きのうの本ブログで、私は次のように書いた。
「『日本学術会議』に対してとった今回のスガ首相のやり方は、いかにも稚拙で乱暴きわまりないものだった。『オレはあんたらを切る。理由は、言わなくても解るよな』。
これではいくら何でも世間が納得しない。こんなことはオブラートに包んで、目立たないようにコッソリやるべきことなのだ。
臆面もなく恥ずべき振る舞いを堂々と行ったスガ首相のやり方は、傲岸不遜の謗りを免れない。」
こう書きながら、私は、慎重居士のはずのスガ首相がどうしてこんな失態をおかしたのか、それが不思議でならなかった。こんな暴挙に出れば、それが野党に政権攻撃の格好の材料を与えかねないことは、長らく政権の番頭格だったこの人にはよく判っていたはずだ。それなのになぜ・・・。
けさのネット散策の折、私のこの素朴な疑問に答えてくれる面白い記事を見つけた。それは、この人が「権力快感おじさん」だからだ、というものである。この絶妙な「権力快感おじさん」の命名はお笑い芸人「プチ鹿島」氏によるものであり、そのあたりの事情を言論サイト「リテラ」が以下のように紹介している。
「プチ鹿島は、(スガ首相の著書である)『政治家の覚悟』の版元である文藝春秋の「文春オンライン」に掲載された書評で、〈実はヤバい部分はたくさん掲載されていた〉と同書を紹介。〈総務相時代に同省のNHK担当課長を更迭したことを誇らしげに書いている〉ことや、この担当課長を更迭したときのことを菅首相自身が〈《「いいから、代えるんだ」と押し切りました。》と自慢げに書いている〉ことなど、気に食わない官僚や意見を排除していくさまを〈「強い口調」のオンパレード〉で自ら開陳していると指摘。その上で、毎日新聞に掲載された、菅首相の官房長官時代の番記者だった秋山信一記者の記事を引用している。
その記事とは、こういうものだった。
〈19年11月に安倍晋三首相(当時)の通算在任日数が歴代最長になった時だった。議員宿舎に帰宅した菅氏は「長く続けることがおめでたいわけではない」と言った上で、「権力」について「重みと思うか、快感と思えるか」とボソッと語った。重圧に潰されないようにするためには、思うように政策を進める快感を力に変えられるかどうかだということだ。〉(毎日新聞10月2日付「記者の目」)
そして、プチ鹿島は〈権力を行使するのは重みではなく「快感」。ギョッとする。権力者はその力を抑制的に使うはずだが、快感らしいのだ〉とその「ヤバさ」をあきらかにし、最後には菅首相を〈権力快感おじさん〉と命名したのだ。」
(リテラ11月4日配信《プチ鹿島命名 菅首相は本当に「権力快感おじさん」だった! 自ら口にしていた「権力=快感」発言と恐怖支配の実例総まくり》)
権力をふるう快感は、人事権を行使するときにピークに達するらしい。「日本学術会議」に対して人事権の鉈(なた)をふるう快感に、スガ首相の理性は勝てなかったのだろう。
それにしてもこの「プチ鹿島」という人、なかなか機知に富んだ鋭い人だ。時々テレビで、新聞記事をネタにしながら時事問題についてしゃべっている姿を見たことがあるが、この人が「お笑い」を本業とする芸人だとは知らなかった。「ピース」の又吉直樹に象徴されるように、今のお笑い業界は多芸多才の人士にあふれている。これと比べて、学術の業界は、そして政治の業界はどうなのか。「プチ鹿島」に倣っていえば、スガ首相はさしずめ「プチ・トランプ」と言うべきか。それとも、「プチ・プーチン」と言うべきだろうか。
「『日本学術会議』に対してとった今回のスガ首相のやり方は、いかにも稚拙で乱暴きわまりないものだった。『オレはあんたらを切る。理由は、言わなくても解るよな』。
これではいくら何でも世間が納得しない。こんなことはオブラートに包んで、目立たないようにコッソリやるべきことなのだ。
臆面もなく恥ずべき振る舞いを堂々と行ったスガ首相のやり方は、傲岸不遜の謗りを免れない。」
こう書きながら、私は、慎重居士のはずのスガ首相がどうしてこんな失態をおかしたのか、それが不思議でならなかった。こんな暴挙に出れば、それが野党に政権攻撃の格好の材料を与えかねないことは、長らく政権の番頭格だったこの人にはよく判っていたはずだ。それなのになぜ・・・。
けさのネット散策の折、私のこの素朴な疑問に答えてくれる面白い記事を見つけた。それは、この人が「権力快感おじさん」だからだ、というものである。この絶妙な「権力快感おじさん」の命名はお笑い芸人「プチ鹿島」氏によるものであり、そのあたりの事情を言論サイト「リテラ」が以下のように紹介している。
「プチ鹿島は、(スガ首相の著書である)『政治家の覚悟』の版元である文藝春秋の「文春オンライン」に掲載された書評で、〈実はヤバい部分はたくさん掲載されていた〉と同書を紹介。〈総務相時代に同省のNHK担当課長を更迭したことを誇らしげに書いている〉ことや、この担当課長を更迭したときのことを菅首相自身が〈《「いいから、代えるんだ」と押し切りました。》と自慢げに書いている〉ことなど、気に食わない官僚や意見を排除していくさまを〈「強い口調」のオンパレード〉で自ら開陳していると指摘。その上で、毎日新聞に掲載された、菅首相の官房長官時代の番記者だった秋山信一記者の記事を引用している。
その記事とは、こういうものだった。
〈19年11月に安倍晋三首相(当時)の通算在任日数が歴代最長になった時だった。議員宿舎に帰宅した菅氏は「長く続けることがおめでたいわけではない」と言った上で、「権力」について「重みと思うか、快感と思えるか」とボソッと語った。重圧に潰されないようにするためには、思うように政策を進める快感を力に変えられるかどうかだということだ。〉(毎日新聞10月2日付「記者の目」)
そして、プチ鹿島は〈権力を行使するのは重みではなく「快感」。ギョッとする。権力者はその力を抑制的に使うはずだが、快感らしいのだ〉とその「ヤバさ」をあきらかにし、最後には菅首相を〈権力快感おじさん〉と命名したのだ。」
(リテラ11月4日配信《プチ鹿島命名 菅首相は本当に「権力快感おじさん」だった! 自ら口にしていた「権力=快感」発言と恐怖支配の実例総まくり》)
権力をふるう快感は、人事権を行使するときにピークに達するらしい。「日本学術会議」に対して人事権の鉈(なた)をふるう快感に、スガ首相の理性は勝てなかったのだろう。
それにしてもこの「プチ鹿島」という人、なかなか機知に富んだ鋭い人だ。時々テレビで、新聞記事をネタにしながら時事問題についてしゃべっている姿を見たことがあるが、この人が「お笑い」を本業とする芸人だとは知らなかった。「ピース」の又吉直樹に象徴されるように、今のお笑い業界は多芸多才の人士にあふれている。これと比べて、学術の業界は、そして政治の業界はどうなのか。「プチ鹿島」に倣っていえば、スガ首相はさしずめ「プチ・トランプ」と言うべきか。それとも、「プチ・プーチン」と言うべきだろうか。