ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

韓国賠償判決 その論拠を求めて

2018-11-30 14:29:56 | 日記
日経のメルマガに乗って、衝撃的なニュースが飛び込んできた。

第2次世界大戦中に強制労働させられたとして韓国人の元徴用工や元朝鮮女子
勤労挺身(ていしん)隊員が三菱重工業に損害賠償を求めた2件の上告審で、
韓国大法院(最高裁)は29日、同社の上告を退ける判決をそれぞれ言い渡し
た。日本企業への賠償命令の確定は、新日鉄住金に続き2社目。類似の判決が
相次ぐなか、韓国政府は対応策を示しておらず、歴史問題を巡り日韓関係が一
段と冷え込むのは確実だ。

またしてものトンデモ判決である。私は驚き呆れ、その論拠を確かめたいと思っ
た。だがネットの森を渉猟しても、判決の論拠にまで言及した記事は、なかな
か見当たらない。まず目に止まったのは、サイト「PRESIDENT Online」に掲載
された《韓国に広がる「日本どうでもいい」の理屈》(11月29日配信)で
ある。さっそく読んでみた。ところがこの記事は、くどくどしい論述で解りに
くく、私の頭には入ってこない。この記事の著者は木村某という神戸大学の教
授だが、ネットという媒体を、学術誌の紙媒体と同じように考えているらしい
のだ。

これなら韓国大法院の判決の原文を、翻訳でいいから、全文そっくりそのまま
読んだほうが早いのではないか、と考えた。しかし私のこの浅はかな考えは、
あえなく裏切られた。いろいろググってみても、判決の全文を掲載したサイト
がなかなか見つからない。やっと見つけたと思っら、これがまた恐ろしく長た
らしい。先の木村氏の記事に輪をかけた長たらしさ、くどくどしさで、「とり
あえず目を通して、理解に努めようか」という当初の私の意気込みは、途端に
萎(な)え萎(しぼ)んでしまうのである。

そんなこんなで、結局、私がたどり着いたのは、サイト「東洋経済ONLINE」
の記事《徴用工判決で問われる「日韓国交正常化の闇」 韓国大法廷の判決文を
熟読してわかったこと》(11月30日配信)である。

この記事は私が目を通した中では、ダントツに優れている。以下、その主要な
部分をコピペして紹介することにしよう。かなり長い引用になるが、判決のあ
の長たらしい原文に比べれば、かなり手際良くまとめられている。しかも、は
るかに解りやすい。著者は 東京新聞論説委員の五味洋治氏である。

******************************

判決文は、強制動員被害者に賠償の権利を認めた理由について説明している。
ここが判決の核心部分といえる。

韓国と日本の政府は1951年末頃から国交正常化と戦後補償問題について論議を
始めるが、日本による統治(植民地支配)の補償額や対象をめぐり意見が食い違
い、交渉は難航した。この原因は、統治の合法性をめぐる認識の争いだった。
日本は合法、韓国は不法と主張していたが、この問題はあいまいにされたまま、
1965年に国交正常化が実現した。

これに伴って結ばれた「日韓請求権協定」に、請求権問題は「完全かつ最終的
に解決されたことを確認する」と盛り込まれた。日本政府は韓国に3億ドルの
無償、2億ドルの有償支援を行った。韓国はこれを主にインフラ投資に使い、
「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げた。

「これですべて終わっているのに、なんでいまさら賠償しろと蒸し返すのか」
というのが日本政府の主張であり、一般的な理解だろう。

判決文も、国交正常化の経緯については認めている。ただし「請求権協定は日
本の不法な植民支配に対する賠償を請求するための協定ではなく、(中略)韓
日両国間の財政的・民事的な債権・債務関係を政治的合意によって解決するた
めのものであったと考えられる」と判断している。つまり原告に関していえば、
未払い賃金の返済だけを意味していたということだ。

今回の訴訟は「原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのでは
なく、 上記のような(強制動員への)慰謝料を請求している」(判決文)ので
あり、日本による統治を「不法」としている韓国では、1965年の請求権協定に
含まれていない慰謝料を請求できる、という論理構成になっている。

