アメリカでまたしても銃乱射事件が起こった。テキサス州でのこと。18歳の犯人は、その場で射殺されたという。
この種の事件が起きると、必ず問題になるのが銃規制の是非である。こんな物騒なものを少年が簡単に入手できるなんて、どこか間違っている、ーーバイデン大統領のように、そう考える人は多いが、反面、トランプ前大統領のように、利益団体NRA(全米ライフル協会)の主張に賛同する人たちも少なくない。複雑な利害が絡むから、この議論にはなかなか決着がつかないのだ。
だが、今回の問題は、そこに「いじめ」という問題が介在している分だけ、議論がヨリ込み入ったものになる。小学校に乱入し、19人の児童を射殺した少年は、自らが学校でいじめを受けていたという。つまり今回の銃乱射事件は、いじめられたことへのルサンチマン(怨恨感情)が引き起こしたと言えるのである。
むろんこの少年の行為は間違っている。いじめに対するリベンジの意味があるのなら、銃口は(いじめには全く無関係の)小学生に向けられるべきではなかった。
この少年はたぶん、自分をいじめた同級生たちに復讐をしたかったのだろう。だが、素手で立ち向かったのでは、しょせん敵う相手ではない。かえってボコボコにされるのが落ちだろう。
殴り合いでは劣る少年でも、しかし、銃を手にすれば違う。自分をいじめた憎い同級生たちに銃口を向け、引き金を引けば、少年は確実に無念を晴らすことができたはずだ。少年はなぜそうしなかったのか。
おいおいーー、という声が聞こえた。君はその少年が、自分をいじめた同級生を銃で射殺すべきだったと言いたいようだが、それはどうかな。復讐を行うのなら、それはあくまでも「同害報復」の原則に基づくべきだと私は言いたいのだ。目には目を、歯には歯を、という言葉があるが、復讐を行うのなら、それは同程度の加害によって果たされなければならない。ちょっとなぶられたぐらいで、相手を射殺するというのは、明らかに度を越えている。そういう度を越えたリベンジができてしまうのも、元はと言えば、少年が簡単に銃を入手できてしまうからだ。やはり銃は規制すべきだと私は思う。
おいおい、と、今度は私が言葉を返したくなった。それじゃあ、弱者の少年は、結局、泣き寝入りをするしかないことになるではないか。あんたは弱肉強食を認めるというのか。
すると声の主はこう答えた。要するに、銃を使うだけがリベンジの手段ではないということさ。リベンジにもいろいろなやり方がある。たとえばこの少年は、悔しさをバネにして、勉学に邁進し、高偏差値の一流大学に挑戦することだってできる。一流大学を卒業して、一流会社に就職し、リッチな生活をして、自分をいじめた昔の同級生を見返すこtだってできるのだ。一流大学を卒業すれば、いろんな可能性が拓ける。キャリア官僚になり、国の制度設計に携われる高級官僚になれば、自分をいじめた昔の同級生らが貧乏にあえぐような社会を作ることだってできる。社会的な強者になれば、社会的な弱者に苦痛を与えることなど、お手のものなのさ。
う〜む。私は言葉を失った。しばらく考えて、やっとこんな言葉を絞り出した。昔いじめをした復讐で、大人になってから貧乏にあえぐことになる、か。痛い目には痛い目を、ということだろうが、これってホントに「同害報復」の原則に適っているのだろうか。