日韓関係の改善を登山にたとえるなら、交渉のプロセスはいよい
よ最後の胸突き八丁の段階に差しかかったことになる。
日韓両国は昨年末、いくつかの条件を出して「手打ち」を行っ
た。そのときの合意に基づいて、きのう韓国政府は、元慰安婦を
支援する「和解・癒やし財団」を発足させたのである。財団は、
日本政府から10億円の拠出を受け、元慰安婦らに癒し金を支給す
るとともに、彼女らの心の傷を癒すこと、そして名誉と尊厳を回
復することをめざすとしている。
この財団の成功が、日韓関係の改善に向けた最終的な段階の取り
組みを意味するにもかかわらず、それが「胸突き八丁」であるの
は、そこに、乗り越えなければならない、高い大きなハードルが
待ち構えているからである。
登頂をはばむ壁として懸念されるのは、元慰安婦の支援団体や左
派野党が、合意への反対姿勢を崩していないことである。昨年末
の合意で日本政府は、慰安婦問題は日本軍の関与の下で起きた問
題であるとして、その責任を認め、安倍首相が謝罪と反省の意を
表明した。ところが韓国の(一部の)元慰安婦や支援団体は、日
本の法的責任や国家賠償を日本政府は明確に記していないと反発
して、合意の白紙撤回を求めている。
27日には、ソウルの日本大使館前で1000人規模の反対集会が開か
れ、財団発足の記者会見場では、反対を叫ぶ学生が乱入する騒ぎ
も起きた。
この壁は、どうしたら乗り越えられるのか。財団設立に反対の姿
勢を示す支援団体や左派勢力と、元慰安婦の人たちとを、ひとま
ず切り離して考える必要がある。「和解・癒やし財団」の目的は、
元慰安婦の人たちとの和解を成し遂げ、彼女たちを癒すことにあ
る。ならば、まずは彼女たちとの和解を実現することが急務であ
るが、この和解はどうしたら可能なのか。
はっきりさせなければならないのは、彼女たちが日本軍による強
制連行の「被害者である」という判断が、どこまで事実に即した
ものであるかである。というのも、管見によれば、日本軍が朝鮮
半島で少女たちを強制連行したという見方は、いわば捏造であっ
て、事実に基づくものではないからである。この見方は、吉田清
治が著書『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977年)で行った「告白」
に基づいている。しかしこの吉田証言が根拠のないフィクション
であることは、その後の歴史的調査によって明らかにされている
(この問題に興味のある方は、Wikipediaの「朝日新聞の慰安
婦報道問題」の項を見ていただきたい)。
にもかかわらず、彼女たちが「自分は日本軍による強制連行の被
害者だ」という自己認識を持つのは、彼女たち自身が記憶の捏造
を行っているからである。我々のだれもがそうであるように、人
は得てして自分の記憶を捏造する。捏造することで、自分の記憶
を受け入れやすいものに変造し、そうすることで、自分の存在そ
のものを受け入れる。
「私は先祖の呪いのせいでこんなに不幸になったのだ」と思える
人が、そう思えない人に比べて不幸であるかどうかは、一概には
言えない。「私が不幸になったのは、不実なあの男のせいだ」と
思える人が、そう思えない人に比べて不幸であるかどうかは、一
概には言えない。
「自分は日本軍の被害者だ」という自己認識を持つ彼女たちは、
自分自身が創りあげたこの自己認識によって、日本に対する憎悪
を増幅させる。日韓が和解すればやり場を失うこの憎悪を、--
この怒りを、どこに向けさせれば良いのか。何よりも怒りそのも
のを宥め、和らげることが大切だろう。そのためには、身寄りの
ない、不幸な境遇の老女たちに癒しの場を作り、提供することが
必要である。「元慰安婦」というレッテルにこだわることはない。
身寄りのない老人たちがそうであるように、彼女たちが求めてい
るのは、自分たちが少しでも心穏やかな余生を過ごせるような、
福祉の体制が充分に整った、暖かいコミュニティの場であるのか
も知れない。心穏やかに余生を過ごしてもらうには、彼女たちを
政局に巻き込み利用しようとする策動家たちの喧騒から、年老い