誤解の多い個人の請求権についても判決文は触れている。

自分の財産などを毀損された場合、相手に補償や賠償を求めることができる
「請求権」は、そもそも人間の基本的な権利とされており、消滅させることは
できないとの見解が多い。もし消滅させたければ、協定にその旨を明確に書く
必要があるが、日韓請求権協定には書かれていない。請求権をめぐる問題が
「完全に解決」と書かれているだけで、無くなったのか、まだ有効なのかはっ
きりしない。

この表現に落ち着いた意味を、判決文はこう説明している。「請求権協定締結
のための交渉過程で日本は請求権協定に基づいて提供される資金と請求権との
間の法律的対価関係を一貫して否定し」てきた。

筆者が補足すれば、請求権に関する協定と言いながら、請求権の対価として無
償で3億ドルを出すのではないと日本側は主張していたのだ。この指摘は重要
だ。日本側は植民地支配を合法だとしていたので、謝罪や賠償の意味を持つ
「請求権」の中身をあいまいにしておきたかったということだ。

事実、3億ドルの性格については椎名悦三郎外相は次のように答弁している。

「請求権が経済協力という形に変わったというような考え方を持ち、したがって、
経済協力というのは純然たる経済協力でなくて、 これは賠償の意味を持って
おるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らこ
の間に関係はございません。あくまで有償・無償5億ドルのこの経済協力は、
経済協力でありまして、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持っ
て、また、新しい国の出発を祝うという点において、 この経済協力を認めた
のでございます」(第50回国会参議院本会議1965年11月19日)

有名な「独立祝い金」答弁である。

請求権についても1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省
条約局長が、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではな
い」と明言している。

ここで、日本政府の外交上の知恵というか、トリックが暴かれている。
請求権協定は結んだが、請求権に応じたのではない。経済支援なのだ。この支
援で納得し、提訴など権利を主張しないと約束してくれれば支払う。この条件
を、当時韓国側もあうんの呼吸で受け入れた。だから国交正常化が実現したと
いうことだ。

********************************

いかがだろうか。この記事をどう解釈し、判断するか、ーーそれは読者諸賢におま
かせしたい。
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電動車椅子の飲酒運転は是か非か

2018-11-29 11:35:20 | 日記
訪問リハビリの日程が決まり、いよいよ来週から電動車椅子Whill の操作を習い
始めることになった。さしあたりはOT(作業療法士)さんに付き添ってもらい
ながら、操作の基本をおぼえ、徐々に活動領域を広げていくつもりだ。操作に
習熟したら、近くの百均や「ワークマン」といったお店で買い物もしたいが、
これも年内にはできるようになるだろう。不安よりも、期待のほうが先に立つ。

そんなことを考えながら、昨夜、ベッドの中でスマホをいじっていたら、「何
だ、これは!」と呆れるようなニュースに出くわした。

警察庁が公式サイトで公開している「電動車いすの安全利用に関するマニュア
ル」を巡り、障害者団体のDPI日本会議が抗議の声明を公開しています。団体が
問題視しているのは、マニュアルにある「飲酒等して電動車いすを利用するこ
とは絶対にやめましょう」という部分。
電動車いすは法律上歩行者と同じ扱いになるため、自動車などのように飲酒を
しても飲酒運転とはみなされません。にもかかわらず電動車いすユーザーに飲
酒後の利用をやめるよう呼びかける内容に対し、団体側は「障害者への差別」
であると強く批判。マニュアルの改善を要求しています。
                  (YAHOOニュース11月28日配信)

この記事を読んで、私の中に怒りに似た感情が湧き上がってきた。酒に酔って
電動車椅子を運転するなんて、危険に決まっているじゃないか!「君子危うき
に近寄らず」をモットーにしている私は、とてもそんなことをする気にはなれ
ない。この障害者団体は、いったい何を考えているのだ!

