5月が逝こうとしていた。数日続いたスッキリしない天気のあと、眩しい五月の青空が戻ってきた。早朝散策も半袖で寒くない。どこか遠くの空から、ホトトギスの囀りが落ちてくる。今年の初鳴きだった。
コロナ自粛のお蔭で、家中の片付けが捗る。漸くアルバムの整理を終えた。それでも、まだ30冊ほどが残ったが、あとは相続人の娘たちに委ねよう。
黒ずんだ日よけの簾を新調し、日差しを浴びて脆くなった寝室の障子を張り替えた。40年来、松か竹の図柄だったのを、気分転換に「花吹雪」という名前に誘われて選んでみた。父から学んだ一段毎に張るのを習慣にしていたが、初めて一枚張りに挑戦してみた。なるほど、はるかに簡単である。しかし、その分、達成感も乏しかった。舞い散る桜の花びらが予想以上に可愛らし過ぎて、さながら新婚さんの寝室みたいになって苦笑いする。
故障していた玄関のドアホンも今日取り換えを終わった。庭の10株余りの躑躅が、色とりどりに満開を迎えた。紫陽花も花時を迎えつつある。夕顔の苗を植え、友人が届けてくれた風船カズラもプランターに移植した。こうして、初夏が快調に走り抜けて行く。
西日本新聞朝刊のコラム「春秋」、この筆者はただ物じゃない!引用する言葉の数々に、多分野の知識への造詣の深さを感じて心地よい。昨日の記事も、心のうちで快哉を叫びながら読んだ。そのまま転載させていただく。
<入髪(いれがみ)でいけしゃあしゃあと中の町>と江戸の川柳に。かつらを着け憎らしいほど平然と町を歩いている—。いけしゃあしゃあの「いけ」は接頭語。「しゃあしゃあ」は水が滑らかに流れる擬音で、「洒蛙洒蛙」とも書く。蛙の顔に水をかけてもけろりとしている場面が浮かぶ▼令和の川柳なら<小マスクでいけしゃあしゃあと永田町>。政府が全世帯に配る布マスク。「小さい」と不評で異物混入騒ぎも。店頭にマスクが出始めた今も届かない世帯は多い。「困っているときに欲しかった」とぼやく声も▼一方、安倍晋三首相は「品薄状態を解消し、価格も下がった」とアベノマスク効果を強調する。実際は、民間がいろんなルートで輸入したマスクがだぶついているのだそうだ。▼東京高検検事長の定年延長を巡っても。前代未聞の閣議決定と法の解釈変更で正当化した人事だ。ツイッターの抗議が殺到すると、首相は「法務省が提案した」と言いだした。▼当の検事長は賭け麻雀で辞任。「余人をもって代え難い」逸材のはずが。検察庁法改正が頓挫したら、一括提案の国家公務員法改正まで見送りに。首相はしゃあしゃあと「法案を作った時とは状況が違う」▼「蛙鳴蝉嗓(あめいせんそう)」とばかりに批判をけろりと受け流すのは一強政権の得意技。もり・かけ問題で自信を深めたか。ただし、今回はネット世論という蛇ににらまれた蛙かも。ほら、内閣支持率がストンと。
マスコミは、この辛口が命。張り替えた障子のように、気持ちをスッキリさせてくれる。モリ・カケ・サクラ・アベノマスク・クロカワ……この男の神経は、いったいどうなっているのだろう?コロナは「一時的に」落ち着いて来ているが、傲岸不遜のアベの災禍は益々深刻の度を深めている。
ドアホンを取り付けてくれた近くの電器店が「店には、今日アベノマスクが届きましたよ」という。我が家には、まだ来ない。来ても、速攻で市役所の寄付箱(回収箱)に収めに行くだけだが。
皐月の風が、心地よく庭先を吹き抜ける。梅雨前線が虎視眈々と北上の機を伺い、やがて豪雨禍の季節が迫っている。さらに、夏は一段と猛暑という予報も出た。生きるのに厳しい一年だが、耐える気力に衰えはない。
我が家は23日、結婚55周年を迎えた。似非新婚の寝室で爛漫の桜吹雪に包まれながら、今宵もいい夢を見よう。
(2020年5月:写真お:気に入りの躑躅の花)