おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌

2019-01-20 11:32:22 | 映画
「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」 2013年 アメリカ


監督 ジョエル・コーエン / イーサン・コーエン
出演 オスカー・アイザック キャリー・マリガン
   ジョン・グッドマン  ギャレット・ヘドランド
   F・マーレイ・エイブラハム
   ジャスティン・ティンバーレイク
   スターク・サンズ   アダム・ドライヴァー

ストーリー
物語の舞台はまだマスコミやレコード会社などが発達していなかった1961年、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのミュージック・シーンは活気に満ちていた。
フォークシンガーのルーウィン・デイヴィスはここのライブハウスで歌い続けているがなかなか売れず、音楽で食べていくことを諦めようかとの思いが頭に浮かぶこともある。
ルーウィン・デイヴィスは、最近何をやっても裏目に出てばかり。
レコードはなかなか売れず、文無しで知り合いの家を泊まり歩く日々だし、つい手を出した女友達からは妊娠したことを告げられ、おまけに仕方なく預かるはめになった猫にも逃げられ振り回される始末。
山積みになったトラブルから逃げ出すようにルーウィンはギターと猫を抱えて人生を見つめ直す旅に出る。
ジャズ・ミュージシャン、ローランドとの悪夢のようなドライブ。
歌への信念を曲げれば成功するかもしれなかった有名プロデューサーのオーディション。
年老いた父との再会の末、とうとう歌をやめて父と同じ船員に戻ろうと決意するが、それさえもうまくいかない。
旅から戻りあらゆることに苦しめられ打ち拉がれたルーウィンはまたNYのライブハウスにいた。
歌い終えたルーウィンがふとステージに目をやると、そこにはやがてフォークの世界を大きく変えることになる無造作な身なりの若者、ボブ・ディランらしきシンガーの姿が。
同じような日々がまた回り始めたかのようにみえるルーウィンの人生。
しかしその外側で、彼の想いを受け継いだかのように、新しい時代がすぐそこまでやってきていた……。

寸評
僕はフォークソングブームの世代でもあるので、この様な作品はピタリとはまる。
主人公のルーウィンはシカゴで有名ライブハウスのオーナーから、「お前の歌は下手じゃないが、金の匂いがしない」といわれているのだが、主演のオスカー・アイザックが歌う歌声には共感した。
なかなかいいじゃないかと感じたのだが、プロが聞くとパンチがないんだろうな。
僕はピーター・ポール&マリーやブラザース・フォアのLPレコードを持っていた。
日本のガロが歌った「学生街の喫茶店」では「片隅で聞いていたボブ・ディラン・・・」という歌詞が出てくるが、なぜか僕はボブ・ディランは聞かなかった。
レコードは持っていなかったが、ジョーン・バエズは反戦歌の女王として君臨していて、彼女の歌声も盛んにラジオから流れていた。

描かれているのはそれよりも10年くらい前の時代である。
主人公ルーウィン・デイヴィスの一週間ほどの日々を淡々と描いているのだが、コーエン兄弟らしくシニカルだったり、時としてユーモラスなところがあったりする。
主人公が預かっている猫のエピソードが結構描かれていて笑いを誘う。
預かっていたオス猫に逃げられ、やっと見つけて飼い主に届けたら、同じようなトラ猫だがそれはメス猫だったという具合に可笑しい。
しかたなく引き取ったメス猫を放てばいいようなものの、ルーウィンは相変わらず連れ歩いている。
彼の人柄の一面を表していたと思うのだが、猫との最後の別れに僕はちょっとセンチになった。

そのようにルーウィンは人はいいので憎めない。
ところが性格が悪くてすぐにケンカするし、まったく人の意見を聞こうとしない。
文無し生活を続けている彼は姉からも疎まれている。
売れないミュージシャンがそうなのか、あるいはどこにでもいる人物の代表なのかもしれない。
どうしようもないように見えるルーウィンだが、仲間には恵まれている。
宿なしの彼は友人宅を転々としているし、妊娠させてしまった女友達も、彼をののしりながらも絶縁状態には出来ないでいる。
そんな友人関係はうらやましくもある。
ルーウィンに同情や感動を覚えないが、人間臭すぎるルーウィンに哀愁を感じてしまうのだ。

デイヴ・ヴァン・ロンクをモデルにしているらしいが、僕はデイヴ・ヴァン・ロンクを知らないけれど、ここで描かれたルーウィンの様な存在があのフォークソング・ブームを導いたのだろう。
どこの世界にも日の目を見ない先駆者はいるものだ。
ラストにボブ・ディランを連想させる若者が歌うシーンがあるが、ボブ・ディランは2016年にノーベル賞の文学賞を受賞してしまう(なぜ文学賞なのかは疑問に残る)。
ボブ・ディランとルーウィンを比較すると余りにも残酷な違いであり、見方によれば軽妙な喜劇映画とも感じられたのに最後になってそんな悲劇性を感じ取ってしまった。