ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

フランクルのこと A君へ

2016-12-31 11:23:25 | 日記
A君へ。
先日は遠方から拙宅へ遊びに来てくれて、ありがとう。あのときの
雑談で、アドラーのことが話題になりましたね。貴君がブログで
「A.アドラー「人生の意味の心理学」」という記事を書いていること
から、そういう話題に発展したのでした。

あのとき、私はこう言ったと思います。アドラーのことは自分も関心
を持っている。面白いと思うので、自分もブログのネタにしようと
思ったこともある。けれども、いざやろうとすると、うまく行かな
かった。どうしてなのか分からないけど、うまく行かないんだよね。
以前、老子や荘子をネタとして使ったことはあったけど、それとは何
か、全然違うんだよね。アドラーと似た傾向の心理学者がいて、えー
と、えーと、えーっと、だれだったかな、名前が出てこないんだけ
ど、この人の場合も、良いことを言っているんだよね。ただ、あまり
にも分かりやすいので、逆に面白くないし、ネタには使えない。それ
と似ているんじゃないかな。

そんなふうに言ったと思いますが、今頃になって、名前をど忘れして
しまった「あの人」のことを思い出しました。名前はフランクル、そ
う、『夜と霧』の著者として有名な人です。
なんで今頃になってフランクルのことを思い出したのかと言います
と、意外に思われるでしょうが、先日、テレビを見ていたのです。
NHKの「SWITCHインタビュー 達人達」という番組で、プロボ
クサーの村田諒太が、哲学者の*野稔人という人と対談していまし
た。(*に該当する漢字は、読みが分からず、表記できないので*と
しました。津田塾大学の人です)。この哲学者の対談相手になったの
が、村田諒太という私の好きなミドル級ボクサーで、きのうも、世界
タイトルの前哨戦ということで、若いメキシコ人相手に、素晴らしい
ファイトを見せていました。

話を戻します。村田は、この対談番組の中で、自分が柄にもなく読書
家であることを明かし、自分に影響を与えた本として、フランクルの
名前を口にしたのです。これを聞いたとき、私は、へえ〜、と思い、
それから、「何だ、あの人のことじゃないか」と思ったのです。プロ
ボクサーが口にするまで、私は、この心理学者の名前を忘れていまし
た。貴君たちとお会いした日には、おぼろげなその名前が、喉元まで
出かかっていながら、出なかったのです。
いい機会ですから、フランクルやアドラーがなぜネタとして使えない
のか、書いておきます。それは、この二人の言葉が、「2の言葉で1
0を語る」のではなく、「10の言葉で10を語る」からです。

ニーチェや老子や荘子の場合は、10を語るのに、2の言葉しか語ら
ない。だからそこには、8の言葉を補うという解釈の必要が生まれ、
この厄介な解釈の作業の中に、自分の思いや信念や日々の雑感を投げ
入れるという面白さが生まれるのです。

解釈という厄介な作業は、ブログ書きの醍醐味でもあり、私にとって
は快楽の源泉のようなものなので、その余地のないテクストではちょっ
とねえ。

閑話休題。A君と一緒に拙宅に来られたB君も、その後お元気でしょう
か。「自分もブログを始めようかなあ」と言っていたけど、B君がその
とき構想として語った書評ブログ、面白そうなので、楽しみにしてい
ますよ。

ではまた。次にお目にかかるときには、もっと元気になった姿をお見
せしたいと思っています。そう思うことで、ついついリハビリを怠け
てしまう老体を、奮い立たせたいと思っています。よいお年をお迎え
ください。
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平成の妖怪 その二枚舌

2016-12-30 12:04:18 | 日記
ハワイの真珠湾で、安倍首相が口にしたあの言葉には、どうしても違
和感が拭えない。たとえばこんな件(くだり)である。
「戦争が終わり、日本が見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中
で苦しんでいた時、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれた
のは、米国であり、アメリカ国民でありました。皆さんが送ってくれ
たセーターで、ミルクで、日本人は未来へと命をつなぐことができま
した。
 そして米国は、日本が戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いて
くれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たち
は平和と繁栄を享受することができました。」

