ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

小沢YS.菅は

2019-02-28 14:36:28 | 日記
ネット情報によれば、元首相の菅直人が、小沢一郎の野党再編構想に表立って異を唱えはじめたという。小沢構想とは、自由党と国民民主党との合併を足がかりにして、野党の結集をめざそうというものだが、この「壊し屋イチロー」の目論見をつぶそうというのが、菅直人のねらいと見てよい。

菅直人の心づもりは解らなくもない。小沢構想はその目論見とは裏腹に、野党間にかえって深刻な亀裂を生じさせ、修復不能の対立をもたらしている。立憲民主党の枝野代表は、自由・国民民主の合流話につよく反発し、多数派工作によってこれに対抗しようとする始末だ。

これに対して、国民(国民民主党)と立民(立憲民主党)を統合するのが、野田元首相らのねらいだった。その野田氏と思いを共有する(に違いない)菅元首相からすれば、小沢構想は、自分たちのねらいを阻む悪魔の仕業に見えるのだろう。それも無理からぬことである。

しかし、である。以前本ブログで書いたことだが、立民と国民を統合しようとする野田氏の構想には、根本的・本質的な無理がある(2月8日《野田くんにも、ひとこと》)。政策面で妥協不能の対立がある以上、立民の枝野代表が国民の玉木代表に反発と対抗意識を燃やすのは、これも当然といえば当然なのである。

いずれにしても、小沢構想は、野田、菅元首相という想定外の強敵の出現で、いっそう実現から遠ざかった感がある。自民党の石破担ぎ構想は、この窮状を打開するために編み出されたものだろうが、では、安倍自民党はこれにどう対抗するのか。日本の政局は今後、どうなるのだろうか、と舌なめずりをする天邪鬼爺のきょうこの頃である。
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沖縄県民投票 どうした読売新聞

2019-02-27 12:14:44 | 日記
我が家は今年になってから、読売新聞を取りはじめた。そのあたりの事情については、以前に本ブログで書いたことがある。読売を取らざるを得ない事情があったからだが、最近、こんなクソ新聞を取っている自分が、つくづく嫌になった。よりによってこんな歪曲捏造新聞を、なぜ自分は読まなければいけないのか。

一昨日の2月25日のことである。前日に(辺野古埋め立ての賛否を問う)沖縄県民投票があり、私はその開票結果が知りたかった。

朝食時、読売新聞を手に取ると、目に飛び込んできたのは、「適量ですか、高齢者の薬」という、1面トップのバカでかい見出しだった。沖縄県民投票の記事は、小さいポイントの見出しで、1面の中ほどに載っていた。「辺野古埋め立て『反対』最多」と見出しが打たれている。沖縄の基地問題など、この新聞にとっては、「高齢者の薬」ほどの値打ちもないと言わんばかりである。

驚いたのは、紙面をめくった3面に、「投票率52% 広がり欠く」と大きい見出しが掲げられていたことである。「『反対』最多 影響は限定的」の見出しもある。読売がこう言おうとしていることは明らかだった。「沖縄県民投票は『反対』票が最も多かったが、この程度の投票率では、県民の意思を汲み尽くしているとは言えない。工事への影響はないと見るべきだ」。

な、な、なんと、読売は安倍政権を擁護する姿勢を、まだ捨ててはいなかったのだ。政権をヨイショするのは良いとしても、明らかな失政をヨイショしてどうするのだ!県民の意思を無視するという、更なる愚に加担してどうするのだ!

それだけではない。ここまでならサイト「LITERA」でも批判されていたことである(2月25日配信《 本土メディアの沖縄県民投票無視がヒドい! 読売は1面トップから外し「広がり欠く」「影響は限定的」と無理やり矮小化》)。

特記すべき点はまだある。読売は翌26日、さらに「沖縄県民投票 どう見る」という特集記事を組み、森本敏・元防衛相に次のように語らせている。「投票結果にかかわらず、名護市辺野古の埋め立ては米軍普天間飛行場の危険性を除去するために、ぜひとも実現しなければいけない工事だ。」

