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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ドラマ「御上先生」について(その2)

2025-03-31 09:34:05 | 日記
(承前)

先週の日曜日(3月23日)に最終回をむかえたテレビドラマ「御上先生」。私がこのドラマに対して不満をいだくのは、もっぱら以下に述べる二つの点に関してである。

第一に、私はこのドラマの終わり方が気に入らなかった。第1回の登場場面では(上から目線が強すぎたため)生徒たちに疎んじられていた御上先生が、最後には生徒たち全員から感謝されて終わる、というメデタシ、メデタシの大団円は、「いかにも」にして「ありがちな」学園ドラマの典型であり、(御上先生が常々批判していた)「熱血教師の学園モノ」とさして変わらない。
こんな陳腐かつ安易な終わり方しかなかったのだろうか。エンディングにも、このドラマにふさわしい意外性に充ちた終わり方が欲しかった、ーーその「もうひとひねり」があればよかった、と私は思うのである。

第二の不満点は、公務員(総合職)の採用試験会場で、男子受験生を刺殺した真山弓弦(堀田真由)の、その犯行の動機を明らかにしないまま、このドラマが終わった点である。
冴島先生(常盤貴子)の一人娘である弓弦は、なぜそのような行為をしたのか?
たしかに、一応の答えが示されていないわけではない。第3話で、刑務所に面会に出向いた御上先生との対決場面で、このドラマの作者はこういう答えを用意していた。「弓弦は世の不正を正すためにそれをしたのだ。弓弦の行為は一種のテロだったのだ」と。
いや、そうではない。正確にいえば、これは御上先生の口から出た言葉であり、言ってみればこれは御上先生が作り出した解釈の産物である。

「きみは世の不正を正すためにそれをやったのだろうが、そんなテロまがいのやり方では、世の中はちっとも変わらないよ」

というのが、御上先生の言いたかったことなのである。

だから、これは御上先生が弓弦の行為を理解しようとして生み出した一方的な解釈の産物であるとともに、ドラマの作者が主人公の志を(視聴者に)明示する道具立てとして設(しつら)えた舞台装置の一コマでもあり、いずれにしても弓弦がそれをしたホントの理由ではない。そう私は受け取った。
その上で弓弦の心の内奥にあるホンネの部分を、私は知りたいと思ったのである。自分はなぜそんな行為をしたのか、ーーもし弓弦自身が自分の言葉でそれを口に出したら、それはどんな内容になるのか、それを私は知りたかったのである。

最終回で、きっとそのホンネの部分が明かされるのだろう、ーーそう私は予想し期待していた。実をいうと、私はそのホンネの部分を自分なりにこう読み解いていた。

弓弦の母親・冴島先生は、キャリアの文部官僚だった夫から隣徳学院への不正入学の斡旋を強要され、渋ったためにこの夫から常日頃、激しいDVを受けていた。
夫からの暴力に苦しむ母親の姿を見て育った弓弦は、暴力への怨念を募らせながら、「キャリア官僚=悪」との思いをしだいに深め、その報復のために公務員(総合職)の試験会場に乗り込んで「テロ」を行ったのではないか、ーー私は勝手に、そんなふうに読み解いていた。
もっと別の解釈があるのかもしれないが、いずれにせよ、そのホンネの部分に立入ろうとしなかったこのドラマのエンディングが、私には不満だったのである。

最後に、ひとつお願いがある。TBSには、弓弦が育った家庭環境をメインステージにした、もう一つのスピンオフ・ドラマを作っていただけないだろうか。

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ドラマ「御上先生」について(その1)

2025-03-29 09:22:08 | 日記
テレビドラマ「御上先生」が終わった。日曜日の夜9時からTBS系列で放送されたこのドラマはとても面白く、私は毎週欠かさずこれを見ていた。
私が通うデイサでもおおむね好評で、何人かのスタッフがこれを見ていた。
このテレビドラマは私にとっては、デイサ・スタッフとのコミュニケーション・ツールとしても大いに役立ったのである。

このドラマが最終回をむかえた今、この回を中心に、総括の意味で若干の感想を述べたいと思う。「感想を」と思ったのは、このエンディングに私はちょっぴり不満があり、これを吐露したいと思ったからである。

