山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

お袋(久し振りの夢中)

2014年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

P8020108

◆撮影:2013年8月2日、明日香村にて

201479日(水)

『お袋』

<久し振りの夢中>

お袋が我が夢に現れた。朝方の浅い眠りの中で現れたのだが、それは本当に久し振りのお袋との出合いであった。「お袋は何故現れたのだろうか」「お袋は僕に何を言わんがために現れたのだろうか」と、目覚めたときに考えたが分からなかった。

僕は日々4度、「お袋」と呼ぶ。正確には「お祖母ちゃん、お袋、親爺」なのだが、一度目は朝に仏壇にお参りをするとき、後の三回は三度の食事前の「戴きます」とお礼の言葉を述べるときなのだが、お袋が夢に現れたのが、前回がいつ頃であったのかを覚えていないぐらいに久しいことであった。

僕はお袋と二人で車に乗っている。その目的は分からないのだが、然程大きくない車、しかしいつもの軽四ではなく1300ccくらいの乗用車のようであった。下り道を下って来て、下りきった処を左折した。前方に堰堤のようなものが見え、その手前で引き返したようにも思える。まだ田植えが済んで間が無い田圃が連なる田園風景の中をゆっくりと走っている。あり得ないことなのだが、運転している筈の僕が、運転しながらお袋の背中に廻りお袋の肩を揉み始めた。そのとき僕とお袋との間に何某かの会話があったのだろうか、もしあったのなら教えてほしいと願って止まない。そこで夢は終了したのだが、さてお袋は何故僕の夢中に現れたのだろうか。

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滑落事故の後遺症(左顔神経麻痺)

2014年07月20日 | 健康・病気

P9140332

◆撮影:2013年9月14日、御在所岳にて

(藤内小屋)

2014629日(日)

『滑落事故の後遺症』

左顔神経麻痺

左目のヤニと涙、そして左鼻からの鼻水が止まらない。なかでもそれが酷くなるのは食事中だ。事故後にはこのような症状はなかったはずで、いつ頃よりこのような状態に陥ってしまったのだろうか。滑落事故が昨年の914日ゆえ、もう9ヶ月も経っている。病院の耳鼻科を卒業したのが19日だから、病院を離れてからであっても、もう5ヶ月以上も経過している。その病院卒業時、左顔面神経麻痺は完治した訳ではなかったと記憶する。医師が「もう薬は不要でしょう」「後はマッサージで」と語ったのだが、その医師は如何なる判断で薬の処方を止めたのだろうか。もしも今一度、当時処方されていた「レチコラン錠500μg」や「ATP腸溶錠20mg日医工」を呑むことにより、現状よりの改善が期待できるのだろうか。

あのときは今の如く眼ヤニや涙が出続けることはなかった筈だ。欠伸をするとき、左頬の柔軟性が従前より不足しているのだろうか、すっきりとした欠伸ではなく、それは違和感を覚えてしまう欠伸だ。先日「顔が曲がっている」や「左目、開いているの?」と上さんに言われて以降、僕は鏡を見ることが増えた。鏡を眺めると我が口先が左側に曲がっているのが判る。

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もしかすれば鬱?(森を楽しむことが出来ない)

2014年07月14日 | 健康・病気

2

◆撮影:2014年5月18日、くろんど園地にて

(草原広場)

2014628日(土)

『もしかすれば鬱?』

<森を楽しむことが出来ない>

昨晩2136分、「29日の北小松の獅子岩、会長どうされますか?」とABちゃんからメールがあった。その返信に、「メールを頂戴し恐縮ですが、欠席します。ありがとう。先日の仁川も含めてこの頃、心身ともに、まだまだ山を楽しむことが出来ないということを感じています。悪しからず。」と記した。返信した時刻は247分であったのだが、645分にABちゃんから早速返事があった。「返信メールありがとう!了解しました。次回からは暫く沢登りになります。また、秋になって涼しくなったら、来てくださいね!」と書かれてあった。

さて、秋になったら僕の心中に「山に行こう」「森を楽しもう」という気持が生じるのだろうか。否、もしかすれば生じないのかも知れない。悩み事が多い中であっても今までなら、山や森中に這入ると精神的愉楽に包まれるのが常であったのだが、今の我が精神状態ではそれはあり得ないに違いないと思ってしまう。

