山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

強迫観念的なもの

2013年08月31日 | 我が街中走

P7140074

◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳(大同心ルンゼ)にて

(ミヤマシオガマ)

2013831日(土)

『街中走』

<強迫観念>

無理のない歩幅で走った、唯一つ注視したのは「腕をしっかりと振る」ことのみであった。その結果、今朝の「街中走」のタイムは405234。走り始めたときに明確にあった左腰の痛みが、いつしか消滅し走り終えるころには違和感さえも無かった。不思議であった。

]5時過ぎに目覚めてベッドからゆっくりと起き上がる。そのとき「昨日と比して幾分改善したかな」と思ったのだが、それが間違いであることが直ぐに分かった。神棚前に正座し前へと腰を曲げたときに左腰に稲妻が走ったのだ。その直後の仏壇前では腰を曲げる勇気が無かった。食卓前に坐し一人朝食を済ませ立ち上がるとき、やはり腰は素直に伸びてくれず直立できるまで2分間ほどを要し、洗面所で歯を磨き、顔を洗うときには片手を洗面台につき身体を支える必要があった。

駆け始めるまで「走れるのだろうか」という不安感が我が脳裏を席巻していたのだが、何とか完走する。619日より走り始めて、6月は5日間、7月は18日、そして今月は27日(28周・176km)も、我がプライベート周回コースを走りすべて完走できたこと自体が信じられない。昨日も今日も「止めようかな」という思いが脳裏を掠めたが、今朝走らなければ、明日は走れないに違いないという強迫観念的なものがあった。

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腰痛(一刻も早く脱出したい)

2013年08月29日 | 健康・病気

P7140080

◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳(大同心ルンゼ)にて

(ミヤマオダマキ)

2013829日(木) 

『腰痛』

<一刻も早く脱出したい>

今朝の「街中走」のタイムは391077で、嬉しい40分切りだ。しかし、昨日よりも更に腰の状態が悪くなり、朝起床時に靴下を穿くとき左腰にかなりの痛みが生じた。それは、街中走を始めた6月以降で最悪の状況だ。

ところが不思議なことだが、走っている間は痛みがなかった。脚腰に負担がかからないように歩幅を大きくせずに走り続けたからだろうか。併しだ、走り終え軽いストレッチを行なうときは最悪であった、中でも左右への前屈は不可能に近かった。

今日の腰痛度数は「7」だ。椅子から立ち上がるときに痛みがあり、腰が上手く伸びてくれないという状態だ。ここの処「強い腰痛に陥るのではないか」という予感はあった。その原因の一つに、811日の比良山系鵜川左俣の沢歩きがあるのは間違いがない。石から石へと飛ぶときに腰を捻ったのと、倒木や灌木のために中腰にならざるを得なかったことが大きく影響しているのだろう。二つ目は、PCに向かう時間が一日の中で数時間にも及ぶことだろう。タクシーやバスの運転手さんに腰痛の人が多いと聞いているのだが、それと同じなのかもしれない。そしてランニング、けっしてランニングの所為にはしたくはないのだが、「走ることは腰に負担を強いる」という話も聞いたことがある。さて今の状況から一刻も早く脱出したいと考えるが、さて僕は如何なる手段を講じればよいのだろうか。

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脚腰を鍛える(そんな精神力は僕には存在しない)

2013年08月20日 | 健康・病気

P8020110

◆撮影:2013年8月2日、枚方大橋にて

20138月20日(火) 

『脚腰を鍛える』

<そんな精神力は僕には存在しない>

今朝の「街中走」のタイムは414933。昨晩の思わぬAH君との「街中走」の疲労が僕の大腿四頭筋に残っていた。

ところで、昨朝のタイムは370451、昨夕食後のAH君との「街中走」は360343であったのだが、今日のタイムとこれらのそれを比較するとき、その差が45分も存在する。さて、この差とはいったい何だろうと考えるが答えが見つからない。

昨夕、AH君と走ったとき、成田不動尊裏の上り道を駆け上がるときに心中にスイッチが入った。31の年齢差のAH君と競争したって勝てる筈もないのに何ゆえあれほどに懸命に走ったのだろうか。僕は終始荒い呼吸で走り続けた。しかし、僕の直ぐ後ろを走る彼の呼吸音は最後まで僕の耳に届かなかった。