このドラマのコンセプトは、全体として大きく二つある。
一つは、主人公の御上先生(松坂桃李)の教えによって、大学受験をひかえた高校3年の生徒たちが「自分の頭で考える」ことを学び、成長していく姿を描くことである。
最終回もご多分にもれず、自分が(政治家の父親の口利きで)進学校・隣徳学院に不正入学したことを知り、思い悩んでいた女子学生・千木良(高石あかり)が、(社会正義の権化さながら)この不正を暴こうとする、新聞記者志望のクラスメート・神埼(奥平大兼)の追及を受け、窮地に立たされながら、この窮状をどう打開するかがこの回の第一のメインテーマだった。

このドラマのもう一つのコンセプトは、教育現場の不正を暴き、我が国の教育制度を根本から是正しようとする御上先生の奮闘を描くことである。文科省の官僚だった御上が隣徳学院に教師として赴任したのも、こうした社会変革の動機からにほかならなかった。

第一のコンセプトに関していえば、女子生徒の千木良が自ら見出した解決は素晴らしいものだった。彼女は隣徳学院を中退したあとで高卒認定試験を受け、自分の力で大学に入るのだと決意を述べる。

もう一つのコンセプトである「教育現場の不正を暴く」という点に関しても、最終回で、御上のこの目的がみごとに達成されたことが描かれた。
御上の文科省の同僚・槙野との連携により、永田町(政治家)の望み(家族の不正入学)を霞ヶ関(文科省の官僚)が隣徳学院(理事長の古代)に取り次ぎ、その見返りとして隣徳学院側が莫大な補助金を手に入れる、という政・官・学の癒着の構図がみごとに暴かれたのである。

それはそれでとても良くできたドラマだった。だから、私が不満をいだくのはこの点ではない。私はこのドラマを秀作だと認めるのにやぶさかでないが、その上で、「この点をこうしたら、もっと良かったのになあ・・・」と残念に思うのである。
私が不満をいだくのは、もっぱら以下に述べる二つの点に関してである。
(つづく)

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石破首相の対トラ・スクラム

2025-03-27 09:39:00 | 日記
そのニュースを聞いたとき、私は耳を疑った。

石破総理大臣は、日中韓3か国の外相会議などに出席するため日本を訪れている中国の王毅外相、韓国のチョ・テヨル外相と21日夜、総理大臣官邸でおよそ25分間面会しました。
この中で石破総理大臣は『中韓両国はわが国にとって極めて重要な隣国だ。隣国ならではの難しい問題も時に発生するが国益に基づく現実的な外交により、諸懸案を含めて対話し、未来志向の協力関係を築いていきたい』と述べました。

(NHK NEWS WEB 3月21日配信)

え?うそだろ⁉
だって、そうではないか。石破首相といえば、膨張主義の覇権国家・中国に対して少なからず警戒心や敵対心をいだいている人物である。先の自民党総裁選では、次の首相候補として(中国を仮想敵国とした)「アジア版NATO」の創設構想をぶち上げたほどである。
その石破首相が、日中韓の外相会議を東京で開催するだけでなく、あろうことか、中国の王毅外相に対して「未来志向の協力関係を築いていきたい」などと述べたというのだ。

韓国はともかく、中国に対するこの急接近ぶりを、我々はどう理解したらいいのだろうか。

真っ先に浮かんだのは、「気まぐれ暴走老人・トランプ米大統領の関税政策への対策として」という動機である。自国ファーストのトランプに対して、これまでのように対米追従一辺倒の姿勢をとり続けるのは、あまりにもリスクが大きい。これは当然、だれもがいだく懸念である。

だが、石破首相が仮にこう考えたからといって、反中路線から親中路線へと急ハンドルを切るほど彼がドライで、クールで、クレバーだとはとても思えない。
たぶんタニマチの経団連あたりから
「貿易の相手国としてアメリカがだめなら、次は中国しかない。よって中国と仲良くすべし!」
とご下命が下ったのだろう。

私のこうした推測を裏打ちしてくれたのが、朝日新聞である。朝日新聞は
「日中韓外相会談 課題解決へ協力深化を」
と題した3月23日の社説の中で次のように書いている。