警視庁の呼びかけに抗議声明を出した「DPI日本会議」なる団体は、ホームペー
ジを見る限り、ちゃんとした国際NPO団体のようだ。けれども電動車椅子の
件に関しては、この団体は警視庁の呼びかけの趣旨を取り違えているのでは
ないか。警視庁は「飲酒して電動車椅子を運転すると、他人を轢いてしまう恐
れがあるので、止めてください」と主張していると、この団体はそう受け取っ
ているようだが、いくら何でもWhill やセニアカーが他人を撥ねたり轢いたり
するなんて、考えられるだろうか。そんなあり得ないことを想定して、警視庁
が電動車椅子の飲酒運転を止めるよう警告しているとは、私には思えない。

警視庁は、シートベルトの不着用と同じく、「それをすると、運転者自身のた
めにならない」と判断して、電動車椅子の飲酒運転をしないよう呼びかけてい
るのだろう。「障害者への差別だ」なんて、被害妄想も甚だしい。

「な〜に、電動車椅子の飲酒運転が自分のためにならないなんて、そんなこと
は分かっているさ。でも、飲む・飲まないは自分の勝手でしょ。余計なお世話
さ」

そう言いたくなる気持ちは私にも解らないではない。シートベルトの着用規制
が始まったときには、私もそう感じたものだ。この規制が始まってから数年間、
私は「余計なお世話だ」と思いながら、シートベルトの不着用を通していた。

今はどうかといえば、ごく当たり前の動作の一環として、何の迷いも抵抗もな
く、私はシートベルトを着用する。大方の人もそうではないだろうか。クルマ
の事故で死にたくはないからね。クルマの事故死を前にしたら、障害者もへっ
たくれもない。そうではないだろうか。
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入管法改正法案 そのドタバタの奥で

2018-11-28 14:02:24 | 日記
入管法改正法案がドタバタの末に衆院を通過した。与野党のドタバタの原因は、
来るべき「移民」への拒絶反応ではないか、と先に私は本ブログで書いたが
(11月12日《移民に向きあう》)、この法案に対する野党の拒絶反応は、
この法案そのものが、あたかも「移民」に対するような警戒感をもって受け止
められたからではないか。そんな気がする。

野党はこの法案を「中身がスカスカ」の法案だと批判するが、この批判には、
「姿かたちが見えない、分からない、不気味だ」という(妖怪や異人種を見る
ときのような)警戒感が覗いている。

野党のこの警戒感を、きょうの産経新聞は社説で代弁し、次のように書いてい
る。
「(中身がスカスカの)「白紙委任」では、なし崩しに受け入れが進み、日本
の総人口のかなりを外国人が占める状況も想定せざるを得ない。
欧州など多くの国で社会の分断や外国人の排斥が起きている現実から目をそら
せば、大変なことになる。」
    (11月28日《「入管法」衆院通過 論点置き去りは許されぬ》)

政府与党が円満な衆院通過をめざすのであれば、政府与党は法案の骨格だけで
なく、肉付けをしたその具体的な中身の全体像を示し、野党の警戒感を解く努
力をすべきではなかったか。

野党が主張するように、政府与党にはそれが出来なかったのかも知れない。そ
れが出来ないことが、いちばんの問題なのかも知れない。

では、政府与党はなぜ法案の肉付け作業をすることが出来なかったのか。それ
は、「移民の受け入れ」に対する 政府側の心の準備が出来ていないからであ
る。「外国人労働者の受け入れ」なる言葉の中身が、実は「移民の受け入れ」
であることを知りながら、この「移民」に向き合う心の準備が出来ていないの
だ。だから政府与党は、「外国人労働者の受け入れ」の中身を埋めることが出
来ないのである。

朝日新聞はきょうの社説で、次のように書いている。
「結局、人手不足を訴える産業界と、外国人に忌避反応をもつ政権の支持層の
両方にいい顔をするため、深い議論に入りたくない。そんな思惑が先立っての
採決強行のように見える。」
         (11月28日《入管法案採決 暴挙に強く抗議する》)

