山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ミヤマコゴメグサ(ゴマノハグサ科)

2020年01月30日 | 植物
2020年01月15日(水)
『ミヤマコゴメグサ』
<ゴマノハグサ科>
折立から入山して二日目の2009年09月08日、
間山からスゴ乗越小屋へと歩くときに出合ったこの写真の[ミヤマコゴメグサ]はゴマノハグサ科の植物だった。


書籍によると、身近に見るオオイヌノフグリやタチイヌノフグリと同じ科に属していた。
ところで、ミヤマコゴメグサとコバノココメグサが至極似ていて僕には判別できない。
書籍にコバノココメグサは「萼裂片の先が鈍く、黒みを帯びるので区別される」との記載があるのだが、やはり分からない。
ただ、分布する地域が違うところから、僕が撮影したのは[ミヤマコゴメグサ]に違いないという結論に至った。

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シデシャジン(キキョウ科・四手沙参)

2020年01月26日 | 植物
2020年01月09日(木)
『シデシャジン』
<キキョウ科・四手沙参>
この写真の[シデシャジン]には、2003年07月27日に、伊吹山北尾根を歩くときに出合っている。
御座峰より伊吹山ドライブウエイへと向かうときだ。
当時の山日記からすると、御座峰から伊吹山ドライブウエイに至る行程は、
あまり起伏がなく身体的負担が少なかったようだ。
[平凡社・日本の野生植物]を見ていると、
[シデシャジン]の右隣に[サワギキョウ]の写真が掲げられていてよく似ている。
[サワギキョウ]というと“むろいけ園地” の“湿性花園”に咲いていたのを思い出す。


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生駒山系縦走路・私市駅~生駒山頂~高安山(三年連続の生駒山系縦走路の歩き初め)