日韓にとって、中国は最大の貿易相手国である。中国にとっても、日韓は輸出入とも上位を占める。経済では切っても切れない関係にあり、3カ国にまたがる貿易・投資や人的交流などを進めることは、お互いの利益になる。
(朝日新聞3月23日)

下部構造が上部構造を規定する、と言ったのはK・マルクスである。今の文脈でこの言葉を言い換えれば、「下部構造」は経済状況と、「上部構造」は政治的な方針選択と言い換えることができるだろう。
大国・アメリカのトランプ大統領の持論だった関税政策は、日本と中国の経済状況を大きく変えた。そこで日本と中国は、手を携えてこれに対抗することを余儀なくされたのだ。ドミノ・ゲームではないが、「中←→日・米・韓」という従来の対中対立図式は、「米←→日・中・韓」という新たな対米対立図式へと容易に反転する。
これによって生じるのは、「自国ファースト」の自己中・トランプが国際社会で孤立し、窮地に陥るというみじめな結末である。

だが、これはある意味、身から出た錆(さび)であり、予想できたことではある。「情けは人の為ならず」。自分のことだけを考えて、他人(ひと)のことなど意に介さない自己中野郎は、世間から爪弾きにあって結局、泣きをみる。
ビジネスマンのトランプなら、先刻ご承知のはずだ。

ともあれ、「日・中・韓」の対米スクラムは今後、どうなりますことやら。

ここまで書いたあとで、けさの起きがけにスマホで「朝日新聞ビューアー」を開いたら、次の記事が目にとまった(3月27日付)。タイトルだけを記す。

(1)「防衛相、GW後に訪伊 日英伊会談
(2)「首相、GWに比訪問へ 『準同盟』関係強化めざす
(3)「日ブラジル、相互訪問へ 大統領、貿易協定交渉の意向 首脳会談

ここから、石破首相の次のメッセージを読み取ることができる。

「我々は何も中国とだけ仲良くするわけじゃありませんぜ。いわゆる全方位外交というやつで、トランプ米大統領の自国ファースト主義の、そのとばっちりを受けそうな国々と対米スクラムを組むということです。」

う〜む、石破くん、なかなかやるじゃないか!

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放送100年に思う(おまけ)

2025-03-25 02:19:39 | 日記
前回のブログで、私は「あさま山荘事件」にふれた。ブログを書き終えたあとで、その事件の記憶が私の中にまざまざとよみがえってきた。あの事件は放送史上エポックメーキングだっただけでなく、私自身の精神形成の上でもエポックメーキングな事件だったのかもしれない。

印象深い記憶としてよみがえってきたのは、「巨大クレーン車と巨大鉄球」のテレビ映像である。直径が1メートルもあろうかという巨大な鉄球を、クレーンで吊るし、振り子のように揺らして(犯人たちが立てこもる)「浅間山荘」の外壁にぶつける。それによって開いた大きな穴から警官隊が突入するという、緊迫したシーンである。

このときの模様を、Wikipedia は次のように描いている。

2月28日午前10時に警視庁第二機動隊(以下「二機」)、同第九機動隊(以下「九機」)、同特科車両隊(以下「特車」)及び、同第七機動隊レンジャー部隊(七機レンジャー)を中心とした部隊が制圧作戦を開始。まず、防弾改造したクレーン車に釣った重さ1トンの鉄球にて犯人が作った山荘の銃眼の破壊を開始。直後に二機が支援部隊のガス弾、放水の援護を受けながら犯人グループが立てこもる3階に突入開始(1階に九機、2階に長野県警機動隊が突入したが犯人はいなかった)。それに対し、犯人側は12ゲージ散弾銃、.22口径ライフル、.38口径拳銃を山荘内から発砲し抵抗した。
( Wikipedia )

このシーンがなぜ私の印象に残ったのかというと、それは「浅間山荘」の外壁を打ち砕いたこの「重さ1トンの鉄球」が、私には国家権力の象徴のように映ったからである。
この攻防戦では、犯人側の銃撃によって警官2名が死亡している。にもかかわらず、犯人確保の作戦は着々と実行された。その強行手段として使われたのが、あの巨大鉄球だったのである。巨大鉄球は、現場警官の殉職など全く意に介さない。個人的な事情など一切お構いなしに、ひたすら目的を遂行する。それが国家というものだ、と私は思ったのである。