た彼女たちを遠ざける仕組みも考えなければならない。
よ最後の胸突き八丁の段階に差しかかったことになる。
日韓両国は昨年末、いくつかの条件を出して「手打ち」を行っ
た。そのときの合意に基づいて、きのう韓国政府は、元慰安婦を
支援する「和解・癒やし財団」を発足させたのである。財団は、
日本政府から10億円の拠出を受け、元慰安婦らに癒し金を支給す
るとともに、彼女らの心の傷を癒すこと、そして名誉と尊厳を回
復することをめざすとしている。
この財団の成功が、日韓関係の改善に向けた最終的な段階の取り
組みを意味するにもかかわらず、それが「胸突き八丁」であるの
は、そこに、乗り越えなければならない、高い大きなハードルが
待ち構えているからである。
登頂をはばむ壁として懸念されるのは、元慰安婦の支援団体や左
派野党が、合意への反対姿勢を崩していないことである。昨年末
の合意で日本政府は、慰安婦問題は日本軍の関与の下で起きた問
題であるとして、その責任を認め、安倍首相が謝罪と反省の意を
表明した。ところが韓国の(一部の)元慰安婦や支援団体は、日
本の法的責任や国家賠償を日本政府は明確に記していないと反発
して、合意の白紙撤回を求めている。
27日には、ソウルの日本大使館前で1000人規模の反対集会が開か
れ、財団発足の記者会見場では、反対を叫ぶ学生が乱入する騒ぎ
も起きた。
この壁は、どうしたら乗り越えられるのか。財団設立に反対の姿
勢を示す支援団体や左派勢力と、元慰安婦の人たちとを、ひとま
ず切り離して考える必要がある。「和解・癒やし財団」の目的は、
元慰安婦の人たちとの和解を成し遂げ、彼女たちを癒すことにあ
る。ならば、まずは彼女たちとの和解を実現することが急務であ
るが、この和解はどうしたら可能なのか。
はっきりさせなければならないのは、彼女たちが日本軍による強
制連行の「被害者である」という判断が、どこまで事実に即した
ものであるかである。というのも、管見によれば、日本軍が朝鮮
半島で少女たちを強制連行したという見方は、いわば捏造であっ
て、事実に基づくものではないからである。この見方は、吉田清
治が著書『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977年)で行った「告白」
に基づいている。しかしこの吉田証言が根拠のないフィクション
であることは、その後の歴史的調査によって明らかにされている
(この問題に興味のある方は、Wikipediaの「朝日新聞の慰安
婦報道問題」の項を見ていただきたい)。
にもかかわらず、彼女たちが「自分は日本軍による強制連行の被
害者だ」という自己認識を持つのは、彼女たち自身が記憶の捏造
を行っているからである。我々のだれもがそうであるように、人
は得てして自分の記憶を捏造する。捏造することで、自分の記憶
を受け入れやすいものに変造し、そうすることで、自分の存在そ
のものを受け入れる。
「私は先祖の呪いのせいでこんなに不幸になったのだ」と思える
人が、そう思えない人に比べて不幸であるかどうかは、一概には
言えない。「私が不幸になったのは、不実なあの男のせいだ」と
思える人が、そう思えない人に比べて不幸であるかどうかは、一
概には言えない。
「自分は日本軍の被害者だ」という自己認識を持つ彼女たちは、
自分自身が創りあげたこの自己認識によって、日本に対する憎悪
を増幅させる。日韓が和解すればやり場を失うこの憎悪を、--
この怒りを、どこに向けさせれば良いのか。何よりも怒りそのも
のを宥め、和らげることが大切だろう。そのためには、身寄りの
ない、不幸な境遇の老女たちに癒しの場を作り、提供することが
必要である。「元慰安婦」というレッテルにこだわることはない。
身寄りのない老人たちがそうであるように、彼女たちが求めてい
るのは、自分たちが少しでも心穏やかな余生を過ごせるような、
福祉の体制が充分に整った、暖かいコミュニティの場であるのか
も知れない。心穏やかに余生を過ごしてもらうには、彼女たちを
政局に巻き込み利用しようとする策動家たちの喧騒から、年老い
た彼女たちを遠ざける仕組みも考えなければならない。