ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

やっと

2022-04-30 11:21:49 | 日記


朝、久しぶりに窓のカーテンを開け放った。
初夏の強い日差しが飛び込んできて、眩しいほどだった。
庭の草木がずいぶん緑を濃くしていた。
その緑がゆらゆらとそよ風にそよいでいる。
新緑が色を濃くするこの時期が私は好きで、
この季節になると昔は
よく渓流釣りにでかけたものだが、
歳をとった今は、庭の緑を目で見て
「愛でる」だけである。

久しぶりに、というのは、
このところずっと我が家に外壁塗装の職人が入っていたからである。
我が家は足場に覆われて昼でも薄暗く、
しかも(気が散るのが嫌で)カーテンを閉め気味にしていたから、
1ヶ月ほどは戸外を見る機会が奪われていた。
途中、雨が降ったりして工事が延び延びになり、
気が揉めたが、
きのうで足場が撤去され、
連休前に無事、工事は完了した。

「サンデー毎日」のリタイア・ジジイの生活では、
今さら休日がどうこうなど関係ないが、
一応、世間的には早くもゴールデンウィーク。
今年はあと3日もすれば娘たち一家が我が家にやってくる。
孫に会うのは正月以来のことで、久しぶりだ。
子供の成長は早いから、二人ともきっとずいぶん大きくなっていることだろう。

その孫は、どちらも車酔いをするので、
娘たちは今回は車は使わず、電車で来るとか。
途中、駅の雑踏などでコロナに捕まらねば良いが、と、
案じたりしている。
しかし、妖怪コロナを心配することにも、もう倦み疲れた。

自分のことでいえば、
ここ3ヶ月ほど利用を控えているリハビリ・デイサも、
そろそろ利用再開の次期なのかなぁ、と思い惑っている。

それにしても、気持ちのよい朝だ。


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ウクライナ アメリカの狙いとゼレンスキー

2022-04-29 10:35:14 | 日記


ああ、そういうことだったのか、と、納得すると同時に、妙に腹が立ってきた。次のニュースを聞いたときである。

「オースティン米国防長官は25日、ロシアがウクライナに敗北することで近隣諸国への侵攻を繰り返さないよう『弱体化』することを望むと強調した。26日にドイツで同盟国などと協議、ウクライナの防衛力増強に向けて連携する方針を示した。ブリンケン国務長官と共にウクライナの首都キーウ(キエフ)を訪問後、ポーランドで記者団に語った。」
(共同4月26日配信)

アメリカはなぜウクライナの戦火に油を注ぐようなことばかりして、火消しにまわろうとしないのか。軍事支援を強化するばかりで、停戦交渉の舞台を設ける労をとろうとしないのは、なぜなのか。ーーそれは、アメリカがこの機会をとらえて、ロシアを徹底的に「弱体化」しようと狙っているからなのだ。

ロシアに敢然と立ち向かうウクライナは、さながらロシアに切り込む尖兵の役割を担わされているといってよい。ゼレンスキー大統領は、自分が切り込み隊長としてアメリカに踊らされていることを、知っているのだろうか。

聡明なゼレンスキー大統領のことである。そんなことは疾うに承知の上なのだろう。NATOに加盟するには、その位の手柄が必要だと彼は考えているのかも知れない。

だが、そうした「手柄」をたてるためには、ウクライナの兵士や市民が多数犠牲になり、尊い生命(いのち)を落とさねばならない。このことに、この男の胸は痛まないのだろうか。
キーウの高層ビルがいくつも砲弾によって破壊され、ブチャやボロディアンカで多数の市民が虐殺されていることに、この男の胸は痛まないのだろうか。
悲劇とも惨劇ともいえるそうした多大の犠牲が(ロシアの弱体化という)アメリカの狙いによって日々生み出されていることに対して、その片棒をかつぐこの男は何も感じないのだろうか。

大統領の第一の任務は、国民の生命・財産を守ることにある。このことを、この男ゼレンスキーは知らないのだろうか。

生存権・所有権が統治者によって何よりも尊重されるべき人権の要だということを、この男は知らないのだろうか。

むろんアメリカのバイデン大統領にしても同罪である。ウクライナの悲劇・惨劇を前にしながら、見て見ぬ振りを決め込むこの冷酷な老人の姿に、私は腹が立って仕方がない。


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グテーレスのロシア訪問

2022-04-28 11:29:19 | 日記



国連のグテーレス事務総長がモスクワを訪れ、プーチン大統領と会談を行った。グテーレス事務総長の狙いはただ一つ、ロシアがウクライナ侵攻を中止するよう、プーチン大統領を説得することである。