それだけではない。この事件はまた「革命」を叫ぶ左翼過激派に対する私のイメージ・認識をがらりと変えた。犯人グループの左翼過激派・「連合赤軍」は、浅間山荘に立てこもるまでになんと12名の同士を殺害していた。
それまで、私は過激派学生同士の内ゲバの乱闘騒ぎは何度か間近で目にしていたが、集団殺害まで来ると、もはや「狂気」と言うしかない。
「狂気」がもたらした陰惨な殺し合いは、「革命」の理想にいだいていた私のほんのりした期待と、左翼セクトへの私のぼんやりしたシンパシーを、完膚なきまでに打ち砕いたのである。
この狂気が私に突きつけたのは、個々人の心の奥にひそむどす黒い〈闇〉の存在だった。このように、個々人の心の内奥に巣食う非合理な〈闇〉の存在を私に気づかせ、若かった私の甘っちょろい現実認識を打ち砕いた点でも、この事件はエポックメーキングな事件だったといえるだろう。

前回のブログを書くまで、そんなことなど私はすっかり忘れていたが、すでに記憶の下層に沈殿してしまっているさまざまな出来事からの影響が、今現在の私を形作っているに違いないのである。

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放送100年に思う

2025-03-23 09:24:06 | 日記
放送100年だそうである。ラジオ放送が始まったのは1925年3月22日、最初に放送を行ったのは、NHKの前身の東京放送局とのこと。
こうしたこともあって、NHKは「放送100年 時代を超えて3世代が選ぶあの番組」などと、「放送100年」を番組のタイトルに謳い、老舗放送局の自負を表明している。
オールドメディアのもう一つの雄・新聞もこれにあやかり、(放送とは何の関係もないのに)「放送100年」にまつわる記事に多くの紙面を費やしている。

(1)「きょう放送100年 何が起こるか、わからないのがテレビ 萩本欽一さんに聞く

(2)「(時時刻刻)100年、岐路に立つ放送 国民全体で時間・情報を共有 今は見たい時に見たい場所で

といった具合である。

(1)の記事では、欽ちゃんが「テレビに対する考えが大きく変わったのは、あさま山荘事件だったね」と、当時を振り返っている。
たしかに、そうかもしれない、と私は思い出した。この事件を伝えるテレビ放送のことは、私もよく憶えている。

「釘付けとなったのは、欽ちゃんだけではない。警察が強行突入する一部始終が生中継され、NHKと民放をあわせた視聴率は89・7%を記録した」

と記事は書くが、私も事の推移から目を離せず、テレビにかじりついていた。
この事件があった1972年当時、私は22歳、大学を卒業できず、お先真っ暗の状態だった。

「向こう(テレビ)は映しているだけ。台本も演出もない。それでも人は夢中になる。何かを『作る』のではなく、『何が起こるかわからない』ことが、テレビの本質じゃないか」

と欽ちゃんは語るが、たしかに、「お先真っ暗」の閉塞状態にいた私は、「何が起こるかわからない」椿事の予感に、わくわくと胸を躍らせていたのかもしれない。

いや、私のことはともかく、一つ重要なことがある。この事件の生中継が視聴率89・7%を記録したことは、(2)の記事がいうように、一つの情報なり、一つの社会現象なりを、国民の大半が共有していたことを意味している。そしてこのことが「様々な文化や社会現象の源泉となった」のであり、この点で、これはそれまでとは決定的に違っている。
「いつでも好きな時にコンテンツを視聴できるネット配信が急速に広がった」今では、情報の共有はなされず、その意味で「放送文化は岐路に立っている」といえる。その先には「社会分断の恐れも」ある、と記事は書くが、たしかにそれもあり得ないことではない。

「ネット上で、自分で選んで見たいものだけを見るようになった時代は、他者を意識しない『フィルターバブル』に社会全体が陥りやすい。放送の衰退によって、社会の分断を生む恐れは高まっている」。

なるほどねえ。自分が「社会分断の魁(さきがけ)」だという自覚は私にはないが、夜になるとベッドにもぐりこみ、独りスマホでTVerやYoiuTubeを見て夜更かしをする習慣が身についてしまったジジイの私は、もしかすると新しい社会現象の最先端を行っているのかもしれない(笑)。

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