おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

あ、春

2019-01-09 20:58:19 | 映画
「あ、春」 1998年 日本


監督 相米慎二
出演 佐藤浩市 斉藤由貴 富司純子 藤村志保
   山崎努 余貴美子 原知佐子 河合美智子
   村田雄浩 三林京子 三浦友和 笑福亭鶴瓶
   寺田農 塚本晋也 木下ほうか 岡田慶太

ストーリー
一流大学を出て証券会社に入社、良家のお嬢様・瑞穂と逆玉結婚して可愛いひとり息子にも恵まれた韮崎紘(佐藤浩市)は、ずっと自分は幼い時に父親と死に別れたという母親の言葉を信じて生きてきた。
ところがある日、彼の前に父親だと名乗る男が現れたのである。
ほとんど浮浪者としか見えないその男・笹一(山崎努)を、にわかには父親だと信じられない紘だが、笹一が喋る内容は、何かと紘の記憶と符合する。
母親の公代(富司純子)に相談すると、笹一はどうしようもない男で、自分は彼を死んだものと思うようにしていたと言うではないか。
笹一が父親だと知った紘は、無碍に彼を追い出すわけにもいかず、同居する妻瑞穂(斉藤由貴)の母親(藤村志保)に遠慮しながらも、笹一を家に置くことにした。
しかし、笹一は昼間から酒を喰らうわ、幼い息子(岡田慶太)にちんちろりんを教えるわ、義母の風呂を覗くわで紘に迷惑をかけてばかり。
ついに堪忍袋の緒が切れた紘は笹一を追い出すが、数日後、笹一が酔ったサラリーマン(木下ほうか)に暴力を振るわれているのを助けたことから、再び家に連れてきてしまう。
図々しい笹一はそれからも悪びれる風もなく、ただでさえ倒産が囁かれる会社が心配でならない紘の気持ちは、休まることがない。
そんなある日、笹一の振る舞いを見かねた紘の母・公代が来て、紘は笹一との子ではなく、自分が浮気してできた子供だ、と告白する。
その話に身に覚えのある笹一は、あっさりその事実を認めるが、紘の心中は複雑だ。
ところが、その途端に笹一が末期の肝硬変で倒れてしまう。

寸評
相米慎二は無秩序な人間を描かせるととんでもなく生き生きとしてきて、水を得た魚の様である。
描かれる人間は滑稽だが、自分に置き換えてもどこか思い当たるふしがある。
紘は倒産寸前の証券会社に勤めているが、同僚の沢近(村田雄浩)のようにスパっと決断が出来ず、会社の再生を信じて転職を決断できない。
男にとって長年勤めた会社を辞めることは勇気のいることで、そんな不安は家族にも言えないものである。
瑞穂の母親は、そんな大事なことを妻にも話さないのかと言うが、妻だから言えないこともある。
ある意味で優柔不断なのであるが、その優柔不断さは大多数の人が有しているものだ。

表札は二つ上げているが、良家と思える妻の実家に義母と同居している。
婿養子のような環境は肩身の狭い思いをするものだろうが、表面上は上手くやっている。
妻は持病持ちだが、良家の娘らしく世間ずれしたところがない。
そんなところにとんでもない父親がやって来て騒動が起こる。
その騒動がくすぐったくなるような面白いものなので、家族を描いた社会映画というよりは喜劇なのだと思わせる。

しかし、そんな騒動を通じて「家庭って何だろう?」、「家族って何だろう?」と考えさせられるのである。
その描き方は肩の凝らないもので相米らしい。
父親は息子夫婦の家にとっては降ってわいたような邪魔者だ。
当然家の持ち主である義母や妻にとっては迷惑この上ない。
ところが浮浪者のようなこの男、庭の手入れはするし、家の傷みも修理する器用人だ。
おまけに孫にとっては案外とこの爺さん、結構いい遊び相手でもあある。
私もかわいい孫がいるが、老人は子供の格好の遊び相手である事は間違いないと感じる。
節分の騒動などは思わず笑ってしまう光景だ。

毛嫌いしていながら、時として受け入れてしまう藤村志保と斉藤由貴の親子も面白いが、もっと支離滅裂なのが富司純子が演じる紘の母親だ。
久しぶりに会った別れた亭主に「笹一ちゃん」と親し気に呼びかけたかと思うと、過去の不倫を堂々と告白するのである。
長男の三浦友和と食堂をやっているが、どうやら長男は他の店に広げたいらしい。
長男の嫁(余貴美子)もそれを望んでいるが、彼等に決して気後れしない度胸も携えている。
肝っ玉母さんと思えるのだが、そのキャラクターはどこかとぼけた味のあるもので、富司純子がハマっている。
兎に角この作品はキャスティングが見事だ。
散骨の為、菜の花が咲き誇る川を下り海に出るが、春と言えば桜だが、桜ではなく菜の花を描いたことで前途洋々感を出すことなく、それでいて春の到来を感じさせ良かった。

