おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

うなぎ

2019-01-27 10:30:22 | 映画
「うなぎ」 1997年 日本


監督 今村昌平
出演 役所広司 清水美砂 柄本明 田口トモロヲ
   常田富士男 倍賞美津子 市原悦子 佐藤允
   哀川翔 小沢昭一 寺田千穂 上田耕一
   光石研 小西博之

ストーリー
1988年夏、サラリーマンの山下拓郎(役所広司)は妻の浮気を告発する差出人不明の手紙を受け取った。
不倫の現場を目の当たりにした彼は、激しい怒りに駆られて妻(寺田千穂)を刺殺してしまう。
それから8年、刑務所を仮出所した山下は、千葉県佐倉市の住職・中島(常田富士男)の世話で、利根川の河辺に小さな理髪店を開業した。
人間不信に陥っていた彼は、仮釈放中にトラブルを起こしてはならないこともあって近所づきあいもせず、飼っているうなぎを唯一の話し相手に、静かな自戒の日々を送っている。
ある日、うなぎの餌を採りに行った河原で、山下は多量の睡眠薬を飲んで倒れている女性を発見した。
服部桂子(清水美砂)というその女性は、山下によって命を救われるが、山下は「東京に帰りたくない」と言う彼女を店で使うよう、中島の妻・美佐子(倍賞美津子)に押し切られてしまう。
金融会社の共同経営者で愛人でもある堂島(田口トモロヲ)との関係や、精神病の母・フミエ(市原悦子)との血のつながりから逃がれたいと思って自殺を図った桂子と関わりを持つことは、彼にとって迷惑でしかなかった。
しかし、明るい彼女のお陰で店は繁盛するようになり、また山下の気持ちも次第に解きほぐされていく。
ある日、堂島の子を身ごもっていることが判明した桂子が、山下の前から姿を消した。
過去を清算するために上京した彼女は、母を秋田の病院に帰し、堂島の会社から預金通帳を取り戻すと再び山下の元へ戻ってくる。
しかし、堂島はそれを許さなかった。
山下の店へ先回りした彼は、帰ってきた桂子から金を奪い返し、彼女を連れ戻そうとするのだが・・・。

寸評
山下は妻の浮気が許せず殺害するのだが、それは浮気を告発する手紙を受け取ったからである。
この差出人は誰だかわからないが、当初は浮気相手の男の妻なのかもしれないなという感じである。
しかし後半になってくると、刑務所仲間で同じように仮出所している高崎(柄本明)が言うように、嫉妬からくる山下の妄想でそんな手紙などなかったのかもしれないという雰囲気が出てくる。
結構重要なファクターであるように思うのだが、その結末は明らかにはされていない。
隣家の船大工(佐藤允)はまともな人間だが、チンピラ風な哀川翔や、UFOを呼ぶことを夢見ている小林健など何をして生計を立てているのか分からない連中が、山下の周りを取り巻いていく。
その意味では随分と大雑把な脚本だと思う。
重そうな内容を持ちながらも滑稽なシーンを挟んで軽妙化している。
山下は保護司の住職と並んで歩けないや、風呂に入るときに両手をあげて入るポーズなど刑務所暮らしの癖が出てしまうシーンや、住職の妻の美佐子が山下を説得に来たシーンでは、土足厳禁と言われ着物の裾をまくりあげたら運動靴を履いていたなどである。

ウナギの生態が時々語られる。
2000キロも南下していき、塩の濃度が代わったあたりでメスのウナギは卵を放出し、オスがそれに精子を振りかけるとのことである。
したがって生まれたウナギはどのオスの子か分からない。
それでも親が育った日本を目指して帰ってくるという。
その話は桂子が身ごもった堂島の子供を自分の子として育てる決心をした山下とリンクするのだが、そもそもウナギは山下の化身でもある。
水槽で飼われたうなぎは当然話すことはしないし、世間から隔離された存在である。
うなぎは最後に川に戻されるが、それは山下が過去の呪縛から逃れ自由を得た象徴でもあった。
山下は仮釈放中の身であるので問題に巻き込まれたくない。
そのために人との交わりを避けているのだが、彼の意思を無視して人々は彼の周りに集まってくる。
その交流がほのぼのとしていて心地よい。

それとは逆に堂島と桂子の以前の関係は母親も含めてすっきりしたものではない。
単にセックスで結びついていたのか、なぜ別れる決心をしたのかも明確ではない。
堂島が母親の金目当てと悟った為なのかもしれないが、少なくとも彼女は堂島の会社の副社長なのである。
行動動機とかが明らかでないのに、なぜか雰囲気で人間社会の一面へ自然と引き入れられていく。
今村昌平は以前はもっとドロドロとした人間関係を描いていたと思うが、ここでは随分とあけっぴろげだ。
山下は再び刑務所に収監され、その山下を待つという桂子はどうしようもない男である堂島の子を宿している。
果たして、山下と桂子に幸せは訪れたのであろうか。
そう考えると同コンビで撮った遺作の「赤い橋の下のぬるい水」はこの作品の後日談のような気がする。
不幸な子を宿した桂子にカンヌは同情したのだろうか。
そうでなければ、僕はこの作品がカンヌでパルム・ドールを取った理由が分からない。