言論サイト「日刊ゲンダイDIGITAL」はきょう「天才哲学者」として名高いマルクス・ガブリエルへのインタビュー記事を掲載している。コロナ禍にあえぐ時代への痛烈な警告になっている。備忘の意味を兼ねて、その見解をまとめておこう。
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コロナ禍によって社会は大きく変わった。悪い方向へ大きく変わった。「衛生至上主義」と言うべき傾向が顕著になり、衛生への配慮の範囲を超えて、行動や文化や政治などあらゆる分野で、ウイルスの「潜在的な脅威」ばかりを気にかける、そういうおかしな社会になってしまった。
この「衛生至上主義」は世界各国ではびこり、「パニックの政治」が台頭している。むろん新型コロナ・ウイルスは脅威には違いないが、多くの国で行われているような警戒は過剰だと言わざるを得ない。実質的な脅威ではないのに、過剰に反応しているという意味では、これは人種差別にも似ている。そして私からすれば、この過剰な警戒こそが真の脅威なのだ。
では、過剰な警戒はなぜ脅威なのか。それは、この傾向が理性的な議論を失わせ、自由を脅かすからである。自由は民主主義において保障されなければならない最高の価値の一つだが、「衛生至上主義」がこの自由を奪い、自由な民主主義にとって極めて深刻な脅威になってきている。これは最近生じた新しい現象である。
「デジタル全体主義」が各国で台頭してきている。インターネットの影響で、史上初めて、地球上の全人類の行動が同期化し、全人類が同時に同じものに恐れを抱くようになった。これに異を唱えると、SNSで攻撃されることになる、そういう社会になった。
ここで忘れてはならないのは、今回のコロナ・ウイルスによる「パニックの政治」の起源は中国だということである。そしてその中国が、コロナ対策もデジタルを駆使してつくり上げたということである。
「デジタル全体主義」の台頭の、その背後にあるのは、中国と米国のサイバー戦争である。中国のサイバー攻撃は周知のことだが、米国のほうも負けてはいない。米国ではコロナ禍をチャンスに、デジタル・サービスがビジネスを拡大させた。ソーシャルメディアにとっては、パンデミックはビジネス拡大の好機なのだ。このように、サイバー戦争の覇権を争う米中両国とも、コロナ禍を利用している。
私は、このサイバー戦争では中国が勝利するとみている。米国は民主主義国であり、自由を重んじる国だ。しかし中国共産党にとって、個人の自由などは無価値で、国の統治において自由は重要ではない。中国はデジタル化という極めて巧妙な手段で、米国から覇権を奪取した。2020年は中国が主導権を握った年になるだろう。
中国に関して言えば、デジタルを使った手段を用いているとはいえ、この国は20世紀型の古い独裁主義国家である。他方、日本やドイツは民主主義的な法の支配で選挙も行われており、その意味では独裁主義ではない。
にもかかわらず、これらの民主主義的国家でも「デジタル全体主義」が台頭しつつあるのは、なぜか。それは、下からのサブリミナル(潜在意識的)な大衆操作が功を奏しているからである。それによって大衆は自ら「脱自由」を求めるようになる。そうした傾向の背後にあるのは、人々が抱えている「不安」を刺激する構造である。
「不安」はソーシャルメディアと検索エンジンによってつくり出される。例えば、背中にちょっとしたかゆみがあったとしよう。「背中のかゆみ」をグーグルで検索すると、「癌かもしれない」と出てくる。さらに検索すると、極めてまれなタイプの癌を知るようになる。そうやって4時間も検索していれば、「あすには死んでしまうかも」とだんだん思うようになる。
このように、「不安」によって人は操られる。米国や中国のハイテク企業はこれを利用して大衆操作をしているのである。
いまドイツで起こりつつあるのは、サブリミナルな服従であり、16世紀の表現を使えば「自発的隷従」である。この奴隷に主人はいない。自らすすんで奴隷化しているのだ。その先にあるのは、民主主義の終焉にほかならない。自由な個人がいないと、民主主義は機能しないからである。これこそが真の脅威なのだ。
デジタル全体主義は、ソーシャルメディアと検索エンジンによってもたらされる。そして、この手の独裁主義は、いずれ古典的な(一人の元首による)独裁主義に移行することになる。米国民がトランプを大統領に選んだのが、その端的な兆候である。
