『ホタル』という映画をご存知だろうか。高倉健が主演で、監督は降旗康
男。特攻隊の生き残りである主人公が、漁師として病弱の妻とともに暮ら
し、昭和が終わるまでの戦後を歩む、その生き様を描いた作品である。
近頃はテレビがちっとも面白くないので、夕食後は「アマゾン・プライム
・ビデオ」で動画を観ることが多くなった。「おすすめ映画」にこの作品
がリストアップされたのは、高倉健が主演の映画作品を、ーー『網走番外
地』や『昭和残侠伝』や『緋牡丹博徒』などのヤクザ映画をーーこのとこ
ろ見つづけていたからだろう。
私はべつに健さんの熱狂的なファンであるわけではない。ヤクザの世界に
憧れているわけでもない。ただ、これらの映画を観ると、ほぼ半世紀前に
過ぎ去った私の青春時代が、ほんのりと懐かしく蘇るのである。その頃、
下宿の近くの映画館「池袋文芸座」や「文芸地下」では、土曜の夜になる
と、これらの映画がオールナイトで上映されていた。
私はある時期、毎週のようにこれらの映画館に足を運んだ。夜が明けて空
がうっすらと白みはじめる頃、映画を観おえた若者たちが三々五々、国電
の池袋駅に向かって歩いていく。その後ろ姿は、皆一様に肩を怒らせ、ま
るで殴り込みに行くヤクザのヒーローのようだった。私もその一人だった
(と思う。どう見てもヤクザらしくなかったけれど)。
さて、『ホタル』であるが、この作品は「お国のために私心を捨て、果敢
に敵艦に突っ込んで、尊い命をなげうつ特攻隊の若者たち」という軍国主
義神話の、その虚構をあばこうとした作品だと言えるだろう。この映画に
は朝鮮人の特攻兵が登場し、出陣を前にして、次のような科白を吐くシー
ンがある。「俺は帝国日本のために死ぬのじゃない。朝鮮民族と、知さ
ん(許嫁の日本人女性。後に主人公山岡の妻になる)のために死ぬのだ。」
このシーンを見ながら、私は、軍国思想の神話をあばこうとする、ありふ
れた次のような言説を思い起こした。「『天皇陛下万歳!』なんて言って
死んでいった日本兵は一人もいなかった。みんな『おふくろさん!』と
言って死んでいったのだ」。
件(くだん)の映画のシーンは、この言説のバリエーションだと言えなく
もない。
この映画には、その他にも、食堂のおばさんだった老女が戦後の時代に登
場し、「私達が(特攻兵たちを)殺したんだよ!」と叫ぶシーンが出てく
る。若者たちが軍国思想の神話にからめとられ、死地に赴くように仕向け
たのは、ほかでもない、日本国民の自分たち一人ひとりだ、その責任は自
分たちにある、と言いたいのだろう。
わざわざこんなことを書くのは、ほかでもない。この反戦映画の主張は、
私が本ブログで先に書いたこととある意味、密接につながっているからで
ある。6月27日の《少子化の現状を見据える》で、私は次のように書い
た。
「『自分によい報いがある』と思えないような状況で、それでも『他人の
為になることをしよう』と考えるとしたら、そんな奴はただのアホか、無
責任な政治家の妄言に踊らされたお人好しに過ぎない。」
ここで言う「無責任な政治家の妄言」を、「軍国思想が捏造した忠君愛国
の神話」とおきかえてみればよい。この忠君愛国の神話にからめとられ、
「天皇陛下万歳!」と叫んで死んでいった日本兵たちもいたことだろう。
だが、彼らは決して「ただのアホ」なんかではない。彼らをからめとる虚
構の神話を捏造し、仰々しく飾り立てて、日の丸の小旗を手で振りながら
彼らを戦地へと送り出したのは、一体だれなのか。彼らを「軍神」に仕立
てることに一役買ったのは、一体だれなのか。それは、それは・・・我々自
身ではないのか。
そう考えるとき、私は、二階幹事長の「産めよ、殖やせよ」の発言に与す
るような言説を、今、さらに振りまく愚を繰り返してはならないと思うの
である。(このおちょぼ口ジイサン、どうも憎めないよな、とは思うけど、
それはまた別の話だよね)
男。特攻隊の生き残りである主人公が、漁師として病弱の妻とともに暮ら
し、昭和が終わるまでの戦後を歩む、その生き様を描いた作品である。
近頃はテレビがちっとも面白くないので、夕食後は「アマゾン・プライム
・ビデオ」で動画を観ることが多くなった。「おすすめ映画」にこの作品
がリストアップされたのは、高倉健が主演の映画作品を、ーー『網走番外
地』や『昭和残侠伝』や『緋牡丹博徒』などのヤクザ映画をーーこのとこ
ろ見つづけていたからだろう。
私はべつに健さんの熱狂的なファンであるわけではない。ヤクザの世界に
憧れているわけでもない。ただ、これらの映画を観ると、ほぼ半世紀前に
過ぎ去った私の青春時代が、ほんのりと懐かしく蘇るのである。その頃、
下宿の近くの映画館「池袋文芸座」や「文芸地下」では、土曜の夜になる
と、これらの映画がオールナイトで上映されていた。
私はある時期、毎週のようにこれらの映画館に足を運んだ。夜が明けて空
がうっすらと白みはじめる頃、映画を観おえた若者たちが三々五々、国電
の池袋駅に向かって歩いていく。その後ろ姿は、皆一様に肩を怒らせ、ま
るで殴り込みに行くヤクザのヒーローのようだった。私もその一人だった
(と思う。どう見てもヤクザらしくなかったけれど)。
さて、『ホタル』であるが、この作品は「お国のために私心を捨て、果敢
に敵艦に突っ込んで、尊い命をなげうつ特攻隊の若者たち」という軍国主
義神話の、その虚構をあばこうとした作品だと言えるだろう。この映画に
は朝鮮人の特攻兵が登場し、出陣を前にして、次のような科白を吐くシー
ンがある。「俺は帝国日本のために死ぬのじゃない。朝鮮民族と、知さ
ん(許嫁の日本人女性。後に主人公山岡の妻になる)のために死ぬのだ。」
このシーンを見ながら、私は、軍国思想の神話をあばこうとする、ありふ
れた次のような言説を思い起こした。「『天皇陛下万歳!』なんて言って
死んでいった日本兵は一人もいなかった。みんな『おふくろさん!』と
言って死んでいったのだ」。
件(くだん)の映画のシーンは、この言説のバリエーションだと言えなく
もない。
この映画には、その他にも、食堂のおばさんだった老女が戦後の時代に登
場し、「私達が(特攻兵たちを)殺したんだよ!」と叫ぶシーンが出てく
る。若者たちが軍国思想の神話にからめとられ、死地に赴くように仕向け
たのは、ほかでもない、日本国民の自分たち一人ひとりだ、その責任は自
分たちにある、と言いたいのだろう。
わざわざこんなことを書くのは、ほかでもない。この反戦映画の主張は、
私が本ブログで先に書いたこととある意味、密接につながっているからで
ある。6月27日の《少子化の現状を見据える》で、私は次のように書い
た。
「『自分によい報いがある』と思えないような状況で、それでも『他人の
為になることをしよう』と考えるとしたら、そんな奴はただのアホか、無
責任な政治家の妄言に踊らされたお人好しに過ぎない。」
ここで言う「無責任な政治家の妄言」を、「軍国思想が捏造した忠君愛国
の神話」とおきかえてみればよい。この忠君愛国の神話にからめとられ、
「天皇陛下万歳!」と叫んで死んでいった日本兵たちもいたことだろう。
だが、彼らは決して「ただのアホ」なんかではない。彼らをからめとる虚
構の神話を捏造し、仰々しく飾り立てて、日の丸の小旗を手で振りながら
彼らを戦地へと送り出したのは、一体だれなのか。彼らを「軍神」に仕立
てることに一役買ったのは、一体だれなのか。それは、それは・・・我々自
身ではないのか。
そう考えるとき、私は、二階幹事長の「産めよ、殖やせよ」の発言に与す
るような言説を、今、さらに振りまく愚を繰り返してはならないと思うの
である。(このおちょぼ口ジイサン、どうも憎めないよな、とは思うけど、
それはまた別の話だよね)