おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

アポロ13

2019-01-10 13:41:51 | 映画
「アポロ13」 1995年 アメリカ


監督 ロン・ハワード
出演 トム・ハンクス ケヴィン・ベーコン
   ゲイリー・シニーズ ビル・パクストン
   エド・ハリス キャスリーン・クインラン
   ローレン・ディーン クリント・ハワード
   トム・ウッド メアリー・ケイト・シェルハート

ストーリー
1969年、アポロ11号により、人類として初めてニール・アームストロング船長が月面に着陸した。
次の打ち上げチームのリーダーであり、アメリカ初の宇宙へ行った飛行士アラン・シェパードが体調に支障があることが発覚し、その予備チームであったジム・ラヴェル船長とフレッド・ヘイズ、ケン・マッティングリーは、アポロ13号の正チームに選抜された。
しかし、打ち上げ直前に、司令船パイロットのケンが風疹感染者と接触していることが判明し、なおかつケンには風疹抗体がなかったため、ケンの搭乗は認められないことになった。
予備チームと交替するか、司令船パイロットのみ交替するかの判断はラヴェルに任されたが、彼はパイロットのみを交代させる決断をして、予備チームのジャック・スワイガートと交替させることにした。
1970年4月11日、アポロ13号は現地時間13時13分に打ち上げられた。
月に到着する直前の4月13日、酸素タンク撹拌スイッチ起動により爆発が発生。
酸素タンクから急激に酸素が漏れだした。
酸素は乗員の生命維持だけでなく電力の生成にも使用するため、重大事態となる。
当初、事態をつかみ切れていなかった乗員や管制官たちは、途中まで月面着陸を諦めていなかったが、やがて地球帰還さえできないかもしれないという重大事態であることを把握した。
地上の管制センターでは、管制官達だけでなく、メーカーの人間も含め対策が練られた・・・。

寸評
アポロ13号が事故を起こしながら乗組員が無事帰還した出来事は劇的な出来事で色々と取り上げられている。
アポロ計画は、NASAによるマーキュリー計画、ジェミニ計画に続く三度目の有人宇宙飛行計画であったが、アポロ計画においては二つの大きな事故を起こしている。
一つは、アポロ1号における発射台上での火災事故で、3名の飛行士が死亡している。
もう一つが本作で取り上げられたアポロ13号における、月に向かう軌道上で機械船の酸素タンクが爆発した事故で、月面着陸を断念した乗組員たちが生命の危機を迎えながら無事に地球に帰還したものである。

日本のNHKもこの事件のドキュメンタリー番組を作成していて、これは乗組員よりもむしろヒューストンの管制室での奮闘ぶりと、生還のために陰ながら努力した人々に焦点を当てていた。
ドラマは乗組員の物語に重点を置いており、訓練の様子やケンが登場できなくなる話などが盛り込まれている。
打ち上げシーンや、切り離しの映像などは記録映画の様でリアリティもあり画面を圧するものがある。
地上組の奮闘ぶりは流石にNHKの番組だけあって、そちらの方が活動の詳細が見事に語られていた。
軌道計算する女性のコンピューター担当者がいたり、グラマンの製造技術者たちがニュースをキャッチするや要請を受けないうちに活動を開始していたこと、ヒューストンの管制官も途中で交代する様子なども伝えていた。
映画では管制官は一人で最初から最後まで勤めている。

乗組員たちは何が起きたかよくわからないし、どう対処すればいいかはすべて地上のヒューストンから指示されるのだが、次々と起こる問題に対処する緊迫感が、事実だけに見事に伝わってくる内容だ。
電力不足、二酸化炭素の濃度上昇などが次々と起きるが、ヒューストンの英知の結集がドラマチックだ。
搭乗メンバーから外れていたケンがシミュレーション役として復活してくるのもドラマチックだ。
その件も事実なので、事実は小説よりも奇なりである。
二酸化炭素を除去するフィルターの作成も今となっては面白い。
着陸船と本船のフィルターを接続することで解決しようとするが、その形状が丸と四角と違っていて繋ぐことが出来ず、管制官が「何が国家プロジェクトだ!」と叫んだりする。
宇宙船の製造技術者たちがアポロにある物を利用して接続に成功するのがすごい。
乗組員たちの冷静さと、ヒューストンの活躍は正にアメリカン・ヒーロだ。
驚くのは現在の状況を次々と伝える情報公開の姿勢と、アポロとヒューストンのやり取りが家族にも聞かせていることである。
次々とピンチに襲われ、右往左往する様子を聞いている家族の気持ちはどんなだったのだろうと思う。
見方によっては月面着陸を行ったアポロ11号より、このアポロ13号の方が誇れるのかもしれない。
それでも覚えているのは月面に初めて一歩を印した11号のアームストロング船長なんだけど・・・。