では我々はどうすればよいか。ソーシャルメディアとの関わりを断つことである。ソーシャルメディアとの関わりを断たない限り、「自発的隷従」への道を防ぐことはできない。
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コロナ禍によって社会は大きく変わった。悪い方向へ大きく変わった。「衛生至上主義」と言うべき傾向が顕著になり、衛生への配慮の範囲を超えて、行動や文化や政治などあらゆる分野で、ウイルスの「潜在的な脅威」ばかりを気にかける、そういうおかしな社会になってしまった。
この「衛生至上主義」は世界各国ではびこり、「パニックの政治」が台頭している。むろん新型コロナ・ウイルスは脅威には違いないが、多くの国で行われているような警戒は過剰だと言わざるを得ない。実質的な脅威ではないのに、過剰に反応しているという意味では、これは人種差別にも似ている。そして私からすれば、この過剰な警戒こそが真の脅威なのだ。
では、過剰な警戒はなぜ脅威なのか。それは、この傾向が理性的な議論を失わせ、自由を脅かすからである。自由は民主主義において保障されなければならない最高の価値の一つだが、「衛生至上主義」がこの自由を奪い、自由な民主主義にとって極めて深刻な脅威になってきている。これは最近生じた新しい現象である。
「デジタル全体主義」が各国で台頭してきている。インターネットの影響で、史上初めて、地球上の全人類の行動が同期化し、全人類が同時に同じものに恐れを抱くようになった。これに異を唱えると、SNSで攻撃されることになる、そういう社会になった。
ここで忘れてはならないのは、今回のコロナ・ウイルスによる「パニックの政治」の起源は中国だということである。そしてその中国が、コロナ対策もデジタルを駆使してつくり上げたということである。
「デジタル全体主義」の台頭の、その背後にあるのは、中国と米国のサイバー戦争である。中国のサイバー攻撃は周知のことだが、米国のほうも負けてはいない。米国ではコロナ禍をチャンスに、デジタル・サービスがビジネスを拡大させた。ソーシャルメディアにとっては、パンデミックはビジネス拡大の好機なのだ。このように、サイバー戦争の覇権を争う米中両国とも、コロナ禍を利用している。
私は、このサイバー戦争では中国が勝利するとみている。米国は民主主義国であり、自由を重んじる国だ。しかし中国共産党にとって、個人の自由などは無価値で、国の統治において自由は重要ではない。中国はデジタル化という極めて巧妙な手段で、米国から覇権を奪取した。2020年は中国が主導権を握った年になるだろう。
中国に関して言えば、デジタルを使った手段を用いているとはいえ、この国は20世紀型の古い独裁主義国家である。他方、日本やドイツは民主主義的な法の支配で選挙も行われており、その意味では独裁主義ではない。
にもかかわらず、これらの民主主義的国家でも「デジタル全体主義」が台頭しつつあるのは、なぜか。それは、下からのサブリミナル(潜在意識的)な大衆操作が功を奏しているからである。それによって大衆は自ら「脱自由」を求めるようになる。そうした傾向の背後にあるのは、人々が抱えている「不安」を刺激する構造である。
「不安」はソーシャルメディアと検索エンジンによってつくり出される。例えば、背中にちょっとしたかゆみがあったとしよう。「背中のかゆみ」をグーグルで検索すると、「癌かもしれない」と出てくる。さらに検索すると、極めてまれなタイプの癌を知るようになる。そうやって4時間も検索していれば、「あすには死んでしまうかも」とだんだん思うようになる。
このように、「不安」によって人は操られる。米国や中国のハイテク企業はこれを利用して大衆操作をしているのである。
いまドイツで起こりつつあるのは、サブリミナルな服従であり、16世紀の表現を使えば「自発的隷従」である。この奴隷に主人はいない。自らすすんで奴隷化しているのだ。その先にあるのは、民主主義の終焉にほかならない。自由な個人がいないと、民主主義は機能しないからである。これこそが真の脅威なのだ。
デジタル全体主義は、ソーシャルメディアと検索エンジンによってもたらされる。そして、この手の独裁主義は、いずれ古典的な(一人の元首による)独裁主義に移行することになる。米国民がトランプを大統領に選んだのが、その端的な兆候である。
では我々はどうすればよいか。ソーシャルメディアとの関わりを断つことである。ソーシャルメディアとの関わりを断たない限り、「自発的隷従」への道を防ぐことはできない。