けだし至言であるが、政府与党の法案提出者は 深い議論に(「入りたくない」
という以上に)「入れない」のではないだろうか。
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社説に見るゴーン・ネタ

2018-11-27 16:46:42 | 日記
テレビのワイドショーでは相変わらずカリスマ・ゴーン・ネタが盛況だが、こ
れに比べると、新聞社説の扱いがなにか地味で控えめに見え、そのことが気に
かかる。社説でこの話題を取りあげたのは、主要6紙では以下の通りである。

11/22産経新聞《司法取引 社会的責任に減免はない》
11/23毎日新聞《日産がゴーン会長解任 カリスマ脱却の転換点に》
11/23産経新聞《ゴーン会長解任 ルノーに責任はないのか》
11/24日経新聞《トップの暴走招いた日産の企業統治不全 》

先鞭をつけたのは、産経新聞《司法取引 社会的責任に減免はない》である。
この社説は次のように、至極もっともな見解をかかげている。

「事件を、ゴーン容疑者ら個人のものに矮小(わいしょう)化することは許さ
れない。
 逮捕容疑は有価証券報告書に報酬金額を過少に記載したとされるもので、不
正の実行には多くの部門、社員が関わったはずだ。法人としての日産も、『両
罰規定』による立件対象である。」

テレビやネットのメディアでは当初、カルロス・ゴーンという個人の特異な
キャラや、贅沢な暮らしぶりがしきりに取り沙汰された。そんな風潮の中、法
人としての日産の社会的責任に言及したのは、この社説が唯一ではなかっただ
ろうか。

今回の不正行為をカルロス・ゴーン個人が主導したものと捉えれば、問題の論
じ方はおのずと決まってくる。毎日新聞《日産がゴーン会長解任 カリスマ脱
却の転換点に》ーーこの社説は、日産がこの事件によって「強力なリーダーシッ
プで20年近くも君臨したトップが退場した後の経営をどうするか、という深
刻な課題に直面したこと」に注目し、次のように述べている。
「変革期を乗り切るかぎは、新経営陣がいかに的確に意思決定できるか、とい
うことだ。社内の混乱を最小限にとどめて、ゴーン頼みから脱却していく必要
がある。」

これは何も言っていないに等しい、ごくごく当たり前の見解だが、今回の不正
行為の、その責任の一端が法人・日産にもあるとすれば、「では、この法人の
どういう体質が今回の不正を招いたのか」が問題になる。この問題を取りあげ
たのが、日経新聞《トップの暴走招いた日産の企業統治不全 》である。日経
は「日産の統治体制の異常さ」を問題にし、次のように論じている。

「ひとつは過度な権限の集中だ。ゴーン容疑者は日産の会長という執行の立場
と、取締役会議長という執行部門を監督する立場、さらには日産の筆頭株主で
あるルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)の3ポストを1人で占めた。」
その上で日経は、具体的な対処法について次のように述べている。
「日産はこうした問題に早急にメスを入れ、外から見て分かりやすい統治体制
を整える必要がある。そのためには独立した社外取締役の拡充が不可欠だろ
う。幹部人事や役員報酬の決定に客観性を持たせるために、指名委員会や報酬
委員会の設置も急がれる。」

今回の不正行為の、その責任の一端が法人・日産にあると言うのなら、仏企業
ルノーの責任にも言及しないわけにはいかない。産経新聞《ゴーン会長解任 
ルノーに責任はないのか》は、次のように主張する。

「日産の経営に大きな影響力を持ちながら、十分に監督できなかったルノーの
責任も併せて問われなくてはならない。
(中略)何よりも優先すべきなのはルノーの責任を明確化し、同社の経営体制
も抜本的に見直すことである。それを欠いたままでは、三菱自動車を含む3社
連合の企業統治や法令順守は徹底できないと銘記すべきである。」