敗戦後間もなく、日本には、ジープに乗った進駐軍の兵士を追いか
け、ついて回る少年たちがいた。この頃、私はまだ生まれていなかっ
たから、直接体験したことではない。私より4歳も若い安倍首相だって
同じだろう。ともあれ敗戦国の貧しい少年たちは、ジープからキャ
ラメルやチョコレートを投げてばらまく兵士に、「ギブ・ミー・チョ
コレート!」と叫んで手を差し出したのだ。
あの少年たちがその後、どんなふうにして戦後の社会を生き抜いたの
か、戦勝国アメリカに対してどんな感情をいだきながら育ったのか、
私は知らない。その生い立ちは多岐にわたるはずだが、アメリカが持
ち込んだ民主主義や平和憲法の理念に「なんだこれは!」と反発を感
じた人たちはそれほど多くなかったはずだ。「戦後民主主義はGHQの
洗脳によるものだ」とか、「アメリカの押しつけ憲法を捨て去るべき
だ」などと公言する人は、もっと少なかっただろう。
戦勝国アメリカの戦後統治政策に反発をおぼえ、それを公言して憚ら
ない政治家が、進駐軍の兵士にチョコレートをねだる、あの少年たち
のように「アメリカさん、ありがとう」と言うのを聞くと、「和解の
演出は分かるけど、そこまで言うなんて、ちょっと作り過ぎなんじゃ
ね」という思いを禁じ得ないのである。

安倍首相の右翼少年的言辞と、「ギブ・ミー・チョコレート」少年的
言辞との二枚舌には、精神分裂症的道化の匂いを感じるが、ネット上
のサイト「リテラ」は、この二枚舌に小気味よい分析を加えている。
《安倍首相が真珠湾で「アメリカ様のおかげ」スピーチ! 戦後レジー
ムからの脱却はどうなった? 二枚舌に唖然》がそれだが、この記事
によれば、「安倍首相の中には「良いアメリカ」と「悪いアメリカ」
という2つのアメリカがあり、それは安倍首相の政治行動の原点と
なっている祖父・岸信介のアメリカとの関係性が大きく影響している」。

ここでいう「悪いアメリカ」とは、岸信介をA級戦犯として訴追した
アメリカ――GHQ内部の、民政局(GS)に代表される、ニューディー
ラーを中心としたリベラル勢力――である。「良いアメリカ」とは、
反共工作の見返りに岸信介と取り引きをして、岸を訴追から救い、戦
後、内閣総理大臣へと押し上げた勢力、参謀本部第2部(G2)を中心
とした勢力――である。

安倍首相は、「おじいちゃん」であり、「昭和の妖怪」と言われる岸信
介の呪縛から逃れられず、真珠湾でのスピーチにはそのことが如実に表
れている、というのである。

なるほどねえ。そういえば安倍首相は、「悪いアメリカ」から歴史修
正主義者として警戒される反面、「良いアメリカ」からは、対中戦略
の心強いパートナーとして受け入れられているとか。この点まで「おじ
いちゃん」そっくりで、さしずめ「平成の妖怪」とでもいったところ
だろうか。
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蓋の中の臭いもの

2016-12-29 10:43:55 | 日記
きのう行われた安倍首相の真珠湾訪問を、各新聞はきょうになって
やっと社説で取りあげた。きのうのブログで、私はこう書いた。
「「平和」という美名の蓋で「臭いものに蓋」とは、安倍さんも日本
の外務省も、うまいことを考えたものだ」と。
政府をヨイショする新聞が取ったのも、同じ戦略である。もっとも新
聞が用いた「美名の蓋」は、「和解」であり、「不戦の誓い」である。

