ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

老人大虐殺の悪夢

2024-08-31 11:16:09 | 日記
九州あたりをのろのろ進んでいる台風10号は、はるか離れた関東地方に大雨を降らせ、河川の水位を軒並み上昇させた。昨夜のNHKニュースによれば、これに便乗して、「多摩川氾濫」などの偽情報が旧ツイッターなどで大量にばら撒かれたという。

具体的には『多摩川氾濫』ということばとともに、アメリカで起きた洪水の映像を載せたり、5年前の台風の際の画像を使ったりするなど、偽の情報や紛らわしい投稿が拡散され、合わせて少なくとも200万回以上、閲覧されています。」
(NHK NEWS WEB 8月30日配信)

この騒ぎによる実害は報告されていないが、こうした偽情報に振り回された高齢者が、あわてて避難しようとし、大怪我をすることだってあり得ないことではない。

その程度ならまだよい。被害妄想気味の私が思い起こしたのは、100年前の関東大震災のときに起きた忌まわしい出来事である。このときは「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言飛語が飛び交い、これを信じた市民や軍、警察により、多くの朝鮮半島出身者が殺された。

悪意のある流言の犠牲になるのは、いつの時代も弱い立場の人たちである。今の時代だったら、弱い立場におかれているのは、いうまでもなく老人たちである。そう、我々老人たちなのである。

老人たちは弱者だから悪意にさらされることはない、と考えるとしたら、これは大間違いである。いじめと同じで、弱者はむしろ悪意のターゲットにされることが多いものだ。醜いために蔑みの目で見られ、国家財政のお荷物と見られて、現役世代からは毛嫌いされ、排除される。

「早く死んでしまえ」と大っぴらに口に出す人こそいないが、何か事があれば、彼らの敵意はすぐに老人たちに向けられる。「多摩川が氾濫した」と偽情報を飛ばす投稿マニアたちからすれば、「大雨」と「河川の氾濫」を結びつけたように、「大雨」や「河川の氾濫」と「老人たちの陰謀」を結びつけ、老人たちを悪意のターゲットにすることなどお手のものだろう。

こんな時代だからこそ、我々老人も何か対策を考えておかなくてはならない。はて、なにか名案はないものだろうか。

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朝ドラ「虎に翼」雑感

2024-08-30 14:45:58 | 日記
人は生きていく上で様々な問題に直面する。たとえば配偶者の死。これはややもすれば生じる深刻な問題である。配偶者が死亡したあとで、夫が後添いをもらう。これもよくあるケースである。後添いを家庭に迎え入れたために、先妻との間にできた子どもたちとの間で不和が生じる。これもありがちな問題ではある。

けさ見た朝ドラ「虎に翼」は、この問題を取り上げていた。この種の問題は、このドラマでこれまで描かれたLGBTの問題や夫婦別姓の問題、また、これから取り上げられる予定の戦争の問題(原爆問題)に比べれば、やや毛色の違った問題である。LGBTや夫婦別姓の問題、戦争の問題が社会の問題であるのに対して、家庭内の不和の問題はどちらかといえば個人的な問題である。

けさの朝ドラは見ていてけだるい感じがしたが、社会的な問題のほうが個人的な問題よりも大事だ、などと言うつもりはない。個人的な問題も、個人にとっては(重大な決断を迫られる)シリアスな問題であり、多かれ少なかれだれもが直面するという意味では、普遍的ですらある。

社会的な問題は新聞の社会面やテレビのワイドショーなどで取り上げられることの多い問題だが、個人的な問題は小説などの文芸作品やテレビドラマなどで取り上げられることの多いテーマである。

NHKの朝ドラ「虎に翼」は、これら二つの傾向の問題をどちらも追求しようとした(欲張りな)ドラマであるため、見る側の関心の度合いによって異なった色彩を帯びてくる。
社会問題に関心のある人から見れば、このドラマは個人や家庭の問題ばかり取り上げ、なかなか社会問題に切りこもうとしないまだるっこしい作品に見えるだろう。
逆に個人的な問題に関心を持ち、社会的な問題にさほど関心を持たない人からすれば、このドラマは個人的な問題を掘り下げようとしない底の浅い作品に見えるに違いない。
二兎を追う欲張りな作品は、結局、虻蜂取らずに終わり、社会派にも文芸派にも満足できない作品になりがちだ。

