山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ドルマイシン軟膏(踵のひび割れに効果抜群)

2021年01月31日 | 健康・病気
2021年01月11日(月)
『ドルマイシン軟膏』
<踵のひび割れに効果抜群>
冬季に入ると、手足にひび割れが生じる。手も足も右側だ。
手は分かる。手は台所仕事をするからだ。僕は右利きだから、左手よりも右手をよく使うからだろう。
それゆえ、毎日手入れをしている。
入浴後、指先を中心にハンドクリームを塗り込み、ナイロンの手袋をして布団に潜り込むのだ。
しかしそれでも、右手の親指と人差し指、そしてときには中指にもひび割れが生じ始める。
そんなときには、肌が割れてしまう前に、液体絆創膏を付け一晩経過するとだいぶん改善するのだが、
次の日の夕刻にはまたひび割れが生じてしまう。まさにイタチゴッコだ。
併しだ、右足の踵のひび割れには難義する。何でだか分からないのだが、右足の踵だ。
昨年も12月中旬にはひび割れが生じてしまった。
僕の硬い身体では、踵をしっかりと眺めることができないのだが、
近年毎年のことゆえ、昨年も11月下旬より、二日に一度は風呂上がりにハンドクリームを塗り、靴下を穿いて寝るようにしていた。
しかしそれでも、12月下旬には右足の踵が見事に割れてしまったのだ。
バンドエイドや液体絆創膏を使って治療していたが、改善することはなく、傷口が次第に大きくなってゆくばかりであった。
そこで思い出したのが、“ゼリア新薬工業㈱”が製造している“ドルマイシン軟膏”という、2種類の抗生物質配合の傷薬だ。
昨年大晦日に、ガーゼに“ドルマイシン軟膏”を塗り、それより毎日取り替え、4日ほどで漸次痛みが和らいだのだ。
この“ドルマイシン軟膏”という傷薬は、
何年か前に山行時に転倒して、脚に負ったかなり大きな面積の擦り傷を、
その内に治るだろうと放っておいたところ、化膿し始めたのだ。
そのときに近隣のドラッグ店へ行き、店員さんに傷の説明をしたところ、この傷薬を勧めてくださったのだ。
この薬の効果は抜群で、あのときは、この薬を勧めてくださった店員さんに感謝したのを覚えている。
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我が街中歩(南方に三日月)

2021年01月29日 | 我が街中歩
2021年01月09日(土)
『我が街中歩』
<南方に三日月>
早朝の“我が街中歩”、12月に入ってからだろうか、いつしかカメラを持って出掛けなくなっていた。
それは、僕が街中歩から我が家に帰って来るのが7時頃で、今の季節では、朝陽がまだ昇っていない時刻ゆえ、
街中はまだ薄暗く、写真の対象になるものが殆ど我が眼に留まらないからだ。
ところが、12月28日の朝、偶然に出合った秀麗な“打上川治水緑地”に感銘を受け、明くる日より、またカメラを携え歩くようになった。
そして今朝、目覚めが遅くなりスタートが5時33分となる。
屋外に出ると、頭上よりホンの少し南方に三日月があった。
治水緑地にやって来たのは、朝陽が昇る時刻にはまだ40分くらいの時間があったのだが、
ホンの微かに治水緑地に明かりが届いていた。
先ずは外周を一周歩き、続いて内周を歩いて西方にやって来たときに、池面に4羽の鴨を見ることになる。
その後、東方より治水緑地を離れ、十月桜の道を通って、三井が丘の中道を上り帰路につく。

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H子の絵画(梟の眼鏡置き)

2021年01月25日 | 絵画
2021年01月08日(金)
『H子の絵画』
<梟の眼鏡置き>
上さんは高槻へと出掛け、娘は何処へ行ったのか分からないのだが、昼ご飯は不要とのことであった。
それゆえ、今日のお昼ご飯は、保育園の先生の新型コロナウィルス感染のため、保育園は休園中で、
自宅待機している年長組のH子と僕の二人っきりであった。
H子は何でも食べてくれるので、安心して“大豆モヤシ&豚バラ肉の炒め”のレシピを選択して、
僕は二人分のご飯を作り、二人でお昼ご飯を頂戴する。
昼ご飯後、H子が絵を描くというので、
ドイツで購入して来たという、梟の形をした眼鏡置きを机上に置くと、納得して色鉛筆で描き始めた。
僕は用事があったので、「僕の部屋に行くから用事があったら呼んでね!」と言って、DKから離れたのだが、
夕飯作りの準備に15時頃にDKに行くと、食卓上にH子が描いた絵があり、いつしか娘が帰って来たようで、
その絵には娘のサインがあり、今日の日付とH子の名前が記してあった。
その作品の出来栄えはなかなかものであったので、カメラに収めたのだが、
作品を眺めていると、我が娘の亡きK世子のことを思い出してしまった。
H子は独りでテレビを見ていた。