どの新聞とは言わないが(言うまでもないから)、興味深いのは、朝
日新聞が、そうした「美名の蓋」を用いて政府や政府系新聞が覆い隠
そうとする「臭いもの」に、焦点を当てようとしていることである。
朝日の社説《真珠湾訪問 「戦後」は終わらない》によれば、美名の
蓋によって安倍首相が覆い隠そうとする「臭いもの」は、戦争という
歴史的過去であり、また、日本軍が東南アジア諸国に対して数々の侵
略行為を行ったという歴史的事実にほかならない。「「和解」や「未
来」といった心地よい言葉で過去を覆い隠していいはずがない」とコ
ラム「天声人語」は述べるが、これは社説の主張でもあるだろう。社
説はやや長く、こう述べている。
「未来志向は、過去を乗り越える不断の努力のうえに成り立つ。日米
の首脳がともに世界に語りかける絶好の機会に、先の戦争をどう総括
するか、日本のリーダーとして発信しなかったことは残念でならない。」

朝日はこの他にも、日米同盟を「希望の同盟」と呼び、その絆を強固
にすることの意義を強調する安倍首相が、沖縄県の反対を押し切っ
て、基地移設の工事を強行したことに、注意を喚起している。「日米
の「和解」は強調するのに、過重な基地負担にあえぐ沖縄との和解に
は背を向ける。そんな首相の姿勢は、納得できるものではない。」
この社説の言葉には、「瓢箪から駒」の趣きがある。
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首相 真珠湾訪問のなぜ

2016-12-28 13:57:26 | 日記
きょうは安倍首相がハワイの真珠湾を訪れ、「アリゾナ記念館」で献
花を行って、犠牲者を慰霊する。私がこのブログを書き始めるこの時
間には、すでに安倍首相の演説も、オバマ大統領の演説も、終わって
いるはずだ。
きょうのブログのテーマは、安倍首相の真珠湾訪問にしようと(なん
となく)決めていた。そう思って、きょう、ネットで「新聞社説一覧
」を読もうとした。しかし、あら不思議、どの新聞社も社説でこの
テーマを取りあげていないではないか。安倍首相の真珠湾訪問の話題
は、きのうはテレビのニュースショーでも取りあげていたから、まっ
たくニュース価値のない話題でもないのだろう。それなのになぜ、新
聞はこの話題をテーマに取りあげないのか。

というわけで、きょうのブログでは、当初、安倍首相の真珠湾訪問を
取りあげようと思っていたのだが、急きょテーマを変更し、「新聞の
社説はなぜ、安倍首相の真珠湾訪問を取りあげようとしないのか」と
いう問題を考えることにしよう。

新聞の社説が安倍首相の真珠湾訪問をテーマとして取りあげない、そ
の第一の理由として思い浮かぶのは、それが「取りあげにくい」から
であろう。今回の首相の訪問は、「謝罪のためではない」とされてい
る。「謝罪のため」ということであれば、「日本は(悪くないのだか
ら)謝罪する必要はない」、「謝罪すべきなのは、(無差別爆撃で大
量の非戦闘員を殺害した)アメリカのほうではないか」、「オバマ大
統領は、広島訪問のとき、日本に謝罪したのか」、「謝罪するのな
ら、アメリカだけでなく、東南アジアの国々に対してもすべきではな
いのか」といったさまざまな意見が噴出して、収集がつかなくなる恐
れがある。この「恐れ」は、しかし、日本政府にとってのものであっ
て、新聞各社にとってはむしろ格好のネタになる。社説だって書きや
すいだろう。

ところが今回の真珠湾訪問は、「謝罪のため」ではなく、「慰霊のた
め」なのだ。だからそうしたさまざまな意見は、すべて的外れにな
る。「戦争で犠牲になったすべての人々の御霊に哀悼の誠を捧げます
」という言葉には、「ああ、そうですか。それはどうも」と言って、
おとなしく引き下がるしかない。「戦争は終わりました。戦争は二度
と繰り返してはなりません。これからの永続する平和のためには、強
固な日米の同盟関係が必要なのです」と言われれば、「ああ、戦争で
はなく、平和のためですか。そうですか」と答えるしかない。