それにしても、もう一つ重要な、あの問題は一体どこに行ってしまったのだろ
う。本ブログで、私は次のように書いた。今回の事件の裏にはルノーと日産と
の確執があり、この確執は日仏間のバトルに発展する可能性を秘めている、
と。かろうじてこのグローバルな観点を示しているのは、毎日の社説だけであ
る。毎日は次のように書いている。
「ルノーの最も有力な株主であるフランス政府との関係も焦点だ。
 仏政府は自国の雇用拡大や税収増を図ろうと、ルノーを通じて日産への支配
力を強めようとしてきた。日産はルノーを収益でしのぐ。このため日産には反
発が強い。ゴーン前会長が仏政府寄りになる懸念もあった。今後はルノー株の
買い増しを検討するなど関係がきしみかねない。」
ルノーと日産との関係は、だが「きしみ」程度で済むだろうか。それが問題で
ある。
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遺憾なり韓国警備艦

2018-11-26 16:42:04 | 日記
義を見てせざるは勇無きなり
人としてなすべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからで
ある。

『論語』の一節らしいが、この教えは現代でも立派に通用する。それは「して
はいけないこと」なのかどうか。そのことを知らないのなら、致し方ない。し
かし、そのことを知りながら、それをしてしまった場合、つまり、それは「し
てはいけないこと」だと知りながら、それをやってしまった場合、人は謝罪す
るべきだろう。謝罪するべきだと知りながら、それを実行しないとしたら、つ
まり謝罪しないとしたら、その人は勇気のない卑劣漢だということになる。

さて、先日、こんな報道があった。

第9管区海上保安本部(新潟)は21日、能登半島沖日本海の漁場「大和堆
(たい)」付近で20日、日本の漁船が韓国海洋警察庁の警備艦から、操業を
やめて海域を離れるよう無線で要求されたと発表した。韓国警備艦が漁船に接
近したため、海上保安庁の巡視船が阻止した。けが人などはなかった。政府は
外交ルートを通じて韓国側に抗議した。
                     (毎日新聞11月21日)

この事件があった現場は、日本の排他的経済水域(EEZ)内である。日本の
排他的経済水域内で日本の漁船が操業することは、国連海洋法条約で認められ
ている。韓国の警備艦乗務員は、そのことを知らなかったのだろうか。

知らぬはずはあるまい、と言いたいところだが、韓国のことである。この国の
大法院が先ごろ、日韓請求権協定を蔑ろにした判決を下したことを思えば、警
備艦に乗務していた韓国海洋警察庁の職員が国連海洋法条約のことを知らな
かったとしても、べつに驚くことではない。むろん日韓漁業協定のことも知ら
なかったのだろう。

知らなかった、で済まされぬこともあるが、なにせかの国のこと、その国情を
考慮して、それはまあ良しとすることにしよう。

問題は、その先である。韓国側の行為に対し、外務省は「日韓漁業協定に反し
た行動は受け入れられない」と抗議したという。日本側のこの抗議は韓国側に
届き、韓国海洋警察庁の職員にも伝わったはずだ。警備艦の乗務員でもいい、
彼らが所属する韓国海洋警察庁の幹部官僚でもいいが、彼らは日本側の抗議を
通して、自分たちが「してはいけないこと」をしてしまったことを、知ったは
ずだ。

その場合、彼らはどうすべきなのか。「勇なき卑劣漢」にならないために、彼
らはどうすべきなのか。

彼らが実際どうしたかは、次のニュースが物語っている。

菅義偉官房長官は22日の記者会見で、韓国警備艦が日本の排他的経済水域
(EEZ)内で日本漁船に操業停止を要求したことに関し、「明らかに日韓
漁業協定に反しており、断じて受け入れることはできない」と述べ、外交ルー
トを通じて抗議したと説明した。韓国側からは「警備艦が管轄権を行使したこ
とは遺憾であり、再発防止に努めたい」との返答があったという。
                    (JIJICOM.11月22日配信)

「遺憾である」は「残念である」の謂であり、この言葉に謝罪の意味は含まれ
ていない。「謝罪をすれば、非を認めたことになる」と彼らは考えたのだろう
が、この場合は明らかに韓国側に非があるのだから、非を認めて謝罪しなけれ
ば、イカンだろう。はなはだ遺憾なことである。
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