ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

リバイバルでサバイバル(その2)

2016-03-31 11:40:16 | 日記
「民進党」と芸名を変えて再デビューした元歌姫は、

ステージに立ってこのかた、

下手な唄しか歌えなかった。

とすれば、人気を失ったこの歌姫がもう一度復活するには、

きんきらきんなステージ衣装や、幻惑的な照明効果に頼るのではなく、

聴衆をうっとりさせるような、

とびきり上手い唄を歌うこと、これに尽きるだろう。

肝心なのは、その唄声である。

そう、「肝心なのは、民進党が政権を担える党として

現実的で説得力ある政策を打ち出せるかどうかだ」

と読売が言う通りである。

ただ、問題は、この歌姫がさほど上手い唄を

歌えるとはだれも思っていないことである。

いまいち期待感がいだけない理由は、政権掌握時の

実績が証明したそのあたりの顛末にある。


でもなあ。

民進党がこれまでの民主党と変わらない

弱小政党であり続ける限り、

自民党の一人勝ち、「一強多弱」の状況は変わらないわけで、

今後もずっとこの状況が続けば、

「安倍氏の政権運営に危うさは感じるが、

ほかに選択肢が見あたらない――。

こんなもどかしさを抱く」国民(朝日)は、

「こうなれば、もう他人任せにはできない、

自分たちの手でやらなければ」と、

SALDsの旗印に集った若者たちのように

熱い思いで

立ち上がらざるを得なくなって、

そこに、新しい(本当の意味での)民主主義の形が

生まれることになる

んじゃないかなぁ、と思うんだけどね。

結局、民進党の存在意義は

「一粒の麦」ということなのかな?
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リバイバルでサバイバル

2016-03-30 10:21:35 | 日記
新しい政治組織が誕生したというのに、盛り上がりは見られない。

歓迎するムードもなければ、期待するワクワクした雰囲気もない。

民進党の発足をうけた各紙の社説も、

こうした国民の反応とあまり変わらない有様である。

「党名以外にどこが変わったのかとの批判もある」と朝日は書くが、

たしかに、売れなくなった歌姫が芸名を変えて再デビューしても、

中身が変わらなければ、

この元歌姫は「冷ややかな視線を浴びる」だけだろう。

落ち目になった歌姫の

盛り上がりに欠けた再デビューを

成功に導くには

どうすればよいのか。

各紙の社説も、この課題に紙幅を割いている。

民進党が受け入れられない原因は何なのか。

受け入れられるようになるためには、この新政党はどうすればよいのか。

まずは原因から。

朝日によれば、それは、

民進党の母体となった旧民主党が、09年に発足して

政権を担ってから、国民の期待を裏切り続けたことにある。

民主党は、実現できないマニフェストをかかげ、

政治主導を謳いながらも、空回りし続けた。

一方、読売と毎日があげるのは、

民主党が具体性を伴わない政策しか打ち出せなかったことである。

言行一致が求められるのに、民主党の政策、

特に安全保障に関する基本政策にはそれが欠け,

他の政策にも、実現に必要な

財源の裏付けが欠けていた。

要するに、

この歌姫は、ステージに立ってから

下手な唄しか歌えなかったのだ。

(つづく)
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入試改革の理念と現実(その2)

2016-03-29 10:01:50 | 日記
大学入試改革の切り札として

私が考えていたのは

「人工知能の導入」ということであった。

しかし、同様の提案がすでに有識者会議でも

提出されたことを知って、

私は思わず苦笑してしまった。

しまった、先を越されたか!

まあ、そんなことはどうでも良いのだが、この人工知能案も結局、

有識者会議で潰されたのだろう。

最近では、人工知能が囲碁の対局でプロ棋士を敗ったり、

小説を書いて賞を獲得したり、といった具合に、

テクノロジーの進歩にはめざましいものがある。

にもかかわらず、この分野の専門家が会議に出席して、

「そうしたケースはあくまでも例外でして、

入試の記述式答案の採点となると、

現状は実用化にはほど遠いのですよ」

といった報告を行ったのだろう。

となると、

どこかの社説が書いていたように、

採点を予備校や進学塾などの

民間の業者に委託(丸投げ)する

というやり方が、実行可能な具体案として

残されることになる。

しかし、予備校にせよ進学塾にせよ、

何かと問題の多い受験産業を

ことさら盛り立てかねないこの案が、

入試制度改革の切り札になるとは

だれも思わないだろう。

(私も思わない)


