ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

プーチンと天皇と

2022-06-07 05:27:27 | 日記



戦前の日本、第二次世界大戦に敗けるまでの日本では、統治者である天皇は、この世に降臨して我が国を作った二神、イザナギとイザナミの、その正統なる子孫であり、つまりは「現人神」であると信じられていた。教育により、被治者をそのように信じ込ませる言説の体系が存在した。いわゆる国家神道としての日本神道である。政治哲学では、このような言説の体系を「クレデンダ」という。ブリタニカ百科事典には、次のようなうまい解説がある。

「単に物理的な力だけでは支配を永続させることはできない。被治者の情動や知性に訴えて、その正当性を承認させなければならない。C.E.メリアムはこのことをミランダとクレデンダに分けて説明した。前者は記念日、音楽、旗、儀式、デモンストレーションなどの情緒的、呪術的な象徴形式によって権力や集団への帰属感、一体感を促すものであり、後者は理論、信条体系、イデオロギーなどの知的、合理的な象徴形式によって正統性信念を育成するものである。」
(「コトバンク」より)

敗戦後の日本を統治したGHQ(連合国軍総司令部)は、旧統治者の天皇に「人間宣言」を行わせたが、これは(メリアムのいう)「(戦前日本の)クレデンダ」を否定することによって、それまでの旧い支配−服従関係を打破しようとしたためである。

敗戦後世代の我々は、今、そのようなクレデンダが失われた社会に生きているため、当時の被治者が「天皇は現人神であられる」と信じ込んでいたことを想像すらできないが、それはある意味当然のことなのである。

さて、問題のプーチンだが、彼はしきりに「汎スラヴ主義」の言説をふりまき、「ロシアとウクライナは一つの民族だ」と国際社会に信じ込ませようとしている。これは、自己のウクライナ支配の正統性を基礎づける新たなクレデンダを樹立しようとする意図から出ていると言えるだろう。

しかし、プーチンの「汎スラヴ主義」の言説を信じるウクライナ人はごくごく僅かであり、そうである以上、これがプーチンのウクライナ支配を正当化する「クレデンダ」になることは、まず不可能である。プーチンは自らのウクライナ支配の正当性を示すことができず、そうである限り、やはりウクライナとの戦いの勝者になることはできないのである。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

支配者プーチンとウクライナ

2022-06-06 09:55:42 | 日記



プーチンはなぜウクライナとの戦いに勝つことができないのか、敗けざるを得ないのか。ーーこの問いに対する政治哲学の答えは、次のようなものだった。
すなわち、プーチンがウクライナを征服したとしても、この統治者(プーチン)に対して被治者(ウクライナの人民)は「服従への意思(「あんたの命令なら、従ってもいいよ」という気持ち)」を持つことがないから、この統治者(プーチン)は被治者(ウクライナの人民)との間に持続的な支配−服従関係を築くことができないのである、と。

では、どういう条件があれば、ウクライナの人民はプーチンに対して「服従への意思」を懐くようになるのか。プーチンはこの戦いの勝者になることができるのか。

この問いに答えるには、我が国の岸田首相や、アメリカのバイデン大統領のことを考えてみればよい。
日本の国民は岸田首相に対して「服従への意思」を懐き、アメリカの国民もバイデン大統領に対して「服従への意思」を懐いている。それはなぜかといえば、彼らが選挙によって国家の元首になった人物だからである。

日本の国民は総選挙で(岸田氏が総裁をつとめる)自民党に票を投じ、アメリカの国民は大統領選挙で(バイデン氏を候補者に指名した)民主党に票を投じた。
選挙で票を投じたということは、彼らが岸田氏を、あるいはバイデン氏を、「我々のリーダー」として認め、受け入れたということにほかならない。だから日本の国民が岸田首相に対して(ぶつくさ文句を言いながらも)「服従への意思」を懐き、アメリカの国民がバイデン大統領に対して「服従への意思」を懐くのは、ある意味当然のことなのである。

ウクライナの人民がプーチンに対して「服従への意思」を懐くことがあるとすれば、それは、彼らが選挙でプーチンを「我々のリーダー」として選んだ場合である。だが、そういうことは絶対に起こり得ない。プーチンがウクライナの人民に対して配ったのは投票用紙ではなく、砲弾の嵐だったのだから。
私の夫も息子もプーチンによって殺された。その私がどうしてプーチンに対して「服従への意思」を懐くことができるのか、ーーウクライナの女性たちは、そう口をとがらせることだろう。

だがーー、と言う人がいるかもしれない。選挙を経なくても、長期の支配−服従関係を築くことができたケースがあるのではないか。たとえば戦前日本の天皇の場合はどうなのだ、と、この人は言うかもしれない。

う〜む。これについては、次回にまた改めて考えてみよう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プーチンが敗ける理由 政治哲学の観点から