さて、きょう放映された予告編によれば、朝ドラはいよいよ「原爆裁判」にたどり着き、佳境に入る。二兎を追ってきたこのドラマがこの大きな社会問題にどう切り込むのか、面白くなってきた。

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退陣間際の岸田首相 最後っ屁か有終の美か

2024-08-29 09:58:50 | 日記
きのうの朝日新聞に以下の記事がのっていた。

柏崎刈羽再稼働、首相が閣僚会議 来週 退陣前に道筋、狙い

岸田文雄首相は27日、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向けた対策を協議するため、原子力関係閣僚会議を来週開くと決めた。地元が求める避難路の整備や地域振興策の中身を詰め、退陣前に再稼働への道筋をつけたい考えだ。

(朝日新聞8月28日)

な、なんと、退陣間際の岸田首相が、この期に及んで刈羽原発の再稼働に意欲を燃やしているというのである。
この事実をどう見るべきなのか。イタチの最後っ屁と見るべきなのか、それとも有終の美を飾ろうとする浅ましい意欲の表れと見るべきなのか・・・。

「トイレなきマンション」の再稼働が「有終の美」だなんて、ちゃんちゃらおかしいが、頓珍漢なキシダくんのことである。これは決してあり得ないことではない。

などど「おちゃらけ」を書きながら、実は私はもう一つの可能性を考えている。
昨夜のことだが、眠くならないので、私はYouTubeを見ていた。「小泉進次郎でいいのか?」といった内容の動画で、元朝日新聞記者の禿頭のおじさんがいろいろ政界の内情についてしゃべっていた。記憶に残ったのは、次の言葉である。

「自民党政治はね、官僚政治なんです。だから総理大臣なんて、だれでもできるのです。菅さんでも岸田さんでもできたんだから、(能力のない)進次郎にだってできますよ、大丈夫です」。

自民党の政治を動かしているのは、実は裏に控えた黒衣の官僚たちだというのである。そういう話は、私も以前にちらと聞いたことがある。岸田首相は財務官僚の操り人形だ、とかなんとか。
原発再稼働の話に限っていえば、所管省庁は経済産業省だから、再稼働の実行計画は経産省の官僚たちが作っていることになる。岸田首相は、経産官僚に操られて原発再稼働にこだわっていたと見られなくもない。いやいや、経産官僚の原発再稼働計画がなければ、岸田首相もそこまで原発再稼働に拘泥することはできなかったのではないか。
お調子者のキシダくんのことだから、経産省のお役人におだてられてその気になり、刈羽原発の再稼働という「有終の美」を飾ろうとしたのかもしれない。

経産官僚の操り人形。これが私の考えるもう一つの可能性である。

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中国軍機の領空侵犯に思う

2024-08-28 11:31:46 | 日記
おととい26日、中国軍機が日本の領空に侵入した。これに対して、航空自衛隊の戦闘機がスクランブル=緊急発進をかけて対応したという。

このニュースを聞いたとき、私は思った。中国と日本は、領土をめぐって相変わらず虚しい攻防を続けているのだなあ、と。
国の領土は、富士山や国会議事堂のように頑としてそこにあるものではない。人体がウイルスのような外敵の侵入を跳ね返して初めてその健康を保てるように、日本の領土も、中国軍機のような外敵の侵入を退けて初めて存続できるのだ。

この事態を受けた日本政府の反応は次のように報じられた。

林官房長官は27日の記者会見で『主権の重大な侵害であるだけでなく安全を脅かすもので、全く受け入れられない。極めて厳重に抗議するとともに、再発防止を強く求めた』と強調しました。
その上で『中国軍機の行動や意図、目的などについて確たることを答えるのは控えるが、わが国周辺での軍事活動は拡大、活発化の傾向にある。強い関心を持って注視し、警戒・監視と対領空侵犯措置に万全を期す』と述べました。

(NHK NEWS WEB 8月27日配信)

官房長官の林芳正氏といえば「親中派」と目される人物だが、この発言は親中派らしからぬ、どことなく肩肘張った発言である。
ははあ、と私は思った。この人、次の自民党総裁選に出馬するそうだから、自民党右派を意識して、あえて「毅然とした」態度をとったのだろう。
いや、これは考え過ぎで、そうではないのかもしれない。官房長官といえば内閣のスポークスマンでもある。彼はこの役割に忠実に、(中国を敵視する)岸田政権の基本姿勢を表明したのかもしれない。

しかしまあ、そんなことはどうでもよい。林氏は中国に対して軟弱な姿勢を見せるでもなく、かといって過度に肩肘張って中国を刺激する強硬姿勢を見せるでもなく、ほどほどの望ましい態度をとったといえるだろう。

きょうのブログを書くために、NHK NEWS WEB のサイトを見ていたら、こんなニュースが目に入った。

訪中の日中友好議連 中国共産党最高指導部や王毅外相と会談へ

中国を訪問している、超党派の国会議員でつくる日中友好議員連盟のメンバーは、28日、共産党の最高指導部のメンバーや王毅外相と会談します。(中略)
この中では、東京電力福島第一原発にたまる処理水の放出を受けて中国が日本産水産物の輸入停止を続けていることや、日本人に対する短期滞在のビザの免除措置が再開されていないこと、それに、スパイ容疑で日本人が拘束されている問題などについて意見を交わすものとみられます。
さらに、26日、中国軍機が日本の領空侵犯をしたことが初めて確認され、日中間の新たな懸案となるなか、一連の会談などを通して中国側がどのような姿勢をみせるか注目されます
。」
(NHK NEWS WEB 8月28日配信)

これは時宜を得て、とても良いことだと私は思う。自民党の二階元幹事長をはじめとする「日中友好議員連盟」のメンバーは「媚中派」などと揶揄されることが多いが、日中間の懸案を武力によるのではなく、外交的な話し合いで解決しようとする姿勢は賢明といえる。

岸田政権が親分アメリカの尻馬にのって中国敵視一本槍の姿勢を見せているだけに、友好的な働きかけの意義も増すというものだ。何よりも中国敵視の総元締めであるアメリカが、武力対決一本槍ではなく、同時に外交的な話し合いも重視している。それがまあ賢明な大人の対応というものだろう。


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寝坊した朝に

2024-08-27 10:24:55 | 日記
けさは朝ドラ「虎に翼」を見ることができなかった。寝坊をしてしまったからだ。目覚めたのは8時30分。後の祭りである。

寝坊したのには理由(わけ)がある。「あしたは台風が本州に接近する。デイサに行けるかなあ、行けないかもしれないなあ」などと思いをめぐらしていたからだ。頭では「行けるかもしれないし、行けないかもしれない。可能性は五分五分だ」とわかっていても、身体のほうは生来ぐうたらな性分、勝手に「行けない」モードになって、「それなら寝過ごしても大丈夫」となる。

起床して遅めの朝食をとり、私は「やっぱりきょうは行けそうだ。デイサに行くことにしよう」と思い直した。思い直してから、ふと気づいた。
しまった!ブログのネタ、きょうはまだ決めていないぞ。どうしよう・・・。

きょう書くべきネタは、しかし大体は思い定めている。きのうは「戦争犯罪 無差別爆撃の罪」というタイトルでブログを書いたが、その流れでいけば、「人はなぜ戦争などという愚かな行いをするのだろう」ということになる。

「戦闘員は、非戦闘員たる民間人を無差別攻撃の対象にしてはならない」という国際法の理念。これは(平時の)我々の頭の中にあって、我々の行いを規制している。
ところがひとたび戦争が始まると、そんな理念はどこかに消え失せ、軍人たちは非戦闘員たる民間人に無差別攻撃を加えることになる。無差別攻撃によって自国の軍隊が敵国のどこかを占領すれば、国民もそれを「やった、勝ったぞ!」と歓呼の声で迎えることになる。
無差別攻撃を行ったのは、米軍だけではない。かつて日本軍も中国で同様の残虐な行いを繰り返した。レイプや略奪が当たり前の修羅の世界がそこに展開する。

どうしてなのだろう。ーー朝寝坊をしたせいか、何とはなしに後ろめたさに囚われながら、私はふと考えた。
もしかするとそれは、頭と身体の関係に似てはいないだろうか。戦闘員は、非戦闘員たる民間人を無差別攻撃の対象にしてはならない。そんなことは頭ではよくわかっている。だが身体のほうは、そんなこととは別に、「行け行けどんどん」となってしまうのだ。

まあ、きょうの私の場合、頭では「行け行け、デイサに」と考えていても、身体はそれとは別に、何となくしょぼくれてその気になれない自分がいるのだけれど・・・。やれやれ。

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