だが、この狙いは叶わなかった。プーチン大統領はのっけから「我が国は国連憲章にのっとって軍事作戦を始めた」と述べ、ウクライナ侵攻の正当性を主張して譲らなかった。「ロシアのウクライナ侵攻は、国連憲章にのっとったものだ」とするプーチンの主張が正しいとすれば、国連トップのグテーレスはぐうの音も出ないことになる。

プーチン大統領は、自らの主張の根拠として国連憲章の第51条をあげたという。プーチンの言い分が正しいかどうかをみるためには、この国連憲章51条がどういうものかを押さえておく必要がある。以下は第51条全文のコピペである。

「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」
(国連広報せンターHPより)

この条文に目を通すとき、思い起こされるのは、親ロシア派が実質的に支配するドネツク州などウクライナ内の地域を、プーチンがいち早く「国家」として承認するための手続きをとったことである。

どういうことか。国連憲章第51条によれば、国家は「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を有する。ところが(国家となった)この地域は、今、ウクライナ政府軍によって自衛の権利を脅かされ、我が国の政府に助けを求めている。そこで我々は、集団的自衛権を行使し、ウクライナ政府軍の排除にかかったのだ、というわけである。

なるほどねえ。このプーチン側の論理は、では、全く反論の余地のないものなのだろうか。国連憲章第51条の条文をよく読むと、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には」云々とある。つまり国連が「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を認めるのは、それが「国際連合加盟国」である限りでのことなのである。
プーチンのロシアが「国家」として承認した親ロシア派支配地域は、まだ国連に加盟していないし、今後も加盟できる見込みはない。

このように見てくれば、ウクライナ侵攻の正当性を主張するプーチンの論理は、かなり根拠の危ういものと言わざるを得ない。グテーレス事務総長がその点を突いたかどうかはわからない。おそらく会談は、そういう論争には発展しなかったのだろう。

しかし、会談の成果が全くなかったわけではない。きょうの朝日新聞は、次のように伝えている。

「国連によると、プーチン大統領は、ロシア軍が包囲するウクライナの製鉄所から市民が避難する際、国連や赤十字国際委員会( ICRC )を関与させることに『原則として同意した』という。」
(朝日新聞DIGITAL 4月28日配信)

「原則として同意した」とはいっても、老獪なプーチンのことである。これまでがそうだったように、ロシア軍が避難する市民の列に砲弾を打ち込む可能性もないわけではない。だが、このような粘り強い交渉の努力は、国連任せにせず、アメリカやイギリスも試みて然るべきではないだろうか。


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ウクライナ 感謝されない日本だけど

2022-04-27 12:06:09 | 日記



ウクライナ外務省が支援国に対する感謝の動画を作り、公式ツイッターに投稿した。動画では、米英など30カ国の名称が字幕で流され、ウクライナ軍の関係者が、「我が国に対する揺るぎない支援に感謝する」と謝意を表明している。それはいい。支援に謝意を表するのは、麗しいことだ。・・・だが、そのテロップに日本の名前はなかった。このことが日本の関係者にショックを与え、各方面に物議を醸している。

このことについて感想を求められた松野官房長官は、「軍事支援の文脈で謝意が示されたものと推察している」と語ったらしいが、釈然としない思いは残っただろう。

たしかに、日本はウクライナに武器を供与してはいない。日本は、防弾チョッキや化学兵器対応用の防護マスクなどの防衛装備品を提供したものの、(ウクライナが求めるような)殺傷能力を持つ武器は提供していない。それは、「防衛装備移転三原則」との絡みで、どうしようもないことだった。この三原則の運用指針を変更しても、それが日本にできるぎりぎりのことだったのである。

日本は30年ほど前にも、これと同じ憂き目をみている。
1991年の「湾岸戦争」のときのことだった。日本は総額130億ドル(約1兆5500億円)もの巨額の資金を多国籍軍に提供した。その結果は、どうだったか。イラクの侵攻から解放されたクウェート政府は、米国の主要な新聞に感謝広告を掲載した。だがこのときも「クウェート解放のために努力してくれた国々」の中に日本の名前はなかったのである。

