きょうのテーマは北朝鮮の核武装問題である。我々日本国民に恐怖の匕首(あいくち)を突きつける核ミサイルの、その開発を北朝鮮は頑として放棄しようとしない。北朝鮮が日本に向けてミサイルをばんばん発射し、日本国民の安寧を脅かしたのは3年ほど前のことだが、最近はだいぶおとなしくなった。とはいえこの独裁国家が核ミサイルの開発を依然として継続している現状では、決して気は抜けない。この問題に対して、老子の「無為のままに対処する」姿勢で臨むと、一体どういうことになるのか。
この問題に関して、私は本ブログで次のように書いたことがある。それから4年以上が経過した今現在でも、私は修正の必要を感じない。とりあえずそれを読んでいただこう(2016.1.9《聖人は何もしない?》)
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北朝鮮の核実験に対してであるが、これに対して「何もしない」とすれば、つまり老子が言うように「無為のままに対処する」とすれば、一体どういうことになるのか。
結論からいえば、北朝鮮は核の開発をやめるだろう。やめることになるだろう、と私は考える。
どういうことか。
そもそも北朝鮮の核武装は、周辺諸国を武力で威嚇し、強大なアメリカの武力攻撃を牽制するための対抗手段にほかならない。ところが周辺諸国も、アメリカもどこ吹く風で、これに対して軍事的な対処の構えも見せず、経済制裁をすることもしないとしよう。
そうなれば、核武装の意味そのものがなくなるから、北朝鮮の賢明な首脳は、こう思い始めるに違いない。
「多額の財政出動をして、国民の暮らしを圧迫し犠牲にしてまで核開発をする意味はあるのだろうか?これでは本末転倒ではないのか?」と。
生活が苦しいまま長年窮乏を強いられれば、北朝鮮の国民だって黙ってはいないはずだ。そうなれば、この体制は持ちこたえることができない。国民の怒りの前では、独裁体制ほど脆いものはないからである。
だから「どこ吹く風」の対処、「無為のままに対処する」ことが、一番効果的な対処法なのである。
老子はそう言おうとしているのではないだろうか。
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実際、ミサイルをばんばん発射していた頃の北朝鮮の威勢の良さは今は何処へやら。日米韓同盟が軍事的圧力を加えたわけでもないのに、その勢いはすっかり鳴りをひそめた。これは、老子の言う「無為のままに対処する」姿勢が功を奏し始めたことを示すものではないだろうか。
ふむふむ。北朝鮮の核武装問題に対しても、老子の「無為」の思想は有効だということは、よく解った。でも、このところの焦眉の問題、新型コロナ問題に対しては、そうは問屋が卸さないのではないか。ーーこう言いたくなる人も少なくないことだろう。次回はこの問題について考えてみたい。
(つづく)
この問題に関して、私は本ブログで次のように書いたことがある。それから4年以上が経過した今現在でも、私は修正の必要を感じない。とりあえずそれを読んでいただこう(2016.1.9《聖人は何もしない?》)
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北朝鮮の核実験に対してであるが、これに対して「何もしない」とすれば、つまり老子が言うように「無為のままに対処する」とすれば、一体どういうことになるのか。
結論からいえば、北朝鮮は核の開発をやめるだろう。やめることになるだろう、と私は考える。
どういうことか。
そもそも北朝鮮の核武装は、周辺諸国を武力で威嚇し、強大なアメリカの武力攻撃を牽制するための対抗手段にほかならない。ところが周辺諸国も、アメリカもどこ吹く風で、これに対して軍事的な対処の構えも見せず、経済制裁をすることもしないとしよう。
そうなれば、核武装の意味そのものがなくなるから、北朝鮮の賢明な首脳は、こう思い始めるに違いない。
「多額の財政出動をして、国民の暮らしを圧迫し犠牲にしてまで核開発をする意味はあるのだろうか?これでは本末転倒ではないのか?」と。
生活が苦しいまま長年窮乏を強いられれば、北朝鮮の国民だって黙ってはいないはずだ。そうなれば、この体制は持ちこたえることができない。国民の怒りの前では、独裁体制ほど脆いものはないからである。
だから「どこ吹く風」の対処、「無為のままに対処する」ことが、一番効果的な対処法なのである。
老子はそう言おうとしているのではないだろうか。
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実際、ミサイルをばんばん発射していた頃の北朝鮮の威勢の良さは今は何処へやら。日米韓同盟が軍事的圧力を加えたわけでもないのに、その勢いはすっかり鳴りをひそめた。これは、老子の言う「無為のままに対処する」姿勢が功を奏し始めたことを示すものではないだろうか。
ふむふむ。北朝鮮の核武装問題に対しても、老子の「無為」の思想は有効だということは、よく解った。でも、このところの焦眉の問題、新型コロナ問題に対しては、そうは問屋が卸さないのではないか。ーーこう言いたくなる人も少なくないことだろう。次回はこの問題について考えてみたい。
(つづく)