ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

中国に戦争はできるか

2024-01-31 10:59:12 | 日記
1艘の軍艦を100キロ走らせるのに、燃料代がいくらかかるのか、私にはわからない。1機の爆撃機を100キロ飛ばすのに、燃料代がいくらかかるのかも、私にはわからない。軍艦から放つ砲弾が、1発あたりいくらするのか、私にはわからない。爆撃機から発射される爆弾が、1発あたりいくらするのかも、私にはわからない。


戦争は、これだけでできるものではない。戦争の主役は武器ではなく、あくまでも兵士、軍人である。多数の兵士を戦場に立たせるには、おびただしい人件費が必要だ。兵士が戦死したとなれば、遺族に支払う弔問金も馬鹿にならないだろう。


いずれにしても、戦争をするのには多額のカネがかかる。これは、いくら経済に疎い私でもわかる道理である。


だから私には、今の中国がアメリカを相手に事を構えることができるとは、とても思えない。台湾に軍事攻撃を仕掛けることができるとは、とても思えない。おとといの朝日新聞に、こんなタイトルの記事が載っているのを読んだからである。


中国の公務員『半年給料ない』 不動産不況、経済揺るがす


記事によれば、中国では、「安定しているはずの公務員の給料未払いが、多くの都市で起きている」という。給料が3カ月以上払われないために、生活費を「親の仕送りに頼るしかない」公務員が続出しているというのだ。
中国では21年秋以降、中国恒大集団をはじめ不動産大手が相次いで経営難に陥っている。関連産業は国内総生産(GDP)の3割超を生み出しており、その不況は経済全体を揺るがしている」と記事はいう。


公務員の給料を満足に払えない中国に、兵士の給料など、軍事費をまかなうだけの経済力があるとは、私には思えない。中国共産党のトップ・習近平がこの事態をどう考えるかではなく、こういう事態が否定できない事実として現にあることが問題なのである。こういう事態が無視できない事実として現にある以上、中国は戦争を仕掛けることができず、したがって「台湾有事」など夢のまた夢だろう。


「対岸の火事」ですらない夢まぼろしのために、日本はあたふたする必要はないのではないか。そう思ったりしている天邪鬼爺である。

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政策活動費というザルの穴をふさげ

2024-01-30 10:49:20 | 日記
けさの朝日新聞は、第1面のトップにでかでかと次の見出しを掲げていた。


政策活動費公開に否定的 首相『政治活動の自由』 衆参予算委


記事の本文にはこう書かれていた。


政党から政治家個人に渡され、使い道を明らかにしないで済む『政策活動費』も(審議の)焦点となった。裏金を受け取っていたとされる議員の秘書らが『政策活動費と認識し記載していなかった』と供述し、裏金の温床と見られているためだ。公明の中川康洋衆院議員は『還流の隠れみのとして政策活動費という言葉が使われている』として、使途公開の義務化を提案。立憲の階猛衆院議員は、自民の二階俊博氏が5年間の幹事長在任中に約50億円を受け取ったことを指摘し、『使い道を明らかにしないのは国民の納得がいかない』と廃止を主張。立憲は二階氏の参考人招致を求めた。日本維新の会も廃止を訴えた。
こうした指摘に対し、首相は『政治活動の自由と、国民の知る権利のバランスの議論で今に至っている』と繰り返し、慎重な姿勢を見せた。

(朝日新聞1月30日)


この記事を読んで、私は「やっぱりなあ」、「こりゃダメだ」という思いにとらわれた。
「これでは、日本の政治は腐りはて、奈落に落ちるしかない。キシダは自分の発言の罪深さを自覚しているのだろうか・・・」
そう思ったのである。


5日前のブログ記事《政策活動費というザルの穴》の中で、私は次のように書いた。


「ブラックボックス化した『政策活動費』こそ、まさしく『政治資金の透明性の向上』を阻む元凶である。『政策活動費』のブラックボックス化という『ザルの穴』をふさがない限り、政治制度の刷新はいかんともしがたい。」

「政治資金の透明性の向上」を阻むもの、それは「政策活動費」のブラックボックス化を招く「政治活動の自由」という美辞麗句にほかならない。同じブログ記事の中で、私は次のようにも書いた。


「『政策活動費の使途公開の義務づけ』を求める動きの前に立ちはだかるのは、『政治活動の自由』という、憲法に保証された『表現の自由』に則った理念である。表現の自由は国民の権利としての自由権に基づく、ゆえに何が何でも認められるべきだ、というわけだが、この種の議論は、憲法13条に次のように書かれていることを忘れている。


すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


『政治活動の自由』が認められるのは、あくまでもそれが『公共の福祉に反しない限り』でのことだ、というわけである。」


岸田首相が昨日、衆院予算委の審議の席で強調したように、「政治活動の自由」はあくまでも担保されるべきだが、このことと「国民の知る権利」は全く別の話である。(ともすればブラック化しがちな)政策活動費が「(有権者の買収といった)公共の福祉に反するような使われ方はしていない」と証明できる程度の、それ位の情報の公開は求めて然るべきだと思うのだが、読者諸賢はいかがお思いだろうか。


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〈正義〉の戦士の最期

2024-01-29 13:56:23 | 日記
NHKの朝ドラ「ブギウギ」を見終えたときだった。テレビの画面に「ニュース速報」のキャプションが流れ、「桐島聡」なる人物が死亡したことを、私は知った。唖然として、言葉が出なかった。いや、言葉は出たものの、私の頭は完全に思考停止の状態だった。
「そうか、死んだのか・・・」。この言葉が自分に対してのものだったか、目の前の妻に対してだったのか、自分でもよくわからない。


「桐島聡」なる人物のことは、きのうのブログで取りあげたばかりだった。50年ほど前、世間を震撼させた連続企業爆破事件の一つに関与し、「韓国産業経済研究所」なる企業に手製爆弾を仕掛け爆破させたとして、指名手配になっていた逃走犯。彼は過激派セクト「東アジア反日武装戦線」のメンバーだった。


きのうのブログで、私は70歳のこの男を、「〈正義〉の戦士」の年老いた姿として捉えた。その上でこう書いた。


「彼はこのセクトのメンバーとして(上官に命じられて敵と戦う兵士のように)、何の疑いも持たず、セクトが主張する〈正義〉を実行したのだろう。標的の爆破に成功したとき、彼は無事任務を遂行した達成感にとらわれたに違いない。」


それはそうと、彼はなぜこの期に及んで自分が指名手配中の人物だと名乗り出たのか。彼は「最期は本名で迎えたい」と思ったらしい。きのうのブログで、私は次のように書いた。


「これは、長年の逃亡生活が自分に充分納得できるものであり、『自分は本分を全うしたのだ』との達成感があったからこそ懐いた心境なのだろう。」


だが、今にして思えば、自分の死期を悟った彼は、長年の逃亡生活に自ら終止符を打ち、心安らかな充ち足りた心境であの世に旅立ちたいと考えたのかもしれない。


そう考えたとすれば、彼は自分の過去を顧み、自分の〈正義〉への思いに反省を加えて、被害者を悼む気持を綴った手記のようなものを書き残していた可能性がある。そのあたりのことは、今後の捜査で明らかになることだろう。


それにしても、こうも早く死期が訪れるとは・・・。それは、彼自身も思ってもみないことだったに違いない。

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〈正義〉の戦士の余生はいかに

2024-01-28 14:50:56 | 日記
末期がんで重篤な状態に陥り、入院中の老人が、「自分は桐島聡だ」と名乗り出たという。
桐島聡」といえば、50年ほど前、世間を震撼させた連続企業爆破事件の一つに関与し、「韓国産業経済研究所」なる企業に手製爆弾を仕掛け爆破させたとして、指名手配になっていた逃走犯の名前である。


病院から警察に通報があり、警視庁公安部が男と接触。男が桐島容疑者本人かどうかをDNA型鑑定などによって調べるという。


桐島容疑者は50年ほど前の当時、過激派集団「東アジア反日武装戦線」のメンバーだった。彼はこのセクトのメンバーとして(上官に命じられて敵と戦う兵士のように)、何の疑いも持たず、セクトが主張する〈正義〉を実行したのだろう。標的の爆破に成功したとき、彼は無事任務を遂行した達成感にとらわれたに違いない。


末期がんで入院した病院のベッドで、彼が「自分は桐島聡だ」と名乗ったのは、「最期は本名で迎えたい」との思いからだったようだが、これは、長年の逃亡生活が自分に充分納得できるものであり、「自分は本分を全うしたのだ」との達成感があったからこそ懐いた心境なのだろう。


〈正義〉の実行という任務を遂行してから、名前を変え、土木関連会社に勤務しながら平凡な一市民として過ごし、末期がんで死を迎えつつあるこの老人の報を聞いて、私は、「哀れなやつだ」とも「馬鹿なやつだ」とも思わなかった。むしろ、50年前にフィリピンから胸を張って日本に帰還した、あの小野田寛郎さんと共通するものを感じ、清々しい気持ちになる。


小野田さんは、第二次世界大戦が終結したのを知らずに29年もの間、フィリピン・ルバング島の森の中で耐乏生活を送り、挫けそうになる自分を奮い立たせながらゲリラ戦継続の毎日を生きて、1974年、無事、日本に帰還した。


桐島聡なる老人の報に接したとき、私が感じたのは、この小野田さんと同じ、〈正義〉に殉じた人の余生の清々しさだった。末期がんで老い先短い老人、という言葉から受ける印象とは程遠いものがある。


ただ、疑問が残るとしたら、この男が長い逃亡生活の間、セクトが主張し、自分が殉じた〈正義〉の、その内実の意義を少しも疑わなかったことである。
〈正義〉の戦いや爆弾テロには、必ず犠牲者が出る。自分が奉じた〈正義〉は絶対だ、との信念が多少でも揺らぎ、テロの犠牲者を悼む気持ちが少しでも湧けば、彼はもっと早く自首すべきだったのかもしれない。
「若気の至り」だといって済むものではない。

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デイサの日々をのりこえる

2024-01-27 12:18:22 | 日記
私が週に2回、通所するデイサでは、毎回、血圧や体温などのバイタル・チェックが行われる。このところ私の身体は高血圧の値を示すことが多く、(脳出血の既往症を持つ)私は気が気でない。食生活を見直したらどうか、などと助言されるが、当の私としては、このデイサが高血圧の原因になっているのではないかと疑っている。


このデイサで過ごす時間は、私にはどちらかといえば心地よく感じられるが、これが案外、無意識のレベルで私にプレッシャーをかけ、ストレスの原因になっているかもしれないのである。


きのうのブログで、私は次のように書いた。


「このデイサへの通所は(國分氏の言葉でいえば)『うまく自分に合う組み合わせ』ではないのかもしれない。私は『うまく自分に合う』別のデイサを探すべきではないだろうか。」


こう自問した私は、


「『うまく自分に合う組み合わせ』は、デイサがどうこうといった外的環境にではなく、『気』や『心持ち』といった内的環境にあるのかもしれない」


と思うに至った。


だが、これはホントなのかどうか。


そこできょうは、この問題をも少し掘り下げて考えてみたいと思うのである。


このデイサがーーこのデイサで過ごす時間がーー私にストレスを与えているのだとすれば、その原因は(この施設の照明の具合や、温度管理の仕方などではなく)この施設の中にいる〈人〉にあるに違いない。


かつてスピノザは次のように書いた。


「愛とは、外部の原因の観念を伴った喜びである。」
「憎しみとは、外部の原因の観念を伴った悲しみである。」


ここで言う「外部の原因」こそ、外部の〈人〉、つまり〈他人〉のことなのである。

我々はある他人に愛情を懐いたり、憎しみを懐いたりする。それに伴って、(この〈他人〉と交わるとき)喜びを感じたり、悲しみを感じたりする。
「蓼食う虫も好き好き」という言葉があるように、我々がだれを好きになり、だれを嫌いになるかは自分でもどうにもならない。自分ではどうにもならないから、それは我々のストレスの原因になったりするのだろう。


さらに言えば、我々が好きだった人も、あしたにはうんざりするほど嫌いになることがある。「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉もある位である。


スピノザは知らなかったに違いないが、「蛙化現象」と呼ばれる心理の機微もある。以前、本ブログで取りあげたように、「蛙化現象」とは、

「片想いのうちは大好きで夢中になっていたのに、その相手から興味を持たれたり、振り向かれたりすると途端に気持ちが冷めたり嫌いになってしまう心理的現象」

のことである。


簡単にいえば、「逃げれば追いかけたくなり、追われれば逃げたくなる」ということである。


ーーいや〜、やっぱり書いてみるものだ。書いてみて、はっきり解ったことがある。きのうのブログで、「私は『うまく自分に合う』別のデイサを探すべきではないだろうか」と自問し、これに対して「『うまく自分に合う組み合わせ』は、デイサがどうこうといった外的環境にではなく、『気』や『心持ち』といった内的環境にあるのかもしれない」と書いたとき、私は次のように考えていたに違いないのである。


好きや嫌いといった(ストレスを生む)感情は、特定の〈人〉への執着から生まれる。ならば、ストレスから脱却するには、この「特定の〈人〉への執着」を断ち切ればよい。


問題は、この「〈人〉への執着」を断ち切るにはどうすればよいかだが、これはある意味、簡単なことであり、ある意味、難しくもある。


ラ・ロシュフコーが述べたように、「〈人〉への執着」も、そこからくる情熱も、言ってみれば病気のようなもの。一種の病気であれば、のんびり構えて、ただ快癒を待つだけでよい。何もせず、ただ待てばよいのだ。


待つことが苦手なせっかちは、


時々気を転じ日々に情をあらたむ


という(芭蕉の)言葉に従えばよい。
そのときそのときに絶えず心を新たにし、日々まっさらな気持ちで心の窓を思い切り開け放てばよい。
心のわだかまりも霧のように晴れることだろう。

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