このブログ記事を書き始めたものの、

落としどころが見つからず、私は途方に暮れている。

べつに私が入試制度改革の決定打を放つ義理など

微塵もないのだが、

有識者会議の議長も、

社説を書く各紙の論説委員も、

おそらく同じ壁にぶつかって、

頭を抱えたのではないだろうか。

せめて尻切れトンボになる醜態は避けたいので、

各新聞の社説がそれぞれどんなふうに最後を締めくくっているか、

それを紹介して私のブログの締めくくりとしよう。

朝日はこうだ。

「文科省は高校、大学教育と入試を三位一体で変える

大がかりな改革を目指す。

だからこそ見切り発車は避けるべきである。」

要するに、この改革は大規模な制度改革になる、「だからこそ」、

性急に事を進めてはいけない、というのである。

毎日はどうか。

「開かれた論議をし、とりわけ高校や大学の

現場の実情や意見を踏まえながら具体化すべきだろう。

「結論ありき」ではなく、地に足の着いた着実性を求めたい。

何より「ここまで来たら引き返せない」という空気は禁物である。」

これも同じ。広く多方面に意見を聞くべし、性急に事を進めるな、である。

一方の読売は、こう締めくくっている。

「最終報告には、高校生の基礎学力を測る「高等学校基礎学力テスト」を

19年度から試行することも明記された。

結果は当面、各高校が指導の改善に生かす。

面接などで選ぶAO(アドミッション·オフィス)入試や推薦入試が大学で広がり、

高校生の学力低下を招いた面がある。

推薦入試などで、基礎テストの結果を活用するのも

一案ではないか。」

こちらは、報告書が盛り込んださまざまな提言の中で、

実行できる無難なものをとりあえずやってみてはどうか

との提案である。


そうなんだよね。

みんな苦心しているのは分かるけど、

無難な締めくくり方ってこんなものなんだよね。
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入試改革の理念と現実

2016-03-28 15:22:14 | 日記
文科省が設置した

大学入試制度改革に関する

有識者会議の

最終報告が発表された。

その翌日、新聞各紙は一斉に

これを社説のテーマに取り上げている。

朝日は「大学入試改革 理念倒れは避けよ」と題する社説を掲げ、

読売は「大学入試改革 高校教育の質向上を促したい」、

毎日は「大学入試改革 具体的な設計で着実に」といった具合である。

大学入試は、いまだに国民の広範な関心の的なのだろう。

なにしろ日本は、相も変らぬ学歴偏重社会である。

高校までの中等教育は、いかにわが校の生徒を

(上位の)大学に入れるかを最大の課題として

組み立てられているといってもよく、

その生徒たちには、偏差値が高い大学に入学できるか否かで

以後の人生のコースがほぼ決まってしまうという

無視できない厳しい現実が待ち受けている。

大学入試制度をより適切なものへと改革することは、

より望ましい社会を、――公正な社会を、

実現することにそのままつながると言ってもよい。


さて、新聞各紙の社説であるが、

論調はほぼ横並びである。

曰く、有識者会議が打ち出した理念は良い、納得できるものだ。

だが、この理念をどうやって実現するのか、それが問題だ

というのである。

この理念を実現するのは難しいのではないか、

との疑問を、ほぼ全紙が投げかけている。

朝日は端的にこう述べる。

「考える力を問う入試を、という理念は大切だ。

だが、いま必要なのは、それを具体的にどう実現するかである。

理念倒れではいけない。

何ができ、何ができないかを見極め、

可能なことを着実に進めてほしい。

受験生や高校、大学を振り回す結果は避けるべきだ。」

改革の理念と、この理念を実現するために

打ち出された方針はどういうものなのか。

それは、従来のように、丸暗記によって

詰め込んだ知識の量を評価の対象にするのではなく、

思考力や表現力を重視して評価することであり、

その評価のために、

従来のマークシート式に替えて、

記述式を導入するというものである。

だが、50万人を越える受験者が記入した大量の答案を、

だれが採点するのか。

限られた数の採点員が短期間に、

正確な結果を出すことなどはたして可能なのか。

それを可能にするために、マンパワーに代わって

導入されたのがコンピュータであり、

これに対応するのが現行のマークシート方式である。

こうした経緯を考えれば、

次に導入されるべきは、

進化の著しい人工知能(AI)だということに

なるのではないだろうか。

--しかし、ある社説を読んで、

私は笑ってしまった。

私がこの(私の)ブログの落としどころとして考えていたのは

実は「人工知能の導入」という提案だったのだが、

同様の提言はすでに有識者会議でも出されたらしいのだ。

                   (つづく)
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緊急事態と危機管理(その2)

2016-03-27 14:06:44 | 日記
朝日が投げかけた第二の問題。

それは、規制の対象を曖昧にするこの条項が、

人権の制限につながるのではないか、ということであった。

これに対して、読売は明確にこう述べている。

「野党には、政府権限の強化は国民の権利制限につながるとして、

「憲法でなく、法律改正で対応すれば良い」との慎重論がある。

だが、より多くの人々の生命や財産を守るため、

居住・移転の自由や財産権などを一時的に、
 
必要最小限の範囲で制限することは、
 
広く理解を得られるはずだ。

むしろ危機管理の規定がないまま、
 
政府が超法規的措置を取ったり、
 
逆に必要な対策を講じられなかったりする弊害が大きい。」
 
つまり読売は、緊急事態条項が人権の制限につながる
 
可能性は認めながらも、人権の制限措置が取られない

場合のデメリットを挙げ、

人権の一時的制限に付随する

より大きなメリットのほうを強調するのである。

「ほらほら、これが目に入らぬか」と、

「人権」を葵の紋所のように振りかざす、

水戸黄門の従者のような朝日の態度を物ともせず、

権威を笠に着るその態度をはね返す

この読売の姿勢は実に小気味よいものだ。


波長が自分に近いせいか、

朝日には辛口になったきらいがあるが、

双方の主張をここまで追ってくれば、

読者は、

両紙のそれぞれが

野党の追及と、それに対する与党自民党の反論を

体現していることに気づくだろう。

「与党を代弁する読売VS.野党を代弁する朝日」

という伝統的構図は、ここにもしっかり生きている。

これほど旗幟を鮮明にした論争は

近年珍しいのではないかと思う。

消費増税論議のときのような

馴れ合いの議論ではなく、

もっともっとガチな論争を

公器は我々に見せて欲しいものだ。

プロレスみたいな

底意が見え見えの馴れ合いの議論では

ちっとも面白くないからね。
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