おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

青い山脈

2019-01-04 21:29:23 | 映画
「青い山脈」 1949年 日本


監督 今井正
出演 原節子 池部良 伊豆肇
   木暮実千代 龍崎一郎 若山セツコ
   杉葉子 薄田研二 藤原釜足

ストーリー
ある片田舎町の駅前。
女学校の5年生寺沢新子(杉葉子)と大学受験に失敗した金谷六助(池部良)はふとしたことで意気投合する。
一方、理想に燃える女学校の新任教師、島崎雪子(原節子)は、バスケットの指導中に張り切りすぎて足をねん挫してしまう。
それを校医の沼田(龍崎一郎)に治療してもらった後、雪子先生は新子から相談を持ちかけられる。
自分宛に、男を装ったラブレターらしき手紙が届いたのだが、それは内容からして、どうも同級生によって書かれたものらしい…というのである。
雪子は、友達のいたずらだという新子の言分に、何かしら尋常でない性格をつかみ、まして前の学校で転校を余儀なくされたこの娘に力になってやりたい衝動にかられる。
そしてライ落な校医の沼田にこの問題を相談するが意外な答えだったのでついなぐってしまう。
雪子は恋愛の問題を講義しつつ偽のラヴレター事件を直接生徒達に説いてゆく。
しかし生徒達は「学校の伝統を考えて取ったものだ」というのである。
雪子は生徒達の旧い男女間の交際の考え方を是正しようと努力するが、それはますます生徒達の反感を買うばかりだった。
教員仲間でも雪子の行動を苦々しく思い民主主義のはき違いなどといいつつ問題は次第に大きくなっていった。
新子はそのうづ巻の中にあっても、高校生の六助や富永たちとつき合って行く。
ついに学園の民主化を叫ぶ名目で新聞にまで拡がり、沼田も黙っていられず、雪子の協力者となるが、暴漢に襲われる。

寸評
1949年(昭和24年)の制作だが、その年は僕が生まれた年である。
この頃の世の中はこのような空気が生まれていた時代だったのだと教えてもらった気分だ。
戦後の処理も進んで復興しつつあったのだろう。
民主主義が浸透し始め、古い因習が打ち破られていく時代であったこともうかがえる。
その後にはレッドパージの気配がやって来たことは知識として知っているので、この作品の雰囲気は正に時代を反映したものになっていると感じさせられる。
実際、東宝争議があって東宝を退社したプロデューサーの藤本真澄が藤本プロを設立して本作が作られ、本作は東宝と藤本プロの共同制作となっている。

話自体は大したものではないが、男尊女卑の否定や若い男女の恋愛に対する偏見の是正やらが声高に語られているのが時代だと思う。
それでもこの作品は面白い。
その後も時代のアイドルたちによってリメイクされたが、やはりこの作品の出来が群を抜いている。

冒頭で服部良一作曲、西條八十作詞の主題歌が流れるが、この映画の存在を知らないで育った僕でもこの主題歌は知っていたから、かなりヒットした著名曲だったのだろう。
「若くあかるい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜 空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ」
「古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら 青い山脈 バラ色雲へ あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く」と2番までが流れるが、歌っているのは僕が知っている藤山一郎ではなく奈良光枝だ。
監督の今井正はこの歌が気に入らなかったらしいが、「青い山脈」と言えばまずこのメロディが思い浮かぶから主題歌の貢献も大きかったのではないかと想像させられる。

原節子は美しい。
後年の小津安二郎作品でその魅力を最大限に開花させるが、ここでの原節子は凛として強い英語教師を印象的に演じている。
日本人離れした顔立ちと、学生時代はバスケットボールの選手だったという設定で、登場シーンから体育教師の様な颯爽とした姿を披露する。
オープニングで入り江の遠景が映るが、この田舎町に原節子が登場しただけで話題騒然になるのは納得だ。

沼田医師はからかうようにこの村の古い因習や考え方で自分の人生を語ると、原節子の島崎雪子先生がそれに切れて沼田のほっぺたをひっぱたく。
二人の間に愛の目覚めを感じさせると同時に、封建制の否定と、女性の台頭を象徴するようなシーンだった。
雪子を支持するような音楽担当の先生や、自分が出来なかったことを雪子に託す年配の先生などを登場させて女性の地位向上と古い因習の打破を待ち望んでいる人が潜在していたことを示している。
寺沢新子も新しい時代の女生徒の象徴だったと思う。
昭和24年とはそのような時代だったのだろう。
二つの時代を戸惑わせることなく行き来する語り口は絶品。
原田美枝子の二役は、照恵を演じているときには豊子を感じず、豊子を演じているときには照恵を感じさせない。無理なく正反対の両方になれてしまうんだから女優ってスゴイ!

愛を乞うひと

2019-01-04 10:21:33 | 映画
「愛を乞うひと」 1998年 日本


監督 平山秀幸
出演 原田美枝子 野波麻帆 小日向文世
   熊谷真実 國村隼 西田尚美
   うじきつよし 中村有志 モロ師岡
   中井貴一 小井愛

ストーリー
早くに夫を亡くし、娘の深草(野波麻帆)とふたり暮らしの山岡照恵(原田美枝子)は、昭和29年に結核でこの世を去ったアッパー(父)・陳文雄(中井貴一)の遺骨を探していた。
そんなある日、彼女の異父弟・武則(うじきつよし)が詐欺で捕まったという知らせが届く。
30年ぶりの弟との再会に、照恵の脳裡に蘇ってきたのは、幸せだとは言い難い幼い頃の母親との関係だった─。
文雄の死後、施設に預けられていた照恵を迎えに来たのは、かつて父によって引き離された筈の母・豊子(原田美枝子/2役)だった。
ホステスをしている豊子にバラックの家に連れていかれた照恵は、そこで新しい父・中島武人(モロ師岡)と弟・武則と引き合わされる。
やがて中島と別れた豊子は、ふたりの子供を連れて“引揚者定着所” に住む和知三郎(國村隼)の部屋へ転がり込むが、和知は傷痍軍人をいつわり街角で施しを受けている男で、子供たちには優しかった。
しかし、この頃から豊子の照恵に対する折檻が、日増しにひどくなってゆく。
だが、ただひとつ髪を梳く時だけは豊子は照恵を褒めてくれ、その時だけは照恵は母の愛を感じられた。
中学を卒業した照恵は、建設会社に就職し、独り暮らしを考えるようになる。
しかし給料は全て豊子に取り上げられる始末で、思いつめた照恵は遂に家を飛び出すのだった──。
文雄の遺骨の手がかりを辿るうち、照恵は深草と父の故郷である台湾を訪ねる。
照恵は、かつて父と親交の厚かった車谷夫妻を、台湾の奥地に訪ね、車谷夫妻から文雄と豊子の出会いや自分の誕生の話を聞かされる。

寸評
兎に角、豊子は照恵を虐待する。
小遣いをねだったといっては叩きのめし、事あるごとに殴り飛ばす。照恵はゲロをはき、顔はアザだらけとなる。
それでも幼少の照恵は逃げ出すことが出来ない。豊子の髪をすいてあげた時に「上手だね」とたった一度誉めてもらったことが、鬼畜のような母を憎みきれなかった要因なのだろう。
虐待を受けながらも照恵はひたすらに母の愛を求め続けていたのだ。
あまりの虐待に照恵は「何故私を施設から引き取ったのか、可愛かったからではないのか」と叫ぶ。
僕の勝手な解釈だが、引き取った理由は去っていった男に対する執着が歪んだ形で表れたものだと思う。
ファーストシーンの雨の中で、照恵を連れて去っていく陳文雄に置き去りにされた豊子が叫ぶ姿があった。
そして終盤で車谷夫人から、豊子が子供が生まれることで陳の愛情を一身に受けられなくなるのではないかとの疑念を持っていたらしいことが語られる。
それらをつなぎ合わせると、豊子は本当に陳を愛していて独り占めしたかったのかもしれないと思うのだ。

ではなぜ豊子は照恵を虐待し続けたのか?
豊子は強姦されてできた子だから産みたくなかったと言い放つが、どうやらそれも事実ではなさそうだ。
そのための虐待とは思えないフシがある。
あるいは豊子も虐待された経験があったのかもしれないが定かではない。
男なしでは生きられない豊子は次々と男を代えるが、どの男も生活力には欠け最低の生活をし続けている。
そんないら立ちが弱い者いじめに向かわせたのだろうか?
それにしては就職が決まった和知に「あんた勘違いしてんじゃないの」と言い放っていたしなあ・・・。
昨今の虐待事件なんて訳の分からない虐待行為が多いから、豊子もそんな気分だったのかもしれない。
現実世界ではそうでも、映画の世界ではそれだと単純すぎるけどなあ~。
しかし、陳への愛の後遺症があったとしても、なぜあれほど虐待したのかなあ・・・?

照恵が父の遺骨探しに奔走するのは、母が捨てたものを全部拾っていくことを決意したからだと言う。
しかし娘の深草からは豊子への見返しなのだと看過されてしまう。
つらい時や困った時にはそれを誤魔化すように笑みを浮かべてしまう照恵は、なかなか正直に自分の気持ちを表現できない。
小さい頃から抑圧されてきたために本当の自分を見失っている照恵にとって、遺骨探しは自分探しの旅でもあったのだ。最後に拾ったのは自分自身ともいえる。
老いた母との美容院での再会シーンは額に受けた傷が伏線となって緊張感が漂う。結局老母から娘に向けた言葉はなく、親子としての会話は交わされなかった。「やっとサヨナラが言えた」と愛を求め続けた自身の執着にピリオドを打てたのは娘の存在があったからで、幼少に経験した親子関係とは真逆の愛の存在が際立った。

二つの時代を戸惑わせることなく行き来する語り口は絶品。
原田美枝子の二役は、照恵を演じているときには豊子を感じず、豊子を演じているときには照恵を感じさせない。無理なく正反対の両方になれてしまうんだから女優ってスゴイ!