2020年01月23日 | 山野歩
十三峠

2020年01月02日(木)
『生駒山系縦走路』
<私市駅~生駒山頂~高安山>
[コースタイム]
[京阪・私市駅] 7:25 →[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→ 8:05 [ピトンの小屋] →(さえずりの路)→(つつじの小路)→ 8:36 [展望デッキ] 8:46 → [やまびこ広場]→(まつかぜの路)→ 9:30 [飯盛霊園・境界鞍部]→ [飯盛霊園内] 9:53 → 10:10 [ビオトープ田原の里山・車止め] → 10:32 [堂尾池] → 11:02 [むろいけ園地入口]→[湿生花園]→ 11:20 [新池展望広場] 12:00 →[阪奈道路]→ (産業廃棄物処理場&農地)→ 12:45 [農地終了地点]→(カントリークラブ横)→ 12:56 [龍王神・祠]→ 13:07 [灯篭ゲート広場]→[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→[くさか園地バイオトイレ]→ 13:55 [辻子谷ハイキングコース北出合] 14:05 → 14:35 [生駒山頂(遊園地内)]→ 15:12 [暗峠]→[大原山]→ 15:51 [鳴川峠]→ 16:33 [鐘の鳴る展望台] 16:40 → 17:16 [十三峠]→ 17:15 [平群分岐]→[立石越ハイキング道分岐]→ 18:05 [高安山・ケーブル山上駅]
◆所要時間:10時間40分
<三年連続の生駒山系縦走路の歩き初め>
ヘッドランプが何となく暗い。足下が明確に見えない。調子が悪いのだろうか、それとも電池がないのだろうかと思いつつ暫く歩いていると突然消灯してしまう。
それはどの辺りだったのだろうか、時間に追われ高安山へは登らず、“高安山・ケーブル山上駅”を目指し懸命に歩いているときであった。
今日は半月の月明かりがあったので足下が微かに見えたので助かった。
ヘッドランプそのものは、17時頃にザックより取り出し頭に付けて一旦電源を入れてみるがあまり明るくない。
もしかすればこんなものかも知れないと考え直ぐに消灯して歩いていた。
日ごろ山に行っても日帰り山行のみゆえ、ヘッドランプを使用することが殆どないので、その調子が悪いのだろうと安易に考えていた。
ザック中に予備電池があるのだが、それが消灯したときは既にかなり暗かったので交換が儘ならなかったし、
ケーブルの最終便(18時10分)の時刻が迫っているので、交換している時間がなかったのも事実であった。
その証拠に、少しの時間であったが、殆ど見えてない道を、月明かりを頼りに懸命に歩き、
ケーブル山上駅に到着したのが最終便の僅か5分前だったのだ。
最終時刻に間に合わなければ、“立石越ハイキング道”を歩いて下山すればよいと当初は考えていたのだが、
消灯後には、ヘッドランプ無しでは歩いて下山できないかも知れないという思考が我が脳裏にあった。
「ヘッドランプの予備電池は、直ぐに取り出せるところに入れて置くべきだった」
「ヘッドランプの電光が弱いと思ったときに直ぐに電池を交換すべきだった」等と後悔した。
まさに遅かりし由良之助で、明るいうちに交換すべきだった。
“むろいけ園地”入口にある“瓢箪池”に架かる橋はまだ通行止めの儘であった。
前回此処を通ったのは暑い季節だったと記憶するゆえ、それより3~4月は経つ筈なのだが、まだ復旧していない。
あのときに、湿性花園上の木橋上に坐り込んでおられた男性が、「役所にお金がないから直せないらしい」と言っておられたのを思い出した。
木道を前進すると今度は木橋が一部崩壊していた。
それをやり過ごすとき、前方からやって来られた方がなんと、数ヶ月前に「役所にお金がないから直せないらしい」と言っておられた年配の男性であったのには驚いた。今日は奥様も御一緒であった。
それより直ぐにやって来た“新池展望広場”でお昼にする。
此処はメイン通りから少し左手に入った処に位置するからだろうか人があまり居ない清閑な広場だ。この広場を知ってから僕は、此処でお昼タイムを取るようになった。
今日も此処でお昼にしているとき、独りの中年男性がやって来た。
そしてその男性が、鞄より長くて細い紐を取り出し紐先に錘らしき物を付けると、樹木の枝を目掛けて放り上げる。
錘が地面に落ちると紐を手繰り寄せ、また枝を目掛けて放り投げるのだ。その動作を何度も繰り返しておられた。
其処で僕はその男性に、「何をしておられるんですか」「目的は何なんでしょうか」と訊ねてみると、
「この細紐を枝に掛けてから、それに太いロープを付けて、そのロープを支えにして木に登るんです」
「登って行って、枝を切ったり木を伐採したりするんです」「それが、僕の仕事なんです」
「暇なときに、投げる練習をするんです」「コツを忘れないようにやってるんです」
「こんなすっきりとした所はあまりないんです」「藪など木がいっぱい生えている所の方が多いんです」等と、男性は丁寧に答えてくださった。
「昨年の台風19号の後、山に行くと、倒木が多く見られましたが」と更に訊ねると、
「台風19号の後はたいへん忙しかったです」「線路や架線などに倒れかかったり、覆ったりした樹木の枝切りや伐採で忙しかったですね」
「最近、JRからの仕事が増えています」と続けた。こんな仕事があるんだと思い、知らなかった世界を覗かせて貰ったような気がした。
スマホで山歩きを楽しんでいる47歳の男性に出会った。
彼とは“辻子谷ハイキングコース北出合”より生駒山山頂を目指して急勾配の道を懸命に上るときだった。
「しんどいですね」と後からやって来た男性から声がかかったのだ。そこより僕の歩みに合わせて彼は歩きよく喋った。
「先月は“大普賢岳” へ行った」「明日は“岩湧山”へ行く」「大トレも歩く予定です」
「熊取の雨山は、標高は300㍍くらいの低い山ですが、いい山ですよ」等と、最近は山三昧という様子で、
「大普賢岳は雪は如何だったですか?」と訊ねると、「無かったです」と答えた。
また、生駒山山上駐車場に至る間際の道が崩壊していることも知っておられた。
それより、生駒山山頂の三角点を確認すると、「“鬼取山”は何処にあるんですか?」という問いがあったので、
「これより南方へと峰が繋がっていますから」と言いつつ、山上遊園地を通り過ぎる。その間も彼はスマホを見続けていた。
暫く歩き、“鬼取山”はこの辺りだったよなという処にやって来たとき、スマホを見続けている彼から「もう直ぐですよ」との言葉があった。
その言葉と同時に、僕が樹木に掛かっている“鬼取山”と書かれた標識に気付いたのだ。
その後、生駒信貴ドライブウェイを跨ぎ、そこにあった大阪平野などが一望できる駐車場に立ったとき、
「ここ知っている」「昔彼女と、嫁さんとも車でやって来たことがある」と彼は語った。
その後“暗峠”まで一緒に歩き、鳴川休憩所より枚岡へと下りる予定の彼と其処で別れた。彼は地図もコンパスも持つことなく、スマホのみで山に行っている様子であった。
相変わらず写真機の調子が芳しくなかった。生駒山山頂の三角点を撮ろうした時には、モニターが真っ暗で撮影することが出来なかった。
その20分ほど前、“辻子谷ハイキングコース南出合”では、紅色の山茶花の姿を写真機に収めたばかりだったのに。
そしてその後、1時間半後の鳴川峠や十三峠で写真機を構えたときにはまた稼働していた。我が写真機はほんとうに気儘だ。


ゆっくりと我がペースで歩いたからだろうか、京阪・私市駅から高安山ケーブル山上駅到着までの、
所要時間が10時間40分の山歩きだったのだが、こむら返りが生じる気配はなかった。
そう言えば、前回の京都一周トレイルのときも起こらなかった筈だ。
昨年の6月中旬より始めた早朝街中歩により、我が脚が鍛えられつつあるのだろうか。もしそうであるなら嬉しいのだが。
今日咲いていた花は山茶花だけで、紅と白の二種類であった。

“辻子谷ハイキングコース北出合”から、生駒山山頂を目指して懸命に歩くときに出合い、“十三峠”の手前、左手谷側には紅と白が見事に群生していた。
それら以外にも、何処だったのかは覚えていないのだが紅花を見掛けたように思う。
今日はほぼ快晴の好天の下、愉楽の中における三年連続の生駒山系縦走路の歩き初めとなった。
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夢の花かげ(美空ひばり&鶴田浩二のデュエット曲)

2020年01月18日 | 音楽
2020年01月01日(日)
『夢の花かげ』
<美空ひばり&鶴田浩二のデュエット曲>
昨晩、2020年1月のスタートに聴く曲として、何が相応しいだろうかと考えたとき、
昨年と同じ曲の「ベドジフ・スメタナ作曲・連作交響詩≪わが祖国≫」しか思い浮かばなかった。
そして今朝9時過ぎに、上さんが造ってくれたお雑煮を頂戴し二人で御節を囲むときに、
「ヴィシェフラト」「モルダウ」「シャールカ」「ボヘミアの野と森より」「ターボル」「ブラニーク」の6曲を、
昨年のお正月以来一年振りに愉しむ。
また夕飯後、独りになり、我が机前に坐ったときには、
今は亡き長女が購入し使用していた20数年前のラジカセで“美空ひばり”のCDを愉しむ。
今日から聴き始めたCDは、「あの丘越えて」や「リンゴ追分」など16曲が入っているものであった。
なかでも、“鶴田浩二”とのデュエット曲である「夢の花かげ」が流れるときには聴き入ってしまった。
お風呂に入り布団に入るまでそれら16曲を繰り返し聴き続けた。
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我が街中歩(一年の計は元旦にあり)

2020年01月06日 | 我が街中歩
2020年01月01日(水)
『我が街中歩』
<一年の計は元旦にあり>
「一年の計は元旦にあり」という思いがあったからだろうか、
今朝は5時のアラームを聴かなくてもその数分前には目覚め、
5時半頃には我が家を離れ、昨年の6月中旬より始めた街中歩に出掛ける。
12月は朝早く起きられず、街中歩に出掛けたのは僅か2日間となってしまったゆえ、
今年はしっかりと身体を動かさねばならないという思いがあったからだが、
明日2日は独りで山歩きに出掛ける予定ゆえ明後日以降になるのだが、
さてこの寒い季節に朝早く起きられるのだろうか。
今朝元旦は、勿論のこと夜明けはまだなのだが、
いつも通る成田不動尊周辺は初詣に訪れる人々や立ち並ぶ屋台の灯で賑わっていた。

次にやって来た打上川治水緑地の外周りを一周歩き、
次に内周りを東方へと進むときに音楽が聴こえて来たのだ。
まだ暗いししかも元旦ゆえまさかと思ったが、
緑地の東方へとやって来ると20~30人くらいの方々が、
6時半からのNHKラジオ体操を行なっておられたのには、感心するばかりであった。

(写真・上)打上川治水緑地の西方より
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 京都一周トレイルⅥ(槇ノ尾~鳥居本~竹林の小径~渡月橋~松尾山~上桂駅)