今朝、街中走を楽しんだ後、昨日の「街中走」を振り返るとき、「脚腰を鍛えることを目的とするなら、昨夕の如く常に、自身の走力の限界ギリギリで走らなければそれは成し得ないかもしれない」と思った。併しだ、そんな精神力は僕には存在しない。

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腰痛(あの独特な感触の稲妻)

2013年08月17日 | 健康・病気

P8110147

◆撮影:2013年8月11日、比良山系・鵜川左俣にて

2013817日(土)

『腰痛』

<あの独特な感触の稲妻>

今朝の「街中走」のタイムは400077。今週に入ってから腰の状態があまり芳しくないゆえ今朝は自重しゆっくりと走る。それが功を奏したのだろうか、腰に違和感が生じることもなく走り終えることができ安堵することとなる。

「腰の状態が悪化したのはいつからだったのか」「何が原因で悪化したのか」と考えつつ走った結果、その原因となる一つの事象が脳裏に蘇った。それは先日の鵜川左俣の沢登りの最中のことであった。沢中から頭を覗かせる尖がった岩塊の上でバランスを崩したときに、体勢を立て直そうと身体を捻った。それは瞬時のことではあったが、あの独特な感触の稲妻が腰中奥を通り過ぎたのだ。またそれ以外にも、倒木や灌木の為、身体を屈めて通り抜けなければならない場面が再三あったことも、我が腰にかなりの負担を強いることになったに違いがない。

ところで、一昨日、昨日と、大石小屋に一族17名が集まったときに従兄弟従姉妹より、腰痛を抱えて走り続けることに対しての否定的な意見があった。併しだ、けっして確信があるわけではないのだが、僕は「走ることで脚腰の筋肉を鍛え、その筋肉で腰を護る」という思考の下、今走り続けていると応えた。8月の走行距離は今日で90kmを超えたのだが、酷い腰痛に陥らないことを祈るばかりだ。因みに、今までの「街中走(約6.3km)」の中での最高のタイムは、814日の「381901」だ。

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比良山系・鵜川左俣(遠近両用眼鏡との格闘)

2013年08月14日 | 沢登り

P8110173

◆撮影:2013年8月11日、鵜川左俣にて

2013811日(日) 

『T山の会』

<比良山系・鵜川左俣>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MKさん、YUさん

[コースタイム]

[湖西線・北小松]→(タクシー)→[鵜川林道ゲート]→[堰堤(潜る)]10201045[二俣]→11156m滝]→130010m滝]→13156m滝]→(下山)1400→[堰堤(渡る)]→1450[鵜川林道ゲート]

<遠近両用眼鏡との格闘>

今日の沢歩きは、遠近両用眼鏡との格闘であったと言っても過言ではない。それは、八ヶ岳山行の反省から遠近両用眼鏡を購入し、その眼鏡をかけての初めての山行が今日の“鵜川左俣”となったからである。眼鏡店で「階段を下りる時は気をつけてください」と言われていたのだが、また上さんに「遠近両用眼鏡では歩かれへん」と聞いていたのだが、遠近両用眼鏡に慣れることの難しさを味わうこととなった沢歩きであった。

何度足を滑らせたことだろう。何度もバランスを崩し何度腰を沢中に落としてしまったことだろう。足下の沢の流れから顔を覗かせる一つの岩に注視し右足を載せる。次にその向こうに姿を現す岩に今度は左足を載せようと試みるが、それも瞬時の内に判断し試みるが、我が眼はその岩塊を正確に捉えることができない。僅かなズレが生じ左足は岩から滑り落ちバランスを崩し沢中に左手をつく。そんな状況が度々発生し僕の後ろを歩くMOくんが心配して「眼鏡を外した方がええんとちゃう」と僕に声をかけた。併しだ、一刻も早く遠近両用眼鏡に慣れたいと思考している僕は、最後まで掛け続けたのだが、精神的に疲労してしまった鵜川左俣沢歩きであった。

堰堤手前から沢へと下り、堰堤下部のトンネルを通り抜け沢歩きが始まる。昨年の617日にもこの沢を楽しんでいるのだが、そのときは前日までの豪雨の為、水量が半端でなく、殆どの滝を巻かざるを得なかったように記憶する。それゆえ今日は、濡れることが嫌な僕を除く4人は、10mの滝を除くすべての滝を登った。その10mの滝は頭より水流を被ってしまう状況で、一旦登りかけたMOくんが回避したことで全員が右岸を巻き上部に続く6mの滝で思う存分楽しんだ。

今日の山行で僕の耳に届いたもっとも印象的な言葉は、「来てよかった」というMKさんのそれであった。どんな人間であっても多かれ少なかれ普段の生活の中で某かの精神的抑圧感を抱いているのだろうが、今日こうして、気が置けない山仲間と一緒に自然と戯れたことにより、瞬時のことであったにせよ、また僅かであったにせよ、愉楽の時を過ごせたことに僕自身も感謝して止まない。

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街中走(我が気力が課題)

2013年08月09日 | 健康・病気

P7140043

◆撮影:2013年7月14日、小同心クラック(八ヶ岳)取付にて

(ハクサンイチゲ)

201389日(金)

街中走

<我が気力が課題

一念発起して“街中走”をスタートさせたのは619日。それ以降、6月は5日、7月は18日、そして8月は、1日から今日まで9日間走り続けている。プライベートな周回コース約6.3㎞(成田不動尊や治水公園辺り)を、このごろは朝の6時台に40分から42分を掛けて走っている。それが、持病の腰痛や頸椎痛の治癒に如何なる効果をもたらしてくれるのかは分からないし、また現実その効果をまだ実感することはない。しかし先日左膝の痛みが消えていることに気付いたのだ。昨年9月に富士山に行ったときには最悪の状態であった我が左膝、その症状が永久に続くものと諦めていたのだが、またつい先日まで、走るときに両膝に疲労感が明確に存在したのだが、それもいつの間にか無くなっている。今日の「街中走」のタイムは383157。初めての38分台突入だ。今までに39分台が2度あったように記憶するが、兎に角今日はスタートした直後より至極快調であった。

ところで、頸椎痛は別として、酷い腰痛や膝痛に陥らなくなった要因として、この5月に40年間続けた重量物を持つ仕事から解放されたことが最大の理由だろうと考えている。30kgの重量物を担ぐことが、60歳を超えた我が腰や膝にかなりの負担になっていたのは間違いのない事実だ。そして今、机前に長時間腰掛けていることが多くなっていているのだが、運動といえば、早朝の40分余りのランニングのみゆえ、“走る”以外の某かの運動を、時間を見つけて行なわなければならないと思っているのだが、それは我が気力の問題だろう。

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街中走(ランニングと腰痛)

2013年08月02日 | 健康・病気

P7130022

◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳(大同心稜)にて

(ゴゼンタチバナ)

201382日(金)

『街中走』

<ランニングと腰痛>

KS鍼灸整骨院(カイロプラクティック)の先生の言葉が切っ掛けとなり、6月下旬より「山野走」の回数を減らし「街中走」に切り替えた。「走り終えた直後より身体は冷え始めている」「衣類は濡れていなくても出来るだけ早く着替える必要がある」「KAさんは冷えに弱い」「山野走は楽しみとして置いておいて、普段のランニングは近隣で我慢してその回数を増やすべき」などという先生の言葉を聴いたのが410日だったと記憶するのだが、「街中走」をスタートさせたのはその二ヶ月後になった。

「山野走」より「街中走」に切り替えたのは、先生のその言葉より二ヶ月以上も後になってしまったのは、僕の腰痛に原因があった。今年の一月中旬に酷い腰痛に陥り仕事に差し支えが生じ、5月初めに数十年続けた仕事に休止府を打ち重量物を持たなくなったことと、気温が上昇した二つのことが、僕の腰痛改善の大きな要因となったのは間違いが無いだろう。

しかし現在腰痛から完全に脱出できているのかと問われると、「いいえ」と明確に答えることができる。以前のように一色即発という状態ではないと思っているのだが、日常生活の中でも勿論なのだが、「街中走」より帰宅したときの腰の状態は、前屈や反り返る姿勢をとるとかなり辛いし、走っている間も常に違和感があるというのが現実である。

