ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

老子と「桜」問題

2020-11-26 11:23:14 | 日記
「桜」疑惑が再び世間を騒がせはじめている。この疑惑をめぐり、東京地検が捜査をはじめたという。捜査の結果、疑惑が疑惑にとどまらないことがわかれば、安倍前首相は犯罪の責任を問われることになる。問題になっているのは、「桜」の前日に開催された後援会主催の懇親会である。この懇親会の会費の一部を安倍事務所が補填していたとすれば、この行為は公職選挙法違反、政治資金規正法違反の疑いがある。公職選挙法違反にしても、政治資金規正法違反にしても、これは立派な犯罪である。

現職の首相がなぜこのような行為をしたのか。なにしろ歴代最長を誇る政権の、そのトップに君臨してきた安倍首相である。後援会の会員をことさら接待などしなくても、衆議院選挙での当選は間違いなかったはずだ。

老子はこう述べている。
持而盈之、不如其已。
(書き下し文:「持(じ)してこれを盈(み)たすは、その已(や)むるに如(し)かず。」
現代語訳:「いつまでも器を満たし続けようとするのは止めたほうが良い。」)

大盃になみなみと酒を注ぐ。この状態をいつまでも保とうとしても、それは不可能に近い。酒であふれるばかりの盃をそのままの状態に保とうと思えば、そう思うほどに手が震え、盃から酒がこぼれ出る。だからそんなことは、しようなどと思わないほうがよい。

老子はこう述べるのだが、安倍首相はまさにそうしようと思ったのではないか。一度なみなみとに酒を注げば、その状態を維持したいと思うのは人情である。だがその思いが強ければ強いほど、人は心配に苛まれ、疑心暗鬼に駆られる。「この状態を覆そうとたくらむ奴が、いつ出てこないとも限らないからな」。そう思って最悪の事態に備えたつもりが、かえって(犯罪の汚名をきるという)さらに悪い事態を呼び込んでしまう。

だからそんなことは「已むるに如かず」なのだが、それすらも「わかっちゃいるけど、止められない」。とすれば、残るのは潔く引退する道である。
功遂身退、天之道。
(書き下し文:「功遂(と)げて身の退(しりぞ)くは、天の道なり。」
現代語訳:「自らのやるべき事をやり遂げたならば、さっさと引退するのが天の道というものだ。」)

安倍首相はそう考えたのかどうか。それはわからないが、彼は今年の8月下旬、持病(潰瘍性大腸炎)の悪化を理由に辞意を表明した。政界を引退すれば、「持(じ)してこれを盈(み)たす」ための心労から解き放たれると思ったのだろう。だが権力の座を離れた今、保身のために犯したかつて罪を追及されようとは、思ってもみなかったに違いない。こうなったら、いっそのこと人間社会から引退し、隠遁生活を送るしかないか・・・。
コメント
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