おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

赤い河

2019-01-05 19:53:53 | 映画
「赤い河」 1948年 アメリカ


監督 ハワード・ホークス
出演 ジョン・ウェイン モンゴメリー・クリフト
   ウォルター・ブレナン ジョン・アイアランド
   ジョーン・ドルー コリーン・グレイ
   ハリー・ケリー ハリー・ケリー・Jr
   ハンク・ウォーデン ノア・ビアリー・Jr

ストーリー
1851年。開拓民の幌馬車隊と行動を共にしていた開拓者のダンソン(ジョン・ウェイン)は、自分の牧場を設けるのにうってつけの土地を見つけ、幌馬車隊の隊長に別れを告げる。
ダンソンは同じく開拓者のグルート(ウォルター・ブレナン)と自分の家畜である2頭の牛を連れて隊を離れた。
その夜、川の近くで野営をしていたダンソンとグルートは、数人のインディアンの集団に夜襲を受ける。
辛うじて、撃退に成功するものの倒したインディアンの一人が、ダンソンが恋人にに贈ったはずの腕輪を付けているのを見て、ダンソンは恋人がインディアンに殺害されてしまった事を知り愕然とする。
翌日、テキサス州のレッドリバーに向かう途中で、家族をインディアンに殺害された一頭の牛を連れた一人の少年マシュウに出会った。
ダンソンは彼を養子として迎え、ミシシッピ川の側にある広大な土地に自分の牧場を作る。
それから14年後、ダンソンの牧場の牛は1万頭を超えていたが南北戦争によって、牛を買ってくれる業者がいなくなり、牧場の経営は火の車となっていた。
今は成人したマシュウ(モンゴメリイ・クリフト)が戦争から帰って来たとき、ダンスンは北部や東部の市場へ鉄道が通っているミズーリへ家畜1万頭を移動させるという大胆な計画を打ち明けた。
バスター(N・ビアリ・ジュニア)、チェリイ(ジョン・アイアランド)らの牧童たちが雇われ、大移動の旅が始まったが、旅程は非常に困難でダンスンは焦燥感が募ってあたり散らし酒に耽るようになった。
レッド・リヴァ渡河の頃、3人の牧童が逃亡する事件があり、ダンスンがこれに対してとった無理解な態度に愛想をつかしたマシュウはダンソンに代わって指揮をとり牛の移送を行うことになったので、怒ったダンソンは何時かマシュウを殺すと公言した。
マシュウは途中でインディアンに襲われている馬車隊に出会いテス(ジョーン・ドリュウ)と相愛の仲になった。

寸評
ハワード・ホークスは今では再評価もされている監督だが、生前は傑作を世に放ちながらも批評家からは通俗的な娯楽専門のB級映画監督としてしか見られていなかった。
しかしもともと映画は娯楽としての側面が一番大きなものだし、彼の放った作品は単純に面白い。
その中でも西部劇としてはこの「赤い河」と「リオ・ブラボー」が群を抜いているように思う。

牛の大量移送の話だけれど、ものすごい数の牛が登場してその迫力が画面ににじみ出ている。
本当に9000頭ぐらいいるんじゃないかと思われる牛の大群を移動させるシーンは圧倒させられる。
圧巻は牛の暴走シーンで、大群の中に割り込んだカメラがその迫力を伝える。
この暴走を引き起こす直接原因と伏線も面白い。
渡河シーンなども大群を丁寧に撮っているし本物だけに真実味がある。
幌馬車からのアングルも臨場感があった。
エキストラと思われる人たちは画面に映り込んでいるが、最大のエキストラはこの牛たちだった。
最後の方で、町の道路を占有してしまう大群の移動と、それを迎える町の人の喜ぶ姿は感動的だ。

西部劇お決まりのインディアンの襲撃も描かれているが、襲われている幌馬車隊を助けに行くというもので、命がけで襲ってくるインディアンというにはその銃撃戦は少し迫力不足だ。
テスとマシュウの出会いを描いたりしているせいでもあるが、最初にダンソンとグルートが3人のインディアンに襲われるシーンの方が迫力があった。
特に、暗闇から飛んでくる火矢とそれからの格闘がスピーディでインディアンの凄さが伝わってきた。
案外とあっさりと描かれているのはチェリィの死も同様で、いつマシュウと対決するのかと思って見ていた僕にはちょっと拍子抜けする結末だった。
ラストでマシュウがダンソンに殴り掛かった時、グルーとが「14年間これをまってたんだ」と叫ぶが、お目付け役の様な彼は息子が父親を超えた時を喜んでいるという表現だったのだろう。 爽快になるシーンだ。

開拓はどのようにして行われていったのかを垣間見る事が出来るのも日本人の僕としては面白く感じられた。
広い土地にめぐり合い、ここは俺の土地だと勝手に決めてしまうのが手始め。
奪いに来たり、文句を言ってきた奴は殺す。
やがて牧童として集まってきた仲間も場合によっては射ち殺す。
フロンティア・スピリットと言えば聞こえはよいけれど、結構きわどい精神構造である。

若いころのジョン・ウェインとモンゴメリイ・クリフトを見ることが出来るのも嬉しい。
僕の中のジョン・ウェイン主演の映画は、ほとんどが貫録が出てきた中年以降の作品で、若いころの彼としては「駅馬車」など数えるほどしか知らない。
ライフルの扱いはこの頃から上手かったんだなと思わせる。
モンゴメリ・クリフトは得な役回りで、この作品で人気が出たのもうなずける。
僕が生まれる前の制作だがテーマ曲と共に十分に堪能できる内容になっている。

續 青い山脈

2019-01-05 09:44:50 | 映画
「續 青い山脈」 1949年 日本


監督 今井正
出演 原節子 池部良 伊豆肇 木暮実千代
   龍崎一郎 若山セツコ 杉葉子
   薄田研二 藤原釜足

ストーリー
ついに学園の民主化を叫ぶ名目で新聞にまで拡がる。
沼田の患者の一人梅太郎(芸者)はうらみのある理事長の井口を相手にまわし大いに気えんを吐く、彼女の妹の和子も小さな味方として協力した。
ついに理事会の日がきた。
沼田医院を根城にして案を練る沼田、和子の父兄代理の梅太郎、ガンちゃん、雪子も力がついてくる。
理事会は教頭の経過報告からはじまった。
井口が正面の会長席に座っている。
雪子は退席を命じられたがどんな批判でも、はっきり伺いたいとがんばった。
いじわるい田中教師や、立場に困っている校長、教頭、熱心に説明している沼田、雪子の理整然した答え、梅太郎、ガンちゃん達の議論とユーモアのうちに理事会は展開されてゆく。
父兄達の異様な顔もほぐれて五分五分の態勢が七分三分となる。
形勢不利とみた井口は「これから最も民主的な方法で無記名投票で……」と提議した結果は島崎先生を可とするもの十二票、生徒を可とするもの六票。
勝利であった。
やはり生徒達の青春の躍動はおさえきれない。
次第に雪子や新子達に理解の目がむけられてくる。
ラヴレター問題も同級生松水浅子の策略だったことが彼女自身の口から解かれてゆく。
松永も自分の行動に悩んでいたのだ。
新子と松永も許し合うようになる。
晴れた日、和気藹々とサイクリングに興じるの雪子たち姿があった。

寸評
後編ということで前編のあらすじが冒頭で描かれるが、メイキング映像のようで本編にはなかったシーンが付け加えられている。
特に新子と六助が座り込んで話すシーンはそのために撮ったのかと思わせる。

寺沢新子、沼田先生、金谷六助がそれぞれ愛を告白するが随分とストレートなものだ。
これなども時代の変化を読み取ったものなのだろう。
最初の告白者である寺沢新子のシーンでは六助の親友のガンちゃんが「お前はバカだ」と言うと、六助は「俺はバカだ」と返し、ガンちゃんは「そして俺は偽善者だ」と言って去っていく。
ガンちゃんも新子に好意を持っていたのだろうが、告白の描き方をストレートにして、三角関係の描き方を暗示的にしているところなどは面白いと感じた。
ガンちゃんの伊豆肇と島崎先生のスパイ役を買って出ている笹井和子の若山セツ子がコミカルな役をやっていて息抜きをさせてくれる。
戦後に浸透していく若い男女関係の在り方を声高に叫んでいる割には滑稽なシーンが多い作品でもある。

梅太郎という芸者の木暮実千代も男相手のプロとしていい役割だった。
その梅太郎が島崎先生と出会った後で、自分たちの様なものが逆立ちしてもかなわない女性だと島崎先生の素晴らしさをつぶやくのだが、惚れた沼田先生を諦めるシーンの様でありながらも原節子の素晴らしさを訴えるシーンでもあった。
ここで木暮実千代が語る内容は原節子そのものだった。

島崎先生、沼田先生、六助、新子、ガンちゃん、笹井和子たちが颯爽と自転車を走らせる姿は、青春そのものだし、復活日本そのものだし、新しい時代の訪れを思わせるいいシーンで、時を経ても思わず笑みがこぼれる楽しいシーンだ。
青い山脈の主題歌がかぶさって僕は感動した。
すごく上手い役者が出ているシリアスな作品ではなくて、明朗快活、ユーモアを散りばめた明るい作品で、時代を想像しながら見るべき作品だ。
前編に比べるとラストに持っていくために少しはしょった感じを受けたのは惜しい点だ。
前編には「新子」と副題がついていたのに、後編には副題がない。
やはり焦点が少しボケていたのではないかと思う。
それでも杉葉子や若山セツ子の女学生姿や、若いころの木暮実千代や池部良を見ることが出来るのは映画史的にも価値があるし、何よりも美しい原節子が見れるのは嬉しい。
高峰秀子に大石先生があるなら、原節子には島崎先生があるだな…。

理事会が開かれその場で、生徒と島崎先生のどちらを支持するか無記名投票が行われるが、岡本先生(藤原釜足)が読み上げた用紙の置き場所が途中で入れ替わっていた。
カット割りをやっているうちに間違えたのだろうが、変なところに気がついたものだと可笑しくなる。