「走る時刻は、朝より午後の方がよい」と先生は仰っておられたのだが、日中のランニングは仕事上無理があるゆえ、必然的に早朝になったしまった。「街中走」の距離は6.3㎞、タイムは4142分台で、無理のない範囲内で完走を目標に走っていて、6月は5日、7月は街中走が18日と山野走が1日の全てが完走だ。7月の走行距離は120㎞を超えた。さて、「街中走」は腰痛改善に如何なる効果をもたらしてくれるのだろうか。

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すいれん池・管理棟(森中の昼寝と洒落込む)

2013年08月01日 | 山野逍遥

Sii180

◆撮影:2010年6月19日、すいれん池にて

2013728日(日)

 

『山野逍遥』

<すいれん池・管理棟>

[私市駅]1010→[月ノ輪滝]→1125[すいれん池]1230→[すいれん池・管理棟にて昼寝・12401440)]1530→[鎖場]→[砦]→[すいれん池]→[私市駅]

<森中の昼寝と洒落込む>

今日出合った生き物は、ヤマトシジミ、ウラギンシジミ、モンキアゲハ、沢蟹(大小2匹)、数多の魚、蜻蛉(オニヤンマ?)、蝉のヌケガラ、バッタ(ウマオイ)、テントウムシ、ハチ、メスのカブトムシ(死骸)、蜘蛛、カタツムリ、くらいだろうか。ヤイトバナや八重のヤマブキなど、名称を告げながら開花する花を指差すがJ太郎は花にはやはりまったく興味を示さない。

沢蟹2匹を見たときJ太郎は、大きいものを「お母さんガニ」、小さいものを「子供のカニ」と表現した。カタツムリに出合ったとき、僕が「デンデンムシや」と言うとJ太郎は「カタツムリ」と言い返した。カタツムリのことをデンデンムシとは教えられていないのかもしれない。

帰路、地面上で死んでいるウマオイをJ太郎が見つけた。先行く僕をJ太郎が呼び止め地面に横たわるウマオイを指差したのだが、往路で生きているウマオイを触って遊んだゆえウマオイの死骸の存在に気付いたのかもしれない。そのとき僕は「生き物はいつかは死んでしまうんやで」「仕方が無いことなんやで」、そして「お祖父ちゃんもお祖母ちゃんもJ太郎よりも早く死ぬんやで」「お父さんもお母さんもいつかは死ぬんやで」と続けると、J太郎は「K子も死んや」と、何故か自身の妹の名前を上げた。

すいれん池横の管理棟でお昼を済ませ、くろんど池への道を歩み始め暫くしたときにJ太郎が「眠たくなってきた」と僕に告げる。「さっきの家に戻る?」「それともボートがある池まで行く?」と問うと、「家」と言うので管理棟へと戻った。

先程までハイカーで賑わっていた小屋は丁度よいことに閑散としていて、小屋中の長椅子には誰も居なかった。一つの椅子にJ太郎が、もう一つの椅子には僕が横になって森中での昼寝と洒落込んだのだが、ほんの僅かに時間が経過したころ、人が這入って来る気配を感じた。椅子を占領していることに気兼ねを抱いた僕は慌てて立ち上がったのだが、そのとき僕の身体は安定感を欠いていた。前へよろけ前方にあった椅子角で右眼上部を強打してしまったのだ。幸い出血はなかったのだが、暫くの間痛みが続きかなり腫れ上がっているのが分かった。また顔面を強打したときに頸椎にも影響があったようで左首にも痛みがあった。それは年齢を感じた瞬間でもあり、二時間たっぷりと眠ったJ太郎は「お祖父ちゃんの顔が変わっている」と目覚めるや否や僕の顔を見て言葉を発した。

二時間眠ったJ太郎は快闊であった。書棚の昆虫図鑑を楽しんだ後、降雨の心配もあって真っ直ぐ私市駅へと向かうつもりであったのだが、J太郎はすいれん池外れにある階段と上部の鎖場を上ると言った。上り切ると次は「家に行く」と言う。J太郎が言う家とは、丸太で組み立てた櫓のことだ。仕方なく急登の尾根を懸命に歩き櫓に上りやっと帰路着いたのだが、「お祖父ちゃん駆けっこしよう!」などと言う始末であった。

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