ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

電力供給のアンチノミー

2016-11-30 14:50:40 | 日記
あちらを立てれば、こちらが立たず。こういうアンチノミー(二律背
反)の状況は、日常生活のいたるところにころがっている。相反する
二つの主張の間を取り持って、うまく調整するのが、政治の技術とい
うものだ。年金問題の場合も然り。電力問題の場合もまた然りであ
る。

え、電力問題だって?と訝(いぶか)る向きも多いだろうが、この場
合には、対立する三つの項がそれぞれの主張をぶつけ合っている。

第1の項は、太陽光や風力などの、再生可能エネルギー事業者。この
第1の項は次のように主張する。「我々は自然にやさしく、環境に負荷
をかけません。二酸化炭素などの地球温暖化物質も出さないのですよ。
えへん」

第2の項は、火力発電所である。第2の項はこう主張する。「再生可能
エネルギーは、発電の絶対量が少ないうえに、天候や時間によって発
電量が変わるのがネックです。需要に見合った電力を安定的に確保す
るには、出力が下がったときに不足分を埋める調整用の電源が別途必
要になります。つまり、我々が欠かせないのです。えへん」

第3の項は、原子力発電所である。第3の項はこう主張する。「火力発
電は非効率なうえ、地球温暖化物質である二酸化炭素を大量に排出す
るのがネックになります。そこへいくと、我々は温暖化物質を出さず
に、電力を安定的かつ効率的に供給する唯一のやり方なのです。事故
が起こったときに放射能がばら撒かれるのがネックだと言う人もいま
すが、そんなことは滅多にないことですし、電力供給のコストも安価
で済みますから、比較してみれば、我々のがベストだと言えるのでは
ないでしょうか。えへん」

日経はきょう(11月30日)の紙面で《電力の供給力確保を促すには 》
と題する社説をかかげ、第1の項と第2の項を取り持つ手段として、
「容量メカニズム」なる手法があることを紹介し、次のように述べて
いる。

発電事業者は、稼働率が低くて費用の回収を見通せない投資には消極
的にならざるを得ない。有識者会議はこの点を踏まえ、将来の電源不
足を回避する策として「容量メカニズム」と呼ぶ手法を検討してい
る。
 電力小売会社が、電力販売に必要な発電能力を長期の枠として入札
を通して買う。発電会社は発電所の稼働状況にかかわらず安定収入が
見込める。自由化で先行する米欧で導入が始まっているこの仕組みを
日本でも定着させたい。

 

将来、この「容量メカニズム」の手法が実際に行われるようになれ
ば、利害関係が複雑にからみ合う現実の場面では、細々したいろい
ろな問題が出てくるだろう。そのとき、この問題領域に第3の項が
しゃしゃり出てきて、「いよいよ、我々の出番だと思うのですがね」
と主張したら、どうなるのか、経済学や倫理学の応用問題として、
ひとつ思案してみるのも一興である。
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年金改革法案 与野党対決の構図

2016-11-29 15:46:14 | 日記
最近はボケたのではないか、と思うことが多くなった。たとえば国会審
議。それに関するニュースをテレビで見ても、何がどうなっているのか、
まったく分からない。政府与党が提出した年金改革法案の、その中身は
どういうものなのか。それに対して、野党はどういう理由から、あれほ
ど強硬な姿勢で反対しているのか。そのあたりの事情が皆目分からない
のである。

こういうときには、新聞の社説が役に立つ。社説は、自らの主張を提示
するまえに、問題の所在を丁寧に、分かりやすく整理してくれる。その
整理内容には各社各様の色が付いているが、「この色はこの社の独自カ
ラーだから、その分は割り引いて受け取らなければ」と考えながら読め
ば、それほど独断や偏見に毒される恐れはない。

きょうは読売が《臨時国会延長 年金法案も確実に成立させよ》とい
うタイトルで、また、日経は《年金制度の維持へ国会は建設的議論を》
というタイトルで、年金改革法案絡みの社説をかかげている。

読売の社説は、与党が提出した年金改革法案を、「世代間の負担・給付
のバランスをとる」ためのものであって、「賃金や物価の変動に応じて
給付額を増減する「賃金・物価スライド」を見直し、将来世代の給付を
改善することなど」を柱とするものだとしている。そのうえで、読売は
こう述べる。

民進党などは、賃金の下落に連動させて給付を減額することから「年
金カット法案」と批判するが、あまりに近視眼的で的外れだ。

読売が民進党の批判を「あまりに近視眼的で的外れだ」と断じる根拠
にするのは、以下のような見解である。

少子高齢化が進む中、年金制度を持続可能なものにするには、年金財
政を安定させ、将来世代の給付水準を確保する必要がある。現役世代
と高齢者が負担や給付減の痛みを分かち合い、公平感を維持すること
も欠かせない。

