おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

いのちぼうにふろう

2019-01-19 11:24:41 | 映画
「いのちぼうにふろう」 1971年 日本


監督 小林正樹
出演 仲代達矢 勝新太郎 中村翫右衛門
   酒井和歌子 栗原小巻 山本圭
   佐藤慶 近藤洋介

ストーリー
その千坪ばかりの荒れ地は「島」と呼ばれ、島と街を結ぶ唯一の道は深川吉永町にかかる橋だけである。
安楽亭は、その島にぽつんと建っていて、ここには一膳飯屋をしている幾造、おみつ父娘に定七、与兵衛、政次、文太、由之助、仙吉、源三が抜荷の仕事をしながら住んでいた。
安楽亭は悪の吹き留りであり、彼らは世間ではまともに生きることのできない無頼漢だ。
一つ屋根の下に寄り集りながら他人には無関心であり、愛情に飢えながらその情さえ信じない。
ある日、男たちに灘屋の小平から抜荷の仕事が持ち込まれた。
定七らが小舟で抜荷した品物は安楽亭に隠匿し灘屋が客に応じて運びだす。
前回の仕事で小平が手引した時、仲間が二人殺されているので、定七は小平に疑惑を抱いていた。
しかも、新任の八丁堀同心岡島と金子が安楽亭探索に血眼だ。
そんな時、定七と与兵衛は街で無銭飲食の果て袋叩きにあっていた質屋の奉公人富次郎を助けてきた。
富次郎は幼馴染みのおきわと夫婦になろうとしていた。
ところが、おきわの母親が急死すると、怠け者の父親は娘を十二両で売りとばしてしまった。
思いあまった富次郎は店の金を盗み、おきわを捜したが目的の果たさぬうち持ち金を使ってしまった。
数日後、与兵衛がおきわの無事を知らせてきたが、身代金として二十両いる。
富次郎は、命を捨てても自分の力でおきわを助け出そうとした。
安楽亭の荒らくれたちは自分たちにはなかった夢を若者に託し、灘屋小平からの危険な話を引受けた。
しかし、彼らの行動を知っていたかのように、十三夜の月が川面を照らす中を抜荷を積んで安楽亭を目指す二艘の小舟を、捕手の群れが待ち受けていた。

寸評
安楽亭は悪の巣窟の様な飲み屋で、まともな人間は寄り付かない。
抜け荷犯罪の拠点となっており、これだけ怪しければ強制捜査をやればいいのにと思うのだが、将軍家の御紋で覆われた品があることや、役人をワイロで懐柔していることなどもあってならず者たちがたむろしている。
彼等を束ねるのが幾造と言う親分で、演じた中村翫右衛門がさすがの貫録を見せる。
小賢しい親分ではない腹の座った親分らしい役柄をこなしている。
殺伐とした居酒屋の中で、掃き溜めに鶴といった存在が幾蔵の娘おみつだ。
おみつを演じるのは若者の人気を得てコマキストと称されるファン層を獲得した栗原小巻である。
おみつは荒くれ者の中にあって人間らしい思いやりを見せるヒロインなのだが、栗原小巻の演技はどこか白々しいものを感じさせ浮いたものとなってしまっていたと思う。
熊井啓の「忍ぶ川」ではその浮いたような演技を昇華させた栗原小巻だが、僕はこの作品以外で彼女が存在感を見せた作品を知らない。
芸能史に名を遺す女優だっただけに作品に恵まれなかったのは惜しい気がする。
映像的に夜のシーンが結構あるのだが、これがなかなかいい。
ライトを浴びて浮かび上がる河原の景色が絵になっている。
ライトが河原に生えたヨシに部分的に当たり、えも言われない情緒を醸し出す。
特に唸らせるのが闇夜に迫りくる御用提灯の集団である。
水路を使って抜けにを運ぶ定七たちの船を待ち伏せしていた役人の船が御用提灯を掲げて何艘も迫ってくる。
暗闇に浮かび上がる提灯の明かりと御用の文字。
美しいシルエットだ。
無頼の者たちを召し取るために川向うに押し寄せた捕り方たちの持つ御用提灯のシルエットも美しい。
照明の下村一夫、撮影の岡崎宏三の功績だと思う。

安楽亭には無法者たちが集っているが彼らがどうした境遇のものかは定七の過去以外には語られない。
無銭飲食でひどい目にあっていた富次郎を与兵衛が助けてくる。
一元客お断りの安楽亭で富次郎は介抱されるのだが、助けた与兵衛の心根は不明である。
富次郎が心を寄せるおきわが遊郭に売り飛ばされたのだが、与兵衛はどうしたわけかその娘を買い戻し、富次郎と一緒にさせてやろうと奔走する。
一体、何が与兵衛にそのような思いを起こさせたのだろう。
自分勝手なならず者たちだが、このことをきっかけに他人のために一肌脱ぐという慈善行為の快感に目覚め、意地もあって危険な抜け荷運搬の仕事に取り掛かる。
悪事を働く者たちが正義に目覚めて破滅に向かっていってしまうという逆説の構図である。
これに大映からの助っ人出演の勝新太郎が絡むのだが、これがいつも酔いつぶれて秘密がありそうな男である。
あれこれと想像させる男なのだが、なんだそういう事だったのねとなるが、富次郎とおきわ問題の解決にはもってこいの役回りである。
一度は逃げ延びた仲間たちが再び参集するのは任侠的でスカッとする。
この時点では彼等は正義の側に立っているのだが、悪は栄えたためしがないという結末は予想通り。