蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

「思い遣り」と「おもてなし」

2017年04月03日 | つれづれに

 芽吹き始めたイロハカエデの下の、いつもの庭石に座る。私の寛ぎの石……左脇の少し高い庭石にコーヒーマグを置いて日差しを浴びる……ささやかながら、捨て難い癒しのひと時である。
 乱高下する気温に振り回されながら4月になった。キブシは真っ盛りとなり、そろそろ花を散らす時節である。足元にも右の草叢にも、6弁花のハナニラが散り咲き、母校の校章・六光星に似た薄紫の花が日差しを照り返す。その向こう、すっかり花を落としたロウバイに下に、まだ一度も花開いたことのないシャクヤクが茎を伸ばしはじめていた。クサボケにはオレンジ色の蕾が三つ、藪になった草叢の間からフリージアが蕾を育てている。軒下の鉢では、ムスカリが何本も紫色の花穂を立てた。

 自然の天蓋として、マイベンチを夏の日差しから守ってくれるイロハカエデは、天神の杜から10センチほどの実生を抜いてきたものである。既に2メートルを越える樹になり、その種子から芽生えた新たな実生が、もう40センチほどに育っている。
 30年前、隣りの父の家から形見の松や椿などの樹木と庭石と蹲踞を移し、出入りの老庭師が日本庭園に造りあげてくれたが、私の本音としては、此処を雑木林にしたかった。野鳥や虫たちが自由に飛び交う里山風の雑木林。時にはイタチやタヌキが走り抜けてくれたら、どんなに楽しいだろう。
 しかし、もう父の代から50年近く世話になっている植木屋さんが、この庭をいたくお気に入りで、特に老松は自慢の種である。だから、いつも彼に言う。
 「この松、プレゼントするよ。此処に置いておいていいから、時々手入れを兼ねて見においで」毎年2回、馬鹿にならない剪定料をタダにしようという魂胆だが、彼もさすがにうんとは言わない。
 植木屋さんは気のいい職人夫婦で、私たちの結婚記念日には「剣菱」1本提げて、お祝いに来てくれる。お返しに、こちらもお祝いを届ける。私が肩を痛めて以来、晩冬の八朔捥ぎもご夫妻でやってくれるようになった。報酬は10個余りの実のお裾分けだけである。先日も留守中、咲き終った枝垂れ紅梅の剪定を商売抜きでやってくれていた。
 「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」……咲き終って半額になっていた盆栽を、天満宮の植木市で買ってきて庭におろした。曲がりくねっていじけた盆栽を、ごく普通の枝垂れ梅に形を整えるのは、素人ではけっこう難しい。

 植木屋さんだけでなく、博多座の営業担当や、置き薬のお兄ちゃんや、出入りの宅急便のおじさんやお兄ちゃんとも、いつの間にか家族の話をするほど親しくなり……どんな仕事の人に対しても、同じ目線でお付き合いするのは、上から目線を嫌うカミさんの性分である。だから皆、困ったときには進んで助けてくれる。これが日本人の本質なのだろう。
 外国人に対しては、近年やたらに「おもてなし」と国を挙げて唱えているが、その前に同じ日本人同士の「思い遣り」や「譲り合い」の精神が希薄になってないかを、まず考えてみるべきだろう。例えば、横道から出る時、右折待ちの時、譲ってくれる人は殆どいない。むしろトラック運転手など、プロのドライバーの方がけじめ正しい。右折車にパッシングして譲ってやると、その後ろで直進待ちしていたトラック運転手が、片手をあげて挨拶してくれる。
 「譲り合い」、「思い遣り」……それは、心の豊かさを示す指標でもある。心貧しい人が増えてきたことを、毎日のように実感する。

 八朔の周りに自然薯掘りの鍬で30センチほどの穴を幾つも穿ち、油粕と骨粉のお礼肥えを施した。この根方の地中には、推定600匹ほどのセミの幼虫が育っている。何匹かを傷つけてしまった事だろう。

 雷鳴轟く昨日とは打って変わって、汗ばむほどの陽気になった。カミさんと、御笠川沿いの桜並木を歩いてみた。戻り寒波が花時を遅らせ、まだ三分咲きというところか。川面に遊ぶシラサギが、見事な飛翔を見せてくれた。
 モンシロチョウが舞い、久し振りにルリタテハが綺麗な瑠璃色の翅を広げて桜の下を滑空した。三寒四温を重ねながら、春は躊躇いながらも歩みを進めていた。
                (2017年4月:写真:シラサギの飛翔)

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