13号といい、発射されたのが13時13分だったり、事故を起こすのが4月13日だったりしているので、やはり13という数字はキリスト教徒にとって縁起が良くないのかもしれない。
生還が確認された時の家族の喜ぶ姿には、日本人の僕でも同じように感激してしまった。
ドラマだったらトム・ハンクスの船長が超人的な活躍をするのだろうが、実話だけにそれはない。

アフタースクール

2019-01-10 10:35:01 | 映画
「アフタースクール」 2008年 日本


監督 内田けんじ
出演 大泉洋 佐々木蔵之介 堺雅人 常盤貴子
   田畑智子 北見敏之 大石吾朗 奥田達士
   尾上寛之 桃生亜希子 沼田爆 田村泰二郎
   ムロツヨシ 佐藤佐吉 山本圭 伊武雅刀

ストーリー
母校で働く中学教師・神野(大泉洋)は、夏休み中も部活動のために出勤していた。
そんな彼のもとに、同級生だったという探偵(佐々木蔵之介)が訪ねてきて島崎と名乗るが、神野はほとんど覚えていない。
探偵は、やはり同級生の木村(堺雅人)を捜していた。
神野と木村は中学時代からの親友で、今朝も産気づいた木村の妻(常盤貴子)を、仕事で忙しく昨夜から全くつかまらない木村の代わりに病院へ連れて行ったばかりであった。
神野がそう探偵に告げると、今朝撮ったという1枚の写真を渡される。
そこには若い女(田畑智子)と親しげにしている木村が写っていた。
ショックを受けている神野に、探偵は木村捜しを手伝ってほしいと頼む。
まず、神野は顔が知られている探偵の代わりに、木村の件を探偵に依頼してきた男を尾行する。
男は、木村が勤める梶山商事の上層部の人間で、その背後には社長(北見敏之)の存在があることが明らかになり、また彼らは探偵もよく知るヤクザの片岡(伊武雅刀)と繋がっていた。
さらに捜索を続けていると、片岡が自身の経営する高級クラブで働いていた女・あゆみの行方を捜しているという情報が入り、そのクラブは梶山商事の人間が頻繁に利用していたことがわかる。
そしてそのクラブに勤めていたという女を訪ねたところ、あゆみが消えた日に木村が店に来ていたとの情報を得る。
探偵は、ヤクザの女に手を出した木村が、女房子どもを捨てて、女と一緒に逃げたのだと言うのだが・・・。

寸評
京極夏彦が著した「巷説百物語」を読んだような気分にさせられた映画だった。
ストーリー立てがその様な構成だった。
なるほど、なるほどと読んでいって、最終章で実は・・・と明かされて、なーんだそういうことだったのかといった展開。
見終わると、あーそういうことだったのかという見事に騙された爽快感を感じさせてくれた。
面白さの要因は、緻密に構成されたオリジナル脚本につきる。
内田けんじ監督は前作の『運命じゃない人』で監督としての才能だけでなく、並々ならぬ脚本力を見せつけてくれたが今回もその脚本力は健在だった。

エンドロールが出たところで、「あれれ、あの男はどうなったの?これで終われば、あれも騙しだったの?」と思っていたら、最後の最後にそのシーンがあって、これは騙しでもないんだから、そりゃそうだよなと納得した。
ただしその男が絡んでくることは事前に刑事のひとりに「○暴なんか関係なくて使われてるだけよ」というヤクザの片岡との会話で説明されていて、このあたりの細やかな演出にうならされる。

見終わると冒頭の回想シーンもそれに続く家族シーンの意味がじんわりと解ってくる。
会話の一つ一つの意味も納得できて、映画を回想すればするほど、その小さな挙動や話の内容や出来事の一つ一つが、パズルを解くように紐解かれていって、その発見に喜々とする自分を発見する稀有な作品だった。
物語の前半、観客は、神野と島崎の常識が打ち砕かれる状況に何度も付き合うことになるが、後半の信じられない展開に備えて、小さな小道具や何気ないセリフに気を配っておかねばならない。
彼らが見聞きしたものには、実はまったく違う意味があって、それが真実への新しい道を“木村探し”という地図に書き加える。
車の中にあった指輪の本当の役割を知る頃には、すっかりこの映画の虜になってしまっているのだ。
映画の最後に、全てが明かされたときの快い快感は、実は物語はシンプルで前向きなものだったのだと気付かせてくれる。

神野先生に「どこのクラスにもお前みたいな奴がいる。学校なんて関係ないんだよ。お前がつまんないのはお前のせいなんだ」と叫ばれる島崎が、自分の手下と思っていた男に裏切られ、騙したと思ってた男に実は騙されていたのは、この男は案外といい人間なんでないかと僕には思えて、極悪人が登場しない、なんだかほのぼのとした映画だったと思えた。

この映画がテレビ放映されるようなことがあっても茶の間で見ない方が良いと思う。
ちょっと見逃したり、聞き逃したら、後半で起きることの意味がわからなくなってしまうと思う。
録画でもして、一人静に見る作品だと思う。
監督が脚本も担当する作品が少なくなっているだけに内田けんじは注目すべき監督兼脚本家だとも思う。