僕は家族は大切だと思うし大好きだが、家族の為だけに生き、家族のために我慢をする生き方はむなしいものがあるし、ここに描かれたような家族関係があるなら、家族ってそんなに重いものでもないのかもしれない。

アパートの鍵貸します

2019-01-09 10:52:51 | 映画
「アパートの鍵貸します」 1960年 アメリカ


監督 ビリー・ワイルダー
出演 ジャック・レモン シャーリー・マクレーン
   フレッド・マクマレイ レイ・ウォルストン
   デヴィッド・ルイス ジャック・クラスチェン
   ホープ・ホリデイ ジョーン・ショウリー

ストーリー
ニューヨークのさる大保険会社の一平社員バクスター、通称バド(ジャック・レモン)は出世に燃えているが、その方法は4人の課長にアパートの鍵を貸すだけで充分だった。
4人はアパートをせっせと浮気に愛用し、バドの昇給にせっせと尽力した。
そこに人事部長のシェルドレイク氏(フレッド・マクマレイ)も加わった。
部長のよろめきの御相手は会社のエレベーター嬢フラン(シャーリー・マクレーン)。
バドはこの丸ぽちゃで適当にグラマーのフランに片想いしていたので、少なからずショックだった。
酔ったバドが年増の金髪美人を連れてアパートに帰ると、そこでフランが自殺をはかっていた。
離婚をした暁にはきっと君と…、と言うばかりで実行しないシェルドレイク氏の不実に絶望し、バド愛用の睡眠薬を全部飲んでしまったのだ。
翌朝、一大決心をしたバドは、部長にフランとの結婚を打ち明けようとすると、部長は離婚が成立し、フランと結婚する旨をバドに宣告する。
人の気も知らない部長は、またもアパートの鍵の借用を申しこんできたので、カンニン袋の緒を切ったバドは辞表を叩きつけて会社を飛び出す。
その夜、フランは部長とレストランへ行くが、そこで今夜はアパートは使えないと聞いたフランはハッと気がつく。
バドの優しい想いと、自分を本当に愛しているのは誰か、ということを。
部長を置き去りに、フランはバドのアパートの階段をかけ上がった。

寸評
喜劇ではあるがシリアスな側面もかかえた作品だ。
好きな女性がいるが素直に気持ちを伝えられない。
彼女に対しては他人にはわからない心配りを見せ恋い焦がれるが、それでいて何もできない男の悲哀。
彼女に通じていそうで、なかなか男の気持ちが通じない。
それでも男は精一杯の献身を見せる。
バドは仕事ができるのかどうかは分からないが、間違いなくとても人がいい善人だ。
彼は出世欲も人並み以上にあるが、他人を蹴落としてガッツガッツやるタイプではない。
上司に取り入るバドの姿が滑稽でありながら、なにか切実たるものを感じさせる。
かれは上司の浮気のためにその場所を提供することで取り入っているが、私の社会人時代でもそのような人種はいた。
私には到底出来そうもない献身的な忠誠を見せる先輩と幾人か出会った。
言われたことには逆らわず、言われたことを忠実にこなし、休日返上してお付き合いをする。
そうした人は能力もあったのだろうが、偶然にもバド同様に現実社会で出世していった。
バドも全く同じように階段を駆け上がる。
バドの忠誠は自分のアパートを提供することで、しかも相手が複数とあってスケジュールの調整やらも大変だ。
そのやり取りがあっけらかんとしていて面白い。
登場人物もすべてどこか憎めない。
隣のお医者さんも大宅さんもいい人のように感じる。
バドの部屋を利用している上司連中もどこか人が好さそうで、根っからのずるがしこい人間の様には見えないので、起きていることが微笑ましくさえ思えてきてしまう。

前半は部屋を貸していることで起きるドタバタを描いているが、人事部長のシェルドレイク氏が登場してから物語が大きく動き出す。
元愛人の秘書も登場してストーリーを急転回させていく。
その展開を支えているのがエレベーターガールのシャーリー・マクレーンだ。
やがて大御所となっていくシャーリー・マクレーンだが、この頃は21歳設定がおかしくない若々しい彼女で、かわいらしさが前面に出ている。
オードリー・ヘプバーンなんかとは違う庶民的なかわいらしさだ。
話の設定自体もユニークで面白いけれど、彼女の存在なくしてこの映画は成り立たなかったのではないかと感じさせる。
重厚な作品ではないが、ビリー・ワイルダーらしい軽快なテンポとユーモアを兼ね備えた楽しい作品だ。
お決まりのラストではあるが、それでもメデタシ、メデタシの結末にホッとする。
リラックスしてみることが出来て、見終った時に爽快感の残る作品だ。
サラリーマンの悲哀を感じさせもするが、最後には辞表を叩きつけるという現実ではなかなか出来ないことをやるし、最後には愛する女性が駆けつけてくれると言う夢物語を見せてくれたからだと思う。
ユーモア映画の傑作の一遍に値する。