2022-06-05 10:01:50 | 日記



プーチンが仕掛けたウクライナとの戦争。この戦争においてプーチンは「すでに敗けている」と歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が述べていることについては、きのうの本ブログで取りあげた。

ハラリ氏はなぜそう考えるのか。ハラリ氏は言う。「一国を征服するのは簡単でも、支配し続けるのははるかに難しい」。ウクライナの国家を今後ずっと支配し続けることができなければ、プーチンはこの戦争の勝者とはいえないとハラリ氏は言うのである。

では、「一国を征服するのは簡単でも、支配し続けるのははるかに難しい」と彼が主張する、その根拠は一体何なのか。
ハラリ氏はしかし、この「さらなる根拠」については何も語っていない。「これまでの人類の歴史を見れば、それは明らかである」というのが、この歴史学者の答えなのだろう。

しかしながら、この答えに満足できない私は、さらに「さらなる根拠」を知りたくなる。「一国を征服するのは簡単でも、支配し続けるのははるかに難しい」と主張できる根拠は、一体何なのか。この主張は、なにゆえに正しいのか。

しかし、この問いは、もはや歴史学者の関知するところではないと言うべきだろう。これは歴史学者にとっては畑違いの問題であり、あえて言うなら、これは政治哲学が関わるべき問題である。

では、政治哲学の領域には、この問いに対して、どういう答えがあり得るのか。
たとえば、次のような見解がある。ちょっと長いが、お付き合い願いたい。

「どんな国家も、自己を維持するためには政治権力の行使を必要とする。国内の秩序を保つために、国家は法を犯した者に対しては刑罰を科し、国民を法に従わせるよう図らねばならない。その限りでは、国家統治者と国民との間に存在するのは支配と服従の関係である。
マックス・ウェーバーは次のように書いている。『国家も、歴史的にそれに先行する政治団体も、正当な(ーー正当なものとみなされている、という意味でのーー)暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である。』(『職業としての政治』)
ウェーバーがここで、国家統治の手段を単なる暴力行使とは見ずに、『正当な(ーー正当なものとみなされている、という意味でのーー)暴力行使』としている点に注意しなければならない。どんな国家における支配関係でも、それが持続的であるためには『内的な正当化の根拠』を欠かすことができない、というのが、このウェーバーの言葉の背後にある見解である。ただ威嚇の手段だけによったのでは、統治者は長期の支配関係を維持することはできない。持続的な支配ー服従関係は、被治者の側に服従への意思がなければ保たれえず、被治者が服従への意思を持つのは、彼/彼女がこの支配ー服従関係を正当とみなす限りでのことなのである。
支配関係の継続には被治者の服従への意思が欠かせない。そうである以上、統治者はそれを喚起するために、自己が正当であることの根拠をたえず被治者に示してみせなければならない。」
(『〈権利〉の選択』ちくま学芸文庫版184頁)

この見解は、先の問いに対する答えとして、なかなか説得力のある見解だと私は思うのだが、いかがだろうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「プーチンの戦争」に対するハラリ

2022-06-04 06:34:18 | 日記


世界的なベストセラー『サピエンス全史』の著者として名高い歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、英紙「ガーディアン」紙に緊急寄稿した。タイトルは「プーチンは負けた――ウラジーミル・プーチンがすでにこの戦争に敗れた理由(原題:Why Vladimir Putin has already lost this war)」である。
この表題に示されているように、ハラリ氏は、プーチン大統領が今回の戦争では「すでに敗けている」と断言している。テレビのニュースなどから判断する限り、ロ−ウク戦争の戦況は一進一退を繰り返し、まだ決定的な決着は見られない。プーチン大統領がこの戦争で「すでに敗けている」と判断するハラリ氏の根拠は、一体何なのか。

この点に興味を持ち、私はこの論考を読みはじめた(ネタ元は「Web河出」に掲載の記事による)。

私が興味を持った点は、もう一つある。ハラリ氏はこの論考とは別に、クーリエ・ジャポン編集部のインタビューに答えて、次のように述べている。「この戦争すべての基本的原因は、プーチンが頭のなかで空想を作り上げたことにあります。」
プーチンをウクライナ侵攻へと駆り立てた原因が彼の「妄想」にある、とする点では、ハラリ氏は私と同じ見方に立っている。ただ、この「空想=妄想」の中身は、私の理解とは全く違っている(ネタ元は「PRESIDENT Online」掲載の記事による)。

では、ハラリ氏が理解するプーチンの「空想」とは、どういうものなのか。また、彼はどういう理由から、そう見なすのか。ーーこれが私が興味を持った第二の論点である。


まず第一の論点から見ていこう。ハラリ氏の主張によれば、「一国を征服するのは簡単でも、支配し続けるのははるかに難しい」。ウクライナの国家を今後ずっと支配し続けることができなければ、プーチンはこの戦争の勝者とはいえないとハラリ氏は言うのである。
現実はどうか。「ウクライナの人々は渾身の力を振り絞って抵抗しており、全世界の称賛を勝ち取るとともに、この戦争にも勝利しつつある。この先、長らく、暗い日々が待ち受けている。ロシアがウクライナ全土を征服することは、依然としてありうる。だが、戦争に勝つためには、ロシアはウクライナを支配下に置き続けなければならないだろう。それは、ウクライナの人々が許さないかぎり現実にはならない。そして、その可能性は日に日に小さくなっているように見える。」

さて、第二の論点であるが、プーチンをウクライナ侵攻へと駆り立てたのは、「ウクライナは現実には存在しない、ウクライナ人はロシアに吸収されたがっている、それを阻んでいるのはナチ一派だけだ」という臆断であり、妄想であるというのが、ハラリ氏の見方である。

この妄想のせいで、プーチンは「ウクライナを侵略した瞬間にゼレンスキー大統領は逃亡し、ウクライナ軍は降伏し、国民は花を持ってロシアの戦車を出迎え、ウクライナはロシアの一部に戻るはずだ」と考えた、とハラリ氏は言う。にもかかわらず、だれもが知るとおり、事実はそんなふうには展開しなかった。

ハラリ氏の理解するプーチンの「妄想」はずいぶんアグレッシブであり、楽観的なものだが、私が理解するそれは、かなり被害妄想的であり、自虐的なものであって、それだけ切羽詰まっている。

かつて私は本ブログで次のように書いた。
「ウクライナがNATO加盟の意思を表明したとき、ロシア側の頭目・プーチンの警戒心は恐怖へと変わり、この男は『NATOの東方拡大の動きを何が何でも今、ここで食い止めないと、俺たちはNATOによって呑み込まれる!』と考えたに違いない。
『このままでは俺たちは呑み込まれる!潰される!』という、断末魔にも似た悲痛な叫びーー。この悲痛な叫びがウクライナ侵攻の直接のトリガーになったと私は考えるが、いかがだろうか。」
(4月17日《ウクライナ侵攻 ロシアの言い分》)

ハラリ氏の理解が正しいのか、それとも私の理解が正しいのか、と二者択一を迫ることは、意味がない。おそらくプーチンというモンスターは、アグレッシブ・楽観的な面と、被害妄想的・悲観的な面と、その両極端を持っているのだろう。その両極端への振れ幅が、このモンスターの行動の振れ幅を形作るのだろう。

いずれにしても、ハラリ氏が言うように、プーチンがどうあってもこの戦争で「勝利」を得られないとすれば、それもこれも所詮は悪あがきに過ぎないのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島根原発再稼働 推進の構造

2022-06-03 09:50:19 | 日記


きのうの夕餉の食卓で、次のようなニュースを聞いた。

「全国で唯一、県庁所在地にある松江市の島根原子力発電所2号機について、島根県の丸山知事は、2日の県議会で再稼働に同意する考えを表明しました。
(中略)
理由については『産業や生活のために電力を維持する必要があり、現状では原発が一定の役割を担う必要がある』としています。」
(NHK NEWS WEB 6月2日配信)

このニュースを聞きながら、私は次のように考えた。原発の再稼働か。政府の思わく通り、国のエネルギー政策は着実に軌道に乗っている感じだな。

テレビの画面に映し出された島根県知事の会見の模様を見て、私の脳裏に、次のような考えがひらめいた。

この人、いかにも官僚のような顔つきをしているよな。ーーそうだ、この人はきっと経産省の回し者なのだろう。原発推進といえば、何といっても経産省だからな。経産省は、自らが立案した原発推進策を確実に実行に移すために、原発の立地県に身内を県知事として送り込んだのだ。送り込まれた丸山氏の方だって、お里である中央官庁の丸抱えとはいえ、知事選に当選するためには、それなりの努力をしたに違いない。いやはや、政府もずいぶん手の込んだやり方をするものだ。

念のために、私は自室に戻ってタブレットを取り出し、ネットで丸山氏の経歴を調べてみた。結果はといえば、私の憶測は間違っていた。丸山氏は経産省ではなく、総務省出身のお役人だった。

だが、丸山知事が「国策を実行するために、原発立地県に送り込まれた政府のエージェント」だという私の憶測は、間違っていなかったと思う。県知事とは、そもそもそういう存在である。歴史を遡れば、明治初期の廃藩置県以来、県知事は中央政府の意向の執行代理人(エージェント)としての役割を果たしてきた。そういう役割遂行の仕組みを取り仕切ったのが、旧内務省、自治省といった行政機関である。これらは現在の総務省の前身であり、現在の総務省といえば、丸山知事の出身母体にほかならない。

島根原発再稼働をめぐる今回の丸山知事の見解は、中央政府の公式見解と見るべきだろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする