山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

仁川(何を目的として山に行くのか)

2016年07月28日 | 岩登り
2016年6月26日(日)
『山の会』
<仁川>
■参加者:中島くん、安部ちゃん、梅安さん、最くん、ゆうさん
<何を目的として山に行くのか>
自宅に戻って来て玄関で腰を降ろして靴を脱ごうとしたときに、腰が痛いのはいつものことなのだが、左足脹脛に異常なほどの痛みを感じた。何時何処で脚を痛めたのだろうかと考えたが分からない。
「ムーンライト」でのトップロープによる登攀が4本、「三段岩」での「右ルート」の登攀が2本だけではないか。その内、ロープや登攀具が入っている重いザックを担いで2本登ったことが脚に応えたのだろうか。また、仁川駅から仁川渓谷岩場まで往復1時間ほど歩いただけではないか。そのぐらいの行動でこれ程までに左足脹脛に痛みが生じるとは信じられなかった。
今日、電車中で思考したこと、それは「何を目的として山に行くのか」「何が目的で岩登りをするのか」であった。
半年前には、来年正月に嘗てのように日本アルプスに独りで行きたいと考え、脚腰を鍛える目的で生駒山系を歩き始めたのだが、しかしそれも挫折したという恰好だ。それは「僕の身体力では不可能」「鍛える時間と精神力が無い」と認識したからだ。
先日の金毘羅の「Mフェース」と「ビビリフェース」では、トップロープであってもクライミングをしているという充実感が味わえた。以前は、ホンチャンがあって初めてその為のゲレンデでのクライミングという発想であったのだが、もしかすれば、ホンチャンが無くてもよいのではないかも知れないと考えた。ゲレンデの登攀難度が我が身体力と技術のワンランク上、否、我が実力に見合った登攀であっても、そのときの登攀がフリーで、しかもリードができれば十分に充実感が味わえる筈だと考えた。しかしそれにはパートナーが必要だ。
山の会では、夏季には沢登り山行が加わる。しかし、この7月末に計画している「川迫川神童子谷」のように、腰まで水に浸かってしまう沢登りは、身体を冷やすことを苦手としている今の僕には向かない。また、我が会では泊りは天幕使用の山行が主体なのだが、天幕生活は僕の脚腰が許してくれそうにもない。
また、スタジオを経営する娘家族や三人の孫の世話を司る上さんの生活を考えたとき、僕が家に居ることが必要不可欠であるのは間違いのない事実で、僕に許される自由日数が殆ど無く、正月を除くと泊りの山行が駄目なのは明白だ。

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