「あちらを立てれば、こちらが立たず」というアンチノミーの状況が避けら
れないなかで、政府与党は、「あちら」の利害と「こちら」の利害を調整し、
バランスを取ろうとしている。対する野党民進党は、「こちら」の利害だけ
に目を注いで、政府与党に難癖をつけている、という構図が見える。

一方で、日経は、政府与党の年金改革法案を、「各世代でそれぞれが「痛み」
を分かち合う」仕組みを取り入れることによって、「年金制度の持続可能性
を高め」ようとするものだとし、次のように述べている。

政府・与党はできる限り丁寧な説明に努めるべきだ。野党も「年金カット法案」
と非難するだけでは、責任ある対応とはいえない。

つまり、この改革法案が「年金カット」につながるというデメリットの面しか
見ようとしない野党の見方は、一面的であって、「年金制度の持続可能性を高
める」というメリットの面を無視しようとする点で、野党は無責任だというの
である。

なるほど、新聞の社説は問題の理解には打ってつけだ。社説を読んでいたら、
私のボケも眠気も、どこかに行ってしまったみたいな気がする。
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大量殺人 野に放たれた野獣は

2016-11-27 12:10:01 | 日記
神奈川県にある障害者施設で、一挙に19人もの利用者が刺殺され
る陰惨な事件があった。この事件から4ヶ月が経った今、神奈川県が
設置した第三者検証委員会が報告書を提出した。

この報告書は、容疑者が入所者の大量殺害を示唆する犯行予告を
行っていた、とする情報を、施設側が県警から伝えられていたにも
かかわらず、危機意識の欠如から、施設設置者の県に報告していな
かった点を問題視し、「報告していれば被害を防止できた可能性も
否定できない」と指摘している。

産経は11月26日付の社説《相模原大量殺人 再発防止に資する
検証か》で、こうしたことに触れたうえ、次のように述べている。

県警は県の組織であり、県公安委員会の管理下にある。施設側の危
機意識を問う前に、県警から県へ直接の情報提供がなかった点を問
にすべきだろう。

この産経の指摘はもっともだが、容疑者に関する情報や、その共有の
仕方に関する議論は、言ってみれば、「野に放たれた野獣に、どうやっ
て網を掛けるのが適切か」に関する議論にほかならない。


そんなことよりも、もっと重要かつ根本的な問題として検討しなければな
らないのは、「どうすれば野獣を檻に閉じ込められるか」ということではな
いだろうか。

私が思い出すのは、チェーホフの短編小説『六号室』である。この小説
では、精神病院に勤務する医師が、ある特定の患者に異常な関心を寄せ
る心理過程と、それにつれてこの医師自身が周りから異常な人間と見な
されてゆく排斥のプロセスが描かれる。この医師は結局、精神病棟に放
り込まれてしまうのだが、これと同じ事態が起こってはならないだろう。

野獣の性癖を持たない人間が、風変りだというだけで、野獣のような危
険人物と見なされ、社会から排除されるようなことがあってはならない。

そういう事態が起こるのを防止するために設けられたのが、措置入院の
制度である。報道によれば、今回の事件の容疑者には、一度、この措置
入院の処分が下されたことがあったという。彼は数週間の入院の後、
「他者に危害を加える恐れがなくなった」と診断されて退院となり、結局
は野に放たれることになった。

この診断は正しかったのか。
今後、この種の事件の再発を予防しようと思うなら、措置入院に伴う入退
院の見きわめのあり方について、根本的な検討を欠かすわけにはいかない。

措置入院は自由の剥奪を結果し、人権の根幹に触れる措置であるため、
危険なものとして、ややもすれば敬遠されがちであるが、臭いものに
蓋をしてはいけない。この問題に真剣に取り組まない限り、同じような
残虐な事件は今後も後を絶たないだろう。
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自主トレの成果は

2016-11-25 16:33:16 | 日記
ちょうど一週間ほど前のことだったように思う。30分に1度ぐらいの割
合で立ち上がりの動作をすると、耳石が動いて活性化する。そうすると、
衰えた身体の諸機能も復活して、改善されるのだという。
この情報を得たのは、NHKのテレビ番組「ためしてガッテン」によって
だった。それからというもの、30分に1度というわけにはいかないが、
私はなるべく立ち上がりの機会を増やすように心がけて日々を過ごした。
その結果は、どうであったか。

きょうは週に一度の訪問リハビリの日だった。来宅した理学療法士の元
?青年が、私の動きを見て、「おっ、なかなか良いですね。あの立ち上
がりの自主トレ、やっているんですか」と言うのだ。立ち上がり自主ト
レの成果は、1週間やっただけでも、確実に現れているらしい。自分で
はさしたる実感はないが、プロが見てそう言うのだから、これは間違い
ないのだろう。嬉しくないわけがない。これからも頑張らなくては!

