山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

運動(軽い腰部ストレッチ)

2015年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
2015年2月17日(火)
『運動』
<軽い腰部ストレッチ>
12月29日に始まった酷い腰痛が、いつもの如く「そのうちマシになるだろう、そのうち自然治癒するだろう」と思っていたが、その気配がまったくなく、1月13日になって整骨院を訪問した。そのときに先生が呟いた「腰の筋肉が硬いですね」という言葉が僕の脳裏に残っていて、先日になって、腰痛が常態化しているのは「筋肉が硬い」のが大きな原因かも知れないと考えた。
一昨年の9月の滑落事故以降、何度かは山や森中を歩いたが、普段の生活では殆ど身体を動かさない怠惰な生活を過ごして来た。腰痛は、何十年もの間、重量物を持たなければならない仕事に携わってきたことが今になって、持病となって僕の老体に顕在化しているのは間違いないが、嘗ては、腰痛に陥っても今のようにまったく脱出できないということはなかった筈だ。ところが事故後、怠惰な生活を続けるうちに、自身では気付いていないだけで、手や腕、脚腰の筋肉が硬化し脆弱なそれへと変化しているのだろう。滑落時に強打したことによる後頭部の内出血や内耳の骨折等から生じていると思われる「左顔神経麻痺」や「思考能力減退」は仕方がないとして、「腰痛」や「脚力不足」、「左手指の痙攣」は改善できる筈に違いない。先ずは軽い腰部ストレッチから始めてみよう。
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日本山岳協会(山岳遭難・捜索保険)

2015年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム
2015年2月14日(土)
『日本山岳協会』
<山岳遭難・捜索保険>
山の会に復帰して以降、僕は日本山岳協会の「山岳遭難・捜索保険」に加入し続けて来た。僕が加入していたのは「1Eタイプ」という保険で、一昨年の9月に滑落事故を起こしてしまったときには、そのお蔭で、僕の救助にかかわってくださった方々に、その為に生じた費用を保険からお支払いすることが可能となったし、怪我の治療費もすべてではないが補填されることとなり、山岳保険の有り難さをつくづくと感じたものであった。もっとも、自身が山岳事故を起こすなんてことは考えだにしなかったのだが、併しだ、自身が事故を起こしてみて、「山に行く者は皆、何某かの山岳保険に加入する義務と責任がある」と改めて思った次第だ。
事故後の昨春は、当然の如く「山岳遭難・捜索保険」に加入したのだが、今年は躊躇している。それは、昨春は「今年は山の会の皆と山に行くことが出来るようになる」と確信していたからなのだが、今年は昨年とは条件がまったく違う。それは、「現在の我が心身では、今後山に行くことができないかも知れない」という思考が僕の脳裏を支配しているからだ。
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運動(精神力が必要)

2015年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム
2015年2月11日(水)
『運動』
<精神力が必要>
運動をするには精神力が必要であるということを最近痛感している。運動といっても以前のように、冬の早朝に冷気溢れる森中を走る訳ではない。「家中で身体を動かす」「日中に街中を歩く」という、時間があれば十分に可能な軽運動なのだが、それが出来ない。「明日から始めよう」「暖かくなればやろう」等と思考するだけで、一日一日が過ぎ去って行く。
一昨年の9月の滑落事故以降、身体を動かさない生活を続けるうちに、怠惰な生活に浸ってしまい、それより抜け出せない現在の僕の心身は、脆弱なそれになってしまったのは間違いが無い。なかでも、「腰痛」「脚力不足」「左顔神経麻痺」「思考能力減退」の四点が課題だろうと認識しているつもりなのだが、我が現精神では如何にもならないという現実がある。
この2月7日~8日、我が山の会例会で「比良山系堂満岳中央稜」の一泊二日の山行があり、その下山報告先として僕に依頼があった。「下山報告先、承知しました。この至極寒い折、皆さんの活力に敬服するばかりです。」と返信したのだが、皆もけっして若くないにもかかわらず、この厳寒の最中に幕営で雪山に行くことができる身体力と精神力を羨ましく思うばかりであった。
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交野山山頂での初日の(8年連続で途切れる)

2015年02月14日 | 山野歩
2015年1月1日(木)
『交野山山頂での初日の出』
<8年連続で途切れる>
昨年まで8年連続で交野山の頂で初日を拝んでいたのだが、今朝のその時刻は布団中でぐっすりと眠っていた。10時半頃、青空中の其処彼処に積雲が心地好く浮かぶ冬晴れの空を見たとき、「今朝はきっと美麗な初日の出を拝むことが出来たに違いない」と思い、今朝交野山に行かなかったことへの後悔の念が僕の脳裏に拡がった。
「来年の元日には交野山には行かない」と昨年の元日に決めたのだがその理由は、交野山山頂で初日を拝む人々の多くが僕の様な年代ではなく、中高生や学生さんと思われる人達を中心に若人が大半を占めていて、僕が其処に居ることに場違いの感を抱いたからであった。また、最近の厳寒中、4時に起床し、交野駅から交野山山頂までの夜明け前の時刻の約一時間半余りの歩行に僕の心身は耐えられないに違いないとも考えたからで、また、この29日から腰痛に陥ってしまったという現実があったからでもあった。
併しだ、「やはり交野山に行こう」という思いが頭をもたげるに違いないと考え、20数年前に使用していた冬山用下着を身に付けて昨日布団中に這入ったのも事実なのだが、今朝はやはり目が覚めることはなかった。
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屯鶴峯&二上山(大腿二頭筋にこむら返り)

2015年02月09日 | 山野歩
2014年12月7日(日) 
『T山の会』
<屯鶴峯&二上山>
■参加者:ABちゃん、MTくん、YKさん、YUさん
[コースタイム]
[近鉄・二上山口]9:05→9:37[屯鶴峯]12:20→(疋田砕石場)→13:25[二上山・鞍部]→13:50[二上山雄岳(517m)]→14:50[近鉄・二上神社口駅]
<大腿二頭筋にこむら返り>
目覚めたのだがまだ布団中に居るときのこと、「山の会例会に出席しようか」「それとも欠席しようか」と躊躇する。それは、ここの処続いている厳寒に、僕の身体が耐えられるだろうかと不安になったからだ。朝6時30分の我が家南向き窓際の温度計は「5.2度」で、今冬僕が確認したもっとも低い室温であったのだが、3千㍍の冬山に行くことが出来る程の骨董衣装を着込んで出掛けることにした。
「屯鶴峯」でアイゼントレーニングを行なう。MTくんがYKさんに、斜面等における基本的な足の置き方やピッケルの使い方を簡単に指導した後、アイゼンを履いたまま洞窟へと向かい屯鶴峯を一周する。
昼食後、屯鶴峯を後にして砕石場中を通り過ぎ、二上山へと歩荷に向かう。ABちゃんとMTくんのザックにはロープや登攀具が入っているにもかかわらず、その足取りは至極軽い。僕のザックにはカッパと傘、そして350mlのテルモスが入っているだけで空荷に近かったのだが、二上山への最後の長い急階段を上る時に大腿二頭筋に張りを感じ始め、「二上神社口駅」に着くや否や、両脚の大腿二頭筋にこむら返りが生じる始末であった。また、腰にもかなりの疲労を感じていた。
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