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僕のブログ概要欄(訂正する必要があるのかも知れない)

2021年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム
ほしだ園地内、ピトンの小屋(2018年11月18日撮影)

2021年01月05日(火)
『僕のブログ概要欄』
<訂正する必要があるのかも知れない>
僕のブログ概要欄に、「山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています」と記しているのだが、
その中の「山野走」と「山野逍遥」という言葉を消さなければならないのではないかと思っている。
[山野走]という言葉は僕が勝手に作った言葉で、文字の如く「山野を走る」ことなのだが、
また、孫と山野を歩いたときの記録を[山野逍遥]と称しているのだが、
何れも現在のブログの概要文としてはふさわしくないものになってしまっているからだ。
それは、ブログを書き始めたころには山野を走ることにより、
僕に与えられた少しの時間で、山野の景観等を愛で楽しんでいたものなのだが、
この7年間はまったく走ることがなく、今はもう山野を走る身体力も気力も存在しないという現実があるからだ。
2013年の7月6日に、京阪電鉄・私市駅から“ほしだ園地と飯盛霊園の鞍部”間往復の山野走を楽しんだのが最後で、
それ以降はまったく走っていない。
また、一番上の孫とは十数回、“くろんど園地”や“ほしだ園地”を歩いていて、
昨年の9月20日にも孫三人と“ほしだ園地”を訪れているのだが、
これを除くと、もう何年もの間、孫と山野を歩いていないからだ。
ところで、僕が山野を走る切っ掛けを作ってくれたのは[ランニング登山]という、何処かの大学の先生が記した本だ。
本棚中を探せばその書籍がある筈なのだが、いつの日にかこの本に出合ったことにより山野を走り始めた。
しかし、[ランニング登山]に書かれているような日本アルプスや富士山のような高山ではなく、
“くろんど園地”や“ほしだ園地”という、我が家から近場にある“府民の森”が主体のランニングであった。
当時僕は、山野の景観を楽しみたいのだが時間がなくて山に行けないという現実があった。
そのころに[ランニング登山]という書籍に出合い、短時間で山野を楽しむには走ればよいのだと気付き走り始めたのだ。
この2日と3日に、生駒山系縦走路を歩いた。そのときにもトレイルランナーを何度も見かけたのだが、
僕が走り始めた頃には、ランナーに出会うことはまったくなくて、山中を走っているのは僕だけだったように思う。
あの頃には“トレイルラン”という言葉は一般的でなく、否、まったく使われていなかったのではないだろうか。
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私市駅~ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山~枚岡神社(後ろ髪を引かれる思いで“新池展望広場”を後にする)

2021年01月22日 | 山野歩
むろいけ園地内、新池展望広場

2021年01月03日(日)
『山野歩』
<私市駅~ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山~枚岡神社>
[コースタイム]
[京阪・私市駅] 7:38 → [星の里いわふね] → (かわぞいの路) → 8:22 [ピトンの小屋] → (さえずりの路) → (つつじの小路) → 8:49 [展望デッキ] 8:52 → [やまびこ広場] → (まつかぜの路) → 9:44 [飯盛霊園・境界鞍部] → [飯盛霊園内] 10:12 → 10:30 [ビオトープ田原の里山・車止め] → 10:54 [堂尾池] → [むろいけ園地入口(ひょうたん池] → (新池展望広場・大休止) → [むろいけ園地・出口] 12:33 → 13:01 [阪奈道路] → (産業廃棄物処理場&農地) → 13:25 [農地終了地点] → (カントリークラブ横) → 13:37 [龍王神・祠(小休止)] 13:40 → 13:50 [とうろうゲート広場] → 14:12 [くさか園地生駒縦走歩道分岐地点] → [くさか園地バイオトイレ] → 14:44 [辻子谷ハイキングコース北出合] → 15:30 [生駒山頂(遊園地内)] → 14:19 [暗峠] → 14:35 [鳴川休憩所] → 17:39 [枚岡神社]
◆所要時間:10時間01分
<後ろ髪を引かれる思いで“新池展望広場”を後にする>
昨日と同様、あの角を曲がれば、次にどんな景色が現れるのかが分かっている愉楽の道を今日も歩いた。
私市駅をスタートするときには、高安山まで行きたいと思っていたが、
“むろいけ園地”の入口となる“ひょうたん池”に架かる橋が改修されることなく、取り壊されていて渡れない。
池を右手より廻って“湿性花園”へ向かおうとしたときに、池で釣りをしておられた一人の方より、
「その道はあかんで」「足元が悪い」「行かん方がええで」との声が掛かった。
そこで、今まで通ったことが無い道をぐるっと廻り込んで、駐車場から“むろいけ園地案内所”を通り、
“森の工作館”前より“むろいけ園地”へと入って行くことになった。そしていつものように、清閑な“新池展望広場”でお昼にする。
此処までに意外と時間を要してしまい、今日の最終到達地点を“高安山”より“枚岡神社”へと変更する。
“新池展望広場”の腰掛けに坐ってパンを食するとき、前方の木陰から一匹の三毛猫が、
僕から3mほど離れた処でまでやって来て、ちょこんと坐り僕を見つめる。
そうこうしていると、僕の後の茂みからももう一匹猫が現れ、前方の猫と同じように3mほど離れた処までやって来たのだ。
僕のザック中にはまだパンが残っているのだが、「餌をやるあなたに責任があります」
「野良猫が増えて困っています」などと書かれた案内チラシが貼ってあるので、あげることが出来ない。
以前にはこんな案内が無かったのだがと思いつつ、後ろ髪を引かれる思いで“新池展望広場”を離れようと腰を上げ、ホンのちょっと歩くと、
「これから冬にかけて、園内は氷点下になるときもあり、園内に捨てられて都会育ちの猫は弱ってしまいます。
是非、餌をあげるだけでなく、暖かいお家へ連れて帰ってあげてください。
猫は毎日、餌がないと、園内に既存する、貴重な小鳥、蛙、リス等を食べることになってしまいます。どちらも大切な命です。
ただ餌をやり続け、ここに住まわせることは、生態系を変えていくことになります。猫は山に住む動物ではありません」と書かれたチラシが我が眼に留まったのだ。
併しだ、我が家は猫を飼える環境にはないので、仕方がないよなと思いながら、池の真ん中に架かる中堤を通り“むろいけ園地”を後にする。
昨日より少しはマシになっているのだが、足が痛むこともあり、脚が攣るのも怖いので、ほんとうにゆっくりと歩き続けた。
そして“くさか園地生駒縦走歩道分岐地点”が過ぎて暫く経ったころに出会った御夫婦と思われる二人連れから、
「生駒山頂へは如何行ったよいのでしょうか?」との声が掛かった。
「大阪に住んでいるのに生駒山に登ったことがないので来ました」「住いは茨木です」などと仰ったので、
「これから僕も行きますから、案内しますよ」と言い、“辻子谷ハイキングコース北出合”に到着する。
「これを登って行けば着きますよ」「山頂は遊園地の中です」と告げると、二人は速足で登って行かれた。
ところが、間も無く着いた管理道から上部が登れないのだ。
案内版によると、土砂崩れがあるらしく通行止めで、“あじさい園”の方から登るように書かれていた。
案内にあったその道は、だいぶん南方に進んでから登り返さねばならなかったので、
かなりの時間を要してしまう。結果として、枚岡神社への下り道でヘッドランプが必要になった。

(写真・上)枚岡神社

(写真・上)暗峠・石仏

(写真・上)展望デッキより
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私市駅より黒添池経由で交野山へ(両足の痛みに耐えながら)

2021年01月17日 | 山野歩
交野山頂

2021年01月02日(土)
『山野歩』
<私市駅より黒添池経由で交野山へ>
[コースタイム]
[京阪電鉄・私市駅] 7:30 → 7:49 [月ノ輪滝] → 8:18 [すいれん池] 8:25→ 8:48 [黒添池] 8:55 → [八橋] → 9:33 [くろんど園地ゲート]→ 10:50[交野山] 11:30→ [白旗池] → 12:13 [国見山] 12:18 → 13:16 [JR津田駅]
◆所要時間:5時間46分
<両足の痛みに耐えながら>
昨日は右足の踵のアカギレの痛みが最悪に達していたのだが、
今朝はそれに加えて、左足の外反母趾と、小指の付け根の外側にちょっと膨らんだ処の痛みに耐えて歩かねばならなかった。
なんで外反母趾がこれ程に痛むのだろうかと考え、分かったことがあった。
それは12月に入ってからの、早朝の“我が街中歩”を、大股と速足を意識して二時間程をしっかりと歩き続けた結果、
親指の付け根部分の皮膚が擦れて硬化しているのに暫く前に気付いていた。そして今朝それが裂けたのだ。
しかし小指の付け根の膨らんだ処の痛みは何でだか分からない。
この痛みは、平らなアスファルトやコンクリート上を歩いていると余り感じないのだが、
今日のような岩や石ころの多い凹凸のある道を進むときに、痛みを如実に感じるのだ。
この痛みを最初に感じたのは、9月中旬に霊仙山に行ったときだったような気がする。
上さんの語りから、それは“老化”なのだろうとの結論に至ったのだが、治す術がなく仕方がないことなのだろうか。
何れにしても、今日の山野歩による“歩き初め”は、両足の痛みに耐えながらのそれとなった。両足が痛いので、ほんとうにゆっくりと歩き続けた。
今日歩いた生駒山山系縦走路は、僕にとっては庭みたいな処で、あの角を曲がれば、次にどんな景色が現れるのかが分かっている愉楽の道だ。
今日、言葉を交わした唯一の人、それは20歳代後半の男性であった。
“旗振山”への分岐地点辺りだっただろうか、いつしか僕を追い抜き走って行った人が戻って来て、
「通行禁止と書かれているのですが、通ってよいのですか?」と僕に尋ねたのだ。
「はい問題ないと思います!」と僕は答えたのだが、暫く進むと、「通行禁止」と記された看板が2枚立っていた。さて、何を目的として立てたのだろうか。
その後、どの辺りだっただろうか、彼が僕の後から走って来たのだ。何処かで道を間違えたそうで、何時しか僕は彼の前を歩いていた。
次に彼を見たのは“交野山”の頂だった。そのときの彼の言葉に次のようなものがあった。
「大阪の長居から来た」「“交野山”へは初めてやって来た」「昨日は“二上山” に行って来た」「国見山へは如何行けばよいのか?」
「伏見へ行くには何処を行けばよいのだろうか?」「河川敷を行けばよいのだろうか?」などであった。
最近彼は、生駒山系や金剛山系を廻っていたようで、
“交野山”から“京都一周トレイル”のスタート地点である“伏見”へ行くには、何処を走って行けばよいのだろうかと、考えている様子であった。

(写真・上)国見山からの展望

(写真・上)後ろに竹藪が広がっている
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我が街中歩(踵の痛みは最悪)

2021年01月15日 | 我が街中歩
成田山不動尊

2021年01月01日(金)
『我が街中歩』
<踵の痛みは最悪>
朝4時41分のスタート。帰宅は6時56分。
いつものように、天照大神様と氏神様に言葉をかけ、K家とY家の今年の平穏無事をお願いし、
次に、お祖母ちゃんとお袋、親爺、長女、そして仏様を祀っている仏壇に向かっているつもりで般若心経を上げながら歩く。
やって来た成田山不動尊、これまたいつもの如くやって来る奥の院は開帳され、入口の受付の札売場には人がおられた。
奥の院にお参りし、本堂へと廻ると普段の早朝では見られない光景が拡がっていたが、例年であればもっと参拝する人が多いのだろう。
今年の大晦日は、京阪電車が終夜運転を行なっていないことや、コロナ感染症のこともあり、初詣の人出は少ないのだろう。
成田山に別れを告げ、いつもの道を行く。
打上川治水緑地には東方より入り、これまたいつもの如く外周と内周を一周ずつ歩き、
東方より緑地を離れ、十月桜の道を通り、寝屋川左岸の道を進んで上観音橋を渡り、いつもの道で帰路につく。
僕の老眼には、昨日と比して、ホンの少し欠けているように見える月が、西方の空に昇っていた。
昨朝の月は、時折雲に隠れる場面があったが、今朝は、雲はまったく無い様子で、月は終始輝き続けた。
今朝の街中歩は、右足の踵の切れたところが痛くて、歩き始めて暫くの間は、地面に踵をつけることが出来ず、
時間の経過とともに痛みに慣れてくるまでは、右足は指部分のみで歩き続けた。
昨晩は、ここのところとは違う治療をしたにもかかわらず、痛みは最悪に達していた。
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我が街中歩(西の空に満月)