とはいえ、この自主トレは、「頑張る」必要がないのが良いところであ
る。夕方、私は大相撲のテレビ中継を見るのだが、取り組みが一番終わ
ると椅子から立ち上がり、そのまま杖を使わないで、ラックの周りを歩
いて一周する。そして椅子に戻り、ふたたび腰を下ろす。椅子に座って
次の取り組みを見たら、また椅子から立ち上がり、以下同じ・・・。それを
何度も繰り返しながら中入り後の取り組みを見ていると、横綱の力士が
登場する頃には、そうと自覚しないまま、かなりのトレーニングになっ
ている。おかげで私は大相撲にすっかり詳しくなった。一石二鳥とは、
このことである。

ただ、あれはどうなったのだろう。そう、あのことである。この自主ト
レと、ブログ書きとの両立という、悩ましい問題である。この1週間、
ブログを更新することと、立ち上がりの動作を増やすことと、この二つ
は両立するのだろうか、とか、両立させなければ、とか、ことさら意識
したことはなかったが、そういえば、たしかにブログの更新回数は減っ
ているような気がする。

でも、そう神経質になることはない。自由に出歩けるようになるまで、
私はブログのエントリーを止めないだろう。屋外をホイホイ歩き回れる
ようになったら、狭い部屋に閉じこもってパソコンに向かい合っている
ことがきっとアホらしくなって、今度は「ブログの文章が書けないこと」
が新たな悩みの種になるに違いない。だが、そうなれば、なったときの
話である。贅沢な悩みと言えなくはないが、そんな悩みなら大歓迎だ。
いつかかならず、そんな贅沢な悩みを悩める贅沢な日が来ることを信じ
たい。そう思う。
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柏崎が意味するもの

2016-11-24 13:48:09 | 日記
毎朝、起きだす前のベッドで、スマホを手にする。ネットの「新聞社説一覧」を開いて、
ざっと見出しを眺める。それが最近の、私の早朝の習慣になっている。

けさ目についたのは、《柏崎刈羽原発 お膝元は容認派を選んだ》というタイトルだっ
た。東京電力柏崎刈羽原発の再稼働問題を最大の争点にした新潟県柏崎市長選挙で、容認
派の候補者が、反対派の候補者に大差をつけて当選したという現実がある。これをどう受
け止めるべきなのか、興味が湧いたのである。

もっとも、この社説が産経新聞のものであることから、その主張の方向性は、私にもだい
たい推測できた。「原発のお膝元ですら、住民は再稼働を支持したのだから、我々も当然、
再稼働に積極的になるべきではないか」というようなことだろう。

トーストの朝食を済ませ、庭の雪景色を片目で眺めながら、産経のこの社説にじっくりと
目を通してみた。「「お金より命が大事だが、生活を支えて命を育むためにお金も必要」
という選挙戦での桜井氏の訴えは、柏崎市の生活者の過半を占める切実な思いだろう」と
ある。柏崎市の生活者の過半は、原発がまき散らす放射能のリスクよりも、原発がばらま
く「お金」のほうを重視して、再稼働を選んだということだろう。「地元の人々は原子力
発電の仕組みや放射線についての情報に接する機会も多く、「正しく怖がる」すべを知っ
ている」。住民による再稼働の選択は「その上での熟慮の選択」だったのだ、と社説は述
べるが、では、「正しく怖がる」とはどういうことなのか。「放射線の影響なんて大した
ことはない」と思うことなのか。

私が一読者として毎日読ませてもらっているブログがある。このブログは、(原発立地県
であり、原発事故被災県でもある)フクシマに住む「ゴマメのばーば」さんが、ほぼ毎日
アップしているものだ。そこにはこう書かれている。「「原発交付金」は、麻薬の様なも
の。一旦受けてしまうと、止められなくなってしまう」。「「再稼働容認」を市民の方が
選択したという事」は「一旦原発を受け容れてしまった地元の宿命とでも言うほかありま
せん」。「ゴマメのばーば」さんは、原発立地市町村に住む(同じ立場の)者として、
「(この)選挙結果に、残念 切ないなぁ、との思いがつのるばかりです」と書いている。

産経の論説委員には、こういう声があることも知ってもらいたいと思う。
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