このとき日本が得た教訓は、「金を出すだけでは、世界は認めてくれない」ということだった。この教訓を受けて、日本政府は翌1992年に「国連平和維持活動協力法(PKO協力法)を成立させ、カンボジアの再建に向けた国連PKOに自衛隊を派遣した。

さらに(2001.9.11の同時多発テロを受け、アメリカが始めた)アフガン戦争に際して、自衛隊は「テロ対策特措法」に基づき、米軍の後方支援に当たった。

さて、今回のウクライナの「感謝動画」の一件から、日本はどういう教訓を引き出すのか。国際貢献活動のあり方を今後、どういうふうに変えていくのか。「日本はこの際、法律を改正して、他国に武器の供与が出来るようにすべきだ」などという暴論が政界にまかり通らないことを、私は祈っている。

国際貢献の方途は軍事支援だけではない。ウクライナの例で言えば、この国に武器を提供して戦火に油を注ぐよりも、この国の戦後復興のために汗をかくほうが、ずっと有意義なことだと私は思っている。そのためにも、この戦争は一日も早く終わらせねばならないのだが・・・。


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ウクライナ 米国外交のがっかり

2022-04-26 12:03:20 | 日記



ウクライナまで出向いた米の高官二人は、ゼレンスキー大統領との会談の席で、何を話したのか。次のニュースを見て、私はがっかりした。

「アメリカのブリンケン国務長官とオースティン国防長官が、ウクライナの首都キーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談しました。
ロシアによる軍事侵攻後、アメリカの主要閣僚がウクライナの首都を訪問したのは初めてで、両長官は、ロシア軍が攻勢を強める中、ウクライナへの軍事支援をさらに強化していく考えを示しました。」
(NHK NEWS WEB 4月25日配信)

つまり、米の高官二人がわざわざウクライナまで出向いて行ったのは、「火消し」の努力ではなく、逆に「火に油を注ぐ」作業だったというのである。

このところのアメリカの外交姿勢を見ていると、この国は完全に「自己中」の病に罹ってしまったように思えて仕方がない。実際、今回の米高官二人の振る舞いがそれを端的に示している。

どういうことか。米高官がウクライナへの軍事支援を表明したのは、それによって「アメリカは冷たい。ウクライナを見殺しにしようとしている」という非難をかわそうと目論んだからだろう。高官二人を初めてウクライナに派遣したことといい、この国は国際社会で「善い国」に見てもらおうと、そればかりに心を配っているように思える。

実際には、軍事支援を増強すれば、戦いはさらに激化し、一層多くの市民や兵士が犠牲になるのは確実なのに、米高官の二人はそんなことは全く気に掛けなかった。彼らにとっては、アメリカの国民が犠牲にならなければ、それで万事オーケーなのである。

ウクライナから遠く離れた日本の、その国民である我々は、ウクライナの市民が数多く犠牲になっている悲惨な現実に心を痛め、この大火が早く鎮まらないかと胸を焦がしている。

私もそんな日本人の一人だが、その私の目から見るとき、弁舌をふるう最近のゼレンスキー大統領の姿が、ますます軍人の姿に近づいているように見え、あの東条英機と二重写しになってくる。軍人あがりの首相として国民の戦意をあおり、日本を破滅へと導いた、あのボンクラの東条英機である。

「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である」と述べたのは、『戦争論』の著者・クラウゼヴィッツである。この定義に従えば、軍人としてのゼレンスキーも依然、政治家として職務に励んでいるといえるが、私としてはゼレンスキーにこう言いたいのだ。

ゼレンスキーよ、あなたは軍人として檄を飛ばす前に、一国の政治的指導者として、少しでも外交的な解決を試みたのか、と。ウクライナ戦争の原因となったいくつかの懸案を、外交的な交渉によって解決しようと、あなたは少しでも試みたのだろうか。

私が米国高官二人に会談の席で言って欲しかったのは、軍人・ゼレンスキーを諌めるそういう「火消し」の言葉だった。武器の供与をねだる軍人・ゼレンスキーの要求に応じ、戦火の拡大を意に介しない武器商人の言葉ではなく、ウクライナの人々の生命(いのち)を尊重して、政治家・ゼレンスキーを停戦交渉へと向かわせる、大局に立った冷静な政治家の言葉だった。なんだかなあ・・・。


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