン
出演 F・マーレイ・エイブラハム トム・ハルス
エリザベス・ベリッジ ロイ・ドートリス
サイモン・キャロウ ジェフリー・ジョーンズ
クリスティーン・エバーソール リチャード・フランク
ストーリー
1823年11月、凍てつくウィーンの街で1人の老人が自殺をはかった。
数週間後、元気になった老人は神父フォーグラーに、意外な告白をはじめた。
老人の名はアントニオ・サリエリといい、かつてはオーストリア皇帝ヨゼフ二世に仕えた作曲家だった。
音楽を通じて神の下僕を任じていた彼だが、神童としてその名がヨーロッパ中に轟いていたウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが彼の前に出現したときその運命が狂い出した。
作曲の才能は比類ないのに女たらしのモーツァルトが、サリエリが思いを寄せるオペラ歌手カテリナ・カヴァリエリに手を出した、彼の凄まじい憎悪は神に向けられたのだ。
そんなサリエリの許へ、モーツァルトの新妻コンスタンツェが、夫を音楽教師に推薦してもらうべく音譜を携えて訪れた。
譜面の中身は訂正・加筆の跡がない素晴らしい作品ばかりで、サリエリは再びショックに打ちのめされる。
天才への嫉妬と復讐心に燃えるサリエリは、若きメイドをスパイとしてモーツァルトの家にさし向けた。
やがて父レオポルドが死んで、失意のモーツァルトは酒と下品なパーティにのめり込んでいく。
そして金のために大衆劇場での「ドン・ジョバンニ」作曲に没頭していくモーツァルトに、サリエリが追い打ちをかける。変装したサリエリがモーツァルトにレクイエムの作曲を依頼したのだ。
金の力に負けて作曲を引き受けるモーツァルトだが、精神と肉体の疲労は想像以上にすさまじく、「魔笛」上演中に倒れてしまう。
コンスタンツェが夫のあまりの乱行に愛想をつかし旅に出てしまったために無人になった家に、モーツァルトを運び込むさりえり。仮装した彼は衰弱したモーツァルトにレクイエムの引き渡しを迫る・・・。
寸評
中学生の時に習った大作曲家の通称をなぜか覚えている。
音楽の父=バッハ、音楽の母=ヘンデル、交響曲の父=ハイドン、楽聖=ベートーヴェン、ピアノの詩人=ショパン、ワルツの父=ヨハン・シュトラウス、そして神童=モーツァルト。
モーツァルトがなぜ神童と称されたのかは教えてもらっていたはずなのに記憶からは消えていて、兎に角モーツァルト=神童だけが残っている。
そしてこの映画を見るに至って、モーツァルトのフルネイムがヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトであることを知った。映画とはあまり関係ない話である。
この映画を語る時に、真っ先に思い浮かぶのはモーツァルトをやったトム・ハルスの甲高い笑い声だ。
天才と狂人は紙一重と言うが、まさにあの叫び声は天才モーツァルトの狂気の部分を表すものだったと思う。
ワーナーのマークに続いて画面が暗転し、いきなりオーケストラの大音響で映画の幕が開き「モーツァルト!」の叫び声が聞こえ、そしてサリエリの告白が始まる。
音楽の高まりと共にタイトルが表示され、やがて宮廷のダンスシーンが重なってサリエリの自殺未遂となる。
荘厳な音楽が流れ続けるたったこれだけのシーンで一級の音楽映画だと思わされてしまうオープニングだ。
映画はサリエリの回想で進行し、その時々の出来事が描かれていく。
サリエリの告白があるので、その出来事を補足するようなシーンはない。
それらに要する時間は音楽場面にあてがわれていく。劇中劇であるオペラシーンも迫力があり、オペラに造詣のない僕でもオペラファンになってしまいそうな演出だ。
女の嫉妬も怖いが、男の嫉妬も恐ろしい。
モーツァルトを前にして、己の才能のなさを知らされたサリエリの落胆、挫折、嫉妬を表現して見せたF・マーレイ・エイブラハムが素晴らしい演技を見せる。
サリエリは自分の才能が、モーツァルトの才能を発見していくことだけのものにすぎないと悟る。
彼に対する謀略が湧き上がるが、モーツァルトの音楽を聞くと至福の調べだと感じてしまう。
サリエリが思いを寄せていたオペラ歌手は、女は外見よりも才能だと言い放ち、その言葉の終わりでもってオペラが始まる。息をつかせない演出で、音楽映画における芝居と音楽の切り替えによる間延び感がない。
映画はサリエリの回想から入り、モーツァルトの人物像を追っていくのだが、モーツァルトってこんな狂人的な人物だったのだろうか?
もしも史実だとしたら、僕がモーツァルトに抱いているイメージとは随分違う。
だらしない下品な男の様に描かれているが、それでも彼の音楽は不世出のものであることを強調するためだったのだろうか。
サリエリは宗教者である神父に対し凡人だと言い放ち、自分は凡人の世界に君臨する凡人なのだという。
その言葉でもって神童モーツァルトを讃えて映画は終わる。
様々な音楽的見せ場やミステリーの要素を散りばめ、一瞬たりとも飽きさせない。
音楽映画映画としてもモーツァルトの名曲が散りばめられていて楽しめる。
ミュージカル映画とは違うジャンルでの第一級に値する音楽映画だ。