何のことはない。これは安倍政権の言い草にほかならない。森本敏氏といえば、かつて民主党中心の野田内閣(第二次改造内閣)で防衛相を努めた人である。野党寄りの防衛相経験者で、安倍政権と見解を同じくする人の言葉は、説得力があると読売は考えたのだろう。

紙上で、だが、森本氏はこうも述べている。「沖縄県民には、日本全体のために、なぜ沖縄だけが負担を強いられなければいけないのか、という強い思いがあることは十分理解する。今回の投票結果はそれを示すものだろう。」

今回の投票で、沖縄県民が本土に突きつけたこの重い問いに、森本氏は一体どう答えるのか。読売新聞は、この森本氏の答えのほうをこそ掲載すべきではなかっただろうか。
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問われる 辺野古工事の後始末

2019-02-26 14:52:51 | 日記
沖縄県民投票の結果を受け、安倍政権は今後、米軍基地問題にどう対処するつもりなのだろうか。「住宅地の真ん中にある普天間飛行場をなくすためには、辺野古の代替施設が不可欠なのだ」。安倍首相は相変わらずこの考えを固持しているようだが、どうなのだろう。危険な普天間基地の代替施設を作るために、辺野古の埋め立て工事はぜひとも必要なのだ、というわけだが、この考え方に問題はないのだろうか。

辺野古の埋め立てによって、普天間基地の辺野古移設はホントに実現するのか、ーーこのことを今、改めて問い直さなければならない。最近のことだが、埋め立て予定地には「マヨネーズ並み」の軟弱地盤が広がり、埋め立て工事は技術的に困難であることが分かったという。

この他にも、辺野古が移設先として適していないことは、以前から言われていた。本ブログで、私は以前(2018年12月21日《若者たち 続編》)、次のような意見を紹介したことがある。

「住民の支持がなければ、同盟が弱体化しかねません。海兵隊も辺野古移設を望んでいるわけではありません。移設後の基地は、普天間飛行場よりも滑走路が短く、有事に動く主力の軍用機が離着陸できない。普天間のように高台にもないから津波にも弱い。住宅地にも隣り合うため、騒音被害も生まれるでしょう。」
これは、大阪大大学院准教授や米海兵隊太平洋基地政務外交部次長を歴任した人物、ロバート・D・エルドリッヂ氏の見解である(朝日新聞DIGITAL12月16日配信《「辺野古への土砂投入、日米関係の悲劇」元米海兵隊次長》)。

技術的に困難を伴うだけでなく、沖縄の住民が猛反対し、米国の海兵隊関係者も難色を示している、ーーそんな問題だらけの移設工事を、安倍政権はなぜ続けようとするのか。「それは日米同盟のためだ。国土防衛のためだ」と安倍政権は言いたいのだろうが、現場の海兵隊関係者が「ノー」と言っている移設工事を、トランプ大統領や米議会がそのまま了承するとは、とても考えられない。同盟の相手方の、その意向を無視した独り善がりのやり方は、そのうちきっと破綻することだろう。

多大の歳月と税金とを費やし、辺野古の海に大量の土砂を投入したあげく、やっと辺野古基地が出来上がったその暁に、米軍から「ノー・サンキュー!」とダメ出しを食らったら、自民党政権は一体どう責任をとるつもりなのか。
まあ、安倍さんはその頃まで現職のままではいられないだろうから、この人が責任をとることはないんだろうけれどね。
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天皇と沖縄

2019-02-25 14:34:54 | 日記
「辺野古沖埋め立て反対県民投票と同じ日に、天皇はどう述べられるだろうか?」
これは、私がしばしば覗かせてもらっている「新老人」さんのブログ「元気いっぱいの新老人の ツッパリ発言」に掲載された、2月24日付の記事のタイトルである。

そう、きのう2月24日は、米軍基地の辺野古移設をめぐり、埋め立ての賛否を問う沖縄県民投票の、その結果が明らかになる日だった。その開票結果が私は気になっていた。また、同じ日に行われた天皇在位30年記念式典で、陛下が沖縄問題に閑してどういう「お言葉」を述べられるかも気になっていた。天皇陛下が沖縄にとりわけ深い思い入れを懐いていることは、今さら喋々するまでもない。

