しかし、という接続詞の使い方は難しい。「Aである。しかしBである」
という文章と、「Bである。しかしAである」という文章を比べると、両
者のニュアンスは明らかに異なる。例として、(1)「彼女は頭がいい。しか
し彼女はブスである」という文章と、(2)「彼女はブスである。しかし彼女
は頭がいい」という文章を考えてみよう。(1)では「彼女はブスである」が
強調され、否定的なニュアンスが強いが、(2)の場合は「彼女は頭がいい」
が強調され、肯定的なニュアンスが強くなってくる。
さて、このほど政府は、原発の使用済み燃料から出る高レベル放射性廃棄
物(核のごみ)の最終処分地について、「科学的特性マップ」を公表し
た。「核のごみの最終処分地はまだ決まっていない」という事実を我々は
突きつけられたわけだが、事実を述べたこの文章を、我々がどういう文脈
で受け取るかによって、原発問題が我々に与える印象はだいぶ違ってく
る。
「原発は大量の電力を安定的に供給できる。しかし、核のごみの最終処分
地はまだ決まっていない」という文脈で受け取れば、原発は「トイレのな
いマンション」と同じようなものと捉えられ、悪い印象を我々に与える。
「核のごみの最終処分地はまだ決まっていない。しかし原発は大量の電力
を安定的に供給できる。」という文脈で受け取れば、原発のメリット(利
点)が強調され、原発は良い印象を我々に与える。
これらの文章に、「核のごみの最終処分地が決定されるのは、100年も先
の話である」という(事実を述べる)文章を付け加えてみよう。すると、
原発のデメリットはさらに後退して、ほとんど我々の印象に残らなくな
る。「原発は大量の電力を安定的に供給できる。しかし、核のごみの最終
処分地はまだ決まっていない。核のごみの最終処分地が決定されるのは、
100年も先の話である」と受け取るとしても、「核のごみの最終処分地
はまだ決まっていない。しかし原発は大量の電力を安定的に供給できる。
しかも核のごみの最終処分地が決定されるのは、100年も先の話である」
と受け取るとしても、(自分が死んだ後のことなんて、我々にとっては
どうでもいいことだし、そんな先のことは想像すらできないから)原発
のイメージが傷つくことはない。
原発推進派の安倍政権であるが、そんな政権でも、核のごみの最終処分地
に関する「科学的特性マップ」なら、安心して国民に提示することができ
るのである。
という文章と、「Bである。しかしAである」という文章を比べると、両
者のニュアンスは明らかに異なる。例として、(1)「彼女は頭がいい。しか
し彼女はブスである」という文章と、(2)「彼女はブスである。しかし彼女
は頭がいい」という文章を考えてみよう。(1)では「彼女はブスである」が
強調され、否定的なニュアンスが強いが、(2)の場合は「彼女は頭がいい」
が強調され、肯定的なニュアンスが強くなってくる。
さて、このほど政府は、原発の使用済み燃料から出る高レベル放射性廃棄
物(核のごみ)の最終処分地について、「科学的特性マップ」を公表し
た。「核のごみの最終処分地はまだ決まっていない」という事実を我々は
突きつけられたわけだが、事実を述べたこの文章を、我々がどういう文脈
で受け取るかによって、原発問題が我々に与える印象はだいぶ違ってく
る。
「原発は大量の電力を安定的に供給できる。しかし、核のごみの最終処分
地はまだ決まっていない」という文脈で受け取れば、原発は「トイレのな
いマンション」と同じようなものと捉えられ、悪い印象を我々に与える。
「核のごみの最終処分地はまだ決まっていない。しかし原発は大量の電力
を安定的に供給できる。」という文脈で受け取れば、原発のメリット(利
点)が強調され、原発は良い印象を我々に与える。
これらの文章に、「核のごみの最終処分地が決定されるのは、100年も先
の話である」という(事実を述べる)文章を付け加えてみよう。すると、
原発のデメリットはさらに後退して、ほとんど我々の印象に残らなくな
る。「原発は大量の電力を安定的に供給できる。しかし、核のごみの最終
処分地はまだ決まっていない。核のごみの最終処分地が決定されるのは、
100年も先の話である」と受け取るとしても、「核のごみの最終処分地
はまだ決まっていない。しかし原発は大量の電力を安定的に供給できる。
しかも核のごみの最終処分地が決定されるのは、100年も先の話である」
と受け取るとしても、(自分が死んだ後のことなんて、我々にとっては
どうでもいいことだし、そんな先のことは想像すらできないから)原発
のイメージが傷つくことはない。
原発推進派の安倍政権であるが、そんな政権でも、核のごみの最終処分地
に関する「科学的特性マップ」なら、安心して国民に提示することができ
るのである。