2020年01月03日 | 山野歩
竹林の小径

2019年12月29日(日) 
『山の会』
<京都一周トレイルⅥ>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
◆[槇ノ尾バス亭] 9:28 → 10:32[金鈴橋]→ [落合]→ 11:50 [鳥居本]→ 12:52 [トロッコ嵐山] → [竹林の小径] → 13:15 [渡月橋] → 13:30 [阪急嵐山駅] → 14:15 [松尾山頂] → 13:14 [苔寺・すず虫寺バス亭]→ 15:37 [阪急上桂駅]
山の会の皆と歩くのは、7月21日の“六甲山系・地蔵谷”山行以来で5ヶ月振りであった。
少なくても月に一度は例会があるのだが、休めないなど僕自身の条件で出席できていない。
今日の“京都一周トレイル”山行も、行けるかどうかが一昨日まで分からなかった。
打上げ時に梅安さんが作成した“2020年・山の会山行計画”なる書面を頂戴したのだが、
其処には延べ15回の予定山行記載が存在する。
しかし先ず僕が駄目なのは泊り山行だ。
9月の南アルプス山行には出席できないだろうし、
なかでも11月の“ヒマラヤトレッキング”に参加するのは不可能だ。
またその為のトレーニングとして、10月に記されている“海外の為のトレーニング”は、
富士山山行に違いないと思うのだが、それも僕が出席するのは不可能だろう。
そして5月にある“大台ケ原から大杉谷”という二泊三日の山行は、
自然環境保全のために入山者数に制限が設けられていて、
早く申し込みをしなければならないらしく、
行けるかどうかが、間際でなければ判断できない僕には出席はやはり無理なような気がする。
大杉谷というと思い出すのは、
8月のお盆休みに我が家族で歩いたときのことだ。
山日記を紐解けば、それがいつのことであったかが分かるのだろうが、
兎も角、我が二人の娘が、上が小学校1年生、下が4歳になったばかりの時だったと記憶する。
更に、上さんの親爺さんと甥の計6人で歩いたのだが、
上の娘はすべての行程を歩いてくれたのだが、
下の娘は、前半の危ないところは僕が片腕で前抱っこして、
後半を上さんが負んぶ紐で背負い、その行程の多くを歩いたように思う。
我が家の食卓横の壁には、
そのときに吊橋上で撮影した親爺さんが写っている懐かしい写真が掛かっている。
あのときは大台教会山の家で一泊し、二泊目は桃ノ木小屋だった。
ところで山の会は、3月からスタートする“大阪トレイル”山行を全7回で完歩する計画なのだが、
話によると、それを完歩するのは二年に亘るそうだ。
僕自身はそれらの多くを、2017年に独りで歩いているのだが、
山の会の皆と歩けるのなら、独りのときとは違った愉しみが味わえるに違いないだろうし、
季節が変われば異なる景観にも出合えるだろうから、
これには是非出席したいと思うのだが、さて、我が家庭環境が許してくれるのだろうか。
年末に山行に出掛けられるとは思っていなかったので、
半ば諦めていた今日の“京都一周トレイル”はいつもの如く、
山仲間の話し声や笑い声が飛び交う至極楽しいものとなった。
しかも、松尾山以外には山を登らねばならないところが殆どなかったので、
僕向きの山行であったがしかし、
それでも我が脚にもしかすればこむら返りが生じるかもしれないと感じるときも何度かあって、
先頭を歩く梅安さんに「ペースダウン!」と声を掛けるときもあった。
残念なことがあった。
それは山を歩くときには、いつも胸前にぶら下げている写真機の調子が芳しくなかったからだ。
数ヶ月前よりモニターが真っ暗になり、シャッターを切ることは出来るのだが、
写らなくて映像として残らないということが時折生じていた。
今日その現象が起こったのが渡月橋にやって来たときで、
多くの人が行き交う渡月橋を撮影し記念に残したいと写真機を構えるが、
モニターが真っ暗へと変化しそこには渡月橋の姿はなかった。
その後、松尾山を上るときには一旦は回復したのだが、

(写真・上)松尾山からの京都市街と山容
京都市街やその向こうの山容がもっとも明確に見える視界が拡がるところにやって来たときにまたその現象が生じたのだ。
そしてそれ以降、写真機は回復することはなかった。
昨日からお正月休みに入っているからだろうか、所々で人波に出会うこととなった。
なかでも“竹林の小径”と“渡月橋”は観光客で溢れていた。
また、それとは逆に、人に出会うのは時折という、
自然に包まれた中を愉楽の精神で歩いた道もあり、澄んだ清滝川の流れが記憶に残っている。
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