埋め立て工事の賛否を問う県民投票の、その開票結果について、毎日新聞は次のように報じている。

3択のうち「反対」が43万4273票で投票総数の71.74%を占め、「賛成」や「どちらでもない」を大きく上回って多数となった。反対票は、投票資格者総数(115万3591人、24日見込み)の37.65%となり、県民投票条例に基づいて知事に投票結果の尊重義務を課す4分の1を超えたため、玉城(たまき)デニー知事は近く、首相と米大統領に結果を通知する。
                      (毎日新聞2月25日)

この結果を見て、私の頭に浮かんだのは、「そうだよなあ。当たり前だよなあ」という、何の変哲もない思いだった。安倍政権はこの結果に、一体どう対処するつもりなのだろうか、とも考えた。

さて天皇の「お言葉」であるが、とくに沖縄問題に関する言及はみられなかった。これも当然と言うべきだろう。私の印象に残ったのは、この式典に沖縄出身の歌手・三浦大知氏が招かれ、「歌声の響」を熱唱したことである。

「歌声の響」は、皇太子時代に沖縄を初めて訪ねた天皇が詠んだ歌に、皇后がメロディーを付けた楽曲だという。天皇はこれまでに11回も沖縄を訪問している。記念式典で歌われた「歌声の響」には、そのすべての記憶がーーその底にあるつよい思いが、凝縮されているとみるべきだろう。

記念式典で、天皇は「不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気(けなげ)に耐え抜いてきた人々」という表現をした。「被災」とは、天災だけでなく、人災を被ることも意味する。日米戦争の末期に激戦の地となり、その後、米軍基地の負担を強いられた沖縄の地こそ「被災の地」と呼ぶにふさわしい。

そのような「被災の地」に生き、数々の苦難を耐え抜いてきた沖縄の人々。彼らを悼む痛切の念が、「歌声の響」には込められている。そう私は感じたのである。楽曲「歌声の響」は、象徴としての天皇の、一生をかけた象徴的行為の、その結晶とも言うべきものである。そこには言葉では尽くせない深さと強さがある。
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野党を束ねる あっと驚く亀井構想

2019-02-24 12:08:47 | 日記
おもしろい記事を読んだ。亀井静香(元金融担当相)がぶち上げた、あっと驚く野党統一構想である(産経新聞2月23日配信《亀井静香元金融担当相 小沢氏は弁慶、玉木氏は頼朝たれ》)。

それによれば、小沢一郎(自由党代表)に「玉木雄一郎(国民民主党代表)を支える弁慶」になってもらおうというのが、この構想の眼目である。

この言い方からすると、玉木氏はさしずめ源義経ということになるが、亀井の爺さんが言うには、玉木氏はこれにとどまらず、(鎌倉幕府を開いた)源頼朝にもなれる器の人物だという。

つまり、玉木代表を次期首相候補として統一野党のトップに担ぎ出し、小沢代表をそのサポート役にすえるというのが、亀井爺さんの構想なのである。大方の意表を突く点では、(自民党の石破氏を担ぎ出そうとする)小沢氏の構想とどっこいどっこいだが、この亀井構想のほうはあまりにも奇想天外、あまりにも無茶苦茶である。野党がいくら人材不足とはいえ、よりによって玉木なるノッペラボウを持ち出すとは・・・。「俺は何度も玉木と酒を酌み交わしている。だから彼が有能で度量の大きい人物だということは、よく知っている」ということのようだが、一般の国民には、そんなことは判らない。玉木?はあ?だれ?というのが、大方の反応だろう。「官僚出身の政治家で、民進党から希望の党に移った」と聞くだけで、どっちらけである。

この放談の中で亀井の爺さんは、自民党を切り崩す戦術として、(石破氏を担ぎ出す)小沢構想の有効性を認めている。自ら玉木氏を持ちだしながらも、一方で野党のタマ不足を認めているようなものだ。とすると、この爺さんの放談には、どんな意味があったのだろう。「俺には小沢を動かす力がある。俺にはフィクサーになる実力がある。俺はまだまだ健在だぞ!」そう言いたかっただけなのかな?
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