2021年01月10日 | 我が街中歩
2020年12月31日(木)
『我が街中歩』
<西の空に満月>
昨朝の “我が街中歩”は雨中のそれであった。昨日の日記に僕は次のように記している。
「4時58分のスタート。成田山不動尊の奥の院(開)にお参りし、本堂にもお参りして、いつもの道を行く。
打上川治水緑地には、東方より入り、外周と内周を一周ずつ歩き、十月桜の道を通り、寝屋川左岸の道を進み、いつもの道で帰路につく。
雨降る冬の朝、治水緑地の鳥達は如何しているのだろうかと池を眺めていると、
暗くて明確には確認できないのだが、池面から鳥の囀りが聴こえるので、
しっかりと池面に眼をやると、数羽の鴨らしき姿が見えるではないか。
また中洲の樹木上には、いつもの如く白い鳥の姿をぼんやりと確認することも出来た。
雨は一昨日よりもしっかりと降り続き、僕は傘を差しているにもかかわらず、
上着は二の腕くらいまで、足元はズボンの裾辺りがしっかりと濡れていた」と。
そして今朝も“我が街中歩”に出掛けた。
これでこの12月は、一日も欠かさず31日間、日々早朝に歩き続けたことになる。
今朝は5時00分のスタートで、帰宅は7時09分。スマホの寝屋川市の気温は「1度」とあった。
成田山不動尊の奥の院(閉)にお参りし、本堂にもお参りして、いつもの道を行く。
打上川治水緑地には東方より入り、外周と内周を一周ずつ歩き、
十月桜の道より寝屋川左岸の道へと進み、いつもの道で帰路につく。
今年の歩き納めとなった今朝は、西の空に満月(?)が昇っていた。
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ベニヒカゲ(高山蝶の一つ)

2021年01月05日 | 昆虫
2020年12月29日(火)
『ベニヒカゲ』
<高山蝶の一つ>
2003年08月15日、双六小屋より鏡平へと向かう百花繚乱の道で、深山金梅の葉上に休む[ベニヒカゲ]に出合う。
ジャノメチョウ科の[ベニヒカゲ]について、昭和35年8月20日発行の蝶類図鑑に、
「この蝶も高山蝶の一つで中部以北に産し、分布範囲は高山蝶のうち最も広い」
「本州では1500m以上の高地に産する」
「発生は他の高山蝶に較べて遅く、年1回、8月から9月に及び、日光の明るい花上に舞うさまは美しい」等と記されている。

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我が街中歩(様々な事柄が、我が脳裏を過る)

2021年01月04日 | 我が街中歩
2020年11月14日の治水緑地東方のメタセコイア並木

2020年12月28日(月)
『我が街中歩』
<様々な事柄が、我が脳裏を過る>
成田山不動尊の奥の院(開)にお参りし、本堂にもお参りして、いつもの道を行く。
打上川治水緑地には東方より入り、直線路のみを歩いて西方より、緑地を離れ、上観音橋を渡り、いつもの道で帰路につく。
今の季節、陽が昇って来るのは7時頃。僕が毎朝、打上川治水緑地を通るのは、5時から6時過ぎ頃にかけてからが殆どだ。
それゆえまだ暗いので、12月に入ってから、いつしかカメラを持って出掛けなくなっていた。
ところが今朝は、目覚めが遅くなり、スタートが6時47分といつもと比してかなり遅い時刻であった。
しかも雨が落ちていたが、それらが功を奏したのかも知れない。
それは、やって来た打上川治水緑地には、人ひとりたりとも居なくて、いつもならけっして見ることがない情景が拡がっていたからだ。
治水緑地に居たのは僅か5分余りだったと思う。
その5分間に、我が眼に飛び込んで来た直線路から南方にみる清閑な緑地は、
もしかすれば、今までに見た治水緑地のどれよりも秀麗なものだったのかも知れない。
ソメイヨシノ始め落葉樹の木々が葉っぱを落とし、治水緑地の隅々まで僕の視界が届くという透明感溢れる景観に、
殊の外、美を感じたのかも知れない。
黄金色に輝くメタセコイアの並木と、まだ僅かだが、足下に咲く水仙が緑地に彩りを添えていた。
治水緑地を離れ帰路を行くときに、我が脳裏には蘇ったのは20年も前に逝った長女のK世子であった。
K世子なら今朝の治水緑地の景色を、キャンバスにどのように描いたのだろうかという思考と、
また何でだか分からないのだが、上さんが逝く姿を僕は見たくないよなという思考があった。
いつもそうなのだが、朝、歩いている間、様々な事柄が、我が脳裏を過る。
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