先日、ホームページに記されていた記事に「鬱」にかかわるそれがあった。自身が鬱を患っているとは思っていなかった僕は、その記事を読むや否や「もしかすれば僕は鬱症状に陥っているのかも知れない」と考えたのだ。

以前なら、精神的にかなりしんどいときであっても山野走を目的に、冷気に包まれた二月の私市の森中へと早朝より出掛けることが出来たではないか。また昨夏なら、脚を鍛えるという目的で早朝より街中を駆け抜けられたではないか。ところが今の我が精神では「森を楽しもう」「脚を鍛えよう」なんていう気持がまったく湧いて来ない。如何したのだろうか。

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精神的抑圧(安眠)

2014年07月12日 | 健康・病気

3

◆撮影:2014年5月18日、くろんど園地にて

(水舞台)

2014622日(日)

『精神的抑圧』

<安眠>

今日も昼食後、二時間近く布団中で眠った。眠るとすべてのことから我が脳裏が解放されるからだ。横になるとき「眠ることができるだろうか?」「もし眠られなければ如何しよう」と不安になるのだが、嬉しいことに今日も安眠を頂戴することができた。

目覚めたとき、「今日は何故精神的抑圧感を懐いたのだろうか」と改めて考えたのだが、具体的な事柄を特定することができなかった。根底には二つの会社の経営不安があることは間違いがないのだろうが、今やその二つの会社とも我が能力では如何ともし難い状況に位置しているのは明白で、経営が困窮したときには諦める以外に方法が無いのではないかと考えたりもするが、家庭を振り返るとそんな訳にもいかない。

このごろの僕の心中には、極めて些細な事柄であっても、「それを解決する術があるのだろうか?」とか、「上手く事が進まなければ如何すればよいのか」と考えてしまうところが存在する。例えば今日の「FZ予選」、11時集合とあったが、11時半になっても人が集まる気配が無い。小雨ではあったが、朝から雨が降り続いていたゆえ、来場者が少ないのではないかと心配していた。しかしそれも12時頃には大勢の人達の来訪があり、その心配事は払拭できた筈ではないか。それにもかかわらず尚、精神的抑圧感に苛まされ続けた。

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次女から贈られた一冊の書籍(精神安定剤になる?)

2014年07月05日 | 健康・病気

1

◆撮影:2014年5月18日、くろんど園地にて

(月ノ輪の滝)

2014618日(水)

『次女から贈られた一冊の書籍』

<精神安定剤になる?>

昨日、JN子より頂戴した一冊の書籍「高橋健司著・空の名前」は、今の僕の精神状態では読むことが難しいように思えて仕方がない。今日お昼に開いてみたが、読み切る自信がなかったし、読みたいという気持すら湧いてこなかった。併しだ、この本をJN子よりもらったのには何某かの因縁があるのかも知れない。

先日から、「現在の精神状態から脱出するための手段は、仕事以外で、仕事を離れて仕事を忘れて夢中になることができる何かを見つけることかも知れない」と時折考えていたからだ。山野歩や山野走もその一環かも知れないが、自宅に居て日々できること、それは読書なのだろう。先日から始めた、昔の僕の山日記を、ノートからパソコンに転記入力し始めたのも同様のことかも知れない。

17時前になって「降雨ゆえ保育園の迎えのために車を出してほしい」と上さんに起こされた。昼食後14時頃より布団中で眠っていたのだが、眠る時間が僕にとって至福の時でもあるからだ。眠っている間はすべてのことが我が脳裏から離れるからだが、しかし今日も熟睡していた訳ではなく、三時間の内に二三度程目覚めていて、その度に我が思考は妄想の世界に陥っていたのも事実だ。

「空の名前」という本の表紙に「心が沈んだとき、この本を開いてみてください。空が、あなたを包んでくれるはず。」という木の実ナナさんの言葉が添えられていた。その言葉を信じてこの本に夢中になってみよう。「読書」と「記述」は、「今の僕の不安定な心中の精神安定剤になり得るかも知れない」と考えた。

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