「平和」という美名の蓋で「臭いものに蓋」とは、安倍さんも日本の
外務省も、うまいことを考えたものだね。
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「逃げ恥」のそれから

2016-12-27 15:03:21 | 日記
朝日新聞のコラム「天声人語」で、テレビドラマ「逃げ恥」がテーマ
に取りあげられていた。その内容は、「リテラ」のネット評論を読ん
だあとでは、どうしても見劣りの感を禁じ得ない。

数日前にそう書いた本ブログを、朝日新聞の編集委員が読んだわけで
はないだろう。朝日新聞はこれとは別に、12月26日付で、「逃げ恥」
をテーマにした特集記事を組んでいる。「逃げ恥」は、それだけ世間の
耳目を集めているということなのだろう。

朝日のこの特集記事を読んで面白いと思ったのは、原作漫画の著者で
ある海野つなみが、インタビューで次のように答えていることであ
る。

「見た人はどんな反応を?

2通りありました。一つは、「結婚して家事でお金をもらおうなんて
ガメツイ」というもの。男性や年配の女性が多かったのですが、「自
分たちは『家事=無償』でやってきて、何の問題もなかったのに、な
んでお金の問題を持ち込むの?」という反応もありました。

 もう一つは「今までお金をもらっていた仕事が、結婚してタダにな
るのはおかしいよね」という反応です。

 ――どう感じましたか?

 おもしろいな、と。」

思い返していただきたいのだが、前回のブログで取りあげた「リテラ」
の評論は、後者の反応に焦点を当てたものであった。私が面白いと思っ
たのは、この原作者が、作品を描き進めている段階では、後者のような
見方、つまり「今までお金をもらっていた仕事が、結婚してタダになる
のはおかしい」という見方を、特に意識していたわけではなかった、と
いうことである。

「逃げ恥」の原作者は、ネットの評論で展開されたような大げさな社
会的問題意識など、特に自覚していたわけではないのである。

このこと自体はべつに珍しい話ではない。大学入試の国語問題文など
でも、作問のために使われた文章の書き手自身は、自分が書いた文章
であるにもかかわらず、その設問に正しく答えられないことが多い、
ということも、よく聞く話である。

朝日のこのインタビュー記事を読んで、私が興味深く感じたのは、
(「逃げ恥」をめぐる)「リテラ」のその後のネット記事を読んでいた
からかも知れない。
12月26日配信の記事《“逃げ恥”原作者・海野つなみと本谷有希子が
『あさイチ』で安倍政権の「1億総活躍」を批判!「お国の役に立て
みたいな感じ」》は、NHKの番組「あさイチ」を取りあげ、そこで繰り
広げられた安倍政権の「1億総活躍」政策に対する批判を、延々と繰り返
している。

「逃げ恥」原作者の発言は、「(「一億総活躍」のスローガンは)お
国の役に立て、みたいな感じがします」の一言だけ。
この一言に対して、「“活躍”は国から強制されるものではない。しかし、
現在の安倍政権はこの言葉によって、「お国のため」に働けと強制して
いるように思える。まさに正鵠を射る発言と言っていいだろう」とのコ
メントが付けられている。

あとは、「あさイチ」のMCの発言とも、「リテラ」執筆者の意見とも
つかぬ「一億総活躍」批判が、手を替え品を替え、際限なくリピート
されるだけだ。

NHKのこの番組を見たら、あるいは、「リテラ」のこの記事を読んだ
ら、だれもが「逃げ恥」の原作者は、安倍政権批判の急先鋒だと思う
だろう。こうして「逃げ恥」の原作者≒民進党の急進派論客、である
かのような神話が作られる。世情を煽りたいだけのショー番組によっ
て、社会派の虚像を仕立て上げられた「逃げ恥」の原作者は、どんな
思いをいだいているのだろうか。
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