ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

村の鍛冶屋と自然災害

2020-11-24 10:37:27 | 日記
槖籥(たくやく)とは、鞴(ふいご)のことだという。ふいごだって?聞き慣れない言葉だが、聞いたことがあるようにも思える。たしか「村の鍛冶屋」だったろうか。

♫しばしもやまずに 槌うつ響き。
飛び散る火の花、はしる湯玉。
鞴(ふいご)の風さえ 息をも継がず、
仕事に精出す 村の鍛冶屋。♫

要するに鞴(ふいご)とは、火の燃焼を促すために火種へ風を送る装置らしい。私は実物を見たことがない。

私が子供の頃、わが家には「火吹き竹」という道具があり、私はそれをよく使っていた。今から60年ほど前のことになる。当時は風呂の湯を沸かすのに石炭釜が使われ、小学生の私は石炭を釜に焼(く)べて、風呂の湯を沸かすのが毎日の役割だった。竹筒の一端に口を当てて、膨らませた頬から窯の中にふう〜〜と空気を送る。そのたびに石炭は赤々と燃え上がった。鞴(ふいご)とは多分、それを大掛かりにした装置なのだろう。

老子はこう述べている。
天地之間、其猶槖籥乎。虚而不屈、動而愈出。
(書き下し文:「天と地の間は、其(そ)れ猶(な)お槖籥(たくやく)のごときか。虚(むな)しくして屈(つ)きず、動きていよいよ出ず。」
現代語択:「天地自然の働きは空気を送り出す鞴(ふいご)の様なものだ。空っぽの空間から尽きることなく万物が生み出され、動けば動くほどに溢れ出てくる。」)」

この文章を読んでいると、私の眼前には、洪水に見舞われ、悲嘆にくれる人々の姿が浮かんでくる。新型コロナの新規感染者数をニュースで知らされ、「あしたは(デイサに)行くべきか、行かざるべきか」と思い惑う私自身の姿が浮かんでくる。

火の燃焼を促す装置としての、鞴(ふいご)。そのまわりでは火が燃えさかるが、その中心にある中空の空間は燃えることなく、不動を、静を、保っている。
自然災害に一喜一憂する人々の姿は、ふいごに煽られて激しく揺らぐ炎のようだ、と、そう老子は思ったのだろう。

ふいごに風を送っているのは、一体だれなのか。そういう造物主ははたして存在するのかどうか。仮に神がいたとしても、この神は「仁」の心とは無縁の存在であるに違いない。
コメント
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