(承前)
先週の日曜日(3月23日)に最終回をむかえたテレビドラマ「御上先生」。私がこのドラマに対して不満をいだくのは、もっぱら以下に述べる二つの点に関してである。
第一に、私はこのドラマの終わり方が気に入らなかった。第1回の登場場面では(上から目線が強すぎたため)生徒たちに疎んじられていた御上先生が、最後には生徒たち全員から感謝されて終わる、というメデタシ、メデタシの大団円は、「いかにも」にして「ありがちな」学園ドラマの典型であり、(御上先生が常々批判していた)「熱血教師の学園モノ」とさして変わらない。
こんな陳腐かつ安易な終わり方しかなかったのだろうか。エンディングにも、このドラマにふさわしい意外性に充ちた終わり方が欲しかった、ーーその「もうひとひねり」があればよかった、と私は思うのである。
第二の不満点は、公務員(総合職)の採用試験会場で、男子受験生を刺殺した真山弓弦(堀田真由)の、その犯行の動機を明らかにしないまま、このドラマが終わった点である。
冴島先生(常盤貴子)の一人娘である弓弦は、なぜそのような行為をしたのか?
たしかに、一応の答えが示されていないわけではない。第3話で、刑務所に面会に出向いた御上先生との対決場面で、このドラマの作者はこういう答えを用意していた。「弓弦は世の不正を正すためにそれをしたのだ。弓弦の行為は一種のテロだったのだ」と。
いや、そうではない。正確にいえば、これは御上先生の口から出た言葉であり、言ってみればこれは御上先生が作り出した解釈の産物である。
「きみは世の不正を正すためにそれをやったのだろうが、そんなテロまがいのやり方では、世の中はちっとも変わらないよ」
というのが、御上先生の言いたかったことなのである。
だから、これは御上先生が弓弦の行為を理解しようとして生み出した一方的な解釈の産物であるとともに、ドラマの作者が主人公の志を(視聴者に)明示する道具立てとして設(しつら)えた舞台装置の一コマでもあり、いずれにしても弓弦がそれをしたホントの理由ではない。そう私は受け取った。
その上で弓弦の心の内奥にあるホンネの部分を、私は知りたいと思ったのである。自分はなぜそんな行為をしたのか、ーーもし弓弦自身が自分の言葉でそれを口に出したら、それはどんな内容になるのか、それを私は知りたかったのである。
最終回で、きっとそのホンネの部分が明かされるのだろう、ーーそう私は予想し期待していた。実をいうと、私はそのホンネの部分を自分なりにこう読み解いていた。
弓弦の母親・冴島先生は、キャリアの文部官僚だった夫から隣徳学院への不正入学の斡旋を強要され、渋ったためにこの夫から常日頃、激しいDVを受けていた。
夫からの暴力に苦しむ母親の姿を見て育った弓弦は、暴力への怨念を募らせながら、「キャリア官僚=悪」との思いをしだいに深め、その報復のために公務員(総合職)の試験会場に乗り込んで「テロ」を行ったのではないか、ーー私は勝手に、そんなふうに読み解いていた。
もっと別の解釈があるのかもしれないが、いずれにせよ、そのホンネの部分に立入ろうとしなかったこのドラマのエンディングが、私には不満だったのである。
最後に、ひとつお願いがある。TBSには、弓弦が育った家庭環境をメインステージにした、もう一つのスピンオフ・ドラマを作っていただけないだろうか。
先週の日曜日(3月23日)に最終回をむかえたテレビドラマ「御上先生」。私がこのドラマに対して不満をいだくのは、もっぱら以下に述べる二つの点に関してである。
第一に、私はこのドラマの終わり方が気に入らなかった。第1回の登場場面では(上から目線が強すぎたため)生徒たちに疎んじられていた御上先生が、最後には生徒たち全員から感謝されて終わる、というメデタシ、メデタシの大団円は、「いかにも」にして「ありがちな」学園ドラマの典型であり、(御上先生が常々批判していた)「熱血教師の学園モノ」とさして変わらない。
こんな陳腐かつ安易な終わり方しかなかったのだろうか。エンディングにも、このドラマにふさわしい意外性に充ちた終わり方が欲しかった、ーーその「もうひとひねり」があればよかった、と私は思うのである。
第二の不満点は、公務員(総合職)の採用試験会場で、男子受験生を刺殺した真山弓弦(堀田真由)の、その犯行の動機を明らかにしないまま、このドラマが終わった点である。
冴島先生(常盤貴子)の一人娘である弓弦は、なぜそのような行為をしたのか?
たしかに、一応の答えが示されていないわけではない。第3話で、刑務所に面会に出向いた御上先生との対決場面で、このドラマの作者はこういう答えを用意していた。「弓弦は世の不正を正すためにそれをしたのだ。弓弦の行為は一種のテロだったのだ」と。
いや、そうではない。正確にいえば、これは御上先生の口から出た言葉であり、言ってみればこれは御上先生が作り出した解釈の産物である。
「きみは世の不正を正すためにそれをやったのだろうが、そんなテロまがいのやり方では、世の中はちっとも変わらないよ」
というのが、御上先生の言いたかったことなのである。
だから、これは御上先生が弓弦の行為を理解しようとして生み出した一方的な解釈の産物であるとともに、ドラマの作者が主人公の志を(視聴者に)明示する道具立てとして設(しつら)えた舞台装置の一コマでもあり、いずれにしても弓弦がそれをしたホントの理由ではない。そう私は受け取った。
その上で弓弦の心の内奥にあるホンネの部分を、私は知りたいと思ったのである。自分はなぜそんな行為をしたのか、ーーもし弓弦自身が自分の言葉でそれを口に出したら、それはどんな内容になるのか、それを私は知りたかったのである。
最終回で、きっとそのホンネの部分が明かされるのだろう、ーーそう私は予想し期待していた。実をいうと、私はそのホンネの部分を自分なりにこう読み解いていた。
弓弦の母親・冴島先生は、キャリアの文部官僚だった夫から隣徳学院への不正入学の斡旋を強要され、渋ったためにこの夫から常日頃、激しいDVを受けていた。
夫からの暴力に苦しむ母親の姿を見て育った弓弦は、暴力への怨念を募らせながら、「キャリア官僚=悪」との思いをしだいに深め、その報復のために公務員(総合職)の試験会場に乗り込んで「テロ」を行ったのではないか、ーー私は勝手に、そんなふうに読み解いていた。
もっと別の解釈があるのかもしれないが、いずれにせよ、そのホンネの部分に立入ろうとしなかったこのドラマのエンディングが、私には不満だったのである。
最後に、ひとつお願いがある。TBSには、弓弦が育った家庭環境をメインステージにした、もう一つのスピンオフ・ドラマを作っていただけないだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます