蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

初めての入院・手術(その2)

2013年03月03日 | つれづれに

 夜毎救急車が何台も走り込む病院である。しかも師走押し迫った年の瀬の病棟には、様々な人間模様がある。初めから贅沢は言わない心づもりだった。完全看護で、真夜中でも何の不安もない見守りがある。夜勤の看護婦の忙しさは想像していたから、極力ナースコールはしないと決めていた。66日間、唯一コールしたのが手術終わった日の夜だった。尿管カテーテルを抜いた直後の排尿の痛みに貧血を起こしかけ、さらに絶食後のトンカツの夕飯に腹痛を起こし、脂汗を流しながらホットパッドを頼んだ。苦しみながらも「此処は病院」と思うと、どこか安心しきっている自分がいた。

 入院患者の食事への心配りも憎いものがあり、クリマスにはチキンにケーキが添えられる。元日の夕飯には、紙製ながら重箱のおせち料理が届き、予め「お餅食べられますか?」という問い合わせがあった。その反面、整形外科には私も含め片手しか使えない患者が何人もいるのに、2週間の間に殻つきの海老の料理が3度、丸ごとのゆで玉子が2度も出て大苦戦!しかし、食い意地が工夫を生み、何とか片手と口で殻を剥けるようになるから面白い。一番の難儀は、衛生の為に料理の鉢に被せて出されるラップを剥がすことだった。

 来年5月には、外来診察室、入院病棟、手術室を含めたこの本館は新館に移り、此処は駐車場ビルに生まれ変わる。その整理段階の入った為なのか、整形外科と小児科が同じフロアに混在する病棟だった。夜更けまで痛々しい赤ちゃんの泣き声が廊下に染み入り、同室の3人の大鼾が轟く。隣のベッドの少し認知症の出たお年寄りが、ひっきりなしにナースコールを鳴らし、看護婦が遅れると大声で呼ぶ。目の前にナースセンターがあり、ひと晩中ブザーの音が枕に響く……三日後に一人転院したのを機に、ベッド位置を替えてもらったが、すぐにそれ以上にただならぬ状況になった。
 新たに夜間徘徊中に転んで大腿骨を骨折し、正月明けの手術を待つ認知症のお年寄りが入院、二日目に嚥下困難で肺炎を起こした。痰の吸引が1時間おきに続けられ、その度に苦しげな吸引音と、大声で励ます看護婦の声が眠りを奪った。1週間目にさすがに耐えられなくなり、同室の仲間たち4人と訴えて漸く病室を一斉に移してもらうことになった。それから二日間、5人は時も忘れて昼も夜も昏々と眠り続けた。入院以来、初めての熟睡だった。
 折から巷にはノロウイルスとインフルエンザが猛威を奮い、入院するなり婦長が来て見舞い来客の自粛を依頼された。入院が決まった時点で、家内以外は身内さえ見舞いを一切辞退してきていたから異論はない。しかし、日本人の見舞い好きは困ったもので、年寄りが年寄りを見舞いに幾人も病室を訪れる。その挙句、正月明けの転院前夜に、同室の6人が全員風邪を引く羽目になった。幸いインフルエンザではなかったものの、風邪を抱えての苦しい転院となった。
 
 その反面、件の肺炎を起こしたお年寄りは看護婦に任せきりで、家族が見舞いや世話に寄ることは殆どなく、たまに嫁が訪れても、おざなりな声を掛けるだけで5分そこそこで帰って行った。年の暮に単身赴任から帰って来る筈の息子も、とうとう訪れることはなかった。
 足慣らしに歩き回る病棟の窓から冬枯れの景色を眺めながら、高齢化が進む中で迎えるこれからの歳月に思いを馳せること頻りだった。
 独り留守居の家内が、部屋が寒いという。一人の夜が怖いという。ベッドで遠くに除夜の鐘を聴きながら、ひっそりと年が暮れた。
          (2013年3月:写真:留守宅の雪景色)

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