蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

雨あがりに遊ぶ

2020年05月20日 | つれづれに

 雨あがりの早朝散歩の途上、ご町内の塀に若いツクシマイマイが角を立てながらゆっくりと這っていた。近づく梅雨の匂いが一段と濃厚になる時節である。梅雨になれば、彼(彼女でもある)は、産卵期を迎える。
 腹足綱有肺亜綱に属する陸生の巻き貝の一種である。螺旋形の殻は右巻きが多いという。「雌雄同体」という不思議な生き物で、交尾をすればお互いが卵を産むことが出来る。
 2対4本の触角を持つ。長い方(大触角)の先端に「目」があり、小触角が「角」と呼ばれる部分である。明治44年(1944年)に尋常小学唱歌として1年生の教科書に掲載された「かたつむり」の歌の、「めだま」と「つの」はこれに当たる。
     でんでんむしむし かたつむり
     おまえのめだまは どこにある
     つのだせやりだせ めだまだせ
 では、「やり」とは何だろう?……暇に任せてネットサーフィンで遊ぶことにした。
 「やり」とは、「恋矢(れんし)」と呼ばれる器官であり、通常は頭の下に隠れていて見えないが、交尾期になると「恋矢」を出し、相手を刺激して交尾を促すという、これも不思議な器官である。

 生き物の世界には、いろいろな「不思議」があって飽きさせない。「春の女神」と呼ばれるギフチョウは、交尾を終えると雄が蛋白質の分泌物を出して雌の生殖器に付着させる。それが固まると袋状の付属物となって、交尾が不可能になるから、雌は生涯にただ一度しか交尾出来ない。
 中世のヨーロッパで、十字軍に従軍する兵士が、妻や恋人の貞操を守るために貞操帯をさせて出征したという習慣は、こんなところから学んだのだろうか?しかも、雄は何度でも交尾が出来るという、なんとも男に都合のいい理屈である。(尤も、男用の貞操帯もあったというから可笑しい。)。

 カタツムリ、カタツブリ、蝸牛、マイマイ、マイマイツブリ、ででむし、でんでんむし……異名の多い生き物である。

 「カタ」とは、「固」、または「笠」からの音変化と言われる。「ツブリ」とは、巻貝のこと。
 「マイマイ」も、由来が二つ。子供が、カタツムリが角を振る様子を見て「舞え舞え」、もう一つは、殻の渦巻きの「まきまき」。
 蝸牛……「蝸」の1文字で「かたつむり」と読むが、「牛」という字をつけたのは、カタツムリの触覚を見て「牛のような角がある」とされたことからきている。
 でんでんむし……角が「出る出る」から「ででむし」の音変化。

 狂言にも「かたつむり」があると知った。出羽の羽黒山から来た山伏が、大和の葛城山で修行を積んでの帰り道、竹藪の中でひと眠りしていると、そこへ主命で長寿の薬になるという「かたつむり」を求めにきた太郎冠者と出くわす。
 太郎冠者は、「かたつむり」がどんなものか知らないまま、黒い兜巾をいただいた山伏を「かたつむり」と思い、声を掛ける。山伏は太郎冠者をからかってやろうと、ほら貝を見せたり角を出す真似をして見せるので、太郎冠者は山伏を「かたつむり」だと信じこみ、主人のもとへ連れて行こうとする……。

 「蝸牛角上の争い」……中国の故事である。取るに足らない狭い所で、つまらないことのために争い合うことをいう。カタツムリの右の角(つの)の上にある蛮氏の国と、左の角の上の触氏の国とが、互いに相手の地を求めて争って戦い、数万の死者を出したとある、『荘子』「則陽篇」の寓話による。『白氏文集』にも、「蝸牛の角の上に何事をか争う、石火の光の中に此身を寄せたり」などとあり、人間の身を石火のように儚いものに例えている。
 国会の与野党の討論を聞いていると、そんな気がしてくる。

 市川猿之助がスーパー歌舞伎に仕立てた「ONE PIECE」には、「電伝虫」という生き物が登場するらしい。電波(念波)で仲間と交信する性質を持つ、カタツムリのような姿をした生物。個体を識別するための番号があるようで、それに目をつけた人間が受話器やボタンを取り付けたことで、特定の電伝虫と交信し、電話のように使用することが可能になったというオハナシ……。

 高校生の頃、エスカルゴというフランス料理のことを知った親友が、蝸牛を何匹も採ってきて煮込んだところ、溶けてしまって食べられなかったという……これはワライバナシ……。

 一匹のツクシマイマイが遊ばせてくれた、コロナ籠りの半日だった。
                      (2020